The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
米人経済学者による「国際金融経済分析会合」への提言―経世済民を考える
安倍首相が世界経済について国際的有識者と意見を交わす“国際金融経済分析会合”を開催すると先月発表があった。これは、消費税増税延期への布石とされるのだろうと誰もが思い、マスコミもそのように報じた。私も国の政策を決めるのに何故外国の学者に聞く必要があるのか、これは国際的恥辱ではないかと思った。ネット上にあふれるコメントでもそのような指摘が多かった。一方、これは日本の経済学のレベルが国際的に一流ではなく、信頼に足るものは少ない、ことを示すものとも思われた。何せ、日本人のノーベル経済学賞受賞者は居ないのだ。日本ではジャーナリストや官僚出身なのにその後私大の経済学部教授に就いている例が余りにも多く、彼らは本当に経済学者として相当な論文をモノしているのだろうかと疑ってしまう。国際的に著名だった経済学者の故森嶋博士が阪大教授からロンドン大に移籍するときに、NHKのインタビューにそのような主旨を語っていた記憶がある。それに未だに米国発学説の翻訳で得意がる日本の“一流”経済学者が大半なのではないか。
ところでその会合予定は、“(先月の)16日にジョセフ・スティグリッツ米コロンビア大教授、17日にデール・ジョルゲンソン米ハーバード大教授、22日にポール・クルーグマン米ニューヨーク市立大教授と実施する”との報道があった。直近は、フランスの学者にもヒアリングしているようだ。しかし、その後の内容詳細についての報道は一向に為されない。それは首相官邸が出席者に“会合は原則非公開”として箝口令を敷いたからである。日本の大手報道機関は政府の言う通り“お行儀良く”箝口令に従ったのだ。
しかし、“クルーグマン氏は26日、ネット上で「私が東京で話したこと」と題し、12ページの議事録を公開”と新聞は報じた。しかし、マスコミからはその内容詳細を報じることはなかった。これにようやく先週、週刊朝日4月15日増大号がこれを取り上げたので、私はまずそれを読んでみた。
そこでは、“7月にダブル選挙を画策するも、アベノミクスが失速し、「消費増税」をまた取り下げるのは格好が悪い安倍政権。ならば外圧でと、ノーベル経済学賞受賞者で米国ニューヨーク市立大学のポール・クルーグマン教授らを招き、延期を提言してもらうはずが、ダメ出し祭り。あげく、マル秘の会合議事録までバラされてしまった。”
と切り出していたが、結局“朝日”のイメージには不似合な記事内容で、恐らくクルーグマン教授御当人も“ビックリ・ポン”の反安倍的内容一色で、“提言”内容の核心を紹介するものではなく、失望した。
そこへ、朝日新聞は4月6日の朝刊で紙面の片隅に小さく“ノーベル賞経済学者への謝金1万1300円”の見出しの記事を報じた。世界的著名な招聘しながら、この程度の謝礼で済ませて良いものかと若干呆れたが、米人学者側の来日予定に合わせての計画だったので規定にしたがっただけ、との官邸側のコメントが記事に付加されていて、血税のムダ遣いはしていないとの言い訳か、との妙な思いも浮かび複雑な心境となってしまった。
とにかく、このままでは当代随一の経済学者の“提言”を知らぬままスルーしてしまうのは惜しいとばかり、ネット上でどんな内容か探してみた。すると何とか英文のクルーグマン教授のメモとそれを和訳したらしきものが見つかった。出所の正当性を確認のしようもないが、まぁそこまで言っても仕方ない。さらにスティグリッツ教授のは官邸のHPから予稿が公開されていることが分かり、これには官邸の手になる和訳文書もあることが分かって、入手した。
ネットなどでは、クルーグマン教授は“(箝口令という官邸のやり方に)怒り、議事録を公開した”、という噂が流布しているようだが、真偽は定かでない。同教授は日本の報道の自由には限界がある―マスコミが弱すぎる―ことを十分に承知した上での所業であろうか。これが本当なら情けない限りだ。とは言うものの、このやり方には少々乱暴な印象も漂う。
それに対し、スティグリッツ教授は事前に予稿を示して自らの主張をテーマに合わせて総括してくれていて、恐らくその提言や実際の発言もその内容から大きく外れることはないものだろうと想像できる。そうすることで、どういう提言であったのか一般の人々も知ることが出来るようにしたのだろう。多忙だろうと想像されるが、安い謝金にもかかわらず、丁寧な対応をされる教授の品格の良さをそこはかとなく感じる。もっとも、後から議事録を作るという、クルーグマン教授の手間も結構なものだったに違いない。
しかし、スティグリッツ教授の資料はパワーポイントによるもので、私の気分によるものか何故だかとっつきにくい感じがあったので、まず、クルーグマン教授の和訳メモに目を通すこととした。私も経済学は専門ではないので、十分に読解できたとは思っていないが、理解した範囲でここに紹介したい。
クルーグマン教授の提言は以下の通り。現状認識は、概略次の通り。
①“我々はいま、経済的な弱さの蔓延した世界”に居るのだが、それは日本の現状であり、世界はみなこの日本と同じになってしまった。
②“主として資本移動の面で主要経済大国どうしの結びつきが強まっている”これは非常に重要な問題である。
③“非常に大胆かつ非伝統的な金融政策を通じてさえ、(金融緩和の)目標を達成することが難しくなった。”
④“金融政策は財政政策の助けを必要とし、できればその他の諸政策の助けも必要とする。しかし、間違いなく財政面で必要とするのであり、反対方向へと動いている財政政策と格闘する必要はまったくない”。これは、日本だけの問題ではなく、全世界的な問題である。
ここでは④の主張が核になっているように思う。金融政策には限界があり、効果はだんだんと小さくなり困難なものとなる。マイナス金利は政策として可能であると判明したが、この影響も限定的なものであることが明らかになりつつある。だから主に財政政策やその他の政策によってこれを支援するべきだ。特に“極端な赤字財政政策はハイパー・インフレになる”というのは俗説であると退けている。戦前の米国でのニュー・ディール政策も徹底した財政政策を採らなかったためで、結局戦争という不幸によってようやく不況をから脱出できたのだと解説している。“安定した先進国が自国通貨で借入をしたならば、財政危機に至るまでは非常に長い道のりがある。”さらに“もし誰かが「日本はギリシャみたいになる」と言ったならば、「どうしたらそうなるの」と聞き返すのみ”だと言う。そこがリフレ派の主張の中心なのだろう。現状の日本にも財政赤字を気にせずに支出せよと、言っている。極端な議論だと思うが、構造改革に取り掛かって財政政策をおろそかにする口実にするな、とまで言い切っている。“理想は、みんなが強調的な財政拡大政策について合意すること”だと言うのだ。
“消費税の引き上げが、なぜ日本の回復をこれほど大きく阻害したのか、分からない。”が、“おそらくは、まさに日本の経済の基礎条件の人口動態が極めて好ましくなく、労働年齢人口はいまや毎年1%以上も縮小している”ことが要因になっているのだろうと指摘。
“(原油等の)資源価格の下落は、世界の多数の人々にとって非常に重要なことであるのですが、先進諸国の問題としては、そこまで大きなものではない。先進国の経済悪化はそれによるのではなく、需要不足の問題だからだ。”
“人々の合意可能な景気刺激策を提起できる分野が気候変動対策にある。これ以上に重要な問題などないということに加えて、これは先進国におけるグリーン・テクノロジーへの移行という、民間投資のインセンティブでありうる。”
というような所で、議論はほぼ終わっている。
スティグリッツ教授の議論で印象的だったのは、会合後の同教授の記者団に語った“消費税を止めるべきだが、それを止めて財政が気になるなら環境税、炭素税を創設すれば良い。財界は嫌がるだろうが説得するべきだ。”と言っていたことだ。
しかし、スティグリッツ教授のメモを見てみると“大不況the Great Recession”対策から始まっている。いわゆる長期停滞論のマクロな現状認識論の提示である。その対策として“いの一番”に言っているのが“緊縮財政は止めよEnding austerity”である。(この官製訳は実に適切)クルーグマン教授と同じく積極財政に言及している。そして、格差是正とそのための構造改革や地球環境問題対応に言及している。まさにリベラリストの真骨頂である。
スティグリッツ教授の提言は私には分かり難い所もあるが、特に後半は政策的に経済分野での全世界的統制管理の機能が必要だと言うのが同教授の主なテーマのようで、その観点での論点整理になっているように思われる。そこには、パナマ文書による曝露でも明らかになったタックス・ヘブンの問題も含まれるのだろう。背景には多国籍企業の“お行儀の悪さ”もあるのだろう。オバマ大統領の指摘のように“違法ではないが、まさにそのことが問題なのだ。” 総じて、クルーグマン教授の指摘と衝突する議論は認められない。
両米人学者の提言の基本は需要の喚起が出来ていないことつまり、長期停滞論が最大のテーマなのだろう。“消費税増税延期論”は日本のローカルで小さなテーマで、そんなことが彼等の視野にあるのではないことが分かる。いわば、現代資本主義が危機に瀕していることが問題なのだ。となれば水野和夫氏の“資本主義はその地理的フロンティアが無くなったことにより停滞している”という説が脳裏に浮かぶ。そうした議論を考慮しつつ考えをめぐらせれば、次のようになるのではないか。資本主義のフロンティアは地理的には無くなったが、その内部構造に求めるべきではないか。つまり格差により経済的辺境に追いやられている人々を総需要の対象とすることで、ケインズ理論はさらに復活を遂げるのではないか。これは、今まさに日本ではとりあえず保育士や介護士等が正当な報酬を得ていないことが喫緊の課題であり、さらには性差格差であり、非正規労働者の問題ではないか。“国の宝”である子供達への教育の無償化も極めて大きな議論の対象だろう。
しかし安倍首相にはそこまで読み取ることはできたのだろうか。まさしく、ここがアベノミクスがアホノミクスに堕するかどうかの瀬戸際ではないのか。
特に両教授は驚くほど、財政赤字を恐れるな、徹底してやれ、と言っている。日本の財務官僚のように赤字財政増大を恐れていては何もできない。要するに、もっと社会保障費を増大させて、日本国民が抱いている将来に対する不安を解消させることが、需要や消費の喚起への近道だと言っているのではないか。それこそが経済の語源・経世済民なのだが、だからこそ財政赤字のみを気に病む財務官僚はこうした議論を原則非公開としたいのだろう。
両教授も言及した地球環境問題にも着目して、グリーン・テクノロジーのための民間投資のインセンティブ強化のための税制も創設するべきだろう。法人税減税などに地道を上げている場合ではない。サプライサイドをいくら活性化しようとしても需要は喚起できない。
折角の1万1300円で得た、当代随一の経済学者の金言を日本の政治家が活かすのは、“今デショウ!”。しかし、彼等の曇った眼には、何を言われても何も見えていない、気付かないのではないか。そして最も問題なのは、こういう重要な議論を政府に同調して覆い隠している日本のマスコミの姿勢であり、こういう議論に言及しようとしない政府に同調している大勢のいい加減な経済評論家達である。彼ら日本のオピニオン・リーダーは一様に罪深い人々なのだ。
ところでその会合予定は、“(先月の)16日にジョセフ・スティグリッツ米コロンビア大教授、17日にデール・ジョルゲンソン米ハーバード大教授、22日にポール・クルーグマン米ニューヨーク市立大教授と実施する”との報道があった。直近は、フランスの学者にもヒアリングしているようだ。しかし、その後の内容詳細についての報道は一向に為されない。それは首相官邸が出席者に“会合は原則非公開”として箝口令を敷いたからである。日本の大手報道機関は政府の言う通り“お行儀良く”箝口令に従ったのだ。
しかし、“クルーグマン氏は26日、ネット上で「私が東京で話したこと」と題し、12ページの議事録を公開”と新聞は報じた。しかし、マスコミからはその内容詳細を報じることはなかった。これにようやく先週、週刊朝日4月15日増大号がこれを取り上げたので、私はまずそれを読んでみた。
そこでは、“7月にダブル選挙を画策するも、アベノミクスが失速し、「消費増税」をまた取り下げるのは格好が悪い安倍政権。ならば外圧でと、ノーベル経済学賞受賞者で米国ニューヨーク市立大学のポール・クルーグマン教授らを招き、延期を提言してもらうはずが、ダメ出し祭り。あげく、マル秘の会合議事録までバラされてしまった。”
と切り出していたが、結局“朝日”のイメージには不似合な記事内容で、恐らくクルーグマン教授御当人も“ビックリ・ポン”の反安倍的内容一色で、“提言”内容の核心を紹介するものではなく、失望した。
そこへ、朝日新聞は4月6日の朝刊で紙面の片隅に小さく“ノーベル賞経済学者への謝金1万1300円”の見出しの記事を報じた。世界的著名な招聘しながら、この程度の謝礼で済ませて良いものかと若干呆れたが、米人学者側の来日予定に合わせての計画だったので規定にしたがっただけ、との官邸側のコメントが記事に付加されていて、血税のムダ遣いはしていないとの言い訳か、との妙な思いも浮かび複雑な心境となってしまった。
とにかく、このままでは当代随一の経済学者の“提言”を知らぬままスルーしてしまうのは惜しいとばかり、ネット上でどんな内容か探してみた。すると何とか英文のクルーグマン教授のメモとそれを和訳したらしきものが見つかった。出所の正当性を確認のしようもないが、まぁそこまで言っても仕方ない。さらにスティグリッツ教授のは官邸のHPから予稿が公開されていることが分かり、これには官邸の手になる和訳文書もあることが分かって、入手した。
ネットなどでは、クルーグマン教授は“(箝口令という官邸のやり方に)怒り、議事録を公開した”、という噂が流布しているようだが、真偽は定かでない。同教授は日本の報道の自由には限界がある―マスコミが弱すぎる―ことを十分に承知した上での所業であろうか。これが本当なら情けない限りだ。とは言うものの、このやり方には少々乱暴な印象も漂う。
それに対し、スティグリッツ教授は事前に予稿を示して自らの主張をテーマに合わせて総括してくれていて、恐らくその提言や実際の発言もその内容から大きく外れることはないものだろうと想像できる。そうすることで、どういう提言であったのか一般の人々も知ることが出来るようにしたのだろう。多忙だろうと想像されるが、安い謝金にもかかわらず、丁寧な対応をされる教授の品格の良さをそこはかとなく感じる。もっとも、後から議事録を作るという、クルーグマン教授の手間も結構なものだったに違いない。
しかし、スティグリッツ教授の資料はパワーポイントによるもので、私の気分によるものか何故だかとっつきにくい感じがあったので、まず、クルーグマン教授の和訳メモに目を通すこととした。私も経済学は専門ではないので、十分に読解できたとは思っていないが、理解した範囲でここに紹介したい。
クルーグマン教授の提言は以下の通り。現状認識は、概略次の通り。
①“我々はいま、経済的な弱さの蔓延した世界”に居るのだが、それは日本の現状であり、世界はみなこの日本と同じになってしまった。
②“主として資本移動の面で主要経済大国どうしの結びつきが強まっている”これは非常に重要な問題である。
③“非常に大胆かつ非伝統的な金融政策を通じてさえ、(金融緩和の)目標を達成することが難しくなった。”
④“金融政策は財政政策の助けを必要とし、できればその他の諸政策の助けも必要とする。しかし、間違いなく財政面で必要とするのであり、反対方向へと動いている財政政策と格闘する必要はまったくない”。これは、日本だけの問題ではなく、全世界的な問題である。
ここでは④の主張が核になっているように思う。金融政策には限界があり、効果はだんだんと小さくなり困難なものとなる。マイナス金利は政策として可能であると判明したが、この影響も限定的なものであることが明らかになりつつある。だから主に財政政策やその他の政策によってこれを支援するべきだ。特に“極端な赤字財政政策はハイパー・インフレになる”というのは俗説であると退けている。戦前の米国でのニュー・ディール政策も徹底した財政政策を採らなかったためで、結局戦争という不幸によってようやく不況をから脱出できたのだと解説している。“安定した先進国が自国通貨で借入をしたならば、財政危機に至るまでは非常に長い道のりがある。”さらに“もし誰かが「日本はギリシャみたいになる」と言ったならば、「どうしたらそうなるの」と聞き返すのみ”だと言う。そこがリフレ派の主張の中心なのだろう。現状の日本にも財政赤字を気にせずに支出せよと、言っている。極端な議論だと思うが、構造改革に取り掛かって財政政策をおろそかにする口実にするな、とまで言い切っている。“理想は、みんなが強調的な財政拡大政策について合意すること”だと言うのだ。
“消費税の引き上げが、なぜ日本の回復をこれほど大きく阻害したのか、分からない。”が、“おそらくは、まさに日本の経済の基礎条件の人口動態が極めて好ましくなく、労働年齢人口はいまや毎年1%以上も縮小している”ことが要因になっているのだろうと指摘。
“(原油等の)資源価格の下落は、世界の多数の人々にとって非常に重要なことであるのですが、先進諸国の問題としては、そこまで大きなものではない。先進国の経済悪化はそれによるのではなく、需要不足の問題だからだ。”
“人々の合意可能な景気刺激策を提起できる分野が気候変動対策にある。これ以上に重要な問題などないということに加えて、これは先進国におけるグリーン・テクノロジーへの移行という、民間投資のインセンティブでありうる。”
というような所で、議論はほぼ終わっている。
スティグリッツ教授の議論で印象的だったのは、会合後の同教授の記者団に語った“消費税を止めるべきだが、それを止めて財政が気になるなら環境税、炭素税を創設すれば良い。財界は嫌がるだろうが説得するべきだ。”と言っていたことだ。
しかし、スティグリッツ教授のメモを見てみると“大不況the Great Recession”対策から始まっている。いわゆる長期停滞論のマクロな現状認識論の提示である。その対策として“いの一番”に言っているのが“緊縮財政は止めよEnding austerity”である。(この官製訳は実に適切)クルーグマン教授と同じく積極財政に言及している。そして、格差是正とそのための構造改革や地球環境問題対応に言及している。まさにリベラリストの真骨頂である。
スティグリッツ教授の提言は私には分かり難い所もあるが、特に後半は政策的に経済分野での全世界的統制管理の機能が必要だと言うのが同教授の主なテーマのようで、その観点での論点整理になっているように思われる。そこには、パナマ文書による曝露でも明らかになったタックス・ヘブンの問題も含まれるのだろう。背景には多国籍企業の“お行儀の悪さ”もあるのだろう。オバマ大統領の指摘のように“違法ではないが、まさにそのことが問題なのだ。” 総じて、クルーグマン教授の指摘と衝突する議論は認められない。
両米人学者の提言の基本は需要の喚起が出来ていないことつまり、長期停滞論が最大のテーマなのだろう。“消費税増税延期論”は日本のローカルで小さなテーマで、そんなことが彼等の視野にあるのではないことが分かる。いわば、現代資本主義が危機に瀕していることが問題なのだ。となれば水野和夫氏の“資本主義はその地理的フロンティアが無くなったことにより停滞している”という説が脳裏に浮かぶ。そうした議論を考慮しつつ考えをめぐらせれば、次のようになるのではないか。資本主義のフロンティアは地理的には無くなったが、その内部構造に求めるべきではないか。つまり格差により経済的辺境に追いやられている人々を総需要の対象とすることで、ケインズ理論はさらに復活を遂げるのではないか。これは、今まさに日本ではとりあえず保育士や介護士等が正当な報酬を得ていないことが喫緊の課題であり、さらには性差格差であり、非正規労働者の問題ではないか。“国の宝”である子供達への教育の無償化も極めて大きな議論の対象だろう。
しかし安倍首相にはそこまで読み取ることはできたのだろうか。まさしく、ここがアベノミクスがアホノミクスに堕するかどうかの瀬戸際ではないのか。
特に両教授は驚くほど、財政赤字を恐れるな、徹底してやれ、と言っている。日本の財務官僚のように赤字財政増大を恐れていては何もできない。要するに、もっと社会保障費を増大させて、日本国民が抱いている将来に対する不安を解消させることが、需要や消費の喚起への近道だと言っているのではないか。それこそが経済の語源・経世済民なのだが、だからこそ財政赤字のみを気に病む財務官僚はこうした議論を原則非公開としたいのだろう。
両教授も言及した地球環境問題にも着目して、グリーン・テクノロジーのための民間投資のインセンティブ強化のための税制も創設するべきだろう。法人税減税などに地道を上げている場合ではない。サプライサイドをいくら活性化しようとしても需要は喚起できない。
折角の1万1300円で得た、当代随一の経済学者の金言を日本の政治家が活かすのは、“今デショウ!”。しかし、彼等の曇った眼には、何を言われても何も見えていない、気付かないのではないか。そして最も問題なのは、こういう重要な議論を政府に同調して覆い隠している日本のマスコミの姿勢であり、こういう議論に言及しようとしない政府に同調している大勢のいい加減な経済評論家達である。彼ら日本のオピニオン・リーダーは一様に罪深い人々なのだ。
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