昨日の続きです。(更新が遅れホントは一昨日の続きです)
蔦の駐車場から市街地を通り、いつものように「水戸地裁土浦支部」の前にある自販機で缶コーヒーを買い、亀城公園に立ち寄りました。
土浦に来ると必ず亀城公園の「お猿さん」にご挨拶をします。淋しそうに毛繕いを黙々と続ける猿君に、コヒーを飲みながらイロイロと話しかけるのですが、いつも無視されています。
別々の檻に入れられた二頭の猿は、互いの境遇について時々は語り合い、慰め合っているのでしょうか。
休憩も終わり、淋しく孤独(そう見えるだけで、三食?昼寝付きを満足している?)な二頭の「猿」に別れを告げて、公園を「去る」のでした。
町中を抜け、桜川の土手に出ました。「この桜並木」の土手を始めて歩いた時は、長閑な田舎町の風情をタップリ感じたものです。
「この」と云っても写真を撮らなかったので、「どの?」と突っ込みが入りそうですが、残念ながら今回は撮っていません。
もう2年ほどここに駐車したままです。始めて見たその瞬間『エッ!』と思いました。周りの風景とはあまりにもかけ離れています。
迷彩色に塗られた、アメリカの軍用トラックが? ここはイラクか?、アフガニスタンか? 何故こんな田舎の駐車場に? ホントにオドロキでした。
まぁ。土浦は昔は「軍都」でしたし、今も自衛隊の基地もありますし、軍隊マニアの密度が高い地域なのでしょうか?
まぁ。そんなこんなを考えつつ歩いていると、常磐線の鉄橋の下に差し掛かりました。
橋は、裏側?下側? このアングルが好きなのです。表より裏、上より下、変ですかねェ。
でも、表側よりも裏側を、見るなと云われると見たくなり、穴があれば覗いて見る、これぞ人間の探求心! 進歩発展の原動力! ではないかと思っております。
橋の裏側もイイのですが、最近は「銘板」に興味が湧いてきました。
こういう物を「銘板」と思っていたのですが、広辞苑で調べると「銘」と有ります。「銘板」という言葉は載っていませんでした。
金属や石に来歴を記したものが「銘」であるようです。そうすると「銘板」と云うのは、「馬から落ちて落馬した」と同じ事になるようです。
広辞苑に「銘板」がないからと云っても、世の中には「銘板屋さん」と云う商売があります。これって言葉としては「銘屋さん」が正しい表現なのでしょうねぇ。
それは兎も角として、この銘板なんですが、やはり気になるのは「年代」ですね。
この鉄橋は「着手」が昭和34年9月23日で、「しゅん功」が35年4月25日になっています。
工事開始を「着手」と云い、「竣功」を「しゅん功」と表記する処が「旧国鉄的」なのでしょうと、その時は思ったのですが・・・・・・。
それで、昭和35年の完成ですから、私が生まれて10年後です。その頃にこの鉄橋は完成していたのです。
『ふ~ん。なるほど、そうかそうか』
『ふ~ん熊谷組が造ったのか、そうか、そうか』
等と感心しつつ、鉄橋を眺めつつ、銘板を鑑賞する訳であります。
もう一本、鉄橋が有ります。
こちらは「着手」が昭和36年6月17日、「しゅん功」が昭和37年2月20日です。
そろそろ「塗装」の時期ではないかと、余計な心配をして眺めていました。
それにしてもです。「銘板」を眺めていると、やっぱり「しゅん功」が、気になるのです。
よく見ると、「橋りょう」とあり、「基ソ・そ」とあり、「しゅん功」です。3つの平仮名表記です。
これは、3つとも難しい漢字なので、鉄道好きの小学生にも読めるように、旧国鉄が「配慮」して、ひらがな表記にしたのでは・・・・・・・有りません。
絶対に間違い有りません! 答えは一つです! そうなんです! 銘板製作上の技術的な問題だったのです。
それは、銘板が「鋳造品」だと云うことです。ここまで来ると、『何だ。そういう事か』と、判った方も居ると思います。
そうなんです。単純に画数の多い「梁」「竣」「礎」は、この大きさの銘板では、鋳造加工では無理なのです。溶かした真鍮が流れないのです。
謎?が解け、そうか、そうかとスッキリしたのですが、銘板に刻まれた、「設計荷重」の「KS16」と「KS18」の文字が気になりだしたのです。
16と18では「強度的」にどちらが強いの? 「KS」って、何の略なの? 「K」は「国鉄?」、「S」は「standard」の意味?
「基ソ根入 天端から7.250m」の、「基ソ根入」って? 「天端」って何処から?
何て考えたりして・・・・・・。
銘板一枚を眺めるだけで、こんなに楽しめるのです。
まだ土浦は続きます。
それでは、また明日。
蔦の駐車場から市街地を通り、いつものように「水戸地裁土浦支部」の前にある自販機で缶コーヒーを買い、亀城公園に立ち寄りました。
土浦に来ると必ず亀城公園の「お猿さん」にご挨拶をします。淋しそうに毛繕いを黙々と続ける猿君に、コヒーを飲みながらイロイロと話しかけるのですが、いつも無視されています。
別々の檻に入れられた二頭の猿は、互いの境遇について時々は語り合い、慰め合っているのでしょうか。
休憩も終わり、淋しく孤独(そう見えるだけで、三食?昼寝付きを満足している?)な二頭の「猿」に別れを告げて、公園を「去る」のでした。
町中を抜け、桜川の土手に出ました。「この桜並木」の土手を始めて歩いた時は、長閑な田舎町の風情をタップリ感じたものです。
「この」と云っても写真を撮らなかったので、「どの?」と突っ込みが入りそうですが、残念ながら今回は撮っていません。
もう2年ほどここに駐車したままです。始めて見たその瞬間『エッ!』と思いました。周りの風景とはあまりにもかけ離れています。
迷彩色に塗られた、アメリカの軍用トラックが? ここはイラクか?、アフガニスタンか? 何故こんな田舎の駐車場に? ホントにオドロキでした。
まぁ。土浦は昔は「軍都」でしたし、今も自衛隊の基地もありますし、軍隊マニアの密度が高い地域なのでしょうか?
まぁ。そんなこんなを考えつつ歩いていると、常磐線の鉄橋の下に差し掛かりました。
橋は、裏側?下側? このアングルが好きなのです。表より裏、上より下、変ですかねェ。
でも、表側よりも裏側を、見るなと云われると見たくなり、穴があれば覗いて見る、これぞ人間の探求心! 進歩発展の原動力! ではないかと思っております。
橋の裏側もイイのですが、最近は「銘板」に興味が湧いてきました。
こういう物を「銘板」と思っていたのですが、広辞苑で調べると「銘」と有ります。「銘板」という言葉は載っていませんでした。
金属や石に来歴を記したものが「銘」であるようです。そうすると「銘板」と云うのは、「馬から落ちて落馬した」と同じ事になるようです。
広辞苑に「銘板」がないからと云っても、世の中には「銘板屋さん」と云う商売があります。これって言葉としては「銘屋さん」が正しい表現なのでしょうねぇ。
それは兎も角として、この銘板なんですが、やはり気になるのは「年代」ですね。
この鉄橋は「着手」が昭和34年9月23日で、「しゅん功」が35年4月25日になっています。
工事開始を「着手」と云い、「竣功」を「しゅん功」と表記する処が「旧国鉄的」なのでしょうと、その時は思ったのですが・・・・・・。
それで、昭和35年の完成ですから、私が生まれて10年後です。その頃にこの鉄橋は完成していたのです。
『ふ~ん。なるほど、そうかそうか』
『ふ~ん熊谷組が造ったのか、そうか、そうか』
等と感心しつつ、鉄橋を眺めつつ、銘板を鑑賞する訳であります。
もう一本、鉄橋が有ります。
こちらは「着手」が昭和36年6月17日、「しゅん功」が昭和37年2月20日です。
そろそろ「塗装」の時期ではないかと、余計な心配をして眺めていました。
それにしてもです。「銘板」を眺めていると、やっぱり「しゅん功」が、気になるのです。
よく見ると、「橋りょう」とあり、「基ソ・そ」とあり、「しゅん功」です。3つの平仮名表記です。
これは、3つとも難しい漢字なので、鉄道好きの小学生にも読めるように、旧国鉄が「配慮」して、ひらがな表記にしたのでは・・・・・・・有りません。
絶対に間違い有りません! 答えは一つです! そうなんです! 銘板製作上の技術的な問題だったのです。
それは、銘板が「鋳造品」だと云うことです。ここまで来ると、『何だ。そういう事か』と、判った方も居ると思います。
そうなんです。単純に画数の多い「梁」「竣」「礎」は、この大きさの銘板では、鋳造加工では無理なのです。溶かした真鍮が流れないのです。
謎?が解け、そうか、そうかとスッキリしたのですが、銘板に刻まれた、「設計荷重」の「KS16」と「KS18」の文字が気になりだしたのです。
16と18では「強度的」にどちらが強いの? 「KS」って、何の略なの? 「K」は「国鉄?」、「S」は「standard」の意味?
「基ソ根入 天端から7.250m」の、「基ソ根入」って? 「天端」って何処から?
何て考えたりして・・・・・・。
銘板一枚を眺めるだけで、こんなに楽しめるのです。
まだ土浦は続きます。
それでは、また明日。