昨日の続きです。
土浦港のヨットを横に眺め市街地に戻ります。港の先にある市営駐車場をの前を通り、道路脇の公園で休憩です。
公園の中に置かれている「揚水ポンプ」です。辺りを見回しても「解説・説明・案内」等の掲示物は見当たりません。
以前に来た時は、それなりの「解説」が書かれた物が何処かに立っていた様な気がします。記憶違いかなァ~?
今回は「銘板」の観察です。
先ずは左側の「モーター」からです。銘板が2枚貼ってあり、上の方は「株式会社飯村電工社」とあり、製造年月日が「1964年」とあります。
下の方には「富士電機製造株式会社」とあり、「製作年度 2600」と書かれています。
西暦ではありません。これは? もしかして? 紀元は2600年の「あの皇紀」による年代表記でしょうか?
右側の「ポンプ」は「株式会社荏原製作所」とあり、「昭和16年8月製造」と刻まれています。
ポンプが昭和16年ですから、モーターも16年かそれ以前に製造されたものです。調べてみるとやはり間違い有りませんでした。
皇紀2600年は、昭和15年になります。前年に製造された「富士電機」のモーターを「荏原製作所」が購入して、翌年「揚水ポンプ」に組み立て納入したのです。
それにしても、「荏原製作所」は「元号」で年号表記をして、「富士電機」は「皇紀」での表記、この違いを如何に理解すべきか? そして、この事実は何を物語るのか?
この銘板の年号表記の違いの謎を解き明かす事により、戦前の天皇制、軍部、財界の関係に新たなる発見が?・・・・・・ナンチャッテ!そんな事ある訳ないですねェ。
それにしても、銘板はイロイロと面白いものです。
さてと、公園での休憩を終え、市民会館駐車場への帰路となります。常磐線のガードに差し掛かり、ここでも眼は自然と「銘板」探しを始めます。
ガードを行ったり来たりして眺め回します。煉瓦積みの橋脚に鉄製の橋桁、橋桁は私の好きな「リベット打ち」です。
イイです。赤煉瓦とリベット打ちの支柱。なかなかの組み合わせです。支柱と云い、煉瓦と云い、その「老いた退色具合」に流れた年月の「重さ」を感じるのです。
蒸気、ディーゼル、電気、いろいろな機関車に引かれた「貨車」や「客車」がこの上を通過して行ったのです。相当「重かった」はずです。
年老いたガード下を、年老いた「女性」が歩いて行きます。ガードの先で植え込みの中を探っているようです。
お婆ちゃん何歳ぐらいでしょうか、ここまでいろいろな事があったのでしょう。足取りはしっかりしていました。
年寄りの後ろ姿には「物語」が見えます。
お婆ちゃん、元気で!頑張って!
一瞬、さぁ! 俺も頑張らなきゃ! 何て思ったりして? でも? 何にを?
そうです! 忘れていました。「銘板」を探していたのです。頑張って探していたら、やっと見つける事ができました。
コレなんですが、残念な事に、銘板の上に何度も何度も塗装が重ねられ、判読は不可能な状態でした。残念です!
帰り際に改めて全景をじっくりと眺めていたら、風景が上下に分離してきたのです。
上半分の、青い空に白い雲、自動車道の高架が緩やかに左にカーブする風景は、遠い未来の幻に見えてきました。
下半分の、低く暗いガード下。遠い過去の風景に見えてきました。
暑い中を歩いて、疲れてきたようです。
土浦の町歩きは今日でお終いとします。
それでは、また明日。