The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
近大原子炉実験・研修会に参加して
原子力エネルギーをどう考えるか難しい問題だ。原子力問題はそのエネルギーを日常生活で使用してしまっているにもかかわらず、その大本たる原子炉そのものを見たこともなく、その負の主要側面である“放射能”も目にすることができない。人は感じて考えるものだが、原子力は 感じる前に考えさせられる難問となっている。こういう状態は、涼やかな頭脳を持ち得ていない私には大いなる苦痛でしかない。しかも、理詰めで正確な結論を得るには、問題点の前提条件を全て不足無く揃えておかなければならない。ところが、感じずに考える場合、この考える前提条件の重要な要素を見落としがちであり、そうなると間違った結論を出してしまうことになる。そういう懸念を持ちながら、思考を巡らせることは私には辛いことである。つまり無駄になる可能性の高いことをする懸念と苦痛に耐え切れず思考停止となるのが普通ではないか。
したがって原子力とは何か、それを感じるために原子炉というものに実際に触れてみて、その原理、構造、挙動を知ることや、放射能というものを実感し、その挙動や特性を知ることが何より重要なことだと思うのだが、世の中にはそういう機会は全くと言ってよいほど殆どない。電力会社の原発見学会に参加したこともあるが、原理や構造は模型を見せられるだけで、特に最近は保安上の問題で現場に近づくことすら許されなくなっている。せいぜいで、原発プラントの巨大性と警戒の厳重さを見せ付けられるだけで、まして、放射能を感じることは全くない。つまり一般人が原子力そのものを体感することはほとんどできないのが現状なのだ。
ならば、大学の研究用原子炉の見学はどうなっているのだろかと思い、大阪府下にある2つの研究用原子炉をネットで調べてみた。熊取にある京大の原子炉と東大阪の近大の炉だ。私が調べた頃は、熊取は3・11の影響か、見学会を中止していたが、近大は実施していた。しかも、熊取は半日(午後の数時間)コースだが、近大は2日間のみっちりコースだったので、これ幸いと申し込んだ次第であった。その研修会が先週あり、参加し無事修了証を得た。
近畿大学は東大阪市の近鉄・長瀬駅を降りて、商店街をゆっくり歩いて15分程度歩のところにある。実は、私の育った家は長瀬駅の次の駅を下車した所にあり、子供の頃この商店街は日常の買い物圏であり、その頃は“大学通り”と呼ばれて今より繁盛していた。しかも、近大は私の小学校の校区内にあった。当時、この原子炉が設置されるというニュースは全国紙に 見落とされる程小さな記事となって掲載されていた。そして、我ら学童の間でも話題になったことがあったが、それは話として長続きせず、不思議と反対する住民運動について―本当はあったらしいが―当時は聞いたことがなく、いつのまにか原子炉そのものの具体的消息は不明となってしまった。どうやら、近大自身も周辺住民に ことさらにその存在を誇示している印象もないまま、今に至っているようだ。しかし、折に触れてテレビなどの報道で話題となることもあり、研究活動は無事継続されているらしいという認識はあった。ここに来て、改めてネットで調べてみて、そこに堂々と掲載されているのには小さな驚きを抱いた程だ、というのが正直なところだった。
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さて、ようやく当日となり、自宅の神戸から阪神電車に乗り鶴橋経由で近鉄大阪線に乗り換え長瀬駅に到着。あいにく台風直撃懸念のさ中で、駅からその商店街に入り、途中から東進し、時折吹く強い風に閉口しながら、大学入口を跨いでいる堂々たる学舎をくぐり、事前に送られた案内図に従い、そこを直角に曲がりキャンパスを南下直進して原子力研究所を目指す。実はここまで至るのは初めてで、一旦キャンパスから出て一般道を横断するのだが、門は閉ざされていた。仕方ないので西側の校舎へ迂回したが、どうしても原研に接近できず、門に戻って出入口と表示された門の取手に思い切って手をかけるとあっさり開き、無事入ることができた。不逞の輩が紛れ込まないように一応門を閉ざしているようだ。受付で名札を渡され、構内では着用必須となっていた。
研修は次のような予定で、この通り実施された。
第一日目は原子炉研修中心。核物理に関する講義と原子炉操作実習。関連して福島原発事故についての解説。
その日の夕食は、講師陣と参加者の会食。
第二日目は放射線の計測と、放射線の有害性についての若干の講義。
[原子核物理(核分裂)に関する初歩的知識の講義と原子炉実習]
手短な原研所長のご挨拶で始まり、引き続き管理区域の保安教育や初歩の原子物理学の講習、その後に原子炉の見学となった。
炉の建物は原研の管理棟とは別棟で奥にあり、渡り廊下でつながっている。入口で金属探知機による身体検査の後、管理区域に入るためのスリッパに履きかえる。炉は操作室の次の建物の一番奥にある。驚くことに、この建物内の撮影は許されており、参加者の殆どはカメラを持参していた。だが、炉頂で炉心の様子を取ることだけは止められた。
先ず、この研究炉は極低出力1Wであるため、暴走しても抑止制御が容易であるとの説明があった。つまり、1Wのエネルギーとは手を擦り付ける程度の熱エネルギーであり、燃料棒が浸っている水を最大でも60℃程度にしか上昇させることしかできない由。(後で計算すると1Wは1時間運転しても500mlのペットボトルの水を1.7℃程度温めるだけの熱量)また、この水は冷却が本来目的ではなく発生する中性子を吸収し、外部へ漏れるのを抑制するための減速剤であるとのこと。また、燃料の損耗は1日1Wの運転で1μgであり、現在の燃料は設置当時からのままで50年のヴィンテージ物とのこと。
この炉の仕様概略は鶴田隆雄著“原子炉入門”に記載されており、炉頂での炉心の写真も掲載されている。この本によると、炉高さは約2m、直径は約4mの円筒形となっている。外側は鋼板製の遮蔽タンクとなっており、タンクの中は水と砂で満たしているとある。炉心は、炉頂から見ると縦横約1.4m、1.7mの方形で黒鉛のブロックで構成。この炉心の深さは外部から見えないが約1.6mの直方体となっている。燃料棒(集合体)の挿入や中性子源の挿入など、炉の操作のための準備作業等全ては炉頂で実施される。制御棒挿入装置上部もここに設置されている。このため、炉頂に上がるためのタラップが南側に東西の2方向から付けられている。運転時、炉頂は分厚い(約46cm)コンクリート製のブロック上蓋で覆われ、面一となる。燃料棒(集合体)の形態は下の写真の通りで、ウラン・アルミ合金をアルミ板で被覆して2mm×75mm×660mmの板状になったもの12枚で構成されている。この燃料集合体が6個ずつ、南北の2列に並んだ炉心タンクに納められる。制御棒(Cd製板)はその背後(燃料体より炉の外側)の4箇所に配置されている。
昼食後、炉操作のための座学と実習が行われた。先ず中性子源が職員の手で挿入され、運転開始。制御棒の出し入れによる臨界状態の維持操作を行い、この炉の操作上の特性を体験。最後に、実際に制御棒の挿入で簡単に無事ダウンさせることが出来た。この装置では、燃料崩壊熱があったとしても装置全体の熱容量が過大にしてあるため安全なのだろう。
実習後の印象としては、この原子炉管理は燃料等の放射性物質の管理が万全であれば全く問題ないということ。しかし、補助的に使用する機材物質は毒性の強いものが多い。例えば、制御棒はCdであり、中性子源はPuとBeで構成されているとのことで、機材の物質管理は厳重に行う必要があると思った。
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[福島原発の問題点について]
第一日目の最後の講義と質疑応答で、講師は中部電力出身の若い人で、福島原発事故がテーマである。講師によれば、やはり原因は長時間の全電源喪失とのこと。今後の対策としては、海岸立地の日本の原発には津波防護策の強化、具体的には建屋外に置かざるを得ない重要機器の防護強化と、建屋内機器については建屋扉の水密性の強化が必要。要するに、設置地域特有の自然災害への十分な防護策が必須であるとの結論であった。
質疑応答では、それぞれが事故後抱いた疑問について、講師から的確な回答を得ることができた。例えば、事故後の緊急外部放水は、その効果を考えると対米の外交上のパフォーマンスとしか考えられない、との説明。緊急炉心冷却時の制御棒の挿入の難易についてBWR(沸騰水型)は問題はないがPWR(加圧水型)は水の抵抗があり問題があるとのこと。だが、PWRは艦船に搭載されている多くの実績があり、全体の耐震性はBWRより有るのだろうとのこと。また現状では日本の使用済みのプルトニウムの保管が量的に限界来ているとの指摘もあった。
[会食]
会食は学食で開催。講師陣に原研所長も加わり、参加者の自己紹介と参加動機説明から始まり、その後、質疑応答となった。参加者の1人から、交通費や弁当代、この会食の費用は近大側が負担してくれているが、大丈夫なのかとの質問があった。これについて所長は企業の寄付等で何とかPR活動を続けていると説明された。この研修は昭和62年から実施しているが、あまりにも具体的な研修内容は問題があるとの外部指摘もあるが、本当のところを一般人に知ってもらうべきだと思って継続しているとのことであった。
実はこのブログでの先週の読書報告は事前勉強だったのだが、筆者はそれに基づき若干の質問を行った。すると一部の“専門家”には誤解を生むような誇大な表現を使っている場合があり、困っているのが実態だとの強い指摘が所長よりあった。今 流行の緊急出版本には要注意のところがあるようだ。また、放射能の安全性基準にはダブル・スタンダードのようなところがあるとの筆者の感想には所長も肯いておられた。
[放射線の測定と安全性]
二日目は実は寝坊した。朝食抜きで家を飛び出し、研修開始時刻にはぎりぎり飛び込んだつもりだったが、別の実験室での測定実習であり、参加者は既に移動を開始していた。隣席の女性から親切に持参物を告げられ、汗を拭く間もなくテキストと筆記具等必要最小限のものだけを持って実験室に向かう。なので、下の写真は携帯電話によるものだ。
実習では放射線の防護の3原則(遮蔽、暴露の距離・時間)等の講義と それを実感する計測実験が行われた。一般に放射線はγ線量で代表しているので、NaIシンチレーション検出器を用いたγ線計測器を使い、線源はセシウム137を使用した。計測器は今やデジタル表示を読み取ることになっているようだが、どうにも自然放射能のバックグラウンドが大きすぎて真値が分かり難い。計測時10~30秒程度静置するが、±10%程度はぶれる。従って、低線量域で問題となっている福島付近の計測値も何処まで正確な結果なのか疑わしく思える。まして、校正もされていない計測器ではどうしようもない。
その後、放射線の人体への影響についての講義があり、概ね100mSv/年が安全性の目安と思える内容だった。
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[原子力エネルギー学習室]
昼休みに原研の向かいの建物で 子供向けPRのための原子力エネルギー学習室で霧箱の実演をしているとのことで、見に行った。前日の昼休みにこの学習室を見てはいたが、霧箱の実演はしていなかった。霧箱の裏の部屋には子供向けの原子炉の解説パネルや太陽電池のおもちゃ、明かりの歴史など物品が展示されている。
霧箱の上部を覗くと、瞬間的にパァーと放射線の軌跡が広がる様子が分かるが、自然のランダムな放射なのでタイミングを外すと写真に撮りにくい。軌跡の形態も思いの外様々で、線状もあれば途中で雲状になることもある。その上、箱の上の透明カバーに外部の光が反射していて写真にならない。それにしても、自然放射線は結構頻繁で、結構密度も高いように思う。自然放射能のバックグラウンドが大きいのは、こういうことなのだと午前中に感じたことを納得する。
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[自然放射線の測定]
午後は、自然放射能の測定となった。場所は 講義している室内、原研の玄関前広場、西門から入って左手・北側にある池の上、西門の学舎のレンガに囲まれた中での測定であった。池には中央に初代総長の世耕弘一氏(同氏は原子炉導入者でもある)の銅像があり、水の放射線遮蔽効果を見るために測定、西門学舎内はレンガの放射能効果を見ている。
測定器は堀場製作所のRadi(下の写真)に拠ったが、測定値は相変わらずハンチングして読み取り辛い。しかも、時間が経過するとバックグラウンド・レベルそのものが変化するような印象だ。どの値を“測定値”とするべきか、戸惑うばかりだが、何とか中間値と言える値を記録したが夫々次の通り。講義室内::0.094μSv/h,原研玄関前広場:0.084μSv/h,池の上:0.067μSv/h,西門学舎内:0.088~0.104μSv/h。(ちなみに一般向けの国際放射線防護委員会ICRPの平常時一般向け安全基準は1mSv/年で、これを毎時に換算すると0.114μSv/h)したがって計測誤差を最大10%とすれば、レンガの中で1年間過ごすとICRP安全基準を超える可能性がでてくる。
だが、実はこの評価は厳密には間違っている。と言うのは、この研修で配付された近藤宗平著“低線量放射線の健康影響”によれば、“(ICRP安全基準の)年間1mSvの放射線は、自然放射線からラドン(の放射線)を除外した場合の世界平均値にほぼ等しい。”とある。従って、上記の測定は自然放射能値ではあるが、ラドンを除外はしていないからだ。ちなみに大阪での自然放射能値としてよく知られたデータは1.08mSv/年(=0.123μSv/h)となっているので、上記実測値は いずれもこの値を下回っていて矛盾する気がするのだが・・・。まぁ それくらい放射能測定は微妙なのかもしれない。
本来は福島付近での放射能測定値も、その地場での本来の自然放射能のラドン値(1.04mSv/年)を差引いて 安全基準値と比較するべきだが、その点はどうなっているのだろか。まして、中国製の校正のない安価な測定器で測定し、近所で異常値が出たとして沖縄に避難する人が実際に居るらしいが、少々行き過ぎた行為の観がある。
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[放射線の不安にこたえる]
福島原発事故後、近大原研で全国からの電話による“放射線に関する健康相談”をボランタリーで実施したことの説明があった。期間は3月22日~4月2日までの12日間で近大が受けた件数は544件とのこと。
実際には“短期的には問題でない線量”がほとんどだったので“情報を適切に発信することが必要”と思われたとのことで、住民には“積算線量とそのリスク”についてしっかり説明する必要があったとのこと。また、飲食物摂取に関する不安については、事例がなく説明のしようがない場合もあった由。
今後、放射線(放射能)の基準値の見直しが必要な部分もあるとのことだったが、私としては測定値から自然放射能を分離して評価する方法を確立する必要があるように思った。また平常時、緊急時、復旧時や業務従事者と一般人で基準が異なるなど場合分けが多すぎて分かり難い。それより妊婦や子供と通常の大人などの区分だけで基準値を作るべきではないかと思うのだがいかがだろうか。
最後の質疑において、放射線の安全性についての説明や基準値については、“放射線取り扱い主任者”のテキストや放射線医学研究所の刊行物、ホーム・ページ上の資料等を参考とした方が良いとの指摘があった。怪しい売名学者の本は忌避するべきであろう。
さて、こうして研修は無事終了。所長からの ご挨拶があり参加者代表に修了証の授与があり散会となった。参加者それぞれに修了証と御土産として下の写真にある“1ワット君”の人形をもらった。だが最後に渡されたペーパーを見て驚いた。この研修の感想文を所定の書式で1週間以内に提出せよとのこと。研修会でこんなことは始めてである。皆はどのような感想文を提出するのだろうか。
さぁて、“感じて考える”上での発見と言えば、自然放射線がいわゆる放射能測定には 大きな外乱的要素となることが分かった点であろうか。また、これに関連して放射能安全基準も、責任回避のためか管理対象によって結構細かく分類され過ぎていて、一般人には分かり難く誤解を招いている側面があるような気がする。原子炉そのものについては、小型の炉は原理的なものだけ理解していれば操作可能であり、単純との印象であるが、これが巨大なプラントになると冷却システムも必要となり機構が複雑になり、その分操作が複雑にならざるを得ないのかもしれない、とまぁそんな感想であった。
帰途、大学通りを歩いたが幼い頃母の手に引かれて買い物に来た思い出もあり、不思議な気分であった。だが、記憶に残る本屋、果物屋、肉屋、お菓子屋、食料品店も代替わりで閉店となったのか今や殆ど無い。定期的に空き地で開催される仮設の昼店は子供ながらも何だか楽しい気分だったことも思い出す。特に、その頃 この地域の中核的商業施設として繁盛していた市場とその隣接商店街が閉鎖し、市場はマンションに替わっているのは 致し方ないことだが寂しい気がする。近鉄電車で逆方向に“帰る”のも妙な感覚であった。
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したがって原子力とは何か、それを感じるために原子炉というものに実際に触れてみて、その原理、構造、挙動を知ることや、放射能というものを実感し、その挙動や特性を知ることが何より重要なことだと思うのだが、世の中にはそういう機会は全くと言ってよいほど殆どない。電力会社の原発見学会に参加したこともあるが、原理や構造は模型を見せられるだけで、特に最近は保安上の問題で現場に近づくことすら許されなくなっている。せいぜいで、原発プラントの巨大性と警戒の厳重さを見せ付けられるだけで、まして、放射能を感じることは全くない。つまり一般人が原子力そのものを体感することはほとんどできないのが現状なのだ。
ならば、大学の研究用原子炉の見学はどうなっているのだろかと思い、大阪府下にある2つの研究用原子炉をネットで調べてみた。熊取にある京大の原子炉と東大阪の近大の炉だ。私が調べた頃は、熊取は3・11の影響か、見学会を中止していたが、近大は実施していた。しかも、熊取は半日(午後の数時間)コースだが、近大は2日間のみっちりコースだったので、これ幸いと申し込んだ次第であった。その研修会が先週あり、参加し無事修了証を得た。
近畿大学は東大阪市の近鉄・長瀬駅を降りて、商店街をゆっくり歩いて15分程度歩のところにある。実は、私の育った家は長瀬駅の次の駅を下車した所にあり、子供の頃この商店街は日常の買い物圏であり、その頃は“大学通り”と呼ばれて今より繁盛していた。しかも、近大は私の小学校の校区内にあった。当時、この原子炉が設置されるというニュースは全国紙に 見落とされる程小さな記事となって掲載されていた。そして、我ら学童の間でも話題になったことがあったが、それは話として長続きせず、不思議と反対する住民運動について―本当はあったらしいが―当時は聞いたことがなく、いつのまにか原子炉そのものの具体的消息は不明となってしまった。どうやら、近大自身も周辺住民に ことさらにその存在を誇示している印象もないまま、今に至っているようだ。しかし、折に触れてテレビなどの報道で話題となることもあり、研究活動は無事継続されているらしいという認識はあった。ここに来て、改めてネットで調べてみて、そこに堂々と掲載されているのには小さな驚きを抱いた程だ、というのが正直なところだった。
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さて、ようやく当日となり、自宅の神戸から阪神電車に乗り鶴橋経由で近鉄大阪線に乗り換え長瀬駅に到着。あいにく台風直撃懸念のさ中で、駅からその商店街に入り、途中から東進し、時折吹く強い風に閉口しながら、大学入口を跨いでいる堂々たる学舎をくぐり、事前に送られた案内図に従い、そこを直角に曲がりキャンパスを南下直進して原子力研究所を目指す。実はここまで至るのは初めてで、一旦キャンパスから出て一般道を横断するのだが、門は閉ざされていた。仕方ないので西側の校舎へ迂回したが、どうしても原研に接近できず、門に戻って出入口と表示された門の取手に思い切って手をかけるとあっさり開き、無事入ることができた。不逞の輩が紛れ込まないように一応門を閉ざしているようだ。受付で名札を渡され、構内では着用必須となっていた。
研修は次のような予定で、この通り実施された。
第一日目は原子炉研修中心。核物理に関する講義と原子炉操作実習。関連して福島原発事故についての解説。
その日の夕食は、講師陣と参加者の会食。
第二日目は放射線の計測と、放射線の有害性についての若干の講義。
[原子核物理(核分裂)に関する初歩的知識の講義と原子炉実習]
手短な原研所長のご挨拶で始まり、引き続き管理区域の保安教育や初歩の原子物理学の講習、その後に原子炉の見学となった。
炉の建物は原研の管理棟とは別棟で奥にあり、渡り廊下でつながっている。入口で金属探知機による身体検査の後、管理区域に入るためのスリッパに履きかえる。炉は操作室の次の建物の一番奥にある。驚くことに、この建物内の撮影は許されており、参加者の殆どはカメラを持参していた。だが、炉頂で炉心の様子を取ることだけは止められた。
先ず、この研究炉は極低出力1Wであるため、暴走しても抑止制御が容易であるとの説明があった。つまり、1Wのエネルギーとは手を擦り付ける程度の熱エネルギーであり、燃料棒が浸っている水を最大でも60℃程度にしか上昇させることしかできない由。(後で計算すると1Wは1時間運転しても500mlのペットボトルの水を1.7℃程度温めるだけの熱量)また、この水は冷却が本来目的ではなく発生する中性子を吸収し、外部へ漏れるのを抑制するための減速剤であるとのこと。また、燃料の損耗は1日1Wの運転で1μgであり、現在の燃料は設置当時からのままで50年のヴィンテージ物とのこと。
この炉の仕様概略は鶴田隆雄著“原子炉入門”に記載されており、炉頂での炉心の写真も掲載されている。この本によると、炉高さは約2m、直径は約4mの円筒形となっている。外側は鋼板製の遮蔽タンクとなっており、タンクの中は水と砂で満たしているとある。炉心は、炉頂から見ると縦横約1.4m、1.7mの方形で黒鉛のブロックで構成。この炉心の深さは外部から見えないが約1.6mの直方体となっている。燃料棒(集合体)の挿入や中性子源の挿入など、炉の操作のための準備作業等全ては炉頂で実施される。制御棒挿入装置上部もここに設置されている。このため、炉頂に上がるためのタラップが南側に東西の2方向から付けられている。運転時、炉頂は分厚い(約46cm)コンクリート製のブロック上蓋で覆われ、面一となる。燃料棒(集合体)の形態は下の写真の通りで、ウラン・アルミ合金をアルミ板で被覆して2mm×75mm×660mmの板状になったもの12枚で構成されている。この燃料集合体が6個ずつ、南北の2列に並んだ炉心タンクに納められる。制御棒(Cd製板)はその背後(燃料体より炉の外側)の4箇所に配置されている。
昼食後、炉操作のための座学と実習が行われた。先ず中性子源が職員の手で挿入され、運転開始。制御棒の出し入れによる臨界状態の維持操作を行い、この炉の操作上の特性を体験。最後に、実際に制御棒の挿入で簡単に無事ダウンさせることが出来た。この装置では、燃料崩壊熱があったとしても装置全体の熱容量が過大にしてあるため安全なのだろう。
実習後の印象としては、この原子炉管理は燃料等の放射性物質の管理が万全であれば全く問題ないということ。しかし、補助的に使用する機材物質は毒性の強いものが多い。例えば、制御棒はCdであり、中性子源はPuとBeで構成されているとのことで、機材の物質管理は厳重に行う必要があると思った。
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[福島原発の問題点について]
第一日目の最後の講義と質疑応答で、講師は中部電力出身の若い人で、福島原発事故がテーマである。講師によれば、やはり原因は長時間の全電源喪失とのこと。今後の対策としては、海岸立地の日本の原発には津波防護策の強化、具体的には建屋外に置かざるを得ない重要機器の防護強化と、建屋内機器については建屋扉の水密性の強化が必要。要するに、設置地域特有の自然災害への十分な防護策が必須であるとの結論であった。
質疑応答では、それぞれが事故後抱いた疑問について、講師から的確な回答を得ることができた。例えば、事故後の緊急外部放水は、その効果を考えると対米の外交上のパフォーマンスとしか考えられない、との説明。緊急炉心冷却時の制御棒の挿入の難易についてBWR(沸騰水型)は問題はないがPWR(加圧水型)は水の抵抗があり問題があるとのこと。だが、PWRは艦船に搭載されている多くの実績があり、全体の耐震性はBWRより有るのだろうとのこと。また現状では日本の使用済みのプルトニウムの保管が量的に限界来ているとの指摘もあった。
[会食]
会食は学食で開催。講師陣に原研所長も加わり、参加者の自己紹介と参加動機説明から始まり、その後、質疑応答となった。参加者の1人から、交通費や弁当代、この会食の費用は近大側が負担してくれているが、大丈夫なのかとの質問があった。これについて所長は企業の寄付等で何とかPR活動を続けていると説明された。この研修は昭和62年から実施しているが、あまりにも具体的な研修内容は問題があるとの外部指摘もあるが、本当のところを一般人に知ってもらうべきだと思って継続しているとのことであった。
実はこのブログでの先週の読書報告は事前勉強だったのだが、筆者はそれに基づき若干の質問を行った。すると一部の“専門家”には誤解を生むような誇大な表現を使っている場合があり、困っているのが実態だとの強い指摘が所長よりあった。今 流行の緊急出版本には要注意のところがあるようだ。また、放射能の安全性基準にはダブル・スタンダードのようなところがあるとの筆者の感想には所長も肯いておられた。
[放射線の測定と安全性]
二日目は実は寝坊した。朝食抜きで家を飛び出し、研修開始時刻にはぎりぎり飛び込んだつもりだったが、別の実験室での測定実習であり、参加者は既に移動を開始していた。隣席の女性から親切に持参物を告げられ、汗を拭く間もなくテキストと筆記具等必要最小限のものだけを持って実験室に向かう。なので、下の写真は携帯電話によるものだ。
実習では放射線の防護の3原則(遮蔽、暴露の距離・時間)等の講義と それを実感する計測実験が行われた。一般に放射線はγ線量で代表しているので、NaIシンチレーション検出器を用いたγ線計測器を使い、線源はセシウム137を使用した。計測器は今やデジタル表示を読み取ることになっているようだが、どうにも自然放射能のバックグラウンドが大きすぎて真値が分かり難い。計測時10~30秒程度静置するが、±10%程度はぶれる。従って、低線量域で問題となっている福島付近の計測値も何処まで正確な結果なのか疑わしく思える。まして、校正もされていない計測器ではどうしようもない。
その後、放射線の人体への影響についての講義があり、概ね100mSv/年が安全性の目安と思える内容だった。
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[原子力エネルギー学習室]
昼休みに原研の向かいの建物で 子供向けPRのための原子力エネルギー学習室で霧箱の実演をしているとのことで、見に行った。前日の昼休みにこの学習室を見てはいたが、霧箱の実演はしていなかった。霧箱の裏の部屋には子供向けの原子炉の解説パネルや太陽電池のおもちゃ、明かりの歴史など物品が展示されている。
霧箱の上部を覗くと、瞬間的にパァーと放射線の軌跡が広がる様子が分かるが、自然のランダムな放射なのでタイミングを外すと写真に撮りにくい。軌跡の形態も思いの外様々で、線状もあれば途中で雲状になることもある。その上、箱の上の透明カバーに外部の光が反射していて写真にならない。それにしても、自然放射線は結構頻繁で、結構密度も高いように思う。自然放射能のバックグラウンドが大きいのは、こういうことなのだと午前中に感じたことを納得する。
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[自然放射線の測定]
午後は、自然放射能の測定となった。場所は 講義している室内、原研の玄関前広場、西門から入って左手・北側にある池の上、西門の学舎のレンガに囲まれた中での測定であった。池には中央に初代総長の世耕弘一氏(同氏は原子炉導入者でもある)の銅像があり、水の放射線遮蔽効果を見るために測定、西門学舎内はレンガの放射能効果を見ている。
測定器は堀場製作所のRadi(下の写真)に拠ったが、測定値は相変わらずハンチングして読み取り辛い。しかも、時間が経過するとバックグラウンド・レベルそのものが変化するような印象だ。どの値を“測定値”とするべきか、戸惑うばかりだが、何とか中間値と言える値を記録したが夫々次の通り。講義室内::0.094μSv/h,原研玄関前広場:0.084μSv/h,池の上:0.067μSv/h,西門学舎内:0.088~0.104μSv/h。(ちなみに一般向けの国際放射線防護委員会ICRPの平常時一般向け安全基準は1mSv/年で、これを毎時に換算すると0.114μSv/h)したがって計測誤差を最大10%とすれば、レンガの中で1年間過ごすとICRP安全基準を超える可能性がでてくる。
だが、実はこの評価は厳密には間違っている。と言うのは、この研修で配付された近藤宗平著“低線量放射線の健康影響”によれば、“(ICRP安全基準の)年間1mSvの放射線は、自然放射線からラドン(の放射線)を除外した場合の世界平均値にほぼ等しい。”とある。従って、上記の測定は自然放射能値ではあるが、ラドンを除外はしていないからだ。ちなみに大阪での自然放射能値としてよく知られたデータは1.08mSv/年(=0.123μSv/h)となっているので、上記実測値は いずれもこの値を下回っていて矛盾する気がするのだが・・・。まぁ それくらい放射能測定は微妙なのかもしれない。
本来は福島付近での放射能測定値も、その地場での本来の自然放射能のラドン値(1.04mSv/年)を差引いて 安全基準値と比較するべきだが、その点はどうなっているのだろか。まして、中国製の校正のない安価な測定器で測定し、近所で異常値が出たとして沖縄に避難する人が実際に居るらしいが、少々行き過ぎた行為の観がある。
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[放射線の不安にこたえる]
福島原発事故後、近大原研で全国からの電話による“放射線に関する健康相談”をボランタリーで実施したことの説明があった。期間は3月22日~4月2日までの12日間で近大が受けた件数は544件とのこと。
実際には“短期的には問題でない線量”がほとんどだったので“情報を適切に発信することが必要”と思われたとのことで、住民には“積算線量とそのリスク”についてしっかり説明する必要があったとのこと。また、飲食物摂取に関する不安については、事例がなく説明のしようがない場合もあった由。
今後、放射線(放射能)の基準値の見直しが必要な部分もあるとのことだったが、私としては測定値から自然放射能を分離して評価する方法を確立する必要があるように思った。また平常時、緊急時、復旧時や業務従事者と一般人で基準が異なるなど場合分けが多すぎて分かり難い。それより妊婦や子供と通常の大人などの区分だけで基準値を作るべきではないかと思うのだがいかがだろうか。
最後の質疑において、放射線の安全性についての説明や基準値については、“放射線取り扱い主任者”のテキストや放射線医学研究所の刊行物、ホーム・ページ上の資料等を参考とした方が良いとの指摘があった。怪しい売名学者の本は忌避するべきであろう。
さて、こうして研修は無事終了。所長からの ご挨拶があり参加者代表に修了証の授与があり散会となった。参加者それぞれに修了証と御土産として下の写真にある“1ワット君”の人形をもらった。だが最後に渡されたペーパーを見て驚いた。この研修の感想文を所定の書式で1週間以内に提出せよとのこと。研修会でこんなことは始めてである。皆はどのような感想文を提出するのだろうか。
さぁて、“感じて考える”上での発見と言えば、自然放射線がいわゆる放射能測定には 大きな外乱的要素となることが分かった点であろうか。また、これに関連して放射能安全基準も、責任回避のためか管理対象によって結構細かく分類され過ぎていて、一般人には分かり難く誤解を招いている側面があるような気がする。原子炉そのものについては、小型の炉は原理的なものだけ理解していれば操作可能であり、単純との印象であるが、これが巨大なプラントになると冷却システムも必要となり機構が複雑になり、その分操作が複雑にならざるを得ないのかもしれない、とまぁそんな感想であった。
帰途、大学通りを歩いたが幼い頃母の手に引かれて買い物に来た思い出もあり、不思議な気分であった。だが、記憶に残る本屋、果物屋、肉屋、お菓子屋、食料品店も代替わりで閉店となったのか今や殆ど無い。定期的に空き地で開催される仮設の昼店は子供ながらも何だか楽しい気分だったことも思い出す。特に、その頃 この地域の中核的商業施設として繁盛していた市場とその隣接商店街が閉鎖し、市場はマンションに替わっているのは 致し方ないことだが寂しい気がする。近鉄電車で逆方向に“帰る”のも妙な感覚であった。
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