The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
環境経済学入門の一歩手前
先日、NPO資源リサイクルシステムセンターの研究会に参加し、そこで “環境経済学”の片鱗に触れることができました。これは、近畿経済産業局の後援による環境ビジネスの創出支援に向けた事業の一環としての活動で行われたもので 環境経済学の専門家・植田和弘教授(京都大学大学院経済学研究科)の講演でした。講演テーマは“新たな環境ビジネス像とその実現に向けた課題”でした。
従来、環境産業は法規制依存型(法定)産業だったが、消費者の嗜好の変化と新しい市場の形成が見られ始め、公的規制や市場による規制によるのではなく自発的に実施する必要がある時代となって来た。
・環境リスクは経営リスクとなる。
・環境配慮商品と新しい技術基盤に対応できなければビジネス・リスクとなる。
・環境問題への対処を誤ると企業イメージと企業倫理の低下を招く。
また、環境問題・環境技術・環境産業は 利益を生まない投資だと言われていたが、しかし、資源生産性・環境効率に配慮は可能である。つまり、排出した汚染物質に見合う付加価値を考慮すべきである。ファクター4、つまり“豊かさは2倍,汚染物は1/2”という考え方は成立するはず。
また“厳しい環境規制が生産性を上げる”というマイケル・ポーターの仮説がある。
例えば、日本版マスキー法が日本の自動車を強くした事例がある。これはアイアコッカ(元クライスラー社長)の “低燃費や環境対応が日本自動車の米市場参入の契機となった” という証言がある。
技術者は 本来的に先端技術を目指すものだ。規制という制約の中でこそ 先端的技術開発を目指すものだ。また付録と思われていた環境技術は 全体バランスで改善しないと本当の技術として生きて来ない。
こういったことから、“環境政策・活動は生産活動を収縮させる” は 本当と言えるのだろうか。そうではなく、新しいビジネスを創造するという発想が 必要なはずではないのか。
中国が日本並の自動車保有台数になると8億台になってしまう。これは 現在の全世界の自動車台数と同じ。中国に引き続きインドも市場として出て来る。こうなると、倍々ゲームの増加であり、皮肉にも“自動車産業には未来がある!”と言えるが、二酸化炭素の数10%の削減を目指す京都議定書程度の対策では間に合わない。単なる環境対策では現実に追いつかず、総合的戦略が必要となる。
この戦略に沿ったドイツ・フライブルグ市は、“持続可能な社会形成のための地球温暖化防止の町づくり” つまり、脱自動車のモデル都市で、都心の古い街で車を使えないようになっている。市電や自転車などを使っているが、エコ定期券があり、家族で行くと格安のため非常に賑わっており、逆にモビリティ(移動能力)は増加している。これはシャッター街対策になっている。それ以外にソーラー・リージョン(太陽エネルギーでの実験住宅地域)もある。このように、総合的な環境政策,交通政策,高齢者向け福祉政策等の成果により 持続可能な町づくりが成功しつつある。
このフライブルグ市を見て、“ドイツはその国民性が環境先進国にしている”と 近視眼的に評価するのは間違い!である。70年代はドイツから日本の“省エネ技術と自治体の公害防止協定”を視察に来ていた。当時、彼らは“公害防止協定は法律ではないが何故遵守されているのか分からない”という感想を持っていた。今は不遵守の場合E税を賦課するというルールを彼らが作っている。そして環境税と二重の配当(エネルギー税により省エネ[環境の配当]を行い、社会保険料を負担し、若年層の雇用を促進[経済の配当])という政策に進んでいる。
私の手元のメモだけを頼りに概要を書きましたので、若干 不正確なところもあるかも知れませんが、おおよそ以上のような講演内容でした。
それにしても 日本の環境活動は結構 世界に影響を与えているのだなぁという感想でした。
しかし、環境を意識した経済成長政策は 可能であり、日本も もっと意識的、戦略的に政策展開しないと 地球環境は大変なことになる、という 植田教授の ご指摘であったと 思うのでした。
従来、環境産業は法規制依存型(法定)産業だったが、消費者の嗜好の変化と新しい市場の形成が見られ始め、公的規制や市場による規制によるのではなく自発的に実施する必要がある時代となって来た。
・環境リスクは経営リスクとなる。
・環境配慮商品と新しい技術基盤に対応できなければビジネス・リスクとなる。
・環境問題への対処を誤ると企業イメージと企業倫理の低下を招く。
また、環境問題・環境技術・環境産業は 利益を生まない投資だと言われていたが、しかし、資源生産性・環境効率に配慮は可能である。つまり、排出した汚染物質に見合う付加価値を考慮すべきである。ファクター4、つまり“豊かさは2倍,汚染物は1/2”という考え方は成立するはず。
また“厳しい環境規制が生産性を上げる”というマイケル・ポーターの仮説がある。
例えば、日本版マスキー法が日本の自動車を強くした事例がある。これはアイアコッカ(元クライスラー社長)の “低燃費や環境対応が日本自動車の米市場参入の契機となった” という証言がある。
技術者は 本来的に先端技術を目指すものだ。規制という制約の中でこそ 先端的技術開発を目指すものだ。また付録と思われていた環境技術は 全体バランスで改善しないと本当の技術として生きて来ない。
こういったことから、“環境政策・活動は生産活動を収縮させる” は 本当と言えるのだろうか。そうではなく、新しいビジネスを創造するという発想が 必要なはずではないのか。
中国が日本並の自動車保有台数になると8億台になってしまう。これは 現在の全世界の自動車台数と同じ。中国に引き続きインドも市場として出て来る。こうなると、倍々ゲームの増加であり、皮肉にも“自動車産業には未来がある!”と言えるが、二酸化炭素の数10%の削減を目指す京都議定書程度の対策では間に合わない。単なる環境対策では現実に追いつかず、総合的戦略が必要となる。
この戦略に沿ったドイツ・フライブルグ市は、“持続可能な社会形成のための地球温暖化防止の町づくり” つまり、脱自動車のモデル都市で、都心の古い街で車を使えないようになっている。市電や自転車などを使っているが、エコ定期券があり、家族で行くと格安のため非常に賑わっており、逆にモビリティ(移動能力)は増加している。これはシャッター街対策になっている。それ以外にソーラー・リージョン(太陽エネルギーでの実験住宅地域)もある。このように、総合的な環境政策,交通政策,高齢者向け福祉政策等の成果により 持続可能な町づくりが成功しつつある。
このフライブルグ市を見て、“ドイツはその国民性が環境先進国にしている”と 近視眼的に評価するのは間違い!である。70年代はドイツから日本の“省エネ技術と自治体の公害防止協定”を視察に来ていた。当時、彼らは“公害防止協定は法律ではないが何故遵守されているのか分からない”という感想を持っていた。今は不遵守の場合E税を賦課するというルールを彼らが作っている。そして環境税と二重の配当(エネルギー税により省エネ[環境の配当]を行い、社会保険料を負担し、若年層の雇用を促進[経済の配当])という政策に進んでいる。
私の手元のメモだけを頼りに概要を書きましたので、若干 不正確なところもあるかも知れませんが、おおよそ以上のような講演内容でした。
それにしても 日本の環境活動は結構 世界に影響を与えているのだなぁという感想でした。
しかし、環境を意識した経済成長政策は 可能であり、日本も もっと意識的、戦略的に政策展開しないと 地球環境は大変なことになる、という 植田教授の ご指摘であったと 思うのでした。
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« “個”の要素の... | 誰の責任と権... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |