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“ISOは悪意の意図に対して無力”で良いのか

先週末に行われたISO研究会で“ISOは悪意の意図にたいしては、無力なので考慮しない。”との発言があった。それに対し、私は “悪意を排除できない規格は、規格としての意味をなさないのではないか。”と考えたが、 “その時は、極論を言えば認証取り消し”という伝家の宝刀を抜き放つこともできる。しかし、 “認証取り消し”は極限的処置となり、その後はその組織とのコミュニケーションは絶たれてしまう。それで良いのかという問題が生じる。 振り返って見れば、ISOの目的は、組織の品質や環境のマネジメント・システムが有効に機能させるためにある。ISO審査はシステムが有効に機能しているかを見るためにやっている。要は、そこに被審査組織と審査員の間の信頼関係があって然るべきことなのだろう。信頼関係があればこそ、“悪意の意図”などあり得ない。あったとしても、無意識或いは無邪気な“悪意”でしかない。 . . . 本文を読む
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