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東洋陶器美術館の“唐代胡人俑”展を観覧

先週、大阪・天満橋で審査の帰りに歩いて中之島経由で梅田に戻った。というのも、審査が予定より1時間早く終わったので、東洋陶器美術館の“開館35周年記念・日中国交正常化45周年記念特別展・「唐代胡人俑―シルクロードを駆けた夢」” を見ようと鑑賞するためだった。美術館のネット上での挨拶文は次の通りだ。

本展では、中国甘粛省の慶城県博物館が所蔵する約60点の作品の展示により、唐代胡人俑の魅力をご紹介します。
今回の展示では、2001年に甘粛省慶城県で発見された唐時代(618-907)の穆泰(ぼくたい)墓(730年)から出土した胡人俑(こじんよう)の数々を日本で初めて紹介いたします。胡人俑とは、唐時代のシルクロード文化を象徴するものの一つであるエキゾチックな風貌の胡人(ソグド人などの異民族を指す中国における名称)を表現した陶俑(副葬用の陶製人形)です。とりわけ、穆泰墓出土の胡人俑は鮮やかな彩色と極めて写実的な造形により、胡人の姿が生き生きと表現されており、唐代胡人俑を代表するものの一つです。
斬新な魅力に満ちた唐代胡人俑の最高傑作を通して、シルクロードを駆け巡った胡人たちの息吹を感じていただければ幸いです。
なお本展に併せて、国立国際美術館との共催による同館所蔵の現代の人物彫刻約10点を展示する連携企画「いまを表現する人間像」展、ならびに特集展「中国陶俑の魅力」なども同時開催します。

ネットによれば“穆泰(生年不詳 - 497年)は、北魏の官僚。” とあるが、これは別人のようだ。この墓は730年に築かれたようで、“現在の中国甘粛省慶城県にあり、2001年の発掘で発見された。墓誌銘から被葬者・穆泰は唐時代の遊撃将軍で660年生まれ、729年没とみられる。慶城県は交通の要衝であり政治経済・文化の中心になったこともあった。”とある。慶城県はどうやら古代都市・長安の近郊のようだ。
今時、シルクロードの時代のエキゾチックを鑑賞するのは、中国側の“一帯一路”政策のPRに乗ることになるのだろうか。

早く終わった審査、とは言え、決して手抜きはしていないつもりだ。私の場合、“今まで、そんなことは言われなかった。”と言われることが多い。私の審査は変わっているのだろうか。否、私が最も驚いたのは何年もの間、“著しい環境側面”の洗い出しをせずに、環境改善目標を適当に選定して活動していた事例があったことだ。基本的プロセスが抜けていて、適合性があるとは言えないが、そこで言われたことは“今まで、そんなことは一度も言われたことがなかった。”であった。今回の審査でも、これをやっていなかった。最新の組織状況は把握しておくべきだが。様々な局面で、“今まで言われたことなかった。”の連発には閉口で、異次元の世界に来たような感覚、気が変になりそうだった。
例えばこんな端的な事例もあった。環境宣言に、“○○市条例に規定された地域活動に積極的に参加します。”と書いていたことに対し、“条例に書かれていない地域活動には参加しないのですか。”と言うと、それは以前、審査員から“○○市条例に規定された”という文言を入れろ、と言われて入れたというのだ。“審査員によって、違うことは言わないで欲しい。”との決め台詞を言う。しかし、その前の審査員の指摘が変なのは明白だ。というのは、その文章の遥か前の箇所で“法令順守宣言”しているので、ここでは“条例にない地域活動であっても、積極的に参加する”という意味で宣明してこの文章が生きてくるのだ。まして、条例規定のある地域活動など殆どない。と言う事であれば、“この箇所の宣言文章は全くの無意味”の一言に尽きる。
審査員も中には変なのは.居るのは事実だ。或いは、一見変なことを言ったように見えても、実は被審査側の状況を慮って言っている場合もある。そういった理性的な受け止めが必要で、たとえ一旦審査の場で受け入れたとしても、熟慮の上で自ら修正する姿勢があって然るべきだと思うが、どうだろうか。枝葉末節の片言隻句に金科玉条、本質無視・・・全てのことについて、自分なりに考え直してみる姿勢に全く欠けているのだ。自分を失い、他人の一言に振り回されているだけなのだ。
さらには、改善活動の目標の達成状況評価を正確にするには、エクセルで集計すれば簡単なはずだ、というと“面倒なので、やりたくない。あなた方は面倒なことはやらないように工夫するべきだと言ってきたではないか。それを強制するのか。”とまで言い出す始末。この会社、実はシステム構築を仕事にしているが、エクセルが面倒というのは、IT素人の素人の私にも劣る意識に全く呆れてしまった。こういう会社の作ったシステムは果たして使い易いのだろうか。
後で、社内外の環境情報のやり取りの状況を把握するために、“E-mailのやり取りを集計するシステムを考えてはどうか。上手く行けば、それが中小企業のEMS構築の一助になる製品として売れるのではないか”、と申し上げたが、難しい表情で“やれるかなぁ”。これが本音、正直なところならば、専門的力量の怪しい会社ではないだろうか。IOT時代にこの程度で事業が成立しているというのであれば、日本ではやれる会社がないので質の競争が緩い状態になっているのかもしれない。これを知った中国人やインド人にいずれ日本市場は席巻されるのは必定ではないか。私としては今回初めてのシステム会社の審査だったが、近くまた別のシステム会社の審査があるので、その時真相を確かめてみたいと思う。
こんな会社を相手にしているようなのは、我々も大したことはないことになる、のかも知れない。こうした突き放した姿勢は審査員としては問題かも知れない。レベルの低い会社を引き上げるのがプロの審査員だとすれば、考え込んでしまう。しかし何だか、こうした人々が日本で増殖しているのが実態であれば、日本の将来は寂しい。

そういう鬱屈した気分を晴らすべく、昼は珍しくイタ飯の街のレストランに行った。行ってみると意外に小さな店で、女性2人で切り盛り。客席は大きなテーブルが一つ。それと5人掛けのカウンター。テーブルに座ると、相席は必至なので、空いていたカウンターの真ん中の席についた。ランチは2種類。パスタはトマトのスパゲッティを選んだ。食後のコーヒーは別途で、150円追加。御蔭で小洒落た気分で、午後の審査に戻れた。

さて、午後の審査も終わり、相手の納得した不適合だけを挙げて、審査記録とした。マネージメント・レビューの記録の書き方に注文を入れたが、これには神妙にうなずいていたので、多少聞く耳はあるのだろうか。
非常に疲れたが、何とかクロージングで社長に内部監査の監査員教育にも予算をかけて欲しいとお願いし、その場では了承を得て和やかに終えた。晴れて辞し中之島に向かう。堺筋ライオン橋から中之島へ。15分程度のように感じた。

東洋陶器美術館は大阪市立で、中国や朝鮮の歴史的な超一流の陶磁器を多数所有している。名前からして衛生陶器メーカーの美術館と間違われそうだが、公立の美術館である。陶磁器に関しては恐らく、戦前の中国や朝鮮の混乱の中、近代の研究態勢をいち早く整えた日本が収集管理に努めた結果であろう。韓国的物言いであれば、返せ戻せとなるのだろうが、彼らが何らかの事情で手放したものとは言え、一旦手放したものは諦めるべきだ。それが今日の世界的常識だ。日本の文化財も結構海外に流出している。現に神戸に来ているボストン美術館の所蔵品にも日本の英一蝶の作品などがある。それが固有の文化の相互理解につながるのだ。
今回の観覧は2度目で、以前にも来たことがあり、それはこのブログにも投稿した。今回入館して驚いたのは、フラッシュしなければ写真撮影可ということだ。なので、携帯のカメラも動員してせっせと撮影した。しかし、ガラスケースに反射映像が映ったり、若干のハレーションも生じるのが残念。たまたまJAFカードを持っていたので、入館料\1,200のところが\1,000で出来た。

穆泰墓は730年の築墓、日本では奈良時代・天平2年であり、“光明皇后の発意により施薬院を設置”した時代だという。この頃、唐代には中央アジアからも異人(胡人)が多数、唐の首都・長安に来訪して様々な活動を展開していたものと思われる。穆泰墓出土の胡人俑約60点以外に、“いまを表現する人間像”の展示や、中国や朝鮮の歴史的陶磁器の所蔵品展示もあった。だが、見る側からはやはり、穆泰墓出土の胡人俑に注目が集まるし、面白味もあった。
奈良時代の仏像とは違い、様式化されておらず胡人のそれぞれの表情が豊かで、写実的で生き生きしている、その点でも歴史的価値があるのではないだろうか。服装の色彩がかなり褪せているというか、剥ぎ落ちているため残念なところがある。というのは、像ごとの解説で、男性であるとか女性であるとあっても顔の表情からは、そうとは読み取れないものがあり、あたかもモノ・セックス、ユニ・セックスであるかのように見える。色彩が明確に残っていれば、そういう誤解は少なくなったのかも知れない。

時にはこうした陶磁器などを鑑賞して、“いい仕事していますねぇ”と言える鑑識眼を持てるようになれば、教養としては上品で良いと思える。しかし、御蔭で昼間ざわついた気分もこれでかなり落ち着いたのだった。

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