歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

日暮里から三河島の風景

2007年09月10日 | 東京の風景
昨日の続きです。そして、谷中・日暮里シリーズの最終回になります。

同潤会三ノ輪アパートの現状を確認し、さて、これから今日はどうするか、このまま真っ直ぐ帰るか? それとももう少しウロキョロしてしていくのか? 何となく結論の出ないまま、ブラブラと歩きはじめました。

何となく、それとなく、目的もなく、目指す場所もなく、ただボンヤリと歩き、流れていく街の風景を追いかける、そんな歩き方も、それなりにイイのです。

何でもない、何処の街でも見かける風景、食堂、居酒屋、米屋、豆腐屋、魚屋、衣料品屋、床屋、町工場、路地の鉢植え、軒先の自転車、見慣れた風景がイイのです。

始めて歩く街、始めてすれ違う人、始めて見る町並み、そんな中に、何故か惹かれる風景があります。

電車のガード下、高架下の商店や倉庫、そして居酒屋の赤提灯。

ガード下、高架下には「哀愁」があります。それは、電車の走行音だと思うのです。

遠くから次第に大きくなる車輪と線路の音、接近し真上を通る時のモーター音、そして通り過ぎ、次第に小さくなり消えていく音。

ガード下、高架下の「哀愁」は、常磐線、京成線、東武線に限ります。京王、小田急、東急には有りません。西武線は・・・やっぱり「ビミョー」です。

高架下ではなく、ガード脇「大衆酒場 源氏屋」

「大衆」がイイです。国民や市民よりも、民衆、大衆がイイのです。

大衆には酒場、酒場には大衆が似合います。「ハイボール」(ウィスキーの炭酸割)懐かしいです。「酎ハイ」が流行る前は「ハイボール」でした。

何故か新小岩で、銭湯帰りに入った小さな焼鳥屋、そこで始めて飲んだ「ハイボール」。外注先だった鉄工所で一緒に仕事をした後、そこの「おやじさん」と飲んだ「湯上がりの一杯」でした。


そんな昔を思い出させる、下町の工場(こうば)が好きです。


工場、住宅、商店、倉庫、新しいものも、古いものも、小さな空間にゴチャゴチャと混ざり合った無秩序な風景。


整然とした町並みよりも、雑然とした町並みに魅力を感じます。


ゴチャゴチャした下町には似合わない「小さなレストラン」。

洒落たメニュー写真の中に下町を発見。「番長カツカレー!」何と云うネーミングでしょうか! 銀座、青山、六本木、麻布、赤坂、信濃町、そんな処のレストランでは、絶対に!お目にかかれないネーミングです。

ボリューム感を表現したのでしょうか? それとも、経営者が若い頃番長として「ブイブイ」云わせていたのでしょうか? やはりここは下町、番長の本場?です。

三河島の駅が近くなりました。前を歩く「おばさん」が、やたら大きな声を出し、携帯でしゃべりまくっていました。



「韓国風中華料理」とあります。まぁ、日本の中華料理も有る意味「日本風中華料理」ですから、正しい表現と云えば、云えるのです。


でも、しかしです、こうも正々堂々「韓国風中華料理」と名乗られると、何かチョットばかり変な気がします。

でも、何となく、出てくる料理が想像できそうな気がします。


「韓国風中華料理」の看板を左に曲がると三河島駅。時間を見ると2時半です、いつもより1時間ほど早いのですが、帰路に付くことにしました。


谷中・日暮里シリーズは今回でお終いです。ありがとう御座いました。またのお越しを待ち申しております。


それでは、また明日。




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日暮里「マンション反対運動」と「同潤会」その2

2007年09月09日 | 東京の風景
昨日の続きです。

カンカン森通りから、同潤会三ノ輪アパートを目指したのですが、何故か?いつも真っ直ぐに辿り着けず彷徨ってしまうのです。

見覚えのある鉄工所、見覚えのある紙クズ?古紙?問屋、見覚えのある保育園、見覚えのある小学校、それでも、周囲を彷徨ってしまうのです。

そんなこんなで、ウロキョロしていると、またも有りました「マンション反対」が、ここでは「下町の環境を破壊する高層マンションにあなたは住めますか?」と、将来の住民に問いかけています。


ここでは「高層」を問題にしているようです。


建築計画を見ると、10階建て28.8㍍とあります。それにしても、マンション反対が盛んな土地です。違法建築ではないようですから、反対したところで、結局は建設されてしまうのです。


反対運動は「くたびれ儲け」に思えるのですが、それなりに盛んなようです。これって、やはり「条件闘争」なのでしょうか? 

そんなこんなを考えながら、やっとこ「同潤会三ノ輪アパート」に到着。予想に反して建物は未だそのままでした。


建築計画書をみると、地下一階、地上14階、高さ44.8㍍、かなりな「高層マンション」です。先ほどの「高層マンション」の1.5倍あります。

建築面積も568.18㎡あり、先ほどのマンション2.9倍です、高くて大きなマンションができそうです。


もしや? 「建設反対運動」がと思い、周囲を見回したのですが、ポスターも、幟も、看板も見当たりません。

着工予定が今年の12月1日とあり、この計画書が掲示されたのが6月8日です。反対者が居るならば、何か動きがあっていい時期です。

この様子ですと、反対の動きはなそそうです。このマンションは、高くても、大きくても、下町の環境を破壊しないのでしょうか?


もしかして、現在の建物の方が「下町の環境を破壊している」と思われているかも知れません。多分そうなんでしょう。

よそ者が、偶に懐かしんで眺めるぶんにはイイのですが、周りで毎日この建物を眼にして暮らしている住民にとっては、単なる「厄介者」なのかも?



建物が「崩壊」一歩手前と云うよりも、一部の崩壊が始まっており、周囲に危険を及ぼしている事。外観的にも見苦しく、周囲の環境を破壊している事。



そんな事で、安全で、綺麗な「マンション」への「建て替え」は、周囲の住民から「圧倒的?」な支持を得ているのでは? と想像します。

それにしても、数ヶ月生き延びたようですが、来年の早い時期には「同潤会三ノ輪アパート」の姿は消え去っている事でしょう。

破壊される現場に立ち会いたいです。これは「感傷」ではなく、建築物の解体現場を眺めるのが好きなのです。

好きな建物の解体を観るのは、「ドキドキハラハラ」でかなりの「興奮」だと思います。

「コスモスイニシア」に問い合わせしてみるか?


それでは、また明日。 





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日暮里「マンション反対運動」と「同潤会」その1

2007年09月08日 | 東京の風景
昨日の続きです。

谷中の山から芋坂を下り、日暮里に来たのは「あの同潤会アパート」の様子を探るのが目的です。

前回訪れたのが5月26日です。その時には工事を予告する横断幕が張られていました。もう、多分、更地になっているか、基礎工事がそろそろ始まっている筈です。

なかなかイイ感じの建物と思いシャッターを切りました。


近づいて見ると、マンション建設に反対する「控えめ」のポスターが貼ってあり、反対運動の「オレンジ色の幟」が立てられています。


何処にそのマンションが建つのだろうと思いつつ、ウロキョロしていると電信柱(年代が判る表現です)に注目しました。


「カンカン森通り」とあります。非常に珍しく、そして奇異に感じる名称です。一体どういう事なのでしょうか?
 

「かんかん」と云って思い出すのは、「空き缶」か、それとも、「練カン」です。空き缶は誰でも知っていますが、「練りカン」は知りませんよね。

「練りカン」とは、練馬にある「東京少年鑑別所」の事です。非行少年を教育する施設です。我々の年代では「練りカン帰り」は恐れられていました。

そうだ! 「カンカン」と云えば、落語の「らくだ」に出てくる「カンカン踊り」がありました。

もう!これは、ハッキリ!させなければと思い調べてみたら、簡単に判りました。


近所に「神々森 猿田彦神社」があり、「神々」が「かんかん」と呼ばれ、「カンカン森」となり、カンカン森の近くだから「カンカン森通り」となったのです。

空き缶も、東京鑑別所も、かんかん踊りも、全く関係ありませんでした。それで、カンカン森通りに面した公園を左に曲がると、オレンジの幟が林立しているのです。現場は近いようです。


それにしても、この「幟」なんですが、反対運動等で良く見かける「手書き」ではありません。業者に造らせたものです。

上の処に「シティ」とあり、「建設・入居は認めない!」とあり、下に「富士工」と染め抜かれています。

これですと、「シテイ」と「冨士工」が「建設・入居は認めない!」と訴えているように見えてしまいます。

幟の製作業者が、宣伝広告の感覚でデザインしたように思われます。多分、反対住民の中に、幟製作会社に知り合いがいて、

『オィ!安く頼むぜェ!』『オゥ!任せときな!』ってな事で、出来ちゃった感じがします。

ここが、その「要綱違反マンション」の建設現場です。


5月にこの付近を歩いた時も、別なところで「マンション反対」をやっていました。ここらはマンションが建つ度に、反対運動が起きるようです。


前回の場所もそうですが、周りにはマンションが幾つも建っています。都会でマンション反対はどう何でしょうか。


寄り道が長くなり、同潤会アパートに未だ辿り着けません。

この続きは次回にします。


それでは、また明日。



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谷中・日暮里「イナゴの小便」でした。

2007年09月07日 | 東京の風景
昨日の続きです。

谷中銀座のメンチカツは見学だけにして、昼飯は何を食べようかと、谷中銀座を抜けて、夜店通り商店街をほんの一寸だけ歩きました。

この通りにある「うどん市」にでも入ろうかと思ったのですが、「うどん。ねぇ~」と云うことで直ぐに気が変わり、谷中銀座に戻りお弁当を買うことにしたのです。

そうなんです。あの「撮影禁止」のお弁当屋さんです。ここは兎に角、低価格が売り物でコロッケが一個30円、お弁当はどれでも300円です。


不愉快な「撮影禁止」の文字を横目で睨み、「鶏チリ弁当」を購入しました。

「防災公園初音の森」のベンチに腰かけての昼食です。鶏チリと云うよりも「鶏唐揚げの甘酢あんかけ」でした。


『300円。まぁ、こんなもんか!?』と云う様なお味です。

「撮影は御遠慮下さい」であれば、もっと美味しく食べられた気がします。言葉は選んで使いましょう。

ゆっくりと辺りの景色を眺めながらの食事が終わり、さて、ゴミ箱は? と探したのですが見あたりません。

都会の公園にはゴミ箱が無いのです。以前、根津神社の境内で弁当を食べた時もそうでした。結局、ポリ袋に入れた空の弁当をぶら下げて、30分ほど彷徨ったのです。

コンビニもゴミ箱を設置していない店が増えました。今回は当たりを付けた場所に向かいました。それにしても、空の弁当をぶら下げて歩く姿は、あまりカッコの良いものでは有りません。

記憶に間違い有りませんでした。整然と居並ぶゴミ箱達、頼もしいお姿です。ゴミ箱がないと世の中ホントに困るのです。


ここは、谷中霊園のメインストリートに面した「五重塔公園」です。放火で焼失して50年(昭和32年7月6日)、そろそろ、再建の話しの出る頃でしょうか。


墓地を抜け、線路脇に出ました。芋坂の跨線橋を渡り、羽二重団子の脇を抜け、三河島に向かいます。


跨線橋を渡り階段を降りると、目の前には京成線の「高架」です。人通りが少なく、寂しく、暗く、うらぶれ感満点のこの裏道が好きです。


錆びた鉄柵、流れ出た錆びで変色したコンクリート、この道はホントに陽が落ちて暗くなったら、ここを通って谷中の墓地に抜けるのは、かなり危険だと思います。

高架を潜ると、直ぐに「羽二重団子」の脇に出ます。


泉鏡花、正岡子規の作品にも登場する老舗の羽二重団子、15~6年前に一度たべたのですが、「名物に美味い物なし」の見本のような団子でした。


これは、「羽二重団子」と云うネーミングの勝利です。創業が文政2年と「看板」に書いてありますから、西暦で1819年。188年も続いているのです。



何だかんだ云ってもこれだけ続いているのは「イナゴの小便」です。一寸下品になってしまいました。「イナゴの小便」とは「田へしたもんだ」→「大したもんだ」と云う事です。

兎に角、一度は食べてみる価値はあります。以前食べた時は、偶々体調が悪かったのかも知れません。

ただ云える事は、「老舗の銘菓なんだ!」と、事前の思い入れが強いと、落胆するかも知れません。

それと、羽二重と形容されても、「本家」の羽二重がどんなもんか判らないので、何故に羽二重団子なのか、「そう云われてもねぇ・・・」となります。

勝手な想像ですが、もしかして、比較の為、店内に羽二重の織物が有るかも知れません。兎に角、団子屋は男が一人で入り難いのです、今回も、店先を素通りするだけでした。

兎に角、たかが団子です。自然に味わってみるのが望ましいようです。


それでは、また明日。 



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谷中「演歌とメンチカツ」

2007年09月06日 | 東京の風景
昨日の続きです。

一休みした後、山門の真正面にある居酒屋の窓に、ご当地演歌のポスターが貼ってあるのに気付きました。

曲名は「夕焼けだんだん」そのものズバリのタイトルです、「谷中銀座」の「あの階段」の愛称をそのまま頂いたのです。

唄うのは、おじさん演歌歌手の「紀藤ひろし」さんです。見たことも聞いたことも無い方です。しかし、きっと谷中の有名人なのでしょう。


「紀藤ひろしさん」調べてみました。ホームページがあり「新曲 夕焼けだんだん」が試聴できました。

     ♪いつも待ちます 私はひとり
      谷中 日暮里 富士見坂
      もう帰らぬあなたでしょうか
      夕焼けだんだん
     ♪残~り~影~

想像通りの「詞」、想像通りの「メロディー」、想像通りの「歌い方」でした。演歌の世界は広いのです。真ん中から端っこまで、いろいろあるのです。

「紀藤ひろしさん」の好きな言葉は「花は色、人は心」だそうです。いつの日か、大晦日の「紅白」で、「夕焼けだんだん」の歌声が流れる事を願っております。しかし、それまで「紅白」が続くか・・・・・・・心配です。


少しお腹が空いてきました。下町・路地裏・中華そば、演歌の匂いです。


行き過ぎてから、メニューに惹かれ一旦戻りました。

   【 おすすめセット ラーメン付き 】

     鮭チャーハンセット  820円

     玉子丼セット      840円

     カレー丼セット     790円   

このセットは、どちらも「半分」ではないのです。通常の量で組み合わされているのです。それでこの値段です。かなり魅力的です。

店の周囲を窺い、店内を覗き、漂う匂いを嗅いだのですが、もしかして? と思ったのですが、しかし、やっぱり「コリャダメダァ」と思い、写真に収めるだけにして立ち去りました。


ラーメン屋を過ぎて直ぐに、「谷中銀座商店街」に出ました。これが「かの有名」な、歌に唄われた「夕焼けだんだん」です。


平日で、雨模様のこの日、さすがに人通りは疎らです。

なのに、何故か、この行列です。テレビで何度も取り上げられている、「肉のすずき」の「メンチカツ」です。


「元気メンチ」1個165円。下町にしては高めの価格設定ですが、材料の「こだわり」を価格で表現しているのです。


コロッケの75円はかなり安いです。こだわりの無い価格設定になっています。この店は何度も通過していますが、メンチを食べた事は有りません。

家で作るメンチ以外は、胸焼けがするので食べない事にしています。

しかし! レストラン「香味屋」根岸本店の「二千円メンチ」、死ぬ前に一度食べてみたいと思い続けています。ここでの食事、一人では寂し過ぎます。


それで「肉のすずき」から、50㍍ほど先にある「肉サトウ」です。

こちらも、テレビで度々取り上げられる店です。こちらは「谷中メンチ」1個120円と下町価格になっています。


有名人?の色紙が店頭にベタベタと貼られています。

谷中銀座は有名になりすぎました。「撮影禁止」の貼り紙を店頭に掲げる弁当屋を見つけました。

客商売で「撮影禁止」の表現は穏やかではありません。「撮影はご遠慮下さい」が正しい表現ではないでしょうか?

過去に撮影された事で、商売に支障を来す出来事があったのでしょうか? それでも、「撮影禁止」の表現はねェ~・・・・・・。

それにしても、写真を撮るほどの店には見えないのですが、もしかして、貼り紙をする事により、

『当店は、そん所そこらの店ではない、それなりの有名店なのだ!』

と云う「効果」を狙っているのでしょうか?


それにしても、「谷中銀座商店街」、いろいろな店があります。15~6年ほど前と比較して、商店街もかなり「新しく小綺麗」になって、以前とは「様子」が変わって来ました。

そろそろ、ここらが潮時でしょうかね・・・・・・、勿論、それは「引き潮」です。商売は難しいものです。

人間もそうですが、長所と短所は一つの面の裏表ですから・・・・・・。


それでは、また明日。。。 


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谷中「老婆と自販機と百日紅」

2007年09月05日 | 東京の風景
昨日の続きです。

天心先生に別れを告げ、ブラブラキョロキョロ歩き始めると、前方に杖をつきながら歩く「お婆ちゃん」と、その手を引く若者の姿が眼に入りました。

二人は診療所から出てきた様子です。直ぐに左に曲がり細い路地に入って行きます、孫とお婆ちゃんの「微笑ましい風景」に見えました。



写真を撮ろうと、後から付いて行き様子を窺っていたのですが、どうも「よそよそしい感じ」がするのです。

そうか! これはもしかして、「介護サービス」では? と、思いました。年老いた肉親の世話を、家族が行うのか? 民間の営利事業として行うのか?

昔は大家族で子供も多く、あまり長生きではありませんでしたから、老人介護なんて問題はなかったですからね・・・・・・。 

それで、現状はどうなっているのでしたっけ? 介護保険は国が管理? 地方自治体が管理? 実際の運営は民間に委託しているの? 

そろそろ、私も感心を持たないといけない年齢になりました。


こちらは、年老いた「モルタル二階建て民間アパート」です。蔦が絡まり現役は引退している様子に見えます。


近づいて見ると、不思議な書き込みの看板が立っていました。


『自販機等の持ち込み絶対禁止』とあります。自販機をアパートの部屋へ持ち込む人はいませんので、多分、裏にある空き地の駐車場に「持ち込み禁止」なのでしょう。

『・・・○○氏はこの土地の管理について全く関係ありません』とありますが、この「○○氏」は、管理を任されている「かの如く」装い、何らかの利益を得ていたのかも知れません。

この文面からは、看板を立てたのは「土地所有者」か「管理を委託」された業者ないしは、個人だと推測できます。

しかし、看板には企業名、個人名もなく、ただ電話番号のみが書かれているだけです。この電話番号を調べたところ、栃木県の黒磯で現在使用中とありました。

黒磯からでは谷中まで眼が届きません。それをよい事に「○○氏」は勝手に場所を貸して利益を得ていたのでしょうか? それにしても、何故?「自販機」なのでしょうか?


谷中はいろいろ有りますが、やはり、谷中は「お寺さん」です。このお寺、通りから山門越しに、白い天水桶に百日紅のピンクの花が鮮やかでした。


境内に入ると、本堂を建て替えたか、屋根瓦だけ拭き変えたのか、古い鬼瓦が展示?されていました。





百日紅、天水桶、鬼瓦、眺めながら暫しの休憩です。


それでは、また明日。


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岡倉天心記念公園前のゴミ置き場で岡倉先生のお気持ちに思いを馳せたりします

2007年09月04日 | 東京の風景
昨日の続きです。

この日(8/30)の東京行きは、朝の天気予報を聞いて突然決めた為、かなりの睡眠不足でした。

ふつう出掛ける前の晩は、10時から11時頃に床につくことにしています。

しかし、この日は8時頃に寝て1時頃に眼を覚まし、ネットを覗いたり、3時に配達された朝刊を読んだり、そうこうしているうちに朝となってしまい、あまり寝ていませんでした。

突然の東京行き、そして寝不足、そして何となくその場で決た谷中、そして時々雨の降る空模様。

「やっぱり、他を歩いた方が良かったかな?」「やっぱり、事前に調べておけば良かった・・・」と、後悔などして、この日は「いまいちのノリ」でした。

そんなこんなを考えていると、トイレ風と思われる建物が眼に入りました。何故かトイレを見ると尿意を催すのです。



そうだ!尿意と云えば、歳とともに「我慢」が効かなくなり、トイレのドアを開けた瞬間に、気が緩み、蛇口も緩み、猛スピードでチャックを下げる事がしばしば起きるようになりました。

そういう時は、排出量も多く、排出速度も速く、勢いがあります。歳をとると勢いが落ちたり、残尿感があると云われますが、私にはそれはありません。

この頃考えるのですが、「我慢」が効かないのではなく、脳からの「満タン信号」の出るタイミングが、遅くなったのではと思うのです。

満タン信号が発せられた時には、かなりイッパイイッパイの状態になっている、そんな気がするのです。

そうでした。眼の前に現れたトイレの話しです。それで、入って用を足している最中に斜め後方を振り返ると、なかなかケッコウな眺めなのです。



改めて、容器を入れて写真を一枚。なかなか風情がのある公衆トイレです。辺りを見回すと、「岡倉天心記念公園」との案内板がありました。



ナルホド! 日本美術の先覚者、岡倉天心の旧居や日本美術院のあった処だったのです。確かにその「匂い」を感じる公衆トイレです。

この樹を岡倉天心も眺め、幹にも触れたのでしょう、私も両手で触れてみました。しかし、百年近く前ですから、小さな苗木程度だった可能性があります。


それにしても、記念公園の入り口が「ゴミ置き場」とは、岡倉先生もあの世で、『まさか?失敬な!』と怒ってませんかね?

まぁ、公園前のゴミ置き場はよくある風景です。我が家の側の公園の入り口もゴミ置き場になっています。


この奥の「六角堂」に天心先生がいます。


ライトアップされた半身像は太い金網で囲われ、檻に入れられた囚人をイメージしてしまいました。


こちらを見据える眼光はスルドクさすがの存在感です。確かに近代日本美術の先駆者の貫禄です。

岡倉天心記念公園、トイレに、ゴミ置き場に、天心像、面白くなってきました。谷中には、未だいろいろありそうです。


それでは、また明日。。。。。。。



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「谷中の長七?」と「ガレージセールス」そして円楽

2007年09月03日 | 東京の風景
昨日の続きです。

金ピカ観音の全生庵を出て、三崎坂をぶらぶら下りながら、通りの向こうを眺めると、古い煤けた色の建物に「面白い物」を見つけました。


雨戸の戸袋に「細工」がしてあるのです。「鏝(コテ)絵」のようです。外壁の材質はモルタルです。


普通は漆喰の壁に「細工」するのですが、左官屋の「遊び」で鏝絵を描いたのでしょう。

もしや?「伊豆の長八」の流れを汲む「谷中の長七」の仕事か? 何チャッテ冗談です。

鋭い「眼」と「くちばし」は鷹の様に見えますが、胴体や翼の部分はかなり抽象的な表現になっています。なかなかケッコウな趣向です。


角の店で見つけた「圓朝まつり」のポスターです。

落語会は8月18日開催で、もうとっくに終わっています。出演者は当然、三遊亭圓朝の流れを汲む人達です。

好楽、円橘、鳳楽、三人とも「三遊亭円楽」の弟子です。円楽には「文化人」を目指していたような「節」があり、ある意味で「圓朝」に近いタイプの落語家でした。最近引退したようなので過去形です。

ポスターの店を右に曲がります。この路地も始めて歩きます。

曲がると直ぐに煉瓦塀と、赤茶けた錆びに被われた門扉。その先の塀は「大谷石」、このバラバラ感も「味わい」です。


バラバラ塀の向かいには、「丸安商店」です。

商店とは云っても、入り口から玄関までの「地べた」に、品物を並べて置いてあるだけの簡易店舗です。これって、谷中版「ガレージセールス?」

商っているのは「穀類」です。全て「ハカリ売り」と云うのも「新しい?」です。

商品が「硬い」穀物ですから「堅い」商いです、店主もきっと「堅物」なのでしょう。裸電球の灯る薄暗い「店内」には、人の気配はありませんでした。

人通りの少ない路地で、多分「長年?」商いを続けている訳ですから、それなりに利益は出ているのでしょう。

これは、なかなか素晴らしい!

緑の蔦が、水色の「トタン板」に映えます。トタン板が「青い大空」に見えます。

路地の視界が急に広がり、「広場」が出現しました。ゴチャゴチャと込み入った谷中に、スッキリ、広々と開けた空間があったのです。

門、柵、タイル、ベンチ、案内板、どれも新しいです。一年も経っていない様子です。

遠くに見える「寄棟造」の大きな屋根が、全生庵の本堂です。木の間から僅かに金ピカ観音が見えます。

元は何があったのでしょうか? こんな処に、こんな広場を造ってしまう東京都はスゴイです。

広場の名前は「防災広場 初音の森」とありました。この名称で調べてみたら判りました。

広場は今年の7月9日のオープンでした。出来立てのホヤホヤです。以前にはゴルフ練習場があったのです。

国、都、区の三者で建設されたようです。東京都だけでは有りませんでした。検索しているときに、面白い?貴重な?写真を見つけました。


左から二番目の紳士が、参議院議員の「保坂さんぞう氏」です。オープニングセレモニーに来賓で出席したのです。

この日から20日後に、参議院議員のバッチを失うのです。これまで全てトップ当選をしていたのに、この時、そんな事になるとは夢にも思わなかったでしょう。

政界は「一寸先は闇」だったのです。

話しが逸れてしまいました。


谷中の街、もう少し歩きます。


それでは、また明日。 




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全生庵「金ピカ観音」と「圓朝」

2007年09月02日 | 東京の風景
昨日の続きです。

三崎坂の所々に立つ「円朝まつり」の幟を見ながら坂を下ると、ありました。ここです、祭り会場の「全生庵」。


三遊亭円朝は知っていましたが、この時期に「円朝まつり」をやっているとは知りませんでした。

円朝を知っていると云っても、落語界では神様のような人で、落語を現在のような形に作り上げた、名人中の名人と云われた落語家・・・・・・その程度です。

話しとしては、芝居話し、特に怪談話しを得意とし、滑稽話はまったくやらない、笑わせない落語家だったようです。



昔から「お笑い」は、一段低くみられていたのです。円朝は「尊敬される落語家」を目指していたようです。

そこら辺で、山岡鉄舟との繋がりが出来たのでしょう。「エライ人・尊敬される」人に成りたがる・・・・・・そんな人は結構いますからね。

まぁ。結果として円朝により、落語、そして落語家の地位もそれなりに向上したのでしょう。

それで、「円朝まつり」の方ですが、祭りの催しとしては、落語会と幽霊画の展覧会のようです。

幽霊画は円朝のコレクションで、円朝が亡くなった8月11日に合わせて、8月だけ一般に公開されているそうです。「円朝まつり」とは、幽霊画の一般公開の事のようです。

幽霊画を500円払ってまで見る気しません、500円払うならば、「すき家」で牛丼を食べる方を選びます。

墓好きとしては、円朝、鉄舟の墓はこの眼で確かめようと本堂裏手の墓地に向かいました。

この「全生庵」は山岡鉄舟が、維新に殉じた人々の菩提を弔うために、明治16年(1883年)に建てたお寺だそうです。鉄舟は5年後の明治21年(1888年)に亡くなっています。

本堂の脇まで来ると、これです! スゴイです! 落ち着いた「渋い」風景の中に、この「ど派手」な「金ピカ」な観音様が飛び込んできます。

鉄舟、円朝の時代から、このお姿で、ここに居られたのでしょうか? でも、しかし、仏像は全て「金ピカ」が本流なのです。

貴い方は「金」に覆われている事で尊ばれるのです。これが仏像の本来の「お姿」なのです。

博物館や、古いお寺で見る仏像は、派手な装飾が剥がれ落ち「渋く」変身していますが、元々はみんな「ど派手」な姿をしていたのです。


金ピカの観音様の下を通り抜けると、圓朝の墓がありました。


圓朝は、天保10年4月1日(1839年5月13日)生まれで、明治33年(1900年)8月11日に亡くなっています。

墓石には「三遊亭圓朝無舌居士」と刻まれている「よう」です。実際に私が読めたのは「三○○○○○舌居士」の4文字でした。

この戒名は「山岡鉄舟」の筆によるものと、入り口にあった案内板に書いてありました。鉄舟は明治21年に亡くなっています。

何故、明治21年に亡くなった人が、明治33年に亡くなった圓朝の戒名を書いているのか不思議な気がしました。

何故何んだろう? どうして何だろう? と考えたのです。

調べてみました。戒名は本来生前に与えられるものだったのです。

そうです! 圓朝は仏教の修行を積み生前より戒名を与えられていたのです。

死んでから、修行もせずに「貰う?買う?」と高く付くのです。良い戒名が欲しい人は、生きている間に修行をすると「安く」手に入ります。

しかし、修行を積んだ寺に葬られる場合、問題はないのですが、修行を積んだ寺と、葬られる寺が異なる場合は、生前に与えられた戒名があっても、別途、戒名代の請求があるようです。

宗派が異なると、戒名の付け方も異なるようで、お釈迦様もきっと驚いている事でしょう。今の寺は葬式が最大の「収入源?」ですからね。


これが「山岡鉄舟」のお墓です。お寺を開基された人ですから、墓地の中で一番いい場所にあり、一番大きな立派なお墓です。


全生庵は、何と云っても燦然と輝く「金ピカ観音様」です。これまで、谷中に抱いていたイメージを覆してくれました。


新しい?谷中?の発見でした。


それでは、また明日。


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「谷中」何処を歩くか迷いました

2007年09月01日 | 東京の風景
昨日の続きです。

日暮里駅で降り、いつもの改札を抜け「紅葉坂」を登ります。振り返るとクレーンが何本も建ち並び、駅周辺は再開発で景色が様変わりしつつあります。

高層ビルの足元にあった、駄菓子の問屋街が懐かしいです。



坂を登り切ると、ラジウム温泉の看板に小さな宿、ここはいつもと変わらぬ風景です。始めてここを歩いた時は、とても懐かしい感じがしました。


小さな宿と石屋さんが並ぶ向かいは「天王寺」です。このお寺の庭の「小さな大仏様」もいつもの風景です。庭はいつ来ても手入れが行き届いています。


この道がメインストリートです。


谷中を歩くと決めたのは、電車を降りてからです、「何処を歩こうか? 今まで歩かなかったコースはどこだろう?」と、迷いました。

今まで曲がらなかった路地、今まで入らなかった寺、そんな事を考えながら、メインストリートを左に逸れ脇道に入りました。


道が雨に濡れています。傘を持っていても、差すか?差すまいか? 迷う程度の雨が、時より降ってくる空模様です。


墓地には「猫」が似合います。猫が拝んでいる?


親族からも忘れ去られたのか、それとも居なくなったのか、訪れる人も無いお墓、半年もしたら、整理されてしまうのです。


整理された後は、こんなに細かく「分譲」されるようです。お墓の土地も不足してますし、ここは都心の一等地です、これでも「かなり贅沢」なお墓です。


雨の「しとしと降る」お墓を抜け、正面入り口から外に出ます。


墓地を出て迷いました。何処に行こうか? あっちに行こうか? こっちに行こうか? 傘を差そうか? 差すまいか? ホントに迷ってばかりです。

無意識に歩くといつもの道を歩いてしまうのです。やはり、何となく風景に惹かれるのです。

いつもですと、自然に団子坂に向かうのですが、ここは、やはり、あまり歩いた事の無い、あまり惹かれない風景の「三崎坂」に向かいました。

人も車も少なく三崎坂は静かです。


幼稚園の前に、可愛いお地蔵様が並んでいました。幼稚園にお地蔵様は似合います。お地蔵様は子供が大好きです。


「円朝まつり」の大きな幟です。
 

三崎坂、何かありそう? そんな「匂い」がし始めました。


この続きは次回とします。


それでは、また明日。 




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