The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
“最悪の事態”=“想定を超える事態”?
福島第一原発は、あたかもザルに水を入れようとして苦戦している。17日、東電は“事故収束に向けた道筋”という行程表をようやく発表したが、これはかなり楽観的見通しに基づくものと見てよいように思う。何故なら、ザルから漏れた“溜まり水”をザルに入れ直して、“溜まり水”を無くした上で作業環境を改善し、冷却系を復旧させることが当面の最大の目標ではあるが、その肝心な部分が未だこころもとないのだ。要するに原子炉のザル状態を改善しなければ、危険な“溜まり水”を無くすことはできないのは明らかなのだ。だが、長大で入り組んだ配管と巨大な容器とそれらをつなぐ膨大な数の接合部のどこから漏水しているのかを、放射線の飛び交う中で点検するのは冷却系を復旧させるのと同様またはそれ以上に至難の業と思える。さらに、それを修理するとなるととてつもなく不可能な作業となる。いや、外側をコンクリートで接している格納容器本体はチェックすら不可能なのではないか。だから、東電とそのチームはダダ漏れ状態を放置したまま難局を切り抜けようとしているかのようだ。つまり、ダダ漏れ水は際限なく汲み上げる一方、どうやら既存の冷却システムの復旧ではなくて、新たに冷却装置を設置するつもりのようだ。だが、際限なく汲み上げた水はいずれ濾過せざるを得ないが、投入水とのバランスは取れるのか。新たに設置する冷却装置の冷却水をどのように供給するつもりなのか、その追加システムの設置には相当なスペースが必要と思われるが、それはどうするのか。何よりそのような工事が 高濃度放射能の存在するところで可能なのだろうか。
とにかく根本的対策が依然不透明な状態であり、事故が起きていないから小康状態に見えてはいるが、一向に事態は改善されていないのである。このまま当面の間、同じ事を繰り返さざるを得ず、先の見えにくい作業の繰り返しで、その内作業員が疲労の極に陥り、作業ミスを引き起こし、それが重大な事故を引き起こす要因になるのではないかと気懸かりなのである。
要するに、現状のレベルより改善した漏れを防ぐ画期的手段が見つからない限り、事態の本質的打開の方途はないように思う。この東電の“事故収束に向けた道筋”は“最善のシナリオ”を示したに過ぎず、同じ作業の繰り返しという無為の時間の経過は、徐々に“最悪の事態”へ接近していく過程としか見えない。
先日、あるテレビ局のレポーターが“最悪の事態”とは何か、を官房長官や保安院の広報官に問いただしたと得意満面になっていたが、あの記者のように 正義の味方ぶる報道関係者の態度にはいつも辟易する。そもそも、政府とは想定する“最悪の事態”は公表しないのが常識である。公表せずに極秘のまま最悪シナリオを想定し、対策を練るのが本来である。どんなに質してみてもまともに取り合わないのが真っ当な政府の対応である。
だが、どうも今の政権は真っ当だとは思えないのが心配の種なのである。つまり、これまで先手を打って東電をチェックし指導して来たように見えず、そのことが現状を困難なものにしたように見えるからだ。もっともその官僚を中心とした体制を作り上げて来たのは自民党政権ではあったが、それをハンドリングするのに非常に稚拙な対応しかできていない。その1つが汚染冷却水の海への無策の放出である。緊急にタンカーを接収してでも保管方法を確保するべきであり、放射能で汚染された水を自然界に放出するのは原状回復不能の事態を引き起こしてしまったのだ。だが、これは強権を持ってすれば対処不可能ではなかったはずだ。これにより日本は国際的信頼を一挙に喪失してしまった。
もし、“最悪の事態”への対応策を日本政府が想定せず、米軍が極秘裏に検討しているとすれば、それこそ最悪であるが・・・。
この場合、“最悪の事態”と言っても正確に言えば程度に幅がある。だが、“最悪の事態”とはどんなモードを指しているかと言うと、原発から今以上の放射性物質が多量に放出される状態を言っていると考えて良い。その程度によって、或いは放出される態様によって、“最悪の事態”は究極の“最悪”になることもある。この究極の“最悪”とは炉心が何らかの要因で爆発的事象を生じ、それによって他の2基の炉の冷却も不可能となり連鎖崩壊して、原子炉1基の事故だったチェルノブイリ以上の災禍となることである。想像するだに恐ろしい事態であるが、こういう事態を想定して対策を実施するのであれば、現状の避難対策では不十分なのは明らかである。そうなれば米国の言う80km圏内の完全避難でも不十分かも知れない。
狭い割には人口稠密の日本では、多量の人員の避難が必要となるが、それを受け入れる余地は全くないのが現状であろう。それを想定することは今の日本の官僚は不得意のようだが、これを想定していなければ、津波を“想定を超える事態”とした上に、また再び“想定を超える事態”を重ねることになるのかも知れない。そうなれば、日本政府はガバナンス不能の状態であると見做され、やっぱり米軍が登場することになるのだろうか。
今の日本の官僚の想定の中に入る“最悪の事態”とは 現状を少し超える程度のゆるやかな放射性物質の放出なのであろう。したがって、官房長官は 1例としてそのような事態を提示していたようだ。これが“政治主導”の実態なのだろう。
この“想定を超える最悪の事態”が実際に起こった場合、事故地周辺には最悪の放射線である中性子線が飛び交い、直接的被曝による即死者数は相当なものとなるだろうし、その後に膨大な放射性物質の放散による被曝が引続き、さらに死者は増大するだろう。人員の移動や混乱による放射性物質の拡散を防ぐために、今以上の広範囲地域を封鎖する必要があろうし、圏内から避難してくる人員の除染作業を可能にする体制を迅速に展開する必要がある。このようなことは、やはり想定していなければ、緊急には実施できることではない。また、その程度によっては危険区域内への救援は断念しなければならない場合もあるかも知れない。これが今の政府が 極秘に想定するべき“最悪の事態”ではないかと私は想像する。
そうなれば福島県のほとんどは有効な国土として利用できなくなってしまうであろうし、それより広範囲な地域、下手すれば東京も含む範囲が汚染対象地域にもなりかねない。放射性ヨウ素により、一時的に上水道が汚染された程度であの騒ぎになる状況から察するに、関東地方一円も深刻なパニックとなることは明らかだ。あの得意満面のテレビ局記者には ここまでの想像力はあったのだろうか。むしろ、そのような状況を想定すれば、関西に避難した外国の大使の想像力の方が はるかに勝っていたと言わざるを得ないのではないか。
私の“最悪事態”への想像力とは、この程度であるが、危機管理とは これよりももっと広範囲で多様で緻密な想像力をめぐらせる必要があり、非情で非人間的な判断が必要な局面も十分に織り込んでおかなければならない。そういう想定力と事前の対策がなければ、日本政府は国際的信用をさらに低下させることになりかねない。
あのジャック・アタリ氏は人類社会を危機から守るために、無能な日本の国家主権を犯してでも日本政府に介入しコントロールする必要があると主張していると仄聞する。下手すると、“想定を超える最悪の事態”により日本は国連や外国勢力の分割管理下に入れられるのかも知れない。このような危機的状況下で日本の政治家は一人ひとり私心を捨て自覚を持ち、ことに臨まなければ、日本にとって歴史上 “最悪の事態”を迎えることになる。
とにかく根本的対策が依然不透明な状態であり、事故が起きていないから小康状態に見えてはいるが、一向に事態は改善されていないのである。このまま当面の間、同じ事を繰り返さざるを得ず、先の見えにくい作業の繰り返しで、その内作業員が疲労の極に陥り、作業ミスを引き起こし、それが重大な事故を引き起こす要因になるのではないかと気懸かりなのである。
要するに、現状のレベルより改善した漏れを防ぐ画期的手段が見つからない限り、事態の本質的打開の方途はないように思う。この東電の“事故収束に向けた道筋”は“最善のシナリオ”を示したに過ぎず、同じ作業の繰り返しという無為の時間の経過は、徐々に“最悪の事態”へ接近していく過程としか見えない。
先日、あるテレビ局のレポーターが“最悪の事態”とは何か、を官房長官や保安院の広報官に問いただしたと得意満面になっていたが、あの記者のように 正義の味方ぶる報道関係者の態度にはいつも辟易する。そもそも、政府とは想定する“最悪の事態”は公表しないのが常識である。公表せずに極秘のまま最悪シナリオを想定し、対策を練るのが本来である。どんなに質してみてもまともに取り合わないのが真っ当な政府の対応である。
だが、どうも今の政権は真っ当だとは思えないのが心配の種なのである。つまり、これまで先手を打って東電をチェックし指導して来たように見えず、そのことが現状を困難なものにしたように見えるからだ。もっともその官僚を中心とした体制を作り上げて来たのは自民党政権ではあったが、それをハンドリングするのに非常に稚拙な対応しかできていない。その1つが汚染冷却水の海への無策の放出である。緊急にタンカーを接収してでも保管方法を確保するべきであり、放射能で汚染された水を自然界に放出するのは原状回復不能の事態を引き起こしてしまったのだ。だが、これは強権を持ってすれば対処不可能ではなかったはずだ。これにより日本は国際的信頼を一挙に喪失してしまった。
もし、“最悪の事態”への対応策を日本政府が想定せず、米軍が極秘裏に検討しているとすれば、それこそ最悪であるが・・・。
この場合、“最悪の事態”と言っても正確に言えば程度に幅がある。だが、“最悪の事態”とはどんなモードを指しているかと言うと、原発から今以上の放射性物質が多量に放出される状態を言っていると考えて良い。その程度によって、或いは放出される態様によって、“最悪の事態”は究極の“最悪”になることもある。この究極の“最悪”とは炉心が何らかの要因で爆発的事象を生じ、それによって他の2基の炉の冷却も不可能となり連鎖崩壊して、原子炉1基の事故だったチェルノブイリ以上の災禍となることである。想像するだに恐ろしい事態であるが、こういう事態を想定して対策を実施するのであれば、現状の避難対策では不十分なのは明らかである。そうなれば米国の言う80km圏内の完全避難でも不十分かも知れない。
狭い割には人口稠密の日本では、多量の人員の避難が必要となるが、それを受け入れる余地は全くないのが現状であろう。それを想定することは今の日本の官僚は不得意のようだが、これを想定していなければ、津波を“想定を超える事態”とした上に、また再び“想定を超える事態”を重ねることになるのかも知れない。そうなれば、日本政府はガバナンス不能の状態であると見做され、やっぱり米軍が登場することになるのだろうか。
今の日本の官僚の想定の中に入る“最悪の事態”とは 現状を少し超える程度のゆるやかな放射性物質の放出なのであろう。したがって、官房長官は 1例としてそのような事態を提示していたようだ。これが“政治主導”の実態なのだろう。
この“想定を超える最悪の事態”が実際に起こった場合、事故地周辺には最悪の放射線である中性子線が飛び交い、直接的被曝による即死者数は相当なものとなるだろうし、その後に膨大な放射性物質の放散による被曝が引続き、さらに死者は増大するだろう。人員の移動や混乱による放射性物質の拡散を防ぐために、今以上の広範囲地域を封鎖する必要があろうし、圏内から避難してくる人員の除染作業を可能にする体制を迅速に展開する必要がある。このようなことは、やはり想定していなければ、緊急には実施できることではない。また、その程度によっては危険区域内への救援は断念しなければならない場合もあるかも知れない。これが今の政府が 極秘に想定するべき“最悪の事態”ではないかと私は想像する。
そうなれば福島県のほとんどは有効な国土として利用できなくなってしまうであろうし、それより広範囲な地域、下手すれば東京も含む範囲が汚染対象地域にもなりかねない。放射性ヨウ素により、一時的に上水道が汚染された程度であの騒ぎになる状況から察するに、関東地方一円も深刻なパニックとなることは明らかだ。あの得意満面のテレビ局記者には ここまでの想像力はあったのだろうか。むしろ、そのような状況を想定すれば、関西に避難した外国の大使の想像力の方が はるかに勝っていたと言わざるを得ないのではないか。
私の“最悪事態”への想像力とは、この程度であるが、危機管理とは これよりももっと広範囲で多様で緻密な想像力をめぐらせる必要があり、非情で非人間的な判断が必要な局面も十分に織り込んでおかなければならない。そういう想定力と事前の対策がなければ、日本政府は国際的信用をさらに低下させることになりかねない。
あのジャック・アタリ氏は人類社会を危機から守るために、無能な日本の国家主権を犯してでも日本政府に介入しコントロールする必要があると主張していると仄聞する。下手すると、“想定を超える最悪の事態”により日本は国連や外国勢力の分割管理下に入れられるのかも知れない。このような危機的状況下で日本の政治家は一人ひとり私心を捨て自覚を持ち、ことに臨まなければ、日本にとって歴史上 “最悪の事態”を迎えることになる。
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