昨日の続きです。
ケムンパスが大量発生している「草創の郷」を後に、常磐道沿いに進路を取りました。
こんな処に野球場がありました。
野球場の先に、何やら「農場風」の入り口らしき門を発見。
こんな処にやっぱり農場でした。それが何と「あの」、「中川ヒョーム管工業株式会社」の農場でした。門柱は勿論、ヒューム管で造られていました。
そう云えば、さっきの野球場も「中川野球場」とありました。ここら辺一帯は「中川ヒューム管」の土地のようです。
土浦市と云えば「中川ヒューム管」ですから、駅前の商業ビルのほとんどが「中川グループ」の「延増興産」の所有だそうです。市長も「中川一族」中川清さんがやってます。
それで、「中川ヒョーム管」のHPを見たのですが、この「農場」には触れていませんでした。
ついでに、「ヒューム管」て何なのかを調べたところ、オーストラリア人の「W.Rヒューム」が1910年に発明した、鉄筋とコンクリートを材料に、遠心力を使って作られた、コンクリート管のことだそうです。ヒュームは発明者の名前だったのです。
所謂、下水、汚水のコンクリート製のパイプです。日本には今から82年前の1925年に製法が伝わったそうです。
「中川ヒューム管」も、その頃に土浦で創業した会社です。ヒューム管の老舗なのです。
「中川ヒューム管農場」とあり、場長に「中川延四郎」とあります。この人を調べたら、「中川商事」の創立者でした。
四郎ですから、中川家の「四男」でしょう。「延増興産」の「延」は、多分、延四郎の「延」から取ったものでしょう。
「ヒューム管工業」が大正9年の創業で、「商事」の方は大正11年になっていました。当然、この「延四郎さん」は亡くなられている筈です。
門から中の様子を窺ったのですが、農場としての実体はなく、単なる「空き地」のようでした。
「植樹祭記念」「緑化推進」とありましたが、いつのころ造られた農場なのでしょうか、延四郎さんが「場長」ですから、かなり昔の事なのでしょう。
でも、門柱にはそれほど時代が経った様子は有りません。兎に角、何だか?良く判らない?農場でした。
この辺りは、人通りも「車通り」も、「まったく」と云っていいほど有りません。直ぐ脇の常磐道は、車がびゅんびゅんと音を発てて走っているのですが、その直下の測道は人気が無く、薄暗く寂しい処なのでした。
日陰になっており、休憩するのには「持って乞い」の場所です。
記念にカーブミラーに映る姿を一枚。
暗く湿った測道を数百㍍走ったところで、高速の高架下にトンネルが出現しました。
トンネルの先は、遠くに筑波山、青い空、白い雲、緑の芝生が輝いて見えます。反対側は別世界のようです。
別世界の話しについては次回とします。
それでは、また明日。