goo

京都梅小路公園散策

ウクライナ紛争!!戦線は今のところ膠着したかのように見える。
ロシア側の台詞を聞いていると、どの口が言うのかと腹立たしい。内容はウソばかりだからだ。ラブロフ外相の“われわれはウクライナを攻撃していない、ロシアが戦争を望んだことはないし今も望んでいない。”との発言報道に及んでは、こっちが逆上しそうになる。それが外交戦術なのだろう。そういう“言葉尻”でしか、優位にたてなくなっているのか。

膠着が長引けば、それだけロシアは不利になるのは明らかだ。その膠着打開のため、国際的に使用禁止が常識の核も含めてABC兵器の使用もあるのかも知れない。人道回廊への攻撃も平気。
こうしたことはロシア軍がこれまでシリアでやって来た。それを仲間のウクライナ人にもやっている。アラブ人とウクライナ人を差別して状況を理解するのはよくないが、ロシアはそういう差別意識なしに攻撃しているというのか。ロシア政府はそういう非人道政府なのだ。

プーチン大統領はウクライナ政府を“ネオナチ”と言ったようだが、そういう発言は“自分のことを称している”と考えた方がよい。日本の元首相も相手に“レッテルを貼ってもらっては困る”と言ったことがあるが、それはご自分がやっていることだった。頭が良いとされるプーチン氏も元首相のアホアホ発言と同じなのには、笑ってしまう。プーチン大統領は人道を無視する現代のナチスなのだ。
だから、皆、プーチン・ロシアを嫌っているのだ。嫌っているからこぞってNATOに加盟したがっているのだ。それを“NATOに入るのはケシカラン”として、“力による現状変更”を実施すればますます嫌われるだけなのだ。世界中が嫌っているのだ。それが分からないのが プーチン・ロシアなのだ。

ナチスと言えば、ウクライナ紛争が戦前のスペイン内戦の再現のように見える。当時の英米をはじめとする国際社会がスペインの民主主義派の人民戦線を見捨てて、ピカソが描いた“ゲルニカ”の悲惨が再現しているのだ。そして国際義勇兵が集まっているという。これもヘミングウェイの“誰がために鐘は鳴る”と同じだ。日本人の場合、“日本国民”というのが正しいのだろうが、これに応募・参加すると“私戦予備・陰謀罪”に該当するそうだ。日本人は極端な義侠心を抱いてはならないことになっている。
閑話休題。そのスペイン内戦で枢軸側の勝利の後、第二次世界大戦へと突入したのだ。今回も欧米をはじめとする国際社会がウクライナでは軍事介入せずに見捨てている観がある。そしてネオナチ・プーチンが勝利し、第三次世界大戦の核戦争へと突き進むのだろうか。“マサカ”は現実になることがある・・・楽観視できない。
だがマルクスは“歴史は2度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として”と言ったというが、本当に喜劇で終わればよいが、現実はウクライナの悲劇が既に展開している。

報道は“ウクライナ”一色だが、日本のコロナ禍戦線も膠着している。実効再生産指数が0.96付近から下がりきらない。世界のオミクロン禍とは何だか様相が異なるのではないか。何故なのか、政府は一向にその解明をしようとはせず、説明もしない。
子供の感染増加が問題のようだが、この2月1カ月間で初めて20万人を超えているという。これにより教育機関や施設の臨時閉鎖があり、このため保護者への負担が増加し、その勤務先への影響が結構増しているようだ。
子供への感染が増えているのならば治療・医療態勢をどうするのか、子供へもワクチン1本槍の対応で遠い将来に悪影響はないのか、どのように総合的に考えるのかという公式の見解が、一向に聞こえてこない。この国の政府は一体機能しているのか。何度も言おう。“検査して、治療(保護)する”が原則だが、未だに徹底しないままここまで来た。“「検査して、治療(保護)する」は「国民の権利」だが、そういう意識が政府にも国民の側にも無い”と嘆く識者がいたが、全くその通りだと思う。国民の人権意識が、SDGsが叫ばれる中でも、成熟していないのだ。欧米人から見れば開発途上なのだ。
だから、その中で日本国民は個々人、一人一人で情報を集め、考えて対応して行かなければならないが、それ程賢く自立できているのだろうか。欧米人から見れば開発途上人の日本人は、もっと“民主主義のお勉強”が必要なのだ。その点では、日本人は韓国や台湾の人々にも遅れているような気がしてならない。



さて、先々週は梅小路公園を散策し、意外に楽しかったので紹介したい。京都市下京区での仕事を引き受けたので、ネット・マップで所在地を確かめると京都駅の西側役kmの広大な土地に梅小路公園があるのが分かった。
京都市都市緑化協会のHPには次のようにある。“京都駅から西へ徒歩約15分にありながら人が緑と花で憩える空間として、また災害時には市民の皆さんが避難できる場所として、1995(平成7年4月29日)年から開園している面積約13.7ヘクタールの都市公園です”。
また、Wikipediaによれば、“1990年(平成2年)3月に移転した日本貨物鉄道(JR貨物)梅小路駅(現在の京都貨物駅)の跡地に、平安遷都1200年を記念して作られた京都市営の総合公園である。・・・芝生広場、中央広場、いのちの森、朱雀の庭、緑の館、すざくゆめ広場、市電ひろばなどの施設がある”、とある。
私は、2000年代には丹波口にある京都リサーチパークで、京都府の機関(中小企業技術センター)から品質工学のセミナーを定期的に受講のため通っていたことがあった。その当時は、山陰線の京都駅の次の駅は丹波口駅で、梅小路京都西駅はなかったので変化の大きさに驚いた。この駅は、2019年3月16日に開業したようだ。また当時、梅小路公園の存在すら知らなかった。大阪にあった鉄道博物館がこの辺りに移転したようだ、ということは知ってはいたが、しっかり確かめることはなかったのだった。



仕事は午後からなので、午前中に公園散策ができればよい。実際に、梅小路京都西駅に降り立つと、南西の駐車場の向こうに鉄道博物館の建物が見える。右側には日本の建物のようなものが見えるが、それは元二条駅の駅舎である。子供の頃は普通に鉄道好きだったので、入口まで行って見た。一部の展示車両が外から見える。

山陰線のガード下をくぐって、いよいよ今回目的の梅小路公園に向かう。緑の館を右に見つつ、講演概要を知ろうと、ノコノコ歩く。
左手にはチンチン電車乗り場があった。公園HPにはこのチンチン電車について次のように説明している。“明治28(1985)年から京都の町を走り、市民に愛されていた市電。現在はリチウムイオン電池を動力源として、改造されたレトロな車両が園内を走行しています。”
私が子供だった昭和30年年代後半頃の記憶では大宮通で、走っていたのを見た。運転台が外から丸見えで、見るからに明治時代の電車だと思われ、車体の色デザインが鮮やかで驚いたものだった。この線は、“1972年(昭和47年)1月23日 全線廃止。市バスに転換”とWikipediaにある。
だから、是非この電車を見たかったのだが、休日しか登場しないとのこと。普段は窓のない建物の中に収納されているのだ。残念!それに実際には給電用の架線がないのにはガッカリ!“リチウムイオン電池を動力源”としていれば当然であろう。

それから茂みの中を南に向かう道路があったので、行って見た。茂みを抜けるとJRの広い多数の線路が見える。山陰線、東海道線、一番南が新幹線だ。結構いろいろな車両が頻繁に通過する。左手の茂みが公園の“いのちの森”となる。そのままさらに進むと“芝生の広場”の人工の小川の水辺に出る。下流の小さな池に、鴨が2羽つがいであろう、居たのは驚きだ。本当は“朱雀の庭”に行ってみるつもりだったのが、素通りしていたことを知る。



緑の館に戻ったが、入って見るとレストランなど閉店中で、ひっそり静か。それでも折角なので入場料を払って“朱雀の庭”に入り、眺めることにした。
冬の終わりだったのが残念で、植栽が全て枯れた状態。夏ならば、緑が鮮やかだと思われる。だが、庭の造りは複数の池を中心に広大な印象を与え、素晴らしい。どんどん進んでいくと、自然に“いのちの森”に入って行くことになる。木造の渡り廊下のような構造物を通って茂みの中へ入って行く。やがて小川の水辺と、水田のような場所があり、これが行き着く先のようだ。木造の渡り廊下が再び登場するが、ついに茂みの中の空中回廊になってしまう。再び、JRの広大な線路が広場のように見える。実際に、電車がゴーゴー走っているのに、静かなはずの茂みとの違和感となる。これまた残念!

ドンドン進むとやがて、再び“朱雀の庭”に入り、自ずと庭の北側に出る。先ほど見た池を反対方向から眺めることとなる。
見ると、池の中を1本の土手があり、これを進むべきかのようなので行ってみた。水辺の散策であり、左手に滝、いくつもの流れ落ちる水が見える。飛び石の群れ。向こう岸には上がらず、右手へ逸れると、水鏡と呼ばれる池にでる。それは緑の館のレストランのベランダに繋がっている。レストランは営業していないので、引き返さざるを得ない。
元に戻って、北岸近くになった時、鴨の2組のつがいが右手の池にやって来た。人工の池には彼らのエサはないのではないか。まぁ休んでいるだけなのかも知れない。
小さな庵の風情のある北門から外へ出る。



そこからは、チンチン電車のもう一方の乗り場に出る。そのすぐ隣が市電広場。かつて京都市内を走っていた市電の車体が4両並んでいる。休憩所や売店、カフェになっている。
さらに、東へ行くと水族館の入口に至る。時々、イルカ・プールからの催しのアナウンスが漏れて聞こえる。南側は“芝生の広場”。高校や大学のグラウンドを想起させる広さ。
東の端、北側と南側に公園の出入り口で、チンチン電車が走っていたはずの大宮通に面している。
東端南側に梅林があり、まだ大きくない梅の木が植わっている。花盛りだった。
歩き疲れてベンチを捜して、よたっていると公園に近い引き込み線に偶然にも鉄道博物館からSLがやって来た。ナンバー・プレートを見ると“8630”とあった。調べると、“汽車製造大阪工場製で、1914-06-27 製造→納入”のようだ。気付くと結構な人が集まっていて、こういうイベントは知る人は知ってうのだ、と思った。動輪の数で、B(2軸)、C(3軸)、D(4軸)の区分けをする以前の100年以上古い車体なのだ。



11時を過ぎたが昼食には未だ早いので、“芝生の広場”の南側の水辺のそばのベンチに座って休憩した。
この日、小雨がぱらつき始めた。やがて、11時半ごろ引き上げとした。
来年の仕事では鉄道博物館に行くか、水族館に行くか迷うところだ。

ランチは近くのKYOCA京果会館 2階の京果トレーディングが出しているカフェで牛テール・カレーを頼んだ。これは当たりだった。実は、次の駅・丹波口には京都中央卸売市場がある。だから、こういう会館があるのだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2月鑑賞の映画... そうだ!清水... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。