年が明けて今日で6日目、今年の幕開けと云うか、去年の年末からと云うか、予想外の出来事で、暇な私もそれなりに忙しかったのです。
暮れの28日に、母の妹の旦那が入院しているとの事で、埼玉県の春日部にお見舞いに行って来たのです。
それが、大晦日に急に容態が悪化し夜の10時頃に亡くなられ、元日に親戚が集まり葬儀の段取りをを決めたのです。
“葬儀関係”は、これまで母に任せていたので、まったくの無知。元日に親戚が当事者の家に集まったのです。
兎に角、その日の内に“取り敢えず”伺えばよいと思い、10時頃に家を出たのです。
到着する頃になって時間を見ると昼時、こんな時に相手に食事の気を使わせていけないと、ファミレスで早めの昼食を摂ったのです。
時間はたっぷり、二人でゆっくり昼食をし、カプチーノを2杯飲み時間を調整し1時近くになってファミレスを出たのです。
駐車場で車に乗り込んだ瞬間、携帯が鳴り“当事者の長女”から、“皆さんがお待ちです。後どの位で来られますか?、時間によっては皆さんお帰りになるようです!”と告げられました。
“ハイ。あと15分ぐらいで着くと思います”と返事をしたら、“判りました”と云って電話は切れたのです。
待っているのか? それとも帰ってしまうのか? 何とも判らないのです。たぶん電話の様子では、親戚一同“憤慨している様子”だけは伝わってきました。
向かう途中で、“何たって、皆さん待っている何て、判らなかったんだから、いまさら、しょうがない”、兎に角、行ったら“遅れて申し訳ありません”と謝ろうと云う事に。
それに、私の事は、たぶん“あいつの事だから、こんなもんだろう”何て、諦めているかも知れないと、車中で話しながら向かったのです。
10分ほどで到着、先ずは仏様にお線香を供え、待っている部屋の扉を開け、皆様に遅刻のお詫び。
皆さんは、当然、遅れた事に対する不快感を、表情や言葉に出しません。早速、通夜、告別式の日程、そして、お花、お供物、灯籠等の、料金、分担の確認。を告げられました。
皆さん、この“分担”の了解を得る為に待って居たのでした。そんな事はまったくの予想外。兎に角、全て、“はい。了解しました”と返事。
“そう言う事”は、こう言う場所で、こう言う時に、こう言うメンバーで、決められるのでした。知りませんでした。
兎に角、大晦日、そして、元日です。通夜が4日、告別式が昨日の5日でした。斎場も火葬場も、3日迄はお休み。
4日の休み明けは、30日、31日、1日、2日、3日の滞っていた分、斎場も火葬場も忙しいのです。
5日の朝刊、地方版に掲載される“おくやみ欄”は普段の3~4倍のスペースを割いていました。
それにしても、従弟達、従妹達の“変わり果てた姿”を見、過ぎし歳月を思い、我が身の変化を思い知らされる通夜、告別式でした。
親戚と会うのは、こんな時だけになってしまいました。それでも、“ちゃん付け”で名前を呼ばれるのは、こんな時だけです。
“ちゃん付け”で呼び合うと、それなりに、“疲れ果て変わり果てた”表情の奥から、子供の頃の輝きがほんの少し蘇ってきます。
そんな、こんなの年末からお正月、今年初めてのブログが予想外の出来事からはじまりました。
きっと、今年は、いろいろな、予想外の出来事が起こりそうな予感。
年末に書いたように、きっと良いことのはじまりの“キッカケ”に繋がる、そんな気がするのです。
それでは、また明日。
暮れの28日に、母の妹の旦那が入院しているとの事で、埼玉県の春日部にお見舞いに行って来たのです。
それが、大晦日に急に容態が悪化し夜の10時頃に亡くなられ、元日に親戚が集まり葬儀の段取りをを決めたのです。
“葬儀関係”は、これまで母に任せていたので、まったくの無知。元日に親戚が当事者の家に集まったのです。
兎に角、その日の内に“取り敢えず”伺えばよいと思い、10時頃に家を出たのです。
到着する頃になって時間を見ると昼時、こんな時に相手に食事の気を使わせていけないと、ファミレスで早めの昼食を摂ったのです。
時間はたっぷり、二人でゆっくり昼食をし、カプチーノを2杯飲み時間を調整し1時近くになってファミレスを出たのです。
駐車場で車に乗り込んだ瞬間、携帯が鳴り“当事者の長女”から、“皆さんがお待ちです。後どの位で来られますか?、時間によっては皆さんお帰りになるようです!”と告げられました。
“ハイ。あと15分ぐらいで着くと思います”と返事をしたら、“判りました”と云って電話は切れたのです。
待っているのか? それとも帰ってしまうのか? 何とも判らないのです。たぶん電話の様子では、親戚一同“憤慨している様子”だけは伝わってきました。
向かう途中で、“何たって、皆さん待っている何て、判らなかったんだから、いまさら、しょうがない”、兎に角、行ったら“遅れて申し訳ありません”と謝ろうと云う事に。
それに、私の事は、たぶん“あいつの事だから、こんなもんだろう”何て、諦めているかも知れないと、車中で話しながら向かったのです。
10分ほどで到着、先ずは仏様にお線香を供え、待っている部屋の扉を開け、皆様に遅刻のお詫び。
皆さんは、当然、遅れた事に対する不快感を、表情や言葉に出しません。早速、通夜、告別式の日程、そして、お花、お供物、灯籠等の、料金、分担の確認。を告げられました。
皆さん、この“分担”の了解を得る為に待って居たのでした。そんな事はまったくの予想外。兎に角、全て、“はい。了解しました”と返事。
“そう言う事”は、こう言う場所で、こう言う時に、こう言うメンバーで、決められるのでした。知りませんでした。
兎に角、大晦日、そして、元日です。通夜が4日、告別式が昨日の5日でした。斎場も火葬場も、3日迄はお休み。
4日の休み明けは、30日、31日、1日、2日、3日の滞っていた分、斎場も火葬場も忙しいのです。
5日の朝刊、地方版に掲載される“おくやみ欄”は普段の3~4倍のスペースを割いていました。
それにしても、従弟達、従妹達の“変わり果てた姿”を見、過ぎし歳月を思い、我が身の変化を思い知らされる通夜、告別式でした。
親戚と会うのは、こんな時だけになってしまいました。それでも、“ちゃん付け”で名前を呼ばれるのは、こんな時だけです。
“ちゃん付け”で呼び合うと、それなりに、“疲れ果て変わり果てた”表情の奥から、子供の頃の輝きがほんの少し蘇ってきます。
そんな、こんなの年末からお正月、今年初めてのブログが予想外の出来事からはじまりました。
きっと、今年は、いろいろな、予想外の出来事が起こりそうな予感。
年末に書いたように、きっと良いことのはじまりの“キッカケ”に繋がる、そんな気がするのです。
それでは、また明日。