The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
冨山和彦著“ビッグチャンス―追い風の今、日本企業がやるべきこと”を読んで
冨山和彦氏の最新書であり、副題の“追い風の今、日本企業がやるべきこと”が気になったので読んでみた。果たして、日本企業にとって今が追い風とはどういう認識から来ているのか知りたかったのだ。読んでみて、実に読み応えのある本であると分かった。時代の風を敏感に感じ、その風の本質を見極める力がいかに大切であるかを具体的に示してくれている。日本の会社経営の問題点と今後のあるべき姿を示していると思った。
主張のエッセンスはまえがきにあり、次の通りである。
“会社組織をコンピュータシステムにたとえるなら、戦略やビジネスモデルは、会社の基本アーキテクチャを構成するCPUやメモリ、あるいは基本OS (オペレーティングシステム)に相当する仕組みの上を走るプログラムにすぎない。その基本アーキテクチャ、会社のカタチが時代遅れになっているところに、いくら革新的な戦略や斬新なビジネスモデルを適用しても、そのプログラムはうまく走らない。新しい戦略や事業モデルの革新性や斬新性が高まるほど、むしろシステムの不整合は深まるのである。
組織のハード面(構造や制度)、ソフト面(価値観や行動様式)の両面、言わば「組織の基本0S」の次元において、日本ベースの企業のDNAの根源的な強みを生かしつつ、デジタル革命とフル・グローバリゼーションが進展する、何を捨てて、何を残すべきなのか。求められるのは鮮烈なる「あれかこれか」の選択である。
そして自分たちのコア中のコアコンピタンス、言わば遺伝子レベルに根ざした特長を生かせる事業ドメインや事業モデルは何なのか。これまた厳しい「あれかこれか」の選択である。”
“「あれかこれか」という、言わば西洋的な二元論、日本人が必ずしも得意としない厳しい選択を乗り越えたその先において、「あれもこれも」の和魂的なすり合わせ力を発揮し、オペレーショナルな卓越性を再構築していけば、必ず未来は拓けていく。従来の日本的経営も、かつて私たちの大先輩が「和魂洋才」の精神で創造したものであった。今、二十一世紀において、新たなる「和魂洋才」による創造力を、私たちの世代は問われているのだ。”
そして先ず、如何に“その基本アーキテクチャ、会社のカタチが時代遅れになっている”かを日本の代表的家電ITメーカのソニーを例にして説明している。
ソニーも元は、創業者・オーナー経営者の1人である盛田氏の下で冒険的で革新的であった。しかし規模が大きくなり経営者も創業者ではなくサラリーマン社長になって普通の会社になった。これを問題と見たサラリーマン社長の代表格・出井氏は縷々改革を試みたが、その革新性にOB等も加わって抵抗することになり、不徹底となった。
そして、“組織の基本オペレーティングシステム(OS)とも言うべき部分が「古くて大きい」会社のまま、上澄みの部分だけ最新の欧米型アプリケーションを載せても、思いどおりに機能させることは難しかったはずだ。会社のカタチ全体としてのモデル転換はなかなか進まないのである。
そこに、「グローバル化」と「デジタル革命」という二つの大波は、ますます大きくなって押し寄せ続ける。さらに、問題解決の一部を外部のソリューション開発業者に委ねる、あるいは会社の垣根を越えた会社と会社、会社と個人、個人と個人の共働・共創によつて画期的な製品やサービスを生み出す「オープンイノベーション」と呼ばれる新しいアプローチが世界中で盛んになる。
オープンイノベーションは、日本企業に伝統的な「クローズドモデル」わかりやすく言えば「自前主義」よりも時間効率的かつ革新的で、自社開発にこだわる日本企業をあつという間に周回遅れにしてしまう。特に若い感性によるひらめきと、スピーディーな実行力が問われるB2Cの世界では、日本の大手電機メーカーは、あらゆる面で不利な状況に置かれた。すつかり様変わりした新しいゲームでは、若く独裁的なカリスマ経営者が率いるベンチヤー企業(=若くて小さい会社)が有利となっていたのである。
しかもこの自前主義傾向は、技術力や革新力に自信を持っているプライドの高い組織集団ほど顕著だ。ソニーにも自前主義が蔓延していただろうことは、想像にかたくない。”
要するに、ソニーは「グローバル化」と「デジタル革命」という二つの大波によって可能となった「オープンイノベーション」を巧みに取り入れることができず、グローバル・メガ・コンペティションに取り残されたのだ。これは、ソニー以外の日本企業にも押しなべて見られた状況である。
さらに日本企業の問題点の指摘は続く。日本の自動車メーカーが破竹の進撃を続けていた頃、米国の自動車メーカーには“「覇者の騎り」が、ありのままの現実をありのままに受け入れる能力を失わせていた”ものだったが、それと同じ認識状態が世界市場特にアジアのマーケットに進出する多くの日本企業に見られた、という。ところが、欧米や韓国の企業はアジアのマーケットに進出するにあたって日本企業への学習効果もあり、この点を上手くクリアしていたという。つまり、少なからず日本企業に「覇者の騎り」があった、ということ。正に“人間は失敗からは学べるが、成功からは学べないのだ。”と言っている。
極めつけは、世界の著名なベンチャー経営者から見られている日本企業の姿だ。“「日本の『クソ』サラリーマン企業と組むと、意思決定は遅くなるわ、ダウンサイドリスクばかり気にして何もできなくなるわ、あげくに何かあって訴えられでもしたらベンチャー経営者が個人で賠償しろという契約書まで押しつけられるわで、ろくなことはない」という経験談だった。”
そんな日本企業でも現在元気なところを次のように類型化している。いずれも変化に応じて継続的革新をしている。
“第一のグループは、オーナー創業経営者が率いる新興企業群であり、ソフトバンクや楽天、ユニクロを展開するファーストリテイリングがその典型だ。
・・・・・・・・・
第二のグループは、特に製造業においてうまく「グローバル化」に対応したニッチ優良企業であり、「Small But Global No.1」(小さくてもグローバルで一番と、あるいはグローバルニッチトップを実現した企業群である。たとえば、携帯電話向けの高機能コネクタを製造するヒロセ電機や、医療。歯科治療向け機器メーカーのマニー・・・オムロンも、制御系技術をコアコンピタンスにした数多くの「Small But Global No.1」な製品や事業群の集合体で構成されている企業である。
・・・・・・・・・
第三のグループは、伝統的な大企業でありながら成功の呪いを克服し、強力なリーダーシツプのもとで抜本的な社内改革を成し遂げた企業群であり、コマツ、ダイキン、ブリヂストン、信越化学などの例があげられる。そしてデジタル化によって従来のコア事業である銀塩フィルム事業が消失するという、ソニー以上の危機に瀕した富士フイルムも、強力なリーダーのもとで見事な事業構造転換を成し遂げて、この第三グループに入りつつある。”
そして、次のように解説する。
“企業組織の芯の部分の変革を不可逆的な次元まで貫徹するには、やはり顔の見える強力なトップが、それなりの長期間、改革を継続し、それがさらにまた次の世代にバトンタッチされていくことが必要である。この点もこれらの優等生企業の共通項である。
そして最後に、これらのグローバル優等生企業は、いずれも製造業であり、日本型のボトムアツプな現場力、技術力、集団としての戦闘力をコアコンピタンスと位置づけているという意味で、まったくもって日本的な経営をやっている会社である。
今どきの経営環境において世界で勝ち続けられる新たな組織の基本OSを構築することと、日本型企業のDNAの強みを最大の武器とすることとは、まったく矛盾しないのである。”
企業のコアのコア・コンピタンスを厳しく問い直し、それを尊重し事業のコアに据え、“普段から大騒ぎをせずに粛々と、いらなくなった事業や機能を売却したり、そこから手を引いたりする仕組みをつくりあげる必要があるのだ。結局、問題はハード面(ガバナンスや組織人事制度)、ソフト面(組織構成員の価値観、行動様式、期待感)の両面としての会社のカタチそのものが、事業や機能をリシャッフルしやすいカタチになっているか”というところが肝だと言う。
また難しいいらなくなった事業や機能の売却は好調期にすることが、売却される事業やその従業員には良い事だと言っている。それができなければ、革新は難しくなると言っている。これを上手くやった実例がトヨタのオーストラリアでの事業であり、JTのたばこ部門の縮小再編成であったという。
また買収もタイミングが大切なので、一方で売却を検討している時に折角持ち込まれた買収案件に取り掛かるのを情においてはばかるというのは問題姿勢だと言っている。企業経営は非情でなければならない。
革新に当たってウォッチングするべき経営指標は、“相対シェアの低下と付加価値率の減少”が重要だが、さらに突っ込んで“事業ごとの付加価値率、さらにはそれを構成する製品やサービスごとの付加価値率を構造的に把握して、事業を取捨選択するときのメルクマールにしている会社はあまりない。”
最近注目されているROE(Return On Equity 自己資本利益率)も大切だがこれよりも、ROIC(Return On Invested Capital投下資本利益率)やROS(Rate of Sales売上高営業利益率)を重視することが良いと言っている。そして、“この三つの指標で10%(トリプルテン)が一つのベンチマークになる”としている。
所詮事業は、儲かるか儲からないかであり、“この価値基準がさつぱりとしている人は、判断が早いし、ブレない。”こういう経営者がいること自体が競争優位であるとさえ言いきっている。
冨田氏はまた企業革新において社外取締役の役割を重視している。“日本の場合、ガバナンスは作為の暴走と不作為の暴走の両方に有効に機能しなくてはならない。ムラ型メンタリティーの罠に陥りやすい日本企業でこそ、健全な外圧の担い手として、社外(独立)取締役の存在意義とその責任はより重いのである。”冨山氏は他の本でも日本の経営者は暴走よりも不作為の罪が大きいと説く。そこで企業のムラ文化に染まらず、不作為を咎める社外取締役の価値は大きいと言っている。“先進国はもちろん韓国や中国と比べても、最も社外取締役の義務化が遅れたのが日本である。”ここでも「覇者の驕り」はすべからく速やかに捨て去るべきだ。
それ以外に、人事政策に話が及ぶ。そして、“団塊の世代が会社を去った今こそ、改革を進めるチャンスなのだ。人手が余っているときよりも足りないときのほうが、組織のOSは書き換えやすい。しかも、今は生産年齢人口が減ったことによる人手不足が顕在化している。団塊の世代がいなくなり、ある日突然、巨大な脂肪の塊がボコッととれて、むしろ痩せすぎではないかというぐらい体脂肪率が急激に落ちた。今は過少体脂肪状態で、ちょっと遭難するとすぐに飢えてしまうほどだ。会社のカタチを21世紀バージョンヘ、Gモードバージョンヘと転換するビッグチャンス到来である。”と言い放つ。
そういう今をのがさず、“基本OSを切り替えるというのは、やはり並大抵のことではない。時間をかけて少しずつ変えていく必要がある。仕組みを変えるといってもいきなり全部が切り替わるのではなく、段階を踏んで、徐々に制度化されていくものだ。現実の人間にはそこまで適応能力がないので、時間をかけて少しずつ変えていかなければならないのだ。
総論としては多くの人々がその必要性は理解しているので、改革を始めること自体のハードルは、実は思っているほど高くない。だが、本当に会社のカタチが変わっていくには時間がかかるのは間違いないので、早めに手をつけなければいけない。早めに手をつけたら、諦めずにコツコツと着実に山を登っていく。今度は持続力の勝負になる。大事なのは、しつこく続けること”だと言う。成功したコマツやブリジストンの改革も地味で息の長いものだったと指摘している。
さらに、米国の企業を引き合いに今や“フォーチュントツプ100の上位に食い込んでいる米国企業の大半、そして時価総額トップクラスには、ソフトウェアも含めてモノづくり系の企業、いわゆるfinancial companiesではなく、industrial companiesがずらりと並んでいる。こうした企業のコアバリュー、真の付加価値を生んでいる工程の多くは、米国内に存在する。インダストリー(産業)の世界も、とっくに知識集約型産業に移行してきているため、その工程は、研究開発プロセスだったり、生産技術開発をやっているマザーエ場だったり、あるいは企画マーケティング機能だったりするので、伝統的なモノづくり現場ではない場合が多い。”とも言っている。これは日本のメーカーの目指すべき姿だろう。
また、冨田氏は これから40~50年の近い将来の世界経済の成長セクターを考えた場合の地理的位置や、政治的経済的インフラの整備状態を考えた場合の日本の優位性は大きいと説く。
さらに、“生産労働人口の減少で深刻かつ慢性的な人手不足に陥っていく日本においては、社会福祉分野、交通。運輸、卸売。小売など、労働集約的で人手不足の打撃を深刻に受けるサービス産業での自動化ニーズもきわめて強烈である。
こうした話は、高齢化に伴う予防医療強化の必要性や、食品への安全安心への社会的要求度の高まり、あるいは深刻な人手不足といった、日本社会が直面している社会的な課題ともリンクしている。課題最先進社会の日本において、イノベーションを起こすことによって、こうした問題を解決できれば、それは全世界に展開できる可能性がきわめて高い。”
そういう背景で、“(プロセス革新後の)「オープンイノベーション」と(従来の日本的)「統合型・すり合わせ型アプローチ」をうまく共存させて、いかにアウフヘーベンできるか。この二つは二律背反ではなく、力のある日本企業が本気で取り組めば、必ず両立できる(括弧内:筆者注)”として、これから40~50年が日本のビッグ・チャンスなのだと説いている。ほとんど終わりの部分になってようやく、本の表題の意味が理解できたのである。
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主張のエッセンスはまえがきにあり、次の通りである。
“会社組織をコンピュータシステムにたとえるなら、戦略やビジネスモデルは、会社の基本アーキテクチャを構成するCPUやメモリ、あるいは基本OS (オペレーティングシステム)に相当する仕組みの上を走るプログラムにすぎない。その基本アーキテクチャ、会社のカタチが時代遅れになっているところに、いくら革新的な戦略や斬新なビジネスモデルを適用しても、そのプログラムはうまく走らない。新しい戦略や事業モデルの革新性や斬新性が高まるほど、むしろシステムの不整合は深まるのである。
組織のハード面(構造や制度)、ソフト面(価値観や行動様式)の両面、言わば「組織の基本0S」の次元において、日本ベースの企業のDNAの根源的な強みを生かしつつ、デジタル革命とフル・グローバリゼーションが進展する、何を捨てて、何を残すべきなのか。求められるのは鮮烈なる「あれかこれか」の選択である。
そして自分たちのコア中のコアコンピタンス、言わば遺伝子レベルに根ざした特長を生かせる事業ドメインや事業モデルは何なのか。これまた厳しい「あれかこれか」の選択である。”
“「あれかこれか」という、言わば西洋的な二元論、日本人が必ずしも得意としない厳しい選択を乗り越えたその先において、「あれもこれも」の和魂的なすり合わせ力を発揮し、オペレーショナルな卓越性を再構築していけば、必ず未来は拓けていく。従来の日本的経営も、かつて私たちの大先輩が「和魂洋才」の精神で創造したものであった。今、二十一世紀において、新たなる「和魂洋才」による創造力を、私たちの世代は問われているのだ。”
そして先ず、如何に“その基本アーキテクチャ、会社のカタチが時代遅れになっている”かを日本の代表的家電ITメーカのソニーを例にして説明している。
ソニーも元は、創業者・オーナー経営者の1人である盛田氏の下で冒険的で革新的であった。しかし規模が大きくなり経営者も創業者ではなくサラリーマン社長になって普通の会社になった。これを問題と見たサラリーマン社長の代表格・出井氏は縷々改革を試みたが、その革新性にOB等も加わって抵抗することになり、不徹底となった。
そして、“組織の基本オペレーティングシステム(OS)とも言うべき部分が「古くて大きい」会社のまま、上澄みの部分だけ最新の欧米型アプリケーションを載せても、思いどおりに機能させることは難しかったはずだ。会社のカタチ全体としてのモデル転換はなかなか進まないのである。
そこに、「グローバル化」と「デジタル革命」という二つの大波は、ますます大きくなって押し寄せ続ける。さらに、問題解決の一部を外部のソリューション開発業者に委ねる、あるいは会社の垣根を越えた会社と会社、会社と個人、個人と個人の共働・共創によつて画期的な製品やサービスを生み出す「オープンイノベーション」と呼ばれる新しいアプローチが世界中で盛んになる。
オープンイノベーションは、日本企業に伝統的な「クローズドモデル」わかりやすく言えば「自前主義」よりも時間効率的かつ革新的で、自社開発にこだわる日本企業をあつという間に周回遅れにしてしまう。特に若い感性によるひらめきと、スピーディーな実行力が問われるB2Cの世界では、日本の大手電機メーカーは、あらゆる面で不利な状況に置かれた。すつかり様変わりした新しいゲームでは、若く独裁的なカリスマ経営者が率いるベンチヤー企業(=若くて小さい会社)が有利となっていたのである。
しかもこの自前主義傾向は、技術力や革新力に自信を持っているプライドの高い組織集団ほど顕著だ。ソニーにも自前主義が蔓延していただろうことは、想像にかたくない。”
要するに、ソニーは「グローバル化」と「デジタル革命」という二つの大波によって可能となった「オープンイノベーション」を巧みに取り入れることができず、グローバル・メガ・コンペティションに取り残されたのだ。これは、ソニー以外の日本企業にも押しなべて見られた状況である。
さらに日本企業の問題点の指摘は続く。日本の自動車メーカーが破竹の進撃を続けていた頃、米国の自動車メーカーには“「覇者の騎り」が、ありのままの現実をありのままに受け入れる能力を失わせていた”ものだったが、それと同じ認識状態が世界市場特にアジアのマーケットに進出する多くの日本企業に見られた、という。ところが、欧米や韓国の企業はアジアのマーケットに進出するにあたって日本企業への学習効果もあり、この点を上手くクリアしていたという。つまり、少なからず日本企業に「覇者の騎り」があった、ということ。正に“人間は失敗からは学べるが、成功からは学べないのだ。”と言っている。
極めつけは、世界の著名なベンチャー経営者から見られている日本企業の姿だ。“「日本の『クソ』サラリーマン企業と組むと、意思決定は遅くなるわ、ダウンサイドリスクばかり気にして何もできなくなるわ、あげくに何かあって訴えられでもしたらベンチャー経営者が個人で賠償しろという契約書まで押しつけられるわで、ろくなことはない」という経験談だった。”
そんな日本企業でも現在元気なところを次のように類型化している。いずれも変化に応じて継続的革新をしている。
“第一のグループは、オーナー創業経営者が率いる新興企業群であり、ソフトバンクや楽天、ユニクロを展開するファーストリテイリングがその典型だ。
・・・・・・・・・
第二のグループは、特に製造業においてうまく「グローバル化」に対応したニッチ優良企業であり、「Small But Global No.1」(小さくてもグローバルで一番と、あるいはグローバルニッチトップを実現した企業群である。たとえば、携帯電話向けの高機能コネクタを製造するヒロセ電機や、医療。歯科治療向け機器メーカーのマニー・・・オムロンも、制御系技術をコアコンピタンスにした数多くの「Small But Global No.1」な製品や事業群の集合体で構成されている企業である。
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第三のグループは、伝統的な大企業でありながら成功の呪いを克服し、強力なリーダーシツプのもとで抜本的な社内改革を成し遂げた企業群であり、コマツ、ダイキン、ブリヂストン、信越化学などの例があげられる。そしてデジタル化によって従来のコア事業である銀塩フィルム事業が消失するという、ソニー以上の危機に瀕した富士フイルムも、強力なリーダーのもとで見事な事業構造転換を成し遂げて、この第三グループに入りつつある。”
そして、次のように解説する。
“企業組織の芯の部分の変革を不可逆的な次元まで貫徹するには、やはり顔の見える強力なトップが、それなりの長期間、改革を継続し、それがさらにまた次の世代にバトンタッチされていくことが必要である。この点もこれらの優等生企業の共通項である。
そして最後に、これらのグローバル優等生企業は、いずれも製造業であり、日本型のボトムアツプな現場力、技術力、集団としての戦闘力をコアコンピタンスと位置づけているという意味で、まったくもって日本的な経営をやっている会社である。
今どきの経営環境において世界で勝ち続けられる新たな組織の基本OSを構築することと、日本型企業のDNAの強みを最大の武器とすることとは、まったく矛盾しないのである。”
企業のコアのコア・コンピタンスを厳しく問い直し、それを尊重し事業のコアに据え、“普段から大騒ぎをせずに粛々と、いらなくなった事業や機能を売却したり、そこから手を引いたりする仕組みをつくりあげる必要があるのだ。結局、問題はハード面(ガバナンスや組織人事制度)、ソフト面(組織構成員の価値観、行動様式、期待感)の両面としての会社のカタチそのものが、事業や機能をリシャッフルしやすいカタチになっているか”というところが肝だと言う。
また難しいいらなくなった事業や機能の売却は好調期にすることが、売却される事業やその従業員には良い事だと言っている。それができなければ、革新は難しくなると言っている。これを上手くやった実例がトヨタのオーストラリアでの事業であり、JTのたばこ部門の縮小再編成であったという。
また買収もタイミングが大切なので、一方で売却を検討している時に折角持ち込まれた買収案件に取り掛かるのを情においてはばかるというのは問題姿勢だと言っている。企業経営は非情でなければならない。
革新に当たってウォッチングするべき経営指標は、“相対シェアの低下と付加価値率の減少”が重要だが、さらに突っ込んで“事業ごとの付加価値率、さらにはそれを構成する製品やサービスごとの付加価値率を構造的に把握して、事業を取捨選択するときのメルクマールにしている会社はあまりない。”
最近注目されているROE(Return On Equity 自己資本利益率)も大切だがこれよりも、ROIC(Return On Invested Capital投下資本利益率)やROS(Rate of Sales売上高営業利益率)を重視することが良いと言っている。そして、“この三つの指標で10%(トリプルテン)が一つのベンチマークになる”としている。
所詮事業は、儲かるか儲からないかであり、“この価値基準がさつぱりとしている人は、判断が早いし、ブレない。”こういう経営者がいること自体が競争優位であるとさえ言いきっている。
冨田氏はまた企業革新において社外取締役の役割を重視している。“日本の場合、ガバナンスは作為の暴走と不作為の暴走の両方に有効に機能しなくてはならない。ムラ型メンタリティーの罠に陥りやすい日本企業でこそ、健全な外圧の担い手として、社外(独立)取締役の存在意義とその責任はより重いのである。”冨山氏は他の本でも日本の経営者は暴走よりも不作為の罪が大きいと説く。そこで企業のムラ文化に染まらず、不作為を咎める社外取締役の価値は大きいと言っている。“先進国はもちろん韓国や中国と比べても、最も社外取締役の義務化が遅れたのが日本である。”ここでも「覇者の驕り」はすべからく速やかに捨て去るべきだ。
それ以外に、人事政策に話が及ぶ。そして、“団塊の世代が会社を去った今こそ、改革を進めるチャンスなのだ。人手が余っているときよりも足りないときのほうが、組織のOSは書き換えやすい。しかも、今は生産年齢人口が減ったことによる人手不足が顕在化している。団塊の世代がいなくなり、ある日突然、巨大な脂肪の塊がボコッととれて、むしろ痩せすぎではないかというぐらい体脂肪率が急激に落ちた。今は過少体脂肪状態で、ちょっと遭難するとすぐに飢えてしまうほどだ。会社のカタチを21世紀バージョンヘ、Gモードバージョンヘと転換するビッグチャンス到来である。”と言い放つ。
そういう今をのがさず、“基本OSを切り替えるというのは、やはり並大抵のことではない。時間をかけて少しずつ変えていく必要がある。仕組みを変えるといってもいきなり全部が切り替わるのではなく、段階を踏んで、徐々に制度化されていくものだ。現実の人間にはそこまで適応能力がないので、時間をかけて少しずつ変えていかなければならないのだ。
総論としては多くの人々がその必要性は理解しているので、改革を始めること自体のハードルは、実は思っているほど高くない。だが、本当に会社のカタチが変わっていくには時間がかかるのは間違いないので、早めに手をつけなければいけない。早めに手をつけたら、諦めずにコツコツと着実に山を登っていく。今度は持続力の勝負になる。大事なのは、しつこく続けること”だと言う。成功したコマツやブリジストンの改革も地味で息の長いものだったと指摘している。
さらに、米国の企業を引き合いに今や“フォーチュントツプ100の上位に食い込んでいる米国企業の大半、そして時価総額トップクラスには、ソフトウェアも含めてモノづくり系の企業、いわゆるfinancial companiesではなく、industrial companiesがずらりと並んでいる。こうした企業のコアバリュー、真の付加価値を生んでいる工程の多くは、米国内に存在する。インダストリー(産業)の世界も、とっくに知識集約型産業に移行してきているため、その工程は、研究開発プロセスだったり、生産技術開発をやっているマザーエ場だったり、あるいは企画マーケティング機能だったりするので、伝統的なモノづくり現場ではない場合が多い。”とも言っている。これは日本のメーカーの目指すべき姿だろう。
また、冨田氏は これから40~50年の近い将来の世界経済の成長セクターを考えた場合の地理的位置や、政治的経済的インフラの整備状態を考えた場合の日本の優位性は大きいと説く。
さらに、“生産労働人口の減少で深刻かつ慢性的な人手不足に陥っていく日本においては、社会福祉分野、交通。運輸、卸売。小売など、労働集約的で人手不足の打撃を深刻に受けるサービス産業での自動化ニーズもきわめて強烈である。
こうした話は、高齢化に伴う予防医療強化の必要性や、食品への安全安心への社会的要求度の高まり、あるいは深刻な人手不足といった、日本社会が直面している社会的な課題ともリンクしている。課題最先進社会の日本において、イノベーションを起こすことによって、こうした問題を解決できれば、それは全世界に展開できる可能性がきわめて高い。”
そういう背景で、“(プロセス革新後の)「オープンイノベーション」と(従来の日本的)「統合型・すり合わせ型アプローチ」をうまく共存させて、いかにアウフヘーベンできるか。この二つは二律背反ではなく、力のある日本企業が本気で取り組めば、必ず両立できる(括弧内:筆者注)”として、これから40~50年が日本のビッグ・チャンスなのだと説いている。ほとんど終わりの部分になってようやく、本の表題の意味が理解できたのである。
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