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ISO休戦
中国の現状をどう見るか―“2013年の「中国」を予測する”を読んで
日本周辺の領土問題が急迫している。特に、中国との尖閣諸島の領有権問題は深刻である。なぜならば、その舵を取り誤ると、日中両国が両国ともとてつもない破綻の世界へ落ち込んでしまうことが見えるからである。にもかかわらず、中国側は日本政府が良かれと思って取った行動を 国際常識のルールを無視するほどの過剰反応で咎めだてており、日本側はその異様さには呆れるばかりで、なす術を知らないといった状態である。この騒ぎの一切は、北京政府側の拡張領土欲に基づく創作“茶番劇”であるにもかかわらず、逆に“日本政府による茶番”であるとし、“一切の責任は日本政府側にある”とする声明を発し続けている。自分の行為の愚かさを覆い隠すために、それを他人の行動の根拠であるかのように投影して訴えるという児戯にも似た行為を見るような気がする。この常軌を逸した北京政府のパフォーマンスには何らかの背景があるはずで、それを知りたくなったのである。恐らく彼らの内部矛盾を外部に転化するために、日本が格好のターゲットになっていると想像されるのだが、その問題がどういうものなのかが知りたくなったのである。
エコノミストからは、中国の不況が垣間見られると伝えているが その実態や全貌は 詳しくは報告されていない。そして、中国の発表する経済データは殆どが修正によるものとは確信してはいても、それがどの程度のものかは誰も確認してはいない。数年前から、そのバブルはかつての日本の数倍の規模であると推定されてはいて、その破裂に恐怖を覚えたものだが、一向にその気配はない。つい数ヶ月前 中国へ視察に行った人は、“上海のような沿海部のバブルははじけたが、内陸部は活況で中国経済全体は大丈夫”との見立てを表明していたものだったが、果たしてそれが実態を反映したものかという疑いを持たざるを得ない。いかんせん“群盲象を撫でる”状態なのだ。
その疑いの微かな根拠は、テレビ東京のWBSで最近上海港の実態の次のような報道から見て取れるのである。つまり、港の一部には鉄のホットコイルや厚板、型鋼等の鉄鋼製品が積み上がっていて、錆が目立つ状態であり、さらに別の所には原料である鉄鉱石が積み上がっており、それらを輸送する業者もいなくなって久しいという地元の声を伝えていたことによる。もし、中国の一部にでも活況を呈する部分があるのならば、鉄鉱石が積み上がることはあっても“産業の米”たる鉄鋼製品が積み上がるはずがないのである。さらに別の所からの声には、“中国の電力使用量が最近相当に落ち込んで来ている。”というのがあった。“中国の経済データは一般に信用できないが、さすがに電力使用量までは修正していないのか、これは実態を反映している。”と言うのである。
このように、中国の内情の実態や全貌というものは分かり難いというのが、戦前からの評である。実は、米国経済もかつて分かり難いと言われてはいたが、最近は正確な情報やデータがすばやく伝わるようになったせいか、そのような声は聞かれなくなってきている。このように広い国土の国の実態は地域性が大きく、即時的に知ることは困難なものだった。しかも、中国はそのデータが修正されたり捏造されている疑いがあるなど、不正が多いことも実態が分り難くなっている要因なのだろう。
この本は、日本に帰化した北京大学卒の石平氏と 長年活躍している評論家・宮崎正弘氏の対談による。
さて、読んだ感想だが、かねてより、何故バブルが崩壊しないのか疑問に思っていたが、それがこの本の初めの部分で一気に氷解した。要するに 社会主義市場経済という歪な体制が、崩壊させないように維持させていると言えるようだ。つまりバブル形成の主体は、地方政府による経済的乱開発なのであり、極端な場合には百万都市を呼称するゴーストタウン(鬼城)の形成となっているとは従来からの報道で知っていた。だが、それで生じた負債をどう処理するのかが問題なのだが、それは大抵の場合、清算会社を作り そこへ負債を押し付けて免れていると語っている。その先は どうなっているのかは不明なのだが、輪転機を回して札をばらまくという表現に終始している。恐らく、解消し得ない借金はわずかであれば踏み倒したり、金を借りた相手が潰れない程度に返済して、別のビジネス機会を与えたりしているのだろう。それでも結果として地方政府には相当な負債が溜まっているに違いないし、それがインフレとなって経済を混乱させているのだろう。それがいつまでも続くものとは思えない。だが、中国人にはそうしたことを意に介する性格はないようだ。要するに、中国の社会主義市場経済の実態は、資本主義共産党独裁経済だというのが本質だと了解できるのだ。
宮崎氏は内陸部でもバブルは崩壊したとジャーナリスティックに言っているが、実態は未だ崩壊していないようだ。ただ経済が停滞し始めた、というのが真相のように見える。例えば、中国経済の発展を電話の普及になぞらえて説明しているが、“日本が50年かけてやって来たことを20年で駆け抜けた。そして、携帯もスマホも現在はいきわたってしまった。今後は新たな需要は見当たらない。だが、ものまね経済では新たな需要は作れないだろう。”と言った文脈だ。要するに、中国経済は、停滞し始めており、曲がり角に立っているということが真相のようだ。
その中国社会の背景にある問題。それは農業における三農問題だと言う。先ず、農地を経済開発で取上げたり、無計画な乱開発による砂漠化による耕作面積の減少の問題。次に農民の貧困化。三番目に農薬と化学肥料に頼りすぎた農業改革による汚染食品の蔓延だという。しかもその“改革”による耕地の劣化があるが、私有地でないため今さえ良ければよいという意識で土壌改良の努力はなされないとのこと。
そのため、農民の都市流入が進んで、都市人口が51%と過半数を超えたという。にもかかわらず それを、今の中国の主流派の経済学者は、永続化する都市化があるから中国経済の成長は止まらないと誤解しているという。さらに悪名高い農民戸籍制度が、都市に流入した農民をさらなる貧困に落とし込み、流民化を促進しているし、それが、治安悪化の要素にもなっていると言うが これはかねてから聞いていた話だ。
こういう中国農村の崩壊、流民の発生が世界中への中国人の流出という現象を生んでいるともいう。スーダン、ジンバブエ、リビア、ナイジェリア等に外交戦略や資源獲得のための開発援助さえも梃子にして、新華僑を創出しているのだ。現に、日本にも多数の中国人が居留しているが既に中国語新聞が54種類発刊されているとの指摘もしている。
こうした農民の流民化が、民心を不安定にし、さらに独裁政権特有の人民の相互監視による恐怖感の醸成を弱めていると指摘している。地域や職場ごとにあった五人組の単位中心主義が崩壊し、相互監視が行き届かなくなったというのである。改革開放による外資の導入や、民営の個人商店の増加が そうした単位中心主義による統制を困難にして来たというのである。相互監視が弱まり、人々の警察への恐怖感は小さくなっており、政権への不満が暴動へと発展しやすくなっているとも言っている。今は、暴動の横の連携ができていないが、遠からずネットや携帯による連携が形成され、大きな力になるだろうと指摘している。
薄熙来の事件は、元党幹部の息子が遅れた出世を取り返すために、派遣された重慶市で功名をあげようと焦って無理をした結果であるとこの本から想像される。その手法は 恐らく彼らの典型だが極端に過ぎ、例えばマフィア退治の打黒が行き過ぎ、重慶市前任者の利権を侵害し、利権で成り立つ党中央の反感を買ったもののようだ。さらに、そこで使った毛沢東回帰の手法も 団派*党幹部のある種恐怖感を誘ったと推測できるものだったとのこと。
*団派とは共産主義青年団出身者による派閥で胡錦涛らが中心。これに対するのは江沢民等の上海派と呼ばれる利権集団だという。習近平の太子党は 単に元共産党幹部の子息等による派閥で政党と呼べるような集団ではなく、思想や意志は様々であると言っている。どうやら解放軍は それらとは違う政治派閥のようだ。
次代の共産党中央すなわち政治局常務委員“チャイナ9”の人事予測もしている。八方美人の習近平による政権は利権固守であり、新しいことは何もしない政権であろうとの宮崎氏の予測に対し、経済がこれまでのように右肩上がりにはならなくなっている現状を見るとき、政治的にある種の改革が必須になると石氏は予測する。それは内政には何らかの“民主化”を軸とした政治改革であり、外に向かっては対外膨張の何らかの冒険が考えられるという。その冒険つまり軍事的過激さは軍の掌握のためにも必要なことになっているからだと言っている。
どうやら、尖閣問題は もはや実力行使もありうる段階に至っているとの覚悟が必要だと思われる。海上保安庁は厳戒態勢だと思われるが、自衛隊も、特に海上と航空は いつでも臨戦態勢に入る準備が必要な切迫した状況だと思われるのだ。何故ならば、この本によれば政権交代が完了していない今のところは、中国側には実力行使を抑制する政治勢力が存在しないと想像されるからである。つまり、尖閣を奪取しなければ納得できない人しかいないのだ。むしろそれを煽って、自らの内部地位を高める意志を持つ高級軍人が多く、その軍勢力を抑え込める権威を持った政治家も存在していないと話しているからである。政治家はそういう軍人を甘やかして自己保身しているとする石氏は少なくとも局地戦争は回避できないと予測している。戦前の日本の政治状況とよく似ている印象だ。
だが、それは彼等には無謀な賭けではないかと私は思う。近代戦にかけては、自衛隊も相当な水準にあるはずであり、“見せ掛け”が伝統の中国海軍は 数で上回っても近代戦における質では劣るものと思わる。ある米国軍人も自衛隊の優位側面を分析しているくらいであるから、必ずしも彼等の軍事的意図が容易に成功するものとは思えない。もし、彼等の意図が中越戦と同様無残に打ち砕かれたならば、彼等自身の権威は失墜し、国内での立場は相当に苦しくなるのは間違いない。これがきっかけで、国内が騒乱状態に陥ることもありうると思われるので相当危険な賭けとなる。さらに、彼等が築き上げた南沙海域での勢力関係も逆転するであろう。
また、宮崎氏の気になる指摘がある。それは“中国海軍はいまや、日本の対馬と津軽、この二つの海峡を同時に封鎖できる能力を持った”という点である。これは中国海軍が“艦隊の隊形を揃えての二海峡同時通過する能力”を持っている示威行動をしたことが根拠のようだが、その程度のことで日本の海峡封鎖が可能とは思えない。これは宮崎氏の意図的な発言としか思えない。つまり、海軍力は第二次大戦以降、空軍力を背景にしなければ十分にその能力を発揮しえないというのは常識だからだ。つまり、制空権のない海域に制海権はありえず、まして海峡封鎖となると陸上からの攻撃に備える必要もある。果たして、現中国空軍に日本領海での制空権を保持する能力はあると言えるだろうか。むしろ、そのために彼らが空母入手に焦っているのが現状ではないだろうか。その空母の運用についても、総合的な海軍力がなければ困難だというのが常識である。従って、宮崎氏の中国海軍はやがて“対馬、津軽、二つの海峡だけではなくて、宗谷、大隈を含めて四海峡を封鎖できる”というのは、酷い誇張であり、根拠なきデマに近いものと断言できる。
これは、宮崎氏の発言全体の真偽を疑わせる根拠とも言えなくもない。
この本を読んで理解できることは、今の中国共産党政権が利権の上に成り立っており、党幹部がその利権を固守するために、尖閣問題を煽っているということだ。このような従来手法の政権が、曲がり角に立つ中国で長持ちすることは考えられず、そのような徴候は この本でも随所に語られている。しかし、この政権がどのようなプロセスでいつ崩壊するのかは 残念ながら明確でない。前に述べたように、今の日中紛争の処理を誤ることが きっかけになるのかも知れない。習近平政権はタイト・ロープ上の自転車操業となるのだろう。
従って、中国に進出している企業が今後どのように振舞えばよいのかは分からない。この本には語られてはいないが、中国現地の地方政府と良好な関係を作り、維持することは企業活動には重要なキィ・ポイントのようだ。だが、そのような関係を築くことは、中国共産党内の反日意識の高まりの中で、今後はこれまでよりもっと困難な状況になっていると言えるのではないだろうか。場合によっては中国には見切りをつけて撤退し、インドネシア等に活路を見出すのも選択肢の一つかも知れない。
とにかく石氏が他の本で言っていたことだが、中国人は厚黒学を研究するような人々である。つまり論語の正反対のアンチテーゼとして、成功のため如何に厚かましく、腹黒く生きて平気でウソをつき、その場しのぎの自己利益追求を徹底するべきかを研究している世界的に珍しい人々だ。そのような人達とどのように上手く付き合うのか、その心構えができぬままでは、良いビジネスができる訳がないことを理解するべきである。
中国との外交関係でも同じことが言えるのではないか。彼等が本当のことを言っているのならば、直ちに尖閣を実力で攻め取れば済むはずだが、今のところ それができずに小犬が吠えるようなことばかりしている。ウソという後ろめたさがあるためなのか、政権交代後の譲歩の余地を残そうとしているのか。
とにかく日本政府は、そのウソを暴き国際的に知らしめ、言うべきことは具体的に言う努力が求められるのである。モゴモゴと口ごもっていても国際的には認知されない。一方では 実力行使を堂々と受けて立つ姿勢を明確に示すべきである。中国側の政権交代が完了するまで要警戒の態勢を保ち、11月初旬の仕切り直しを待つべきなのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/03/6a965cca2d60dd17466c3e59fbe7a049.jpg?random=6267d99f43cf153d78af1b9423da137e)
エコノミストからは、中国の不況が垣間見られると伝えているが その実態や全貌は 詳しくは報告されていない。そして、中国の発表する経済データは殆どが修正によるものとは確信してはいても、それがどの程度のものかは誰も確認してはいない。数年前から、そのバブルはかつての日本の数倍の規模であると推定されてはいて、その破裂に恐怖を覚えたものだが、一向にその気配はない。つい数ヶ月前 中国へ視察に行った人は、“上海のような沿海部のバブルははじけたが、内陸部は活況で中国経済全体は大丈夫”との見立てを表明していたものだったが、果たしてそれが実態を反映したものかという疑いを持たざるを得ない。いかんせん“群盲象を撫でる”状態なのだ。
その疑いの微かな根拠は、テレビ東京のWBSで最近上海港の実態の次のような報道から見て取れるのである。つまり、港の一部には鉄のホットコイルや厚板、型鋼等の鉄鋼製品が積み上がっていて、錆が目立つ状態であり、さらに別の所には原料である鉄鉱石が積み上がっており、それらを輸送する業者もいなくなって久しいという地元の声を伝えていたことによる。もし、中国の一部にでも活況を呈する部分があるのならば、鉄鉱石が積み上がることはあっても“産業の米”たる鉄鋼製品が積み上がるはずがないのである。さらに別の所からの声には、“中国の電力使用量が最近相当に落ち込んで来ている。”というのがあった。“中国の経済データは一般に信用できないが、さすがに電力使用量までは修正していないのか、これは実態を反映している。”と言うのである。
このように、中国の内情の実態や全貌というものは分かり難いというのが、戦前からの評である。実は、米国経済もかつて分かり難いと言われてはいたが、最近は正確な情報やデータがすばやく伝わるようになったせいか、そのような声は聞かれなくなってきている。このように広い国土の国の実態は地域性が大きく、即時的に知ることは困難なものだった。しかも、中国はそのデータが修正されたり捏造されている疑いがあるなど、不正が多いことも実態が分り難くなっている要因なのだろう。
この本は、日本に帰化した北京大学卒の石平氏と 長年活躍している評論家・宮崎正弘氏の対談による。
さて、読んだ感想だが、かねてより、何故バブルが崩壊しないのか疑問に思っていたが、それがこの本の初めの部分で一気に氷解した。要するに 社会主義市場経済という歪な体制が、崩壊させないように維持させていると言えるようだ。つまりバブル形成の主体は、地方政府による経済的乱開発なのであり、極端な場合には百万都市を呼称するゴーストタウン(鬼城)の形成となっているとは従来からの報道で知っていた。だが、それで生じた負債をどう処理するのかが問題なのだが、それは大抵の場合、清算会社を作り そこへ負債を押し付けて免れていると語っている。その先は どうなっているのかは不明なのだが、輪転機を回して札をばらまくという表現に終始している。恐らく、解消し得ない借金はわずかであれば踏み倒したり、金を借りた相手が潰れない程度に返済して、別のビジネス機会を与えたりしているのだろう。それでも結果として地方政府には相当な負債が溜まっているに違いないし、それがインフレとなって経済を混乱させているのだろう。それがいつまでも続くものとは思えない。だが、中国人にはそうしたことを意に介する性格はないようだ。要するに、中国の社会主義市場経済の実態は、資本主義共産党独裁経済だというのが本質だと了解できるのだ。
宮崎氏は内陸部でもバブルは崩壊したとジャーナリスティックに言っているが、実態は未だ崩壊していないようだ。ただ経済が停滞し始めた、というのが真相のように見える。例えば、中国経済の発展を電話の普及になぞらえて説明しているが、“日本が50年かけてやって来たことを20年で駆け抜けた。そして、携帯もスマホも現在はいきわたってしまった。今後は新たな需要は見当たらない。だが、ものまね経済では新たな需要は作れないだろう。”と言った文脈だ。要するに、中国経済は、停滞し始めており、曲がり角に立っているということが真相のようだ。
その中国社会の背景にある問題。それは農業における三農問題だと言う。先ず、農地を経済開発で取上げたり、無計画な乱開発による砂漠化による耕作面積の減少の問題。次に農民の貧困化。三番目に農薬と化学肥料に頼りすぎた農業改革による汚染食品の蔓延だという。しかもその“改革”による耕地の劣化があるが、私有地でないため今さえ良ければよいという意識で土壌改良の努力はなされないとのこと。
そのため、農民の都市流入が進んで、都市人口が51%と過半数を超えたという。にもかかわらず それを、今の中国の主流派の経済学者は、永続化する都市化があるから中国経済の成長は止まらないと誤解しているという。さらに悪名高い農民戸籍制度が、都市に流入した農民をさらなる貧困に落とし込み、流民化を促進しているし、それが、治安悪化の要素にもなっていると言うが これはかねてから聞いていた話だ。
こういう中国農村の崩壊、流民の発生が世界中への中国人の流出という現象を生んでいるともいう。スーダン、ジンバブエ、リビア、ナイジェリア等に外交戦略や資源獲得のための開発援助さえも梃子にして、新華僑を創出しているのだ。現に、日本にも多数の中国人が居留しているが既に中国語新聞が54種類発刊されているとの指摘もしている。
こうした農民の流民化が、民心を不安定にし、さらに独裁政権特有の人民の相互監視による恐怖感の醸成を弱めていると指摘している。地域や職場ごとにあった五人組の単位中心主義が崩壊し、相互監視が行き届かなくなったというのである。改革開放による外資の導入や、民営の個人商店の増加が そうした単位中心主義による統制を困難にして来たというのである。相互監視が弱まり、人々の警察への恐怖感は小さくなっており、政権への不満が暴動へと発展しやすくなっているとも言っている。今は、暴動の横の連携ができていないが、遠からずネットや携帯による連携が形成され、大きな力になるだろうと指摘している。
薄熙来の事件は、元党幹部の息子が遅れた出世を取り返すために、派遣された重慶市で功名をあげようと焦って無理をした結果であるとこの本から想像される。その手法は 恐らく彼らの典型だが極端に過ぎ、例えばマフィア退治の打黒が行き過ぎ、重慶市前任者の利権を侵害し、利権で成り立つ党中央の反感を買ったもののようだ。さらに、そこで使った毛沢東回帰の手法も 団派*党幹部のある種恐怖感を誘ったと推測できるものだったとのこと。
*団派とは共産主義青年団出身者による派閥で胡錦涛らが中心。これに対するのは江沢民等の上海派と呼ばれる利権集団だという。習近平の太子党は 単に元共産党幹部の子息等による派閥で政党と呼べるような集団ではなく、思想や意志は様々であると言っている。どうやら解放軍は それらとは違う政治派閥のようだ。
次代の共産党中央すなわち政治局常務委員“チャイナ9”の人事予測もしている。八方美人の習近平による政権は利権固守であり、新しいことは何もしない政権であろうとの宮崎氏の予測に対し、経済がこれまでのように右肩上がりにはならなくなっている現状を見るとき、政治的にある種の改革が必須になると石氏は予測する。それは内政には何らかの“民主化”を軸とした政治改革であり、外に向かっては対外膨張の何らかの冒険が考えられるという。その冒険つまり軍事的過激さは軍の掌握のためにも必要なことになっているからだと言っている。
どうやら、尖閣問題は もはや実力行使もありうる段階に至っているとの覚悟が必要だと思われる。海上保安庁は厳戒態勢だと思われるが、自衛隊も、特に海上と航空は いつでも臨戦態勢に入る準備が必要な切迫した状況だと思われるのだ。何故ならば、この本によれば政権交代が完了していない今のところは、中国側には実力行使を抑制する政治勢力が存在しないと想像されるからである。つまり、尖閣を奪取しなければ納得できない人しかいないのだ。むしろそれを煽って、自らの内部地位を高める意志を持つ高級軍人が多く、その軍勢力を抑え込める権威を持った政治家も存在していないと話しているからである。政治家はそういう軍人を甘やかして自己保身しているとする石氏は少なくとも局地戦争は回避できないと予測している。戦前の日本の政治状況とよく似ている印象だ。
だが、それは彼等には無謀な賭けではないかと私は思う。近代戦にかけては、自衛隊も相当な水準にあるはずであり、“見せ掛け”が伝統の中国海軍は 数で上回っても近代戦における質では劣るものと思わる。ある米国軍人も自衛隊の優位側面を分析しているくらいであるから、必ずしも彼等の軍事的意図が容易に成功するものとは思えない。もし、彼等の意図が中越戦と同様無残に打ち砕かれたならば、彼等自身の権威は失墜し、国内での立場は相当に苦しくなるのは間違いない。これがきっかけで、国内が騒乱状態に陥ることもありうると思われるので相当危険な賭けとなる。さらに、彼等が築き上げた南沙海域での勢力関係も逆転するであろう。
また、宮崎氏の気になる指摘がある。それは“中国海軍はいまや、日本の対馬と津軽、この二つの海峡を同時に封鎖できる能力を持った”という点である。これは中国海軍が“艦隊の隊形を揃えての二海峡同時通過する能力”を持っている示威行動をしたことが根拠のようだが、その程度のことで日本の海峡封鎖が可能とは思えない。これは宮崎氏の意図的な発言としか思えない。つまり、海軍力は第二次大戦以降、空軍力を背景にしなければ十分にその能力を発揮しえないというのは常識だからだ。つまり、制空権のない海域に制海権はありえず、まして海峡封鎖となると陸上からの攻撃に備える必要もある。果たして、現中国空軍に日本領海での制空権を保持する能力はあると言えるだろうか。むしろ、そのために彼らが空母入手に焦っているのが現状ではないだろうか。その空母の運用についても、総合的な海軍力がなければ困難だというのが常識である。従って、宮崎氏の中国海軍はやがて“対馬、津軽、二つの海峡だけではなくて、宗谷、大隈を含めて四海峡を封鎖できる”というのは、酷い誇張であり、根拠なきデマに近いものと断言できる。
これは、宮崎氏の発言全体の真偽を疑わせる根拠とも言えなくもない。
この本を読んで理解できることは、今の中国共産党政権が利権の上に成り立っており、党幹部がその利権を固守するために、尖閣問題を煽っているということだ。このような従来手法の政権が、曲がり角に立つ中国で長持ちすることは考えられず、そのような徴候は この本でも随所に語られている。しかし、この政権がどのようなプロセスでいつ崩壊するのかは 残念ながら明確でない。前に述べたように、今の日中紛争の処理を誤ることが きっかけになるのかも知れない。習近平政権はタイト・ロープ上の自転車操業となるのだろう。
従って、中国に進出している企業が今後どのように振舞えばよいのかは分からない。この本には語られてはいないが、中国現地の地方政府と良好な関係を作り、維持することは企業活動には重要なキィ・ポイントのようだ。だが、そのような関係を築くことは、中国共産党内の反日意識の高まりの中で、今後はこれまでよりもっと困難な状況になっていると言えるのではないだろうか。場合によっては中国には見切りをつけて撤退し、インドネシア等に活路を見出すのも選択肢の一つかも知れない。
とにかく石氏が他の本で言っていたことだが、中国人は厚黒学を研究するような人々である。つまり論語の正反対のアンチテーゼとして、成功のため如何に厚かましく、腹黒く生きて平気でウソをつき、その場しのぎの自己利益追求を徹底するべきかを研究している世界的に珍しい人々だ。そのような人達とどのように上手く付き合うのか、その心構えができぬままでは、良いビジネスができる訳がないことを理解するべきである。
中国との外交関係でも同じことが言えるのではないか。彼等が本当のことを言っているのならば、直ちに尖閣を実力で攻め取れば済むはずだが、今のところ それができずに小犬が吠えるようなことばかりしている。ウソという後ろめたさがあるためなのか、政権交代後の譲歩の余地を残そうとしているのか。
とにかく日本政府は、そのウソを暴き国際的に知らしめ、言うべきことは具体的に言う努力が求められるのである。モゴモゴと口ごもっていても国際的には認知されない。一方では 実力行使を堂々と受けて立つ姿勢を明確に示すべきである。中国側の政権交代が完了するまで要警戒の態勢を保ち、11月初旬の仕切り直しを待つべきなのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/03/6a965cca2d60dd17466c3e59fbe7a049.jpg?random=6267d99f43cf153d78af1b9423da137e)
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