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新型インフルエンザ狂騒曲

日本のパンデミック対応に世界中が注目しているという。特に、WHOは “先進国”日本のリスク対応に期待し、注目し、教訓を得ようとしているようだ。
だが日本人、日本の社会は適切な対応をしているのであろうか。

まずこの度のインフルエンザ発症現象が奇妙な印象を受ける。つまり、国内での 感染源があたかも神戸のように見られているが、本当にそうなのか。海外特に北米地域との人の出入りが日本で一番多いのは 港・神戸ではない。日本で 北米地域との人の出入りが一番多いのは 成田空港ではないのか。
なのに なぜ いきなり、神戸のしかも海外渡航経験のない高校生の発症だったのか。関空でも 検疫にひっかかった人物は居ない。まさか、神戸からオリジナル発生した訳でもあるまい。あくまでも この度の 発生地はメキシコ・北米地域なのだ。北米から どういう経路で神戸に到達したのか。空中を飛んで!飛んで!いきなり神戸に至ったと考えるべきなのか。現象論的には 成田経由で日本に侵入したと考えるのが確率論的に最も高いことなのだ。
現に、空港で新型インフルエンザの患者として、ひっかかったのは現在まで成田利用者しかいない。だから成田空港近辺での 新型インフルエンザ・ウィルスの汚染度は 日本で最も高いと考えるのが普通の論理的発想ではないのか。
安全管理で言われるハインリッヒの法則をご存知か。簡単に言えば 1つの問題事例が見つかった近辺には その数十倍の問題件数があると推測するのが普通ではないのか。つまり、感染者が相当数 検疫をすり抜けて、成田空港を中心に関東近県に相当数散らばっていると見て良いはずだ。
にもかかわらず、東京地方では 関西の汚染度が高いと考えている人が殆ど、いや全てのようだ。今、関東では関西人を汚れ人のように見ているという。この対応は決して 論理的・理性的とは言えない。関東の人は、自分たちの背後・周囲が既に汚染されているのではないのかという疑念を持つのが 本来の発想ではないのか。
その上で、誰かが意図的・組織的に真相を隠しているのではないか、と疑うべきではないのか。

意図的・組織的に真相を隠していると言えば、近隣の奈良県の対応が 明らかに怪しい印象だ。
5月18日には千人規模の中高生の学校欠席があったという発表があった。その欠席者に対し、電話による問診で調査するとしていた。どうやら全て新型インフルエンザ陰性と判定したらしいが、電話による問診でどうして陰性と判るのか不思議だ。季節性インフルエンザが5月に増加するというのは奇妙だと思うべきではないのか。
現に奈良県自身が掲示していたインフルエンザの 最近数年のデータ(下図)では4月の中旬から5月にかけて発症事例は急激に減少している。今年だけは 5月も多いというのか。(今年のデータは1月途中でプロットを止めていたのは 何故だったのか???)



関東各地の行政の対応の怪しさも ネット上では多く語られている。これは中央政府がモタモタして明確な指示を迅速に出していないことも一因だろう。

正しい 事態の認識は 5月24日付の朝日新聞1面(大阪本社14版)にでている大阪府対策協議会・奥野良信委員長の冷静な本質を指摘した解説ではないか。
“現在の感染者数は氷山の一角で、実際は少なくともこの10倍はいるだろう。関西以外の都市でも、遺伝子検査を徹底すれば、それなりの規模の感染者が見つかるはずだ。たまたま、関西ではウィルスが高校生の集団に入ったことで一気に広がり、感染が目立った可能性がある。”

弱毒性のインフルエンザだったので、真相・事実を隠蔽することが容易だったかも知れないが、強毒性の鳥インフルエンザの場合は死者が多数発生する。もし隠蔽していれば 問題は拡大する一方だったはずだ。各地の行政が事実を隠蔽していたとして、それに味をしめたとなれば、次に強力なンフルエンザが流行した場合は惨憺たる事態になると予想される。
死者が出れば 現状の日本では火葬処理能力は不足していると聞いている。つまり、一旦 物凄いパンデミックがやってくれば 汚染された遺体が そこら中に放置されるという恐ろしい事態になるのだ。そうなればウィルスは普通に蔓延する。事実を隠蔽すれば 悲惨が悲惨を呼ぶという止め処も無い悲惨の拡大・拡散がはじまることが予想されるのだ。
今回の対応は その重大な懸念を残したと言えまいか。

そういう状態の中で、神戸や大阪の医師と行政は その点で誠実だったと言える。私は その点で神戸市民であったことに大いに安心し満足している。彼らは適切にウィルスの遺伝子チェックも実施しているようだ。彼らは 為すべきことを熟知しており、中央政府の指示を待たず、誠実に 粛々と職務を全うしてくれた。問題を明らかにすれば地元の利害関係者に大きなダメージを与えることになる。現に “神戸まつり”は中止され、神戸の観光都市機能は地に落ちた。だが、日本全体にとっては公表するべき問題であった。彼らは恐れず 事実を明らかにした。この点で 十分に信頼できるし、今の日本にあって賞賛するべき存在だと思うがいかがであろうか。

だが中央の官僚は 適切に迅速に対応していたであろうか。
厚労省の仕事には、感染の経路を特定して、汚染地域を確定することもあるのではないか。そうすることで、各地の警戒態勢のレベルも適切に確定し、指示することができ、全国的な感染の進展を防止することができるはずだ。だが、そのための適切な調査をしているようには見えない。調査はしたが、特定できる能力に欠けていただけなのか。初めから調査もしていないのなら これは明らかにサボタージュ以外の何物でもない。
人々に言われて、初めてノロノロと水際警戒のレベルを下げるだけが仕事ではないはずだ。的確なフォローと迅速な判断が求められる。
さらに 問題は、日本のこの件に関する ヘッド・クウォータは厚労省なのか、内閣官房なのか、どっちなのか明確でないように見えることだ。緊急事態対応には 中心的組織が 迅速に機能し、的確な指示を各現場に出していかなければならないが、それが行われず、各自治体の対応はバラバラ。したがって、インフルエンザ感染数も よく見れば メキシコ同様判然としないものとなっている。つまり、日本は 危機的緊急事態に際して、現場実態を把握する能力も無く、したがって適時的確な対応が何一つとれず、ただ右往左往する大衆が存在するだけの社会であることが明白になったのだ。

こういう事態が真相であるにもかかわらず、日本のマスコミの非理性的対応も いかがなものか。十分に突っ込んだ報道というものが、なされていない。現代の事件・事象は表層を追っかけてばかりでは 問題の本質は見えて来ないのだ。背景に何があるのか、どんな人・組織が隠れているのか、常に監視する社会の木鐸としての存在でなければならない。
ところが、今回も いつものように 国民の蛮性を刺激するだけの存在に堕しているように見える。そしてマスコミによって刺激された人々は 感染者やその関連の組織、つまり学校関係者への“イジメ”の脅迫的行為をしている。こんなことをしていて良いのか。
日本のマスコミは、戦前から 戦後も一向に変化していないのではないのか。大本営発表だけを真に受けて、大衆の蛮性を刺激・扇動するだけの反省の無い存在は不要というより、有害だ。全く 歴史に学んでいないのではないか。

こうして見てくると、日本は 世界の注目に値する動きをしているとは言えない。
先日放映されたNHK特集のジャック・アタリは“日本は世界の「中心都市」にはなりえない”ことを示唆しているかのようだった。確かに 日本は社会が変だというのもあろうが、日本人自身が 最近 特に劣化してきている印象だ。
現代は、古代の大和朝廷や鎌倉幕府、明治政府のような危機管理能力が全く欠如した 日本史上まれな時代なのだ。このままでは、日本は 世界史の主役の座を占めたオランダのようにすらなることは一度もなく、埋没して行くのだろう。というより、何らかの危機に遭遇して あえなく潰え去るだけなのかも知れない。“光は東方より来たり。”そして どんどん日本を過ぎ去って行く。やがてジャパネスクは一部の好事家の趣味の世界を彩るだけのものとなるのだろう。
今、日本の多くの 人々は こう言うのだろう。“そんなこと、どうでも良いことだ。” だが、本当に それで良いのか。何かが変だと思わないのか。

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