The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
日本のパンデミックへの対処は如何に―その2
有名女性タレントが亡くなった。乳癌で放射線治療を受けていたという。検査のいとまもなく、急速に重症化し亡くなったようだ。とはいうものの確かな診断と処置だったのだろうか。
埼玉県では自宅待機・療養の2名が急死したという。過剰な免疫反応(サイトカイン・ストーム)が原因ではないかとも言われている。埼玉県庁の職員だろうか、この件の発表の担当者、マスクの上の目が心なしか笑っていたのには、思わず引いてしまった。中央政府のだらしなさを上回るような埼玉県の知事以下職員の対応に、驚くばかりだ。果たして、日本全体大丈夫なのだろうか。
埼玉県では医療施設が不足するというのなら、それを素早く予測して県立施設や体育館を利用して、或いは公園に臨時施設を建設して、対処するべきではなかったのか。緊急事態宣言が出れば、これが可能になると言っていたのではないか。こういうまともな対応を怠って生命を無駄に失って来ている。何故かマスコミは明言しないが、明らかに埼玉県では医療体制の崩壊が起きている。中央政府はこれを看過してはならないはずだが、動きは鈍重である。
また、適切な処置によって特効薬が処方され救われた男性タレントが複数いたのも事実のようだ。救急の搬送先で適切な処置を受けられる場合と、そうでない場合がこの国では起きているのだ。これは言わば事実上の命の選別となっている。
未だに中央政府の担当者による強力な中央司令部がない。
マスクや防護具の不足が言われて2カ月近くだが、緊急事態宣言が出れば可能だとされた物資統制が未だに不十分でできていない。その情けなさを隠すように、世帯当たり2枚のマスクが配られるとのことだが、これも未だに手元に来ない。エイプリルフールかと思わせて既に3週間以上過ぎている。ヤッパリ、ウソか。この醜態にもかかわらず、配られたマスクは不良品が多く、回収検品するのだという。緊急事態にもかかわらず、時間と労力と資金の無駄遣い。
どういう企業に生産依頼したのか、政府側には品質体制のしっかりした生産拠点はないのだろうか。アホノマスクの呆れた惨状に誰も批判すらしない、苦笑あるのみ。その上に予算466億円に対し90億円しか使っていないという。ならばたった2枚の配布ではなく、5枚にできたのではないか。あからさまなやっつけ仕事の上に、金額の不透明。政権の国民へのバカにした思いがそこはかとなく確実に伝わってくる。モリカケ、花見で国費を私的に浪費して、この期に及んでさらにこの無様。それでもこの政権は立派な仕事をしていると言えるのか?
この期に及んで、ようやくじりじりと内閣支持率は低下し始めているらしい。当初から無理筋の政権である。
現政権は戦争ができる日本を着々と整備、構築してきたつもりのようだが、御自身も含めてこんな緊急事態対応の体たらくでは戦争などできる人達ではない。この政治家達、現状についての対応を求められても、無意味な修飾語と空疎な言葉の羅列を繰り返している。まるで安倍氏のアバターかと思える話し方だ。質問にそれをオウム返しして“全力で頑張って参ります。”と付け加える台詞を吐いているだけなのだ。具体的な内容ある対策を聞いたことがない。
物資統制も満足にできずに戦争なんて土台ムリ!
マネジメントはPDCAが基本なのは緊急時にも言える。但し、その回転スピードを猛烈に上げる必要があるのと、そのための対策の手数を増やすことである。意図したことが思わぬ結果に終わった場合、その事象不明点を整理検証し、代替対策案を迅速に繰り出すことだ。又特に、未知の敵に対して現状持てる探索力を総動員して実態を把握することも要諦である。先ず“敵を知る”ことは古来より言われているではないか。
今回の事例では、そのための“検査”はハザード実態を把握するためと対策・政策決定のための必須のツールだ。だからこそ、世界各国は全力を挙げてPCR検査を実施した。ところが世界で日本だけがその正確度の問題をあげつらい、挙句の果ては医療崩壊するなどのもう言を吐いてやらなかった。探査もせずに結果の正確性を議論していては緊急事態に対応できないのは当然だ。ある程度の確度を前提として対応策を繰り出さざるを得ない。無策であることが最悪なのだ。むしろ今回のように逆に、検査しなかったために院内感染が頻発し、医療崩壊の端緒を開いた。結果無能の極みとしか、言いようがない。さらに感染実態を詳細に知るためには、抗体・抗原検査も積極的に実施していくことが肝要であるが、これも積極的とはいいがたいのは最早付け加える言葉もない。
そして、“専門家”と称する人物が、訳の分かったような顔をしながら検査不要論を言いふらすのは犯罪的だ。中には、元大阪府知事・市長のように自ら検査反対を積極的に提言しておきながら、自らは感染が疑わしくなったら早速検査したというだらしなさ。人間性を疑う人物すら登場した。
さらに新型コロナウイルス感染症対策専門家会議のメンバーはこの国の英知を結集しているのだろうか?特に、枢要なメンバーにも“痴性”に冒されてしている人物が結構含まれているかのようだ。日本のある科学雑誌に枢要メンバーの鼎談が載っているらしい。そこで、大規模な検査と流行地の封鎖に踏み切った各国とは異なる対策を取ったのは、感染拡大の要因となる“クラスター”の封じ込めで対処でき、“他のウィルスは霧消する”と考えたからだ、という意味のことを語っているようだ。感染症の“専門家”が、素人でも分かるこんな愚かな思考をしているのでは情けなくなる。これまで感染額に関するどのような教育を受けたのだろうか。
或いはゴールデン・ウィークGW明けの緊急事態解除の要件を聞かれた専門家会議のメンバーが“全国の新規感染者数の合計が少なくとも100を下回ることが目安”と語ったという。100未満であれば、クラスターが追える、ということのようだがそれが自粛解禁の条件とはなるはずがない。何故ならば、クラスターが追えても解禁すれば感染者は増えるからだ。この数字の科学的疫学的根拠明確でなければ全く無意味だ。検査データが実態を明確にするには不足していて、不十分にもかかわらず何だかわからないが、エイッ、ヤッで決めたというのは科学ではない。こんな専門家は科学論文を書いた経験があるのだろうか?もし彼らが博士論文を書いた博士であるのなら、日本の博士は世界的に見てレベルは低いことになり、国際的嘲笑の的になる。
果たして、専門家会議の中で適切で厳密な科学的結論が出るような議論がなされているのだろうか。他者の専門領域にも踏込んだ議論ができているのだろうか。妙な仲間意識ができあがり、それが為されていないため、変な非科学的な見解が大手を振ってアウト・プットされているような懸念はないのだろうか。
昔、旧海軍の艦隊には参謀チームがありそのヘッドたる先任参謀以下、砲術、水雷、航空、通信、航海、機関・・・等々の分野担当が参加したという。しかし、作戦立案に際して各々の専門領域を犯すような発言は“忖度”して差控えられることも多く適切な作戦が立案されず、暴論が押し通されることもあり、結果失敗に終わることもあったという話を読んだ記憶がある。仲間内の“和を以て貴しとなす”が尊重され結果として、下々に夥しい犠牲者がでるような愚かな事態だ。この度の専門家会議でも同じような事態に陥っていることはないだろうか。
この危急の場合に“和”を持ち出す問題は、前回このブログで紹介した神戸大学の岩田教授も指摘していた日本人の“悪癖”ではないだろうか。
健全な組織であれば、適切な議論を通してより適切な対策案が出てくるはずが、公的場面でありながら仲間内の“忖度”によって不適切な案が公けになって、一般人が不利益を被ることがあってよいはずがない。また、こうした適切な議論を通じて、より適切な意見を持つ人物があぶりだされ、結果としてより適切な人物が組織リーダーとして明確になってくるのが普通ではないのか。議論を通しての論と人の切磋琢磨がなされるのが健全な組織だ。
戦後、QC活動が導入され、60~70年代には小集団活動が活発になり、そうした改善案と人が切磋琢磨して日本の企業は活性化して行ったのではなかったか。今やそれが形骸化し、改善を考える人が特定化してしまい、従って議論もなされず切磋琢磨もなくなって、組織が沈滞化したのではないか。こう言うのも問題だが、この点でISO的トップダウンがそれをさらに悪く促進させたかも知れない。つまり肝心のトップがダウンさせる理解力も能力もないので日本型組織の沈滞が始まったのではないか。
こうして現今のように、政権の周囲で仲間内の“和”が尊重され“忖度”が横行することで、不適切な政策が不適切に実行されているようになったのではないか。健全な批判は、この点で重要なのだ。
繰り返すが、結果としてこうした社会状況を察するに、日本には良好な知性は劣化し、悪性の“痴性”が蔓延しているとしか言いようのない、救いようの事態になっている。かつて原発事故のあった時、“ゴヨウガクシャ”という言葉が一部で流行った。その時はまだ、それなりの学者が話していたような気がする。というのはある種、社会性に乏しい専門バカが話している印象があったが、今やど真ん中の科学性のかけらも持ち合わせていない“専門家”が多い印象だ。特に、政権周囲にはそんな輩が利権を求めて徘徊しているような気がする。
現政権は既に“裸の王様”になっているのではないか。だから、誰がウソを言い、誰がお追従を言い、誰が本当のことを言っているのか見分けがつかない。否、辛口の本当のことをいう人物は追放され続けて来たのではないか。このため有効な施策が遅く、結果として無策。アホアホ政権の成れの果てだ。
これこそ“ミゾウユウ”の事態にもかかわらず、“政府主導” の経済無策。国全体の活動が大幅に減少したのはリーマン・ショック時にも起きなかった未曾有の事態だが、政府の経済対策は驚くほど無策に等しい。苦学生の大半が大学に籍を置いて、勉学の継続が困難になっているという。この社会に大卒者がいなくなれば、今後の国全体の経済活動はどうなるのか。海外からの大卒者の移民が必要になるのではないか。政府にはその想像力すらなくなっている。
助成金・保険金の受給申請が複雑であるという。何故、この緊急時に平時の複雑さを継続させるのか。申請受付の役所職員が感染すれば、混乱を倍加・加速するばかりではないか。緊急であると宣言するならば、緊急に応じた簡素な申請方法が必要なのではないか。
後手ゴテの政策の成れの果て、GW明けに終息するとは思えない。GWに自粛の徹底を図ろうとしているが、自粛の効果はそのさらに2週間後に明らかになる。そうなれば解禁はGW後2週間後となる。それでも不確かなデータでの解禁となり危うさは依然として残る。それまで日本経済は持つのだろうか。否、日本の医療は無残に明らかな崩壊を見ているので、経済も再生不能の領域へ踏み込み始めているのではなかろうか。
果たしてこのアホアホ政権の下で、“一致団結して戦う”と まなじり決するのが正しい在り方だろうか。ここにも適切な議論が成立せず、“和”を持ち出す“悪癖”がある。その対応の究極には容赦ない悲惨な現実が迫って来て、どうしようもない状態に陥り、“さぁ皆、一緒に死のう。”となる。先の戦争での沖縄等々の戦場がそうだったのだ。歴史、特に近現代史を深く詳細に学んで反省するべきだろう。
適切な議論が無く、そのため社会は閉塞し、適切なリーダーが出てこない。日本の“地上の星は何処へ行った”のか?
アタフタしている内に、いつの間にかGWになってしまった。例年通り、次回のGW中のこのブログ投稿はお休みを頂きたい。
その間、ゆっくり巣ごもり、積読(ツンドク)本の読書と片付け、出来ればに専念したい。何卒、よろしくお願いします。
GW後には温暖で湿潤な気候と紫外線の豊富な晴れの日が新型肺炎ウィルスを抑制していることを願いたい。
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