The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
本当に“原発は必要”なのだろうか?
原発の技術は人類社会に必要不可欠なのだろうか。これは 今、私が工学的、技術的に最も関心を持っている事柄だ。
人類社会の運営・維持には膨大なエネルギーの使用は不可欠である。全ての人々の基本的人権、つまり健康で文化的な生活を保障しようとすると膨大なエネルギーの消費が必要なのだ。したがってエネルギー源の確保は人類社会に必要なことなのだが、石炭や石油の化石燃料は、埋蔵量に限りがある。しかも 怪しい議論ではあるが化石燃料がCO2による温暖化の原因とも言われている。そこで、自然エネルギーの有効利用が言われるが、このエネルギーはそのままでは弱々しいので集約しなければ使い物にならず、その集約にコストつまり、エネルギーを要する本質的矛盾を抱えている。ところが現代文明は 瞬時に膨大なエネルギーを消費することで支えられているので、自然エネルギーは使い勝手が悪い。
これらに対して、原子力エネルギーは問題が 少ないように見える。少なくとも、放射線対策や 放射性物質の処理が安全に行われさえすれば、一挙に巨大なエネルギーを吐き出す原子力は現代文明の維持・発展には最適に見える。
この原子力エネルギーの評価について定見を持つために、少し手がかりを探ろうと本をまず2冊読んでみた。1冊は 京大熊取実験原子炉での研究者の小出裕章氏の“原発のウソ” と テレビでお馴染みの武田邦彦氏の“原発大崩壊”である。小出氏は原子力研究者にして、根っからの反原発論者。武田氏は どうやら今回の福島事故で反原発派に回ったようだ。いずれも“反原発”の立場から書かかれている。むしろ、今や“原発推進”の本は探すのが困難な状況ではあるが、手懸りを得る最初の本としては適当なところだろう。また、その“反原発”立論の論理性というか、納得性を確認するために手始めに読んでみだというところだ。
読んでみて小出氏は、テレビ等での発言より本ではもっと豊富なデータで鋭く切り込んでいるのではないかと期待したが、この本には少々落胆した。どうやら、小出氏の講演やインタビューを編集者に再構成してもらった本であるからか、残念ながら迫力に欠けるようだ。ネット上の小出氏の資料を読んだ方がまだましだったかもしれない。
原子力エネルギーを評価するに際して、まず放射線の人体への影響についての定見を持っていなければならない。ところが、この肝心な点について、世間には様々な評価議論がありどれが正しいと考えるべきか判断が難しい。
この点では、小出氏は放射線にはDNAを破壊する性質が原理的特性としてあり、これは絶対的なもので人体にはこれを修復する機能はないという認識が強く、放射線には医学的に絶対的有害性があるとしている。また特に、JCO臨界事故で亡くなった2人についてのその際の悲惨さについては具体的に伝えている。この小出氏に見るように、放射線や放射性物質の毒性をどのように見るかで、原子力エネルギーへ向き合う態度が決定される傾向にあるように見受ける。
武田氏は この有害性の評価基準を“国際放射線防護委員会ICRP“の提示している“平常時、1年間に浴びても問題ない放射線量は1ミリ・シーベルト”としていて、これを基準に論旨展開しており、同じICRPの“事故復旧のための緊急時は20ミリ・シーベルトまで良い”という見解を 一般人に適用しようとした政府を批判している。(福島原発での作業員には 専門家向けの基準の年間100ミリ・シーベルトを政府は急遽250ミリ・シーベルトにまで引き上げている。政府よりの学者には 国際基準は500ミリ・シーベルトだから大丈夫、と言う人も居る。)
通常、計測器では1時間当たりの線量が表示されるようなので、武田氏はこの点も踏まえて、時間当たり1マイクロ・シーベルトは年間約8.8ミリ・シーベルトに相当し、危険レベルであるとしている。これから筆者が計測器の測定値でどのレベルが安全か計算すると0.11マイクロ・シーベルト/時間未満でなければならないとなる。さらに武田氏はICRP基準を敷衍して、安全のための判断基準としては、通常測定値の大気線量測定値の3倍を許容値としなければならないとしている。それは、①大気による外部被爆だけでなく、内部被爆も考慮しなければならないためで、②空気中の放射性物質が体内に入ること、③食品を摂取することによる影響も考慮すれば効果は3倍になるからだという。
こうした低線量における評価については小出氏は、その絶対的有害性を強調し、アメリカ科学アカデミーのBEIRの最新研究結果による“直線、閾値なしLNT”モデルを支持している。つまり“被爆リスクは低線量にいたるまで直線的に存在し続け、閾値はない”(つまり年間1ミリ・シーベルト以下でも危険)とし、人体の防衛機能を考慮した修復効果やホルミシス効果を否定し、直線的影響より大きな影響を受けるとするバイノミナル効果やバイスタンダー効果、ゲノム(遺伝子)不安定性について言及している。
だが、ここまで言うと 飛行機に搭乗して受ける宇宙線の影響や、温泉地のラジウムによる影響も警戒しなければならなくなるが、このホルミシス効果の論拠となる点については全く触れておらず、科学者の態度としては不公平に思える。
この点について武田氏は “世界にはそれ(福島第一原発の放射線量)以上の、自然放射線が出ているところがあって、がんの発生率が低い”には、 “そういう地域は平均寿命がものすごく低い”ので分からないとして、判断を留保している。
さらに、武田氏はプルトニウムの毒性については“角砂糖1個のプルトニウムで日本の人口が死ぬ”と言うのはウソで、“放射性ヨウ素の300倍くらいの毒性”だと指摘している。この点は特に 反原子力で有名な故高木仁三郎氏の主張とは真っ向から対立する見解のように見える。一方、小出氏には逆に高木氏と似た若干冷静さを越えた感情的なメンタリティを感じてしまう。
注意深く読んでみると、この年間1ミリ・シーベルトの線量の影響度についての両者の認識は次のように微妙に異なっているのに気付く。小出氏は“1万人に1人ががんで死ぬ確率”としているが、武田氏は“1000人に5人が「過剰発ガン」になる”としていて、少し認識が違う。このように判断基準自体に専門家の見解がわずかではあるが異なるというのも一般人が判断に戸惑う原因になっているのではないか。先の低線量被爆リスクへの評価とともに、これらの見解の齟齬を放置していると、将来さらに社会的な危機が生じた時、一般人がパニックに陥る可能性の一因になるのではないかと懸念する。
さて、原子爆弾では瞬時に進行させる核分裂を、原子炉は緩やかに持続的に継続させているのだが、具体的にこの両者を比較してみるとどうなのか興味のあるところだ。小出氏は “広島の原爆で燃えたウランは800g。・・・(これが炸裂して)広島の街が壊滅し、10万人以上の人が死んでしまった。”と指摘し、“100万kWの原子力発電所は、1年間に1トンのウランを燃やしている”とのこと。そして、“4月現在で福島第一原発から放出された放射性物質は「チェルノブイリの1割程度」と発表”されており、“このチェルノブイリから出た放射性物質はセシウム137換算で広島原爆の800発分”なので福島では“すでに原爆80発分の「死の灰」が飛び散った”としている。(広島原爆はTNT火薬換算で20キロトン。50kgのウランを使用しその内有効だったのは1kg弱とされている。)
それから、小出氏は原発のコストについて大島堅一氏(立命館大学)の試算を参照して言及している。これによると、一般水力は3.98円/kWh、火力は9.90円/kWh、原子力は10.68円/kWhだという。実はこれに夜間の余剰電力を使った揚水発電コストを原子力に上乗せすると、12.23円/kWh。先日放送された報道ステーションでは原発に燃料の再処理費や立地自治体への交付金を含めると13.7円/kWhとなり、今回の賠償金を10兆円として含めると17.2円/kWhとなると言っていたように思う。それが事実なら、原発はかなり高い。
原発を開始した当初からそのコストには廃炉処理費用が試算不能を理由に含まれていないことは問題視されていたし、電力会社のデータには 作為的に水力発電のコストとして揚水を含めて比較しているとの指摘も聞いたことがある。
さらに最近は、CO2の排出に関して“クリーン”であるとして“原発ルネッサンス”と言われてきた。この点に関して小出氏は、ウランの採掘から精錬、濃縮・加工、・・・廃棄処分に至る各プロセスにおいて細かく見て行くと、多量に化石燃料が使用されており、当然ながらCO2の排出あるとしている。この本では具体的な数値は示してはいないが、同氏の別の資料では電力中央研究所によるCO2の排出量算出データを提示している。そこでは沸騰水型と加圧水型の原子炉で燃料リサイクルの有無によって概ね24~31g-CO2/kWhと示されている。
CO2は地球温暖化の主因であるとして忌み嫌われているのだが、小出氏は原発は原子炉で生み出した熱の3分の1しか有効に電力に変換為しえていないことを指摘している。CO2排出よりも、直接的な熱の排出により、原発の周囲の海は温暖化し、生態系が破壊される懸念を表明している。小出氏自身は言及していないが、この問題点を突き詰めれば、高性能のガスタービン発電機を使った地域冷暖房の方が、90%近い熱効率であるため、地球温暖化防止には 原発より有効かも知れない。
武田氏は、原発のCO2に関しては、“原発は建設費が8割、燃料費が2割で、火力発電はほぼその逆です。原発の建設費は鉄とコンクリートに変わるのですから、それを作るときに多量に石炭を使っているわけで、そこでCO2が出てくる”とだけ、軽く触れているにとどまっている。
武田氏が指摘した点で、重要だと思うのは原子炉の耐震設計はとりあえず問題は少ないのだが、付帯施設についての耐震性には配慮された基準がないため問題があり、福島の事故はその結果であるとのことである。これを、同氏は“これまでの「原子炉を守る」という原子炉至上主義を改めて、「住民を守る」”という姿勢へ徹底した転換が必要だとしている。確かに 不思議なことに日本の政府は明治以来、国民や住民の視線で政策を実施したことは ほとんどない。そういう姿勢の転換は確かに重要なことだと思われるが、具体的にどうすればよいのか不明である。
それ以外に武田氏の重要な指摘は、今 何かというと自然エネルギーだ、取り分け太陽光発電だと世間は騒いでいるのだが、その単純な発想への警告である。同氏への佐世保市からの依頼で、“実際に(太陽光発電を)佐世保市でやったら環境がどうなるかシミュレーションして”欲しいとの依頼に応えて調査したところ、“同市で使用する電力の8%を太陽光発電でまかなおうとして、これを推進すると、市周辺の野生生物が大量に死ぬ”という結論だったという。メガ・ソーラーのように“膨大な数のソーラーパネルを敷きつめれば、膨大な土地が太陽を奪われた「死の世界」になる”と指摘している。
同様に風力であろうと、水力であろうと同じことは起きる。風力や水力では、取り出されたエネルギー分の風の流れや水の流れが、小さくなり それまでの風や水の流れで恩恵を受けていた自然がその分破壊されるという主張だ。当然と言えば当然の論理なのだが、世の中の多くの人、それも相当高いレベルの人でも見落としている点である。
それからついでながら興味深い指摘をもう一つ武田氏がしている。それは地球の地熱がウラン235の崩壊熱によるもので、“地球ができたばかりの40億年ほど前、ウラン235は30%”あった。“ウラン235の半減期は7億年とかなり長い”が40億年の間に減って現在0.72%になっている。“地球は、外からは核融合が続いている太陽に暖められ、内側からは原子の崩壊熱で暖められ”てきて、地球上の生命はその中で生きてきたという自然界の皮肉である。
最後に原発への姿勢について武田氏は 次のように結論している。
“私たち日本人がとるべきエネルギー政策は3つあります。
①良質の石油や石炭はおよそ1000年分はあるが、日本にはないので外国からかわなくてはいけない。
②太陽光、風力、水力は自然破壊とのバランスで今の技術では全電力の10%程度しか賄えない。
③日本の原発は(現在は)すべて危険だが、日本には「安全な原発」をつくる技術はある”
しかし、現在の日本社会が自己都合でウソをつく政府や電力会社を抱えている限りにおいて、同氏の従来の主張「安全な原発はやるべきだ」は引っ込めざるを得ないとしている。こうした御用学者の存在や 日本の社会システムの問題への指摘に多くの紙幅を費やしている。だが、具体的にどうするべきなのだろうか。
それに、私自身は③の命題には少々疑問がある。“技術”そのものより、日本のシステム全体のリスク評価の手法や認識において大いに問題があると思っているからだ。リスク認識技術も“技術”に含めるならば、“日本に技術は無い”と私自身は思っている。
ここまで今のところ、両氏のこれらの主張には私も概ね同調したい。だが、私が反原発を支持する決定的根拠は 実は小出氏の参議院行政監視委員会での発言によるものである。それは 次のような論旨だと思っている。
エネルギー枯渇を心配するならば、ウランは石油や石炭に比べてはるかに貧しい資源である。このような貧しい資源に危険を冒して頼るのは問題だ。だが、推進派はウランではなく、ウランを燃やしてできるプルトニウムを核燃料サイクルで利用して行くのが本来目的だと言っている。しかし、このための高速増殖炉の開発が一向に進展せず、膨大な国費を無駄に費やして来ている。しかも、この失敗に誰も責任を取らない。さらに、これまで発生したプルトニウムや核廃棄物も処理できずにあり、これら核廃棄物は何十万年以上も慎重に保管しなければならない。現在技術では、高々数十年のエネルギー資源のためにその費消結果の廃棄物を何十万年以上もの間 費用をかけて面倒を見るというのは どう考えても経済合理性は無い。
これが現在のところ 原子力エネルギーを評価するにあたって最も合理的な考え方ではないか、と私は思っている。非常に長くなってしまったが、いかがだろうか。
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人類社会の運営・維持には膨大なエネルギーの使用は不可欠である。全ての人々の基本的人権、つまり健康で文化的な生活を保障しようとすると膨大なエネルギーの消費が必要なのだ。したがってエネルギー源の確保は人類社会に必要なことなのだが、石炭や石油の化石燃料は、埋蔵量に限りがある。しかも 怪しい議論ではあるが化石燃料がCO2による温暖化の原因とも言われている。そこで、自然エネルギーの有効利用が言われるが、このエネルギーはそのままでは弱々しいので集約しなければ使い物にならず、その集約にコストつまり、エネルギーを要する本質的矛盾を抱えている。ところが現代文明は 瞬時に膨大なエネルギーを消費することで支えられているので、自然エネルギーは使い勝手が悪い。
これらに対して、原子力エネルギーは問題が 少ないように見える。少なくとも、放射線対策や 放射性物質の処理が安全に行われさえすれば、一挙に巨大なエネルギーを吐き出す原子力は現代文明の維持・発展には最適に見える。
この原子力エネルギーの評価について定見を持つために、少し手がかりを探ろうと本をまず2冊読んでみた。1冊は 京大熊取実験原子炉での研究者の小出裕章氏の“原発のウソ” と テレビでお馴染みの武田邦彦氏の“原発大崩壊”である。小出氏は原子力研究者にして、根っからの反原発論者。武田氏は どうやら今回の福島事故で反原発派に回ったようだ。いずれも“反原発”の立場から書かかれている。むしろ、今や“原発推進”の本は探すのが困難な状況ではあるが、手懸りを得る最初の本としては適当なところだろう。また、その“反原発”立論の論理性というか、納得性を確認するために手始めに読んでみだというところだ。
読んでみて小出氏は、テレビ等での発言より本ではもっと豊富なデータで鋭く切り込んでいるのではないかと期待したが、この本には少々落胆した。どうやら、小出氏の講演やインタビューを編集者に再構成してもらった本であるからか、残念ながら迫力に欠けるようだ。ネット上の小出氏の資料を読んだ方がまだましだったかもしれない。
原子力エネルギーを評価するに際して、まず放射線の人体への影響についての定見を持っていなければならない。ところが、この肝心な点について、世間には様々な評価議論がありどれが正しいと考えるべきか判断が難しい。
この点では、小出氏は放射線にはDNAを破壊する性質が原理的特性としてあり、これは絶対的なもので人体にはこれを修復する機能はないという認識が強く、放射線には医学的に絶対的有害性があるとしている。また特に、JCO臨界事故で亡くなった2人についてのその際の悲惨さについては具体的に伝えている。この小出氏に見るように、放射線や放射性物質の毒性をどのように見るかで、原子力エネルギーへ向き合う態度が決定される傾向にあるように見受ける。
武田氏は この有害性の評価基準を“国際放射線防護委員会ICRP“の提示している“平常時、1年間に浴びても問題ない放射線量は1ミリ・シーベルト”としていて、これを基準に論旨展開しており、同じICRPの“事故復旧のための緊急時は20ミリ・シーベルトまで良い”という見解を 一般人に適用しようとした政府を批判している。(福島原発での作業員には 専門家向けの基準の年間100ミリ・シーベルトを政府は急遽250ミリ・シーベルトにまで引き上げている。政府よりの学者には 国際基準は500ミリ・シーベルトだから大丈夫、と言う人も居る。)
通常、計測器では1時間当たりの線量が表示されるようなので、武田氏はこの点も踏まえて、時間当たり1マイクロ・シーベルトは年間約8.8ミリ・シーベルトに相当し、危険レベルであるとしている。これから筆者が計測器の測定値でどのレベルが安全か計算すると0.11マイクロ・シーベルト/時間未満でなければならないとなる。さらに武田氏はICRP基準を敷衍して、安全のための判断基準としては、通常測定値の大気線量測定値の3倍を許容値としなければならないとしている。それは、①大気による外部被爆だけでなく、内部被爆も考慮しなければならないためで、②空気中の放射性物質が体内に入ること、③食品を摂取することによる影響も考慮すれば効果は3倍になるからだという。
こうした低線量における評価については小出氏は、その絶対的有害性を強調し、アメリカ科学アカデミーのBEIRの最新研究結果による“直線、閾値なしLNT”モデルを支持している。つまり“被爆リスクは低線量にいたるまで直線的に存在し続け、閾値はない”(つまり年間1ミリ・シーベルト以下でも危険)とし、人体の防衛機能を考慮した修復効果やホルミシス効果を否定し、直線的影響より大きな影響を受けるとするバイノミナル効果やバイスタンダー効果、ゲノム(遺伝子)不安定性について言及している。
だが、ここまで言うと 飛行機に搭乗して受ける宇宙線の影響や、温泉地のラジウムによる影響も警戒しなければならなくなるが、このホルミシス効果の論拠となる点については全く触れておらず、科学者の態度としては不公平に思える。
この点について武田氏は “世界にはそれ(福島第一原発の放射線量)以上の、自然放射線が出ているところがあって、がんの発生率が低い”には、 “そういう地域は平均寿命がものすごく低い”ので分からないとして、判断を留保している。
さらに、武田氏はプルトニウムの毒性については“角砂糖1個のプルトニウムで日本の人口が死ぬ”と言うのはウソで、“放射性ヨウ素の300倍くらいの毒性”だと指摘している。この点は特に 反原子力で有名な故高木仁三郎氏の主張とは真っ向から対立する見解のように見える。一方、小出氏には逆に高木氏と似た若干冷静さを越えた感情的なメンタリティを感じてしまう。
注意深く読んでみると、この年間1ミリ・シーベルトの線量の影響度についての両者の認識は次のように微妙に異なっているのに気付く。小出氏は“1万人に1人ががんで死ぬ確率”としているが、武田氏は“1000人に5人が「過剰発ガン」になる”としていて、少し認識が違う。このように判断基準自体に専門家の見解がわずかではあるが異なるというのも一般人が判断に戸惑う原因になっているのではないか。先の低線量被爆リスクへの評価とともに、これらの見解の齟齬を放置していると、将来さらに社会的な危機が生じた時、一般人がパニックに陥る可能性の一因になるのではないかと懸念する。
さて、原子爆弾では瞬時に進行させる核分裂を、原子炉は緩やかに持続的に継続させているのだが、具体的にこの両者を比較してみるとどうなのか興味のあるところだ。小出氏は “広島の原爆で燃えたウランは800g。・・・(これが炸裂して)広島の街が壊滅し、10万人以上の人が死んでしまった。”と指摘し、“100万kWの原子力発電所は、1年間に1トンのウランを燃やしている”とのこと。そして、“4月現在で福島第一原発から放出された放射性物質は「チェルノブイリの1割程度」と発表”されており、“このチェルノブイリから出た放射性物質はセシウム137換算で広島原爆の800発分”なので福島では“すでに原爆80発分の「死の灰」が飛び散った”としている。(広島原爆はTNT火薬換算で20キロトン。50kgのウランを使用しその内有効だったのは1kg弱とされている。)
それから、小出氏は原発のコストについて大島堅一氏(立命館大学)の試算を参照して言及している。これによると、一般水力は3.98円/kWh、火力は9.90円/kWh、原子力は10.68円/kWhだという。実はこれに夜間の余剰電力を使った揚水発電コストを原子力に上乗せすると、12.23円/kWh。先日放送された報道ステーションでは原発に燃料の再処理費や立地自治体への交付金を含めると13.7円/kWhとなり、今回の賠償金を10兆円として含めると17.2円/kWhとなると言っていたように思う。それが事実なら、原発はかなり高い。
原発を開始した当初からそのコストには廃炉処理費用が試算不能を理由に含まれていないことは問題視されていたし、電力会社のデータには 作為的に水力発電のコストとして揚水を含めて比較しているとの指摘も聞いたことがある。
さらに最近は、CO2の排出に関して“クリーン”であるとして“原発ルネッサンス”と言われてきた。この点に関して小出氏は、ウランの採掘から精錬、濃縮・加工、・・・廃棄処分に至る各プロセスにおいて細かく見て行くと、多量に化石燃料が使用されており、当然ながらCO2の排出あるとしている。この本では具体的な数値は示してはいないが、同氏の別の資料では電力中央研究所によるCO2の排出量算出データを提示している。そこでは沸騰水型と加圧水型の原子炉で燃料リサイクルの有無によって概ね24~31g-CO2/kWhと示されている。
CO2は地球温暖化の主因であるとして忌み嫌われているのだが、小出氏は原発は原子炉で生み出した熱の3分の1しか有効に電力に変換為しえていないことを指摘している。CO2排出よりも、直接的な熱の排出により、原発の周囲の海は温暖化し、生態系が破壊される懸念を表明している。小出氏自身は言及していないが、この問題点を突き詰めれば、高性能のガスタービン発電機を使った地域冷暖房の方が、90%近い熱効率であるため、地球温暖化防止には 原発より有効かも知れない。
武田氏は、原発のCO2に関しては、“原発は建設費が8割、燃料費が2割で、火力発電はほぼその逆です。原発の建設費は鉄とコンクリートに変わるのですから、それを作るときに多量に石炭を使っているわけで、そこでCO2が出てくる”とだけ、軽く触れているにとどまっている。
武田氏が指摘した点で、重要だと思うのは原子炉の耐震設計はとりあえず問題は少ないのだが、付帯施設についての耐震性には配慮された基準がないため問題があり、福島の事故はその結果であるとのことである。これを、同氏は“これまでの「原子炉を守る」という原子炉至上主義を改めて、「住民を守る」”という姿勢へ徹底した転換が必要だとしている。確かに 不思議なことに日本の政府は明治以来、国民や住民の視線で政策を実施したことは ほとんどない。そういう姿勢の転換は確かに重要なことだと思われるが、具体的にどうすればよいのか不明である。
それ以外に武田氏の重要な指摘は、今 何かというと自然エネルギーだ、取り分け太陽光発電だと世間は騒いでいるのだが、その単純な発想への警告である。同氏への佐世保市からの依頼で、“実際に(太陽光発電を)佐世保市でやったら環境がどうなるかシミュレーションして”欲しいとの依頼に応えて調査したところ、“同市で使用する電力の8%を太陽光発電でまかなおうとして、これを推進すると、市周辺の野生生物が大量に死ぬ”という結論だったという。メガ・ソーラーのように“膨大な数のソーラーパネルを敷きつめれば、膨大な土地が太陽を奪われた「死の世界」になる”と指摘している。
同様に風力であろうと、水力であろうと同じことは起きる。風力や水力では、取り出されたエネルギー分の風の流れや水の流れが、小さくなり それまでの風や水の流れで恩恵を受けていた自然がその分破壊されるという主張だ。当然と言えば当然の論理なのだが、世の中の多くの人、それも相当高いレベルの人でも見落としている点である。
それからついでながら興味深い指摘をもう一つ武田氏がしている。それは地球の地熱がウラン235の崩壊熱によるもので、“地球ができたばかりの40億年ほど前、ウラン235は30%”あった。“ウラン235の半減期は7億年とかなり長い”が40億年の間に減って現在0.72%になっている。“地球は、外からは核融合が続いている太陽に暖められ、内側からは原子の崩壊熱で暖められ”てきて、地球上の生命はその中で生きてきたという自然界の皮肉である。
最後に原発への姿勢について武田氏は 次のように結論している。
“私たち日本人がとるべきエネルギー政策は3つあります。
①良質の石油や石炭はおよそ1000年分はあるが、日本にはないので外国からかわなくてはいけない。
②太陽光、風力、水力は自然破壊とのバランスで今の技術では全電力の10%程度しか賄えない。
③日本の原発は(現在は)すべて危険だが、日本には「安全な原発」をつくる技術はある”
しかし、現在の日本社会が自己都合でウソをつく政府や電力会社を抱えている限りにおいて、同氏の従来の主張「安全な原発はやるべきだ」は引っ込めざるを得ないとしている。こうした御用学者の存在や 日本の社会システムの問題への指摘に多くの紙幅を費やしている。だが、具体的にどうするべきなのだろうか。
それに、私自身は③の命題には少々疑問がある。“技術”そのものより、日本のシステム全体のリスク評価の手法や認識において大いに問題があると思っているからだ。リスク認識技術も“技術”に含めるならば、“日本に技術は無い”と私自身は思っている。
ここまで今のところ、両氏のこれらの主張には私も概ね同調したい。だが、私が反原発を支持する決定的根拠は 実は小出氏の参議院行政監視委員会での発言によるものである。それは 次のような論旨だと思っている。
エネルギー枯渇を心配するならば、ウランは石油や石炭に比べてはるかに貧しい資源である。このような貧しい資源に危険を冒して頼るのは問題だ。だが、推進派はウランではなく、ウランを燃やしてできるプルトニウムを核燃料サイクルで利用して行くのが本来目的だと言っている。しかし、このための高速増殖炉の開発が一向に進展せず、膨大な国費を無駄に費やして来ている。しかも、この失敗に誰も責任を取らない。さらに、これまで発生したプルトニウムや核廃棄物も処理できずにあり、これら核廃棄物は何十万年以上も慎重に保管しなければならない。現在技術では、高々数十年のエネルギー資源のためにその費消結果の廃棄物を何十万年以上もの間 費用をかけて面倒を見るというのは どう考えても経済合理性は無い。
これが現在のところ 原子力エネルギーを評価するにあたって最も合理的な考え方ではないか、と私は思っている。非常に長くなってしまったが、いかがだろうか。
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