一昨日の続きです。
関東で始めて目撃した、関西訛りの「モータープール」を後に、緩やかにカーブした坂を下ります。
黄金色の田圃が視界一杯に広がります。今年は「バケツ稲作農家」を経験していますから、この景色は他人事ではないのです。
「豊年万作」で、「良かった!良かった!」と頷き眺めてしまうのです。
これが「ぜ~んぶ、お米なのです!」 これが「ぜ~んぶ、ご飯になるのです!」
眺めていると、何故か嬉しくなるのです。
嬉しくなるとぺダルも軽くなり、自転車の速度も早くなります・・・・・・、そうでした下り坂だったのです。
何故かここで思い出したのです。
その昔、私が二十代の頃です、何かの用事で電車に乗っている時の事です。
小学生の兄弟らしき二人がドアの側に立ち、外を眺めていたのです。弟の方が兄に質問をしました。
『上り坂と、下り坂はどちらの方が多いか? 知ってる?』
兄は暫く考えてから、頭を左右に振ったのです。弟は云いました。
『坂道は、上りがあれば、必ず下りがあるんだ、だから答えは、どちらも同じ!』
私は傍らで聞いていて、素晴らしい答えに感心し思わず頷いてしまいました。あの兄弟は今頃何処で、何をしているのか?
そんな事を思い出しながら坂を軽やかに下って行くと、坂は上りに変わってきました。
「お食事処」の看板です。田舎道、緩やかにカーブした上り坂。なかなかの風景です。
坂を上り暫く走ると、村の集会所が見えてきました。近づくと「中都町農村集落センター」の看板が立っています。
「農村」に「集落」、普段はあまりお目に掛からない文字です。広場と木立と建物の作り出す何とも云えない佇まいが、長閑な田舎を感じさせます。
自転車を広場に乗り入れ休憩です。見上げる桜の樹の葉っぱのほとんどが、葉脈だけを残し、スケルトン状態です。
石碑がありました。「草創の郷」です。あの前知事の書です。
「草」に分け入り、荒れ果てた草原を開墾し、豊かな大地に「創」り変えたのです。この一帯は戦後に開拓された、新しい田園地帯、新しい「郷」なのでしょう。
何か手掛かりでもと思い、石碑の裏に回りました。
有りました! 入植者の出身地と氏名が刻まれています。
1番が長野県で、37名。
2番が地元の茨城県で、13名。
3番が新潟県と宮城で、各2名。
4番が山形県と岩手県で、各1名。 合計56名
皆さん、ここに到るまでは相当な苦労があった事でしょう。いろいろな事情から、ここに名前の刻まれていない方も居られると思います。
皆さん! ご苦労様でした! 一瞬拝みそうになりましたが、仏像では有りません。多分、かなりの方は未だ健在と思われます。
それにしても、年号が刻まれていませんでした。簡単な開拓の歴史なども刻まれていると、こちらとしてはトテモ有り難いのですが・・・・・・。
それと、氏名を読んでいた時です、ゲッ!毛虫がウジャウジャ這い回っているのです。 キ~モチワリ~イ! 背中が痒くなる~!
葉っぱをスケルトンにした犯人です。気持ち悪くて直ぐに逃げ出しました。防除をした方が良いと思います。
さぁ。もう少し遠くまで行ってみます。
それでは、また明日。
関東で始めて目撃した、関西訛りの「モータープール」を後に、緩やかにカーブした坂を下ります。
黄金色の田圃が視界一杯に広がります。今年は「バケツ稲作農家」を経験していますから、この景色は他人事ではないのです。
「豊年万作」で、「良かった!良かった!」と頷き眺めてしまうのです。
これが「ぜ~んぶ、お米なのです!」 これが「ぜ~んぶ、ご飯になるのです!」
眺めていると、何故か嬉しくなるのです。
嬉しくなるとぺダルも軽くなり、自転車の速度も早くなります・・・・・・、そうでした下り坂だったのです。
何故かここで思い出したのです。
その昔、私が二十代の頃です、何かの用事で電車に乗っている時の事です。
小学生の兄弟らしき二人がドアの側に立ち、外を眺めていたのです。弟の方が兄に質問をしました。
『上り坂と、下り坂はどちらの方が多いか? 知ってる?』
兄は暫く考えてから、頭を左右に振ったのです。弟は云いました。
『坂道は、上りがあれば、必ず下りがあるんだ、だから答えは、どちらも同じ!』
私は傍らで聞いていて、素晴らしい答えに感心し思わず頷いてしまいました。あの兄弟は今頃何処で、何をしているのか?
そんな事を思い出しながら坂を軽やかに下って行くと、坂は上りに変わってきました。
「お食事処」の看板です。田舎道、緩やかにカーブした上り坂。なかなかの風景です。
坂を上り暫く走ると、村の集会所が見えてきました。近づくと「中都町農村集落センター」の看板が立っています。
「農村」に「集落」、普段はあまりお目に掛からない文字です。広場と木立と建物の作り出す何とも云えない佇まいが、長閑な田舎を感じさせます。
自転車を広場に乗り入れ休憩です。見上げる桜の樹の葉っぱのほとんどが、葉脈だけを残し、スケルトン状態です。
石碑がありました。「草創の郷」です。あの前知事の書です。
「草」に分け入り、荒れ果てた草原を開墾し、豊かな大地に「創」り変えたのです。この一帯は戦後に開拓された、新しい田園地帯、新しい「郷」なのでしょう。
何か手掛かりでもと思い、石碑の裏に回りました。
有りました! 入植者の出身地と氏名が刻まれています。
1番が長野県で、37名。
2番が地元の茨城県で、13名。
3番が新潟県と宮城で、各2名。
4番が山形県と岩手県で、各1名。 合計56名
皆さん、ここに到るまでは相当な苦労があった事でしょう。いろいろな事情から、ここに名前の刻まれていない方も居られると思います。
皆さん! ご苦労様でした! 一瞬拝みそうになりましたが、仏像では有りません。多分、かなりの方は未だ健在と思われます。
それにしても、年号が刻まれていませんでした。簡単な開拓の歴史なども刻まれていると、こちらとしてはトテモ有り難いのですが・・・・・・。
それと、氏名を読んでいた時です、ゲッ!毛虫がウジャウジャ這い回っているのです。 キ~モチワリ~イ! 背中が痒くなる~!
葉っぱをスケルトンにした犯人です。気持ち悪くて直ぐに逃げ出しました。防除をした方が良いと思います。
さぁ。もう少し遠くまで行ってみます。
それでは、また明日。