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“討論 三島由紀夫vs.東大全共闘”の映画を見て、その文庫本を読んで

今回は“討論 三島由紀夫vs.東大全共闘”の映画を見て、その文庫本を読んで“くたびれた結果”を報告したい。 映画と本で表題が若干異なるが、内容は同じものを取り上げている。映画は、討論当時のTBSチームが終始撮影したものを最近部分的に採用して関係者のインタビューを追加してこの春リリースされたものだが、本は討論開催の1969年に新潮社より単行本が刊行され、それを再び2000年に文庫本として刊行したもの、という。映画は2時間半の全討論ではないが、本には討論の内容全てと“討論を終えて”の双方の感想が寄稿されている。 結局のところ、これらイベントは三島のスター性を補強・強化しているものに外ならない。生硬で暴力的な学生の議論の中に、三島は単身で乗り込んで、議論に天皇を介在させて、大人として立派に堂々と退去した。仕掛けたのは全共闘であったが、結果として注目されたのはあくまでも“三島由紀夫”だったのだ。この討論の内容を精査したところで、三島の論が注目されこそすれ、学生側の議論にはそれほどの意義は見出せないのではないか。 しかし、こうした二二六事件の将校達にも比肩されうる全共闘の活動は未熟ではあったが、エネルギーに満ちていた。いずれも圧殺され、それがその後の国家的不幸の源になったような気がする。圧殺されてもなお立ち上がるという、そんなエネルギーが現代の若者に感じられないのが寂しくもあり、悲しくもある現実だ。そこに我々世代の罪があるのか、よく分からない。 . . . 本文を読む
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