The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
偽装教育行政
ISOとは 全く関係のない話ですが、ここでモノ言わざるはハラふくるるワザなり。もはや日本は どん詰まりの状態です。
今年は、耐震偽装建築物に 始まって とうとう国家百年の大計であるべき 教育行政が 偽装されていました。日本全体が 偽装国家?そう言えば小泉改革も偽装。
正に“夢も希望も無い!” 日本の将来は暗澹です。
日本国民の誰もが 呆れ返っているのが 現状でしょう。今更 これに対して私一人が あらためて文句を言ったとしても 独創的で建設的見解がある訳でもないのですが 気分的には 書かざるを得ません。
未履修高校生の問題は ルールは守るべし、不公平があってはならない、などと 大臣他 文科省側は 居丈高ですが、これまで 事実上 未履修状態を 放置しておいて、露見した今になって 今年の高校三年生だけに シワ寄せするのは 不公平。未履修にも拘わらず 既に卒業しており、再受験してくる浪人に対して 現役は 明らかに不利ではないのか。これこそ 不公平ではないのでしょうか。
それに、ヒョットして 高校必須科目 未履修のまま 大学を卒業しているものが 居るかもしれない。文科省の役人になった者も居るかも知れない。
形式だけを墨守するこのやり方自体、欺瞞ではないのでしょうか。
発想や やり方の 全てが 偽装でなくて何だと言うのでしょうか。
このいい加減な 場当たり政策の犠牲になった まじめな校長も居られました。
犠牲と言えば、もう一方には “いじめ” があります。“いじめ”で多くの子供たちが 自殺しています。
多くの学校の対応を 見ていると “いじめ”を無視する教育を 行っています。
“いじめ” を 無視し、無かったことにするのは いじめられている子供を さらに追い込む、つまり 事実上“いじめ”ている側に立っているのだ、ということに気付いていないのでしょうか。
こういう“教育”も 欺瞞であり、偽装です。
とうとう 兵庫県下 随一の有名公立高校でも “いじめ”があった由。あの高校で有ったのなら、“いじめ”のない聖域学校は無くなってしまったと思うべきです。こここそ “いじめ”が無いと信じて 一生懸命入学した生徒たちは ガッカリしています。
いじめられた生徒は 半死半生、今も車椅子で通学。いじめた側の生徒が 3名書類送検だそうです。しかし、ことなけれ主義の学校側は 5日間の停学処分をしただけ。校長は事件が発覚しても半年以上経っても いじめれれた生徒の保護者には 会わなかったそうです。
この高校は 規則が厳しく 校章を付け忘れた生徒は厳罰に処せられ、試験カンニングで1日停学が 決まりとのことです。それに比べて 殺人一歩手前のいじめが5日間の停学処分とは軽すぎる。普通なら 書類送検で 退学だと思います。これが 校長以下教師達 いわゆる教育者の 感覚なのです。ほとんど異状です。
この高校の教師たちこそ、この高校の伝統を汚していると思うべきです。ですが、その自覚は なさそうです。
さて、ここで教育委員会の無力、無責任が浮き彫りになりました。これに対して 偽装教育行政の総本山・文科省は破廉恥にも 教育行政の中央統制を強める意向のようです。日本全体が 一気に腐ってしまいそうです。“未履修問題”では、唯一の 健全教育県熊本も 恐らく無くなってしまうのでしょうね。
さて、こういう状態から 日本は どうすれば良いのか。90年代に崩れ去った日本社会、一向に 出口が見えません。
“現在は、陰の極だ、これ以上悪くならない。” などとノンキなことも言っても始まらないと思うのですが・・・・・・。
今年は、耐震偽装建築物に 始まって とうとう国家百年の大計であるべき 教育行政が 偽装されていました。日本全体が 偽装国家?そう言えば小泉改革も偽装。
正に“夢も希望も無い!” 日本の将来は暗澹です。
日本国民の誰もが 呆れ返っているのが 現状でしょう。今更 これに対して私一人が あらためて文句を言ったとしても 独創的で建設的見解がある訳でもないのですが 気分的には 書かざるを得ません。
未履修高校生の問題は ルールは守るべし、不公平があってはならない、などと 大臣他 文科省側は 居丈高ですが、これまで 事実上 未履修状態を 放置しておいて、露見した今になって 今年の高校三年生だけに シワ寄せするのは 不公平。未履修にも拘わらず 既に卒業しており、再受験してくる浪人に対して 現役は 明らかに不利ではないのか。これこそ 不公平ではないのでしょうか。
それに、ヒョットして 高校必須科目 未履修のまま 大学を卒業しているものが 居るかもしれない。文科省の役人になった者も居るかも知れない。
形式だけを墨守するこのやり方自体、欺瞞ではないのでしょうか。
発想や やり方の 全てが 偽装でなくて何だと言うのでしょうか。
このいい加減な 場当たり政策の犠牲になった まじめな校長も居られました。
犠牲と言えば、もう一方には “いじめ” があります。“いじめ”で多くの子供たちが 自殺しています。
多くの学校の対応を 見ていると “いじめ”を無視する教育を 行っています。
“いじめ” を 無視し、無かったことにするのは いじめられている子供を さらに追い込む、つまり 事実上“いじめ”ている側に立っているのだ、ということに気付いていないのでしょうか。
こういう“教育”も 欺瞞であり、偽装です。
とうとう 兵庫県下 随一の有名公立高校でも “いじめ”があった由。あの高校で有ったのなら、“いじめ”のない聖域学校は無くなってしまったと思うべきです。こここそ “いじめ”が無いと信じて 一生懸命入学した生徒たちは ガッカリしています。
いじめられた生徒は 半死半生、今も車椅子で通学。いじめた側の生徒が 3名書類送検だそうです。しかし、ことなけれ主義の学校側は 5日間の停学処分をしただけ。校長は事件が発覚しても半年以上経っても いじめれれた生徒の保護者には 会わなかったそうです。
この高校は 規則が厳しく 校章を付け忘れた生徒は厳罰に処せられ、試験カンニングで1日停学が 決まりとのことです。それに比べて 殺人一歩手前のいじめが5日間の停学処分とは軽すぎる。普通なら 書類送検で 退学だと思います。これが 校長以下教師達 いわゆる教育者の 感覚なのです。ほとんど異状です。
この高校の教師たちこそ、この高校の伝統を汚していると思うべきです。ですが、その自覚は なさそうです。
さて、ここで教育委員会の無力、無責任が浮き彫りになりました。これに対して 偽装教育行政の総本山・文科省は破廉恥にも 教育行政の中央統制を強める意向のようです。日本全体が 一気に腐ってしまいそうです。“未履修問題”では、唯一の 健全教育県熊本も 恐らく無くなってしまうのでしょうね。
さて、こういう状態から 日本は どうすれば良いのか。90年代に崩れ去った日本社会、一向に 出口が見えません。
“現在は、陰の極だ、これ以上悪くならない。” などとノンキなことも言っても始まらないと思うのですが・・・・・・。
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