歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

“キューポラのある街” ⑦ 思いつくままに

2010年10月12日 | 東京の風景
先週の続きです。

映画「キューポラのある街」は、とても懐かしいなのです。リアルタイムで観た記憶はありませんし、当時「吉永小百合」にはほとんど興味がありませんでした。可愛くもなく、演技が巧いわけでもなく・・・・・・。

ところが、いまでは、イイ女になりとても魅力的です、芝居も上手になり、アイドルから日本を代表する女優になりました。でも、後、ほんの数年でしょう、そして、いつの日か、女が消え“皇潤”の八千草薫になってしまいそうです。

映画に話しを戻します。

今観て思うのは、風景の懐かしさであり、風景から辿る記憶です。

この荒川に架かる橋、何か夢を見ているようです。

それにしても、白黒画面とは云え、貧乏な時代にしては何故か体操着が、みんなこざっぱりとして“真っ白”です。

私の周りでは、こんな真っ白な“トレパン”は珍しかったです。そうあの頃、漂白剤と云えば“白元”でした。

懐かしいです。この校舎、この校庭、覚えています。


これが、3年前に車で通りすがりに東京側から撮った川口の風景。


これが映画の舞台になった現在の川口南中学。隣が幼稚園で、そのとなりが小学校。小中高一貫ではなく、幼小中一貫のようです。


家族と一緒に北朝鮮に帰還せず、ひとり残ることにした日本人妻役の“菅井きん”若いです。1926年の生まれですから、この時は36歳、いまでは84歳です。


この姿には驚きました。最後の映画「阿弥陀堂だより・・・2002年制作」のときと、ほとんど変わりません。1911年の生まれですから、この時は51歳です、阿弥陀堂の時は90歳。ホントにすごい老け役女優でした。今年の4月に亡くなってしまいました。


それで、北林谷栄さんですが、私は一度、彼女を目撃したことがあるのです。20代の前半の頃、地下鉄の車内でした。赤坂見附あたりだったと思います。

私の斜め向かいに座り、“バックからメガネを取り出す動作”を、今でも覚えています。当然ですが、服装も、動作も、とても若々しく、オシャレで素敵な女性でした。ピンク系のスーツだったような気がします。

小沢昭一、少年鑑別所の職員役です。いつも、何処かに、怪しさを漂わす、この色眼鏡が役作りなのでしょう。いつの頃だったか? 中年御三家、野坂昭如に永六輔。

それにしても、永六輔、ろれつが回らず、何を言っているのか聞き取れません。いつまでラジオ続けるのでしょうか? 

むかし、生意気だった頃の永六輔が聞いたら、“じいさん!早く引っ込め”何て、書いたり、云ったり、したと思います。魁皇と云い、六輔と云い、どうも、引き際を見失ったようです。そう云えば。もう一人“カン総理大臣”が居ました。

中学の時、担任の“渋谷先生”がこんな感じでした。社会人になった頃、突然、先生から電話があったのです。“都知事選には美濃部さんをよろしく”との投票依頼の電話でした。


社会科の先生で、いつか授業で「朝鮮戦争は汚い戦争でした」と云ったのです。「戦争には、汚い戦争とキレイな戦争があるのですか」と、質問してしまいました。先生が何と答えたかは覚えていません。

ラスト近くのシーンです。この跨線橋、ハッキリ覚えています。


映画“キューポラのある街”は懐かしい風景でした。

何か、とても、川口の街を歩きたくなりました。


それでは、また明日。


コメント (3)
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