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“個”の要素の増大する社会について

根拠なき妄想に沸いたサッカーワールドカップも日本チームの敗退で その熱気は しぼんでしまいました。
6月24日付朝日新聞(大阪本社14版)には「“個”信じたジーコ/チーム応えきれず」との見出しの次の署名記事が載っていました。(以下抜書き引用:見出しがasahicomと新聞記事では異なる。)

目標とした1次リーグ突破を果たせなかったことで、一つの議論に終止符が打たれたのだろうか。
「サッカーの歴史は、組織を超えた個人の力が最後は勝負を決めてきた」というのが、ジーコ監督の持論だった。
・・・・・・結論からいうと、ジーコ監督のやり方は時期尚早だった。
日本はこれまで、個人能力の劣勢を、組織力を研ぎ澄ませることでカバーしようとしてきた。現実的な策ではあったが、個人能力の不足と正面から向き合わない、逃げでもあった。
懸念されるのは、この4年間が否定されてしまうことだ。組織と個人能力は対立軸ではなく、両方備えてこそ、強いチームになる。やっぱり個人能力重視はだめだと、組織頼みに針を戻すようでは、日本サッカーは退行するだけだろう。

サッカーのような11人チームで“組織”を云々するのも 大げさな印象で、ここでは むしろ チーム・ワークと言った言葉がしっくりするように思います。「しっかりした“個”の連携つまりネット・ワークが重要である」と考えるべきなのでしょう。
ジーコは その“個”がしっかりしないと強力で柔軟なネットワークのチームは形成できないと 考えたのでしょう。
私のテーマから外れることですが 記事中 “決定力が課題なのに、練習でシュートをはずして笑っているFW。・・・・試合に出られないからと、冷めていた控え陣。予選突破後、(ジーコは)『体力や技術を少しでも培う努力をしてくれ』と言ったが、できなかった選手もいた。”という一節がありましたが、本当でしょうか。もし 本当なら それは日本中の期待を裏切った選手達だと思うのです。
責められるべきは ジーコではなく、“組織”の蔭に隠れた不真面目な“個”だと思うのです。

同時に もう一つ 私が注目した記事は 経済欄にありました。
“株主主権/時代遅れ”という見出しで、東大経済学部教授の岩井克人氏の“村上ファンド事件/何が問われているのか”で 次のような コメントが載っていました。(以下抜書き引用)

株主が所有するのは“株式”というモノにすぎず、会社財産の法的所有者は“法人”としての会社。株主ではない。
モノとしての会社を強調すると株主主権的に、法人(ヒト)の側面を強調すると内部組織重視となる。株主主権論だけが正しいと決めつけてはいけない。
大量生産型の産業資本主義から、製品やサービスに違いを出さないと利益がでないポスト産業資本主義になり、日本的経営は時代にそぐわなくなった。しかし、村上ファンドもライブドアも、やったことは“カネで買えないものはない”という時代遅れの発想の株買い占め。ニッポン放送などヒトが財産のポスト産業資本の会社を買収しようとしたのに、利益の根源である社員や阪神ファンの反感を買った。
投資ファンドの隆盛は、ポスト産業資本主義になり、お金の力が弱くなったから。巨額の設備投資が必要な産業資本の時代とは異なり、人的投資中心のポスト産業資本主義では、お金はだぶつき、世界を飛び回ることになった。
従来の日本的経営とは逆に人的資産を主役に、機械を脇役にするような経営がひとつの方向だろう。

こういった 経済界をリードする経済学者の考え方や、先日 ご紹介した会社法制定への法曹界の考え方を 総合すると どうやら“ヒト”の要素、つまり“組織の力”というより、組織を介さない 生な“個人の能力”が 直接 問われる時代に入ったような印象を持ちます。要は“個性を持った個人の時代”であると。

20世紀には巨大組織の株式会社が 全盛を極めた訳でありますが、ポスト産業資本主義の21世紀には「“個”の要素が尊重される組織」というか “個”を中心にしたネット・ワークが 重要な 鍵を握る社会になる方向性を示していると考えるのです。
これこそ “わが意を得たり! 21世紀は中小企業の時代”という 私の主張の方向性に沿うものだと思ったのです。

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