The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
北朝鮮のミサイルに対して思う事―あるリベラリストの感慨―
国会が解散されるという。大義名分は全く無い!安倍氏個人のスキャンダル隠し解散と言うのが正しい解釈だろう。
それ以外に様々な法案成立が阻害されるという。それが国益にかなうことなのだろうか。その中でも、私が特に気懸りなのは天皇の御譲位のことだ。国会が空白になることで、皇室会議が開けず御譲位の時期等の決定がいたずらに遅れるということだ。これまでも何度も指摘してきたが、安倍氏は本当に民族派ナショナリストなのだろうか。
そして、もっと気懸りなのが北朝鮮情勢なのだ。特に米大統領の国連演説の内容を巡って、米朝首脳の舌戦は後戻りできないレベルに達しているとの見方がある中で、政治的空白があっても確かに問題ないのだろうか。
さて、北朝鮮問題では日本がするべきことがあるはずだが、何故か日本政府は実行しない。それは北が日本に放ったミサイルを迎撃・殲滅することだ。安倍首相は日頃胸を張って、“国民の生命財産を守る。”とは言うが、何故か日本の上空に飛来するミサイルに対し破壊措置命令を下令しないのだ。そのくせ、一方ではJアラートは発令させていて中途半端な対応だ。
従って、北は日本上空を自由に射爆場として使う権利を獲得したかのように見える。こんな間抜けな“先進国”が他にあるだろうか。所詮、首都圏上空を自由に日本の航空機が飛び回れず米軍がコントロールしている、そんな植民地的国家の防衛力の実態がこれなのだ。北や中国が日本を心底バカにしているとは思わないのだろうか。
日米地位協定とそれに関連する密約は米国とフィリピンやイラクとのそれよりも、より植民地的取り決めになっているというのが現実のようだ。そうした情けない状況が日本政府の外交パフォーマンスのそこかしこに透けて見えるのだ。
先日、ある報道では尖閣周辺海域には中国漁船が多数侵入し、最早日本の公船も入れる状態ではなくなっている、といったようなことを伝えていた。逆に中国公船が規制違反した中国漁船を処罰するという形で、公権力を行使しているのではないか、とも言っていた。つまり、尖閣周辺海域は既に日本の公権力が及ばない状態であり、事実上中国の法規制つまり主権が及んでいるというのだ。日本の防衛政策は毅然としないままに事態を放置しているため、こういった側面でも徐々に現実的に侵害されているのではないだろうか。
北方領土もロシアは日本に領土返還できれば得るものは大きいとは認識しているようだが、相手が半植民地国ではその宗主国がどのような対応に出るか不明なので、プーチンも躊躇しているというのが、実態のようだ。ロシア側が最も懸念していることは、米軍基地が返還された諸島に建設されることなのだ。
しかしそれでも北朝鮮問題で土壇場にある現在、日本は日本上空への北のミサイル発射に対し、ここで毅然として破壊措置をとることを国際的に予め宣言しておくべきだと思うのだ。それは大気圏外で他国の飛翔体破壊は、国際法違反になると言うのだが、単純にそうはならない。むしろ国際法違反は、安保理決議違反を繰り返す北であり、それを阻止し“国民の生命財産を守る。”と国際的に宣明することは、単純には国際法違反になることはないのではないか。むしろ、その行為を理解する諸国は多いだろうと思われる。
そして、現実に北が発射したミサイルを次々と破壊してしまえば困るのは北側ではないのか。つまり折角北が発射実験をしても結果が分かる前に次々と日本が破壊してしまうので、試射の成果を確かめられないことになる。すると、米国に対する反撃力も確認できず、自信を持って脅威を示すことはできなくなるので、彼らは全く困った状態になるはずだ。高価なミサイルを無駄に発射するとなれば、経済力の低い彼らこそ困惑するのではないか。そうなれば逆に、日本は現実的な外交オプションを手に入れることもできるのではないか。安倍首相は、“国民の生命財産を守る。”と言うのならば、真に毅然とした行動に出るべき時ではないのか。
しかし、そうした行為は日本を明確に北のターゲットにすることになり、余計な脅威を背負い込むことになりかねないという議論が出るだろう。しかし、それは間違った議論だ。日本は既にスカッドやノドンによって北のターゲットになっていることや、より長距離のミサイル射爆場と化している不都合な現実を見過ごしている。冷静に現実を見よ。それを看過している愚かな姿を示したがゆえに、北や中国から甘く見られてしまっているのだ。
だが、これも米国から買っているイージス・システムが有効であることが前提となる。日本側にその有効性の自信がないので、それを行使せずに闇のままにしているのではないか。それが現実だというならば、高い買い物を米国から買わされていることになる。日本の当局はっきりとは示さないが、弾道ミサイルの迎撃実験が成功したというのは、データ数は1か2程度だ。ある軍事評論家の評価では、“標的の軌道がほぼ分かっている状態で成功したと言われても、それが実戦では有効とはとても言えない。”とのことだ。N数が20以上なければ統計的評価もできないのは常識である。
客観的に見れば、米国と北朝鮮にまんまと食わされて、バカを見ているのは“お人好し”の日本人ばかりと言うことになるのではないか。新たに陸上設置のイージス・システムを慌てて発注するというのは、税金の無駄遣いばかりではないだろうか。
その上イージス・システムは大気圏外で有効だと言う。大気圏外で他国の飛翔体を撃ち落とせば国際法違反となるならば、イージス・システムはいつまでたっても日本では使えない代物だと言う論理矛盾もあるのではないか。一体正直なところどうなのだろうか。
日本人は何故こういう現実を直視し、正確な実態を確認しようとしないのだろうか。そこまで安保マフィアが影の権力として跋扈しているのか。日本人は現状は極めて深刻な不安全で緊張に満ちた状態にあるという自覚に乏しいのではないのか。だからこそ、首相も含めて呑気な日常を過ごしているとしか、思えないのだ。国連でトランプ氏よりも強行な“必要なのは対話ではない。圧力なのです。”という発言はするが、頭の中は実は“平和ボケ”ではないのか。或いはお得意の御虚しい言葉の羅列が、トランプ氏の御先棒を担いでいるだけに見え、無条件な対米追随の姿勢を世界に示しただけではないか。そんな政府・国家を国連安保理事国に世界が信任するだろうか。
安倍氏はいつも前言を翻したり、心にもないことを言ったりする。消費税の引き上げも何度も1度ならず2度も撤回してしまった。政策が一貫しないのは論理的にはウソをついていることになる。“国民の生命財産を守る。”とは言うものの一度も実行した実例はない。それがライフ・ワークだと公言していたにもかかわらず、北朝鮮拉致被害家族にも臆面もなく“解決は遠い将来だ”という意味の酷い言葉を投げつけている。虚しい言葉だけを繰り返す彼は、いわば嘘吐きそのものなのだ。ウソツキであるにも関わらず首相になれたというのは、いかにも“お人好し”の日本の首相として相応しいと言うことなのだろうか。
こんなウソツキ安倍氏の“丁寧な対応をする”という言葉だけでコロッと支持率が上昇するというのはあきれ返った、オバカな認識であり、マヌケな反応ではないか。だから、安倍氏は私利私欲だけで何でもやりたい放題。下品なスキャンダル隠し解散も平気の朝飯前だ。彼の言う“美しい国”とは汚辱にまみれた嘘で固めた国であり、お仲間だけが繁栄する国家なのだろう。それは国を売っている行為につながることではないか。とてもナショナリストとは思えない。
どうやら、ここで日本も行き着くところまで行かないと肝心なことに気が付かないオバカ国になっている、ということではないか。“愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ”と言うらしいが、先の戦争で酷い経験をしたが、経験者世代が死んで居なくなると歴史に学んでいない人々ばかりになり、再び同じ愚かな状態になるというのが、現在の日本のような気がする。
戦争で酷い経験をした人々は平和主義になったが、それが感情的なものだけだったのであり、冷静な論理で平和を如何に構築するべきかを論じて来なかった。武器を持ってでも毅然として自己を正当に主張する行為そのものを無条件に忌避する性癖に完全に染まってしまい、一途に戦争しないことのみが平和主義だとする風潮が一世風靡した。経験だけに基づく感情論は、変化する現実に的確に対応できないのだ。
私自身はリベラリストでありたいと思っているが、“日本は日本上空への北のミサイル発射に対し、毅然として破壊措置をとることを国際的に宣言するべきだ”等と言えば、一昔前はとんでもない軍国主義者だと罵られる状態だった。だから、日本では軍事・国防を根本のところで冷静に議論できない傾向にあるのではないか。先の民主党政権発足時に“国家戦略会議”を設置しようとしたが、“戦略”が“戦争”を想起させるという意見が出たという笑えない現実があったという。
私は現政権が獲得した集団的自衛権については、極めて怪しい部分があると思っているが、北やその他周辺国の脅威がある限り米国の核の傘は現実的に必要だとは思っている。理想と現実は乖離していて当然だと思うが、常に理想を語りつつ現実に科学的・論理的に対応する姿勢が大切だと思う。
だが、日本政府は“核兵器禁止条約”には拒否的姿勢を世界に明示してしまった。本来は人類史上最初の被爆国として、現実を是認しつつせめてその精神にもっと理解を示す姿勢を取るべきではなかったかと思うのだ。米国に対しそこまで卑屈になる姿勢は、マヌケな“忖度”だと思うのだ。現実は矛盾するものであるし、それを是認しつつ一時的に曖昧な姿勢を示すのも、ある種の“毅然”とした対応だと思うし、その苦しい姿勢は世界の良心も理解してくれるのではないか。
何よりも卑屈なまま、対米追従を見直そうとしないナショナリスト・アベに強い不信を抱くのである。そして日本国民の安倍氏に対する支持率がトランプ大統領よりも高いと言う事実に唖然としてしまうのだ。
前文で昨今の安倍政権日本政府の対応について少々不満を述べて、考えていた原稿を作ろうと思ったが、その前文が思わず長くなってしまい、これを本文としてしまった。考えていた原稿は先送りしたいと思う。その間も平穏な日常が過ぎ、とんでもない事件が起こらないことを願うばかりだ。
それ以外に様々な法案成立が阻害されるという。それが国益にかなうことなのだろうか。その中でも、私が特に気懸りなのは天皇の御譲位のことだ。国会が空白になることで、皇室会議が開けず御譲位の時期等の決定がいたずらに遅れるということだ。これまでも何度も指摘してきたが、安倍氏は本当に民族派ナショナリストなのだろうか。
そして、もっと気懸りなのが北朝鮮情勢なのだ。特に米大統領の国連演説の内容を巡って、米朝首脳の舌戦は後戻りできないレベルに達しているとの見方がある中で、政治的空白があっても確かに問題ないのだろうか。
さて、北朝鮮問題では日本がするべきことがあるはずだが、何故か日本政府は実行しない。それは北が日本に放ったミサイルを迎撃・殲滅することだ。安倍首相は日頃胸を張って、“国民の生命財産を守る。”とは言うが、何故か日本の上空に飛来するミサイルに対し破壊措置命令を下令しないのだ。そのくせ、一方ではJアラートは発令させていて中途半端な対応だ。
従って、北は日本上空を自由に射爆場として使う権利を獲得したかのように見える。こんな間抜けな“先進国”が他にあるだろうか。所詮、首都圏上空を自由に日本の航空機が飛び回れず米軍がコントロールしている、そんな植民地的国家の防衛力の実態がこれなのだ。北や中国が日本を心底バカにしているとは思わないのだろうか。
日米地位協定とそれに関連する密約は米国とフィリピンやイラクとのそれよりも、より植民地的取り決めになっているというのが現実のようだ。そうした情けない状況が日本政府の外交パフォーマンスのそこかしこに透けて見えるのだ。
先日、ある報道では尖閣周辺海域には中国漁船が多数侵入し、最早日本の公船も入れる状態ではなくなっている、といったようなことを伝えていた。逆に中国公船が規制違反した中国漁船を処罰するという形で、公権力を行使しているのではないか、とも言っていた。つまり、尖閣周辺海域は既に日本の公権力が及ばない状態であり、事実上中国の法規制つまり主権が及んでいるというのだ。日本の防衛政策は毅然としないままに事態を放置しているため、こういった側面でも徐々に現実的に侵害されているのではないだろうか。
北方領土もロシアは日本に領土返還できれば得るものは大きいとは認識しているようだが、相手が半植民地国ではその宗主国がどのような対応に出るか不明なので、プーチンも躊躇しているというのが、実態のようだ。ロシア側が最も懸念していることは、米軍基地が返還された諸島に建設されることなのだ。
しかしそれでも北朝鮮問題で土壇場にある現在、日本は日本上空への北のミサイル発射に対し、ここで毅然として破壊措置をとることを国際的に予め宣言しておくべきだと思うのだ。それは大気圏外で他国の飛翔体破壊は、国際法違反になると言うのだが、単純にそうはならない。むしろ国際法違反は、安保理決議違反を繰り返す北であり、それを阻止し“国民の生命財産を守る。”と国際的に宣明することは、単純には国際法違反になることはないのではないか。むしろ、その行為を理解する諸国は多いだろうと思われる。
そして、現実に北が発射したミサイルを次々と破壊してしまえば困るのは北側ではないのか。つまり折角北が発射実験をしても結果が分かる前に次々と日本が破壊してしまうので、試射の成果を確かめられないことになる。すると、米国に対する反撃力も確認できず、自信を持って脅威を示すことはできなくなるので、彼らは全く困った状態になるはずだ。高価なミサイルを無駄に発射するとなれば、経済力の低い彼らこそ困惑するのではないか。そうなれば逆に、日本は現実的な外交オプションを手に入れることもできるのではないか。安倍首相は、“国民の生命財産を守る。”と言うのならば、真に毅然とした行動に出るべき時ではないのか。
しかし、そうした行為は日本を明確に北のターゲットにすることになり、余計な脅威を背負い込むことになりかねないという議論が出るだろう。しかし、それは間違った議論だ。日本は既にスカッドやノドンによって北のターゲットになっていることや、より長距離のミサイル射爆場と化している不都合な現実を見過ごしている。冷静に現実を見よ。それを看過している愚かな姿を示したがゆえに、北や中国から甘く見られてしまっているのだ。
だが、これも米国から買っているイージス・システムが有効であることが前提となる。日本側にその有効性の自信がないので、それを行使せずに闇のままにしているのではないか。それが現実だというならば、高い買い物を米国から買わされていることになる。日本の当局はっきりとは示さないが、弾道ミサイルの迎撃実験が成功したというのは、データ数は1か2程度だ。ある軍事評論家の評価では、“標的の軌道がほぼ分かっている状態で成功したと言われても、それが実戦では有効とはとても言えない。”とのことだ。N数が20以上なければ統計的評価もできないのは常識である。
客観的に見れば、米国と北朝鮮にまんまと食わされて、バカを見ているのは“お人好し”の日本人ばかりと言うことになるのではないか。新たに陸上設置のイージス・システムを慌てて発注するというのは、税金の無駄遣いばかりではないだろうか。
その上イージス・システムは大気圏外で有効だと言う。大気圏外で他国の飛翔体を撃ち落とせば国際法違反となるならば、イージス・システムはいつまでたっても日本では使えない代物だと言う論理矛盾もあるのではないか。一体正直なところどうなのだろうか。
日本人は何故こういう現実を直視し、正確な実態を確認しようとしないのだろうか。そこまで安保マフィアが影の権力として跋扈しているのか。日本人は現状は極めて深刻な不安全で緊張に満ちた状態にあるという自覚に乏しいのではないのか。だからこそ、首相も含めて呑気な日常を過ごしているとしか、思えないのだ。国連でトランプ氏よりも強行な“必要なのは対話ではない。圧力なのです。”という発言はするが、頭の中は実は“平和ボケ”ではないのか。或いはお得意の御虚しい言葉の羅列が、トランプ氏の御先棒を担いでいるだけに見え、無条件な対米追随の姿勢を世界に示しただけではないか。そんな政府・国家を国連安保理事国に世界が信任するだろうか。
安倍氏はいつも前言を翻したり、心にもないことを言ったりする。消費税の引き上げも何度も1度ならず2度も撤回してしまった。政策が一貫しないのは論理的にはウソをついていることになる。“国民の生命財産を守る。”とは言うものの一度も実行した実例はない。それがライフ・ワークだと公言していたにもかかわらず、北朝鮮拉致被害家族にも臆面もなく“解決は遠い将来だ”という意味の酷い言葉を投げつけている。虚しい言葉だけを繰り返す彼は、いわば嘘吐きそのものなのだ。ウソツキであるにも関わらず首相になれたというのは、いかにも“お人好し”の日本の首相として相応しいと言うことなのだろうか。
こんなウソツキ安倍氏の“丁寧な対応をする”という言葉だけでコロッと支持率が上昇するというのはあきれ返った、オバカな認識であり、マヌケな反応ではないか。だから、安倍氏は私利私欲だけで何でもやりたい放題。下品なスキャンダル隠し解散も平気の朝飯前だ。彼の言う“美しい国”とは汚辱にまみれた嘘で固めた国であり、お仲間だけが繁栄する国家なのだろう。それは国を売っている行為につながることではないか。とてもナショナリストとは思えない。
どうやら、ここで日本も行き着くところまで行かないと肝心なことに気が付かないオバカ国になっている、ということではないか。“愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ”と言うらしいが、先の戦争で酷い経験をしたが、経験者世代が死んで居なくなると歴史に学んでいない人々ばかりになり、再び同じ愚かな状態になるというのが、現在の日本のような気がする。
戦争で酷い経験をした人々は平和主義になったが、それが感情的なものだけだったのであり、冷静な論理で平和を如何に構築するべきかを論じて来なかった。武器を持ってでも毅然として自己を正当に主張する行為そのものを無条件に忌避する性癖に完全に染まってしまい、一途に戦争しないことのみが平和主義だとする風潮が一世風靡した。経験だけに基づく感情論は、変化する現実に的確に対応できないのだ。
私自身はリベラリストでありたいと思っているが、“日本は日本上空への北のミサイル発射に対し、毅然として破壊措置をとることを国際的に宣言するべきだ”等と言えば、一昔前はとんでもない軍国主義者だと罵られる状態だった。だから、日本では軍事・国防を根本のところで冷静に議論できない傾向にあるのではないか。先の民主党政権発足時に“国家戦略会議”を設置しようとしたが、“戦略”が“戦争”を想起させるという意見が出たという笑えない現実があったという。
私は現政権が獲得した集団的自衛権については、極めて怪しい部分があると思っているが、北やその他周辺国の脅威がある限り米国の核の傘は現実的に必要だとは思っている。理想と現実は乖離していて当然だと思うが、常に理想を語りつつ現実に科学的・論理的に対応する姿勢が大切だと思う。
だが、日本政府は“核兵器禁止条約”には拒否的姿勢を世界に明示してしまった。本来は人類史上最初の被爆国として、現実を是認しつつせめてその精神にもっと理解を示す姿勢を取るべきではなかったかと思うのだ。米国に対しそこまで卑屈になる姿勢は、マヌケな“忖度”だと思うのだ。現実は矛盾するものであるし、それを是認しつつ一時的に曖昧な姿勢を示すのも、ある種の“毅然”とした対応だと思うし、その苦しい姿勢は世界の良心も理解してくれるのではないか。
何よりも卑屈なまま、対米追従を見直そうとしないナショナリスト・アベに強い不信を抱くのである。そして日本国民の安倍氏に対する支持率がトランプ大統領よりも高いと言う事実に唖然としてしまうのだ。
前文で昨今の安倍政権日本政府の対応について少々不満を述べて、考えていた原稿を作ろうと思ったが、その前文が思わず長くなってしまい、これを本文としてしまった。考えていた原稿は先送りしたいと思う。その間も平穏な日常が過ぎ、とんでもない事件が起こらないことを願うばかりだ。
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