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環境活動の評価について

先日、“環境経済学入門の手前”で、環境経済学の考え方の端緒に触れました。
後で、感じたことなのですが、私が触れたものは マクロ経済学的で、社会政策論に 傾きすぎているのではないか、と思ったのです。つまり、環境活動の評価推進には ミクロ環境経済学も 必要で このミクロとマクロの両輪が 必要ではないかと思ったのです。
ミクロつまり、個々の環境活動が “合成の誤謬”となって 思わぬ不合理な結果を生まないように、どのように社会的に 繋ぎ合わせるのか という 活動の評価と その社会的システム化が 必要なのではないか、と思うのです。
しかも こういう考え方を 早急に確立する必要が あるはずなのですが、さて 現状はどうなのでしょう。
これは 専門家でない私のような者の 思い付きで ありますので、実際に 問題として取組んでいる方が 居られれば、そして そろそろそういう考え方が 確立されつつあるのなら 問題は少ないと思うのですが。
それでも少ないながら問題はあるのは、そういう考え方が有っても一般社会に浸透していないこと自体が 問題だと 思うのです。

環境活動は 一見 それが地球環境にやさしく見えても、結局は “合成の誤謬”となって大きな環境負荷を社会全体として与えるということが 往々にして あります。つまり トータルの社会システムとして 辻褄が合っていると評価できるかどうか、を 個々に評価しておかなければならない。もし 辻褄が合っていなければ その活動は 当然 抑制されるべきです。それに従来の活動では “合成の誤謬” に気付いた段階で 考え直せば良かったのですが、環境活動に限っては、後から気付いても取り返しがつかないような課題が 多くを占めているように感じますので、この点 留意すべきではないか、と思うのであります。

例えば 自動車排ガスのNOXを抑制するための 触媒材料を製造する段階で 多くのNOXを発生させることが あります。この場合、触媒材料を 製造するためのNOXと それを使うことで抑制できるNOXの量はキチンと比較評価できており、エネルギー経済的にも触媒材料を製造し、使用した方が 地球にやさしい、と言えるのかどうか。
或いは、水素エネルギーを使う技術革新が推進されていますが、この水素ガスは 今のところ水の電気分解で取り出すという方法が一般的のようです。それが本当に 石油エネルギーより地球環境にやさしいものであると トータルで評価できるのか、と言ったような ことです。

これらは、技術的課題に傾いた評価問題ですが、社会システム的な評価が必要な面では 大いに ミクロ環境経済学も 必要なのではないかと思ったのです。

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