The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
ウォーター・フットプリント?―日本の水ビジネス
先々週の3月29日、おおさかATCグリーンエコプラザで“ウォーター・フットプリントから考える水ビジネス”と題するセミナーがあった。プログラム詳細は次の通り。
[講演1]“ウォーター・フットプリント:CO2の次はH2Oか?!”東京大学生産技術研究所・教授・沖 大幹 氏
[講演2]“海外水ビジネスの現状と日本の水戦略” グローバルウォーター・ジャパン・代表・吉村 和就 氏
世界の人口激増に伴い水資源が世界的に重要課題になるという認識は観念的にはあったが、幸いにも水の豊富な我が国に在って切実感が乏しく これまで具体的な問題点など知る機会も無かったので、先ずは知識・情報を得るためにセミナー参加を希望した。
ところが、その後東北関東震災とそれに引き続く原発災害の発生。そして、まさしく東京の水道水の放射能汚染が話題となっている時期での講演会開催となった。
講演者は いずれも東京在住とのことで、大阪に来てみて街の明るさ、停止しているエスカレータの無いことに改めて隔世感を持ったとのことだった。内お一人は、できればミネラル・ウォータを買って帰りたいと思ったが残念ながら大阪でも、売り場の棚は空だったとのこと。大阪でなら水道水でも可ではないかと 思われたのだったが。
ということで、お二人とも講演冒頭で、当初予定外の原発災害にまつわる話題を提供された。
沖教授は水道水の放射能汚染について、当時盛んに報道されていたようにその危険性は乏しい旨の説明をされていた。
吉村氏は、元荏原社員で原発での水質管理システム設計に携わった由で、問題の福島第一原発内部にも何度も入ったことがあったという。そういう経験をベースに特に原発内部に滞留する汚染水の放射能除去の可能性について言及。活性炭で約3割、精密フィルターで9割、低圧RO膜で完全除去、イオン交換膜でも完全除去可能との話であった。これにより、汚染水の減容は十分に可能であるが、その濾過処理後の膜などの処理の方が重要であり、慎重になされるべきで、ドラム缶内に詰めてドラム缶ごと処理する必要があるとのこと。投入されている冷却水は一日3トンの蒸発と推定され、このような冷却はここ数ヶ月間は続けなければならない。その後の安定化も3~5年は崩壊熱を冷まし6年程度経過後、チェルノブイリのような巨大な石棺を築き、周囲の土地は立入禁止処置とするべき、と考えるのが原子力技術者の常識であろう、とのことであった。
さて本題であるが、先ず講演1の沖教授は 水を有効に使用するために“ウォーター・フットプリント”という考え方の必要性について説明し、その推計法を標準化するためにISO化が検討されているという現状の解説をされた。
“ウォーター・フットプリント”とはCO2に関するカーボン・フットプリントと同様で、ある製品のライフサイクルにおいてどれくらいの水を消費しているかを推計するというもの。環境負荷の水資源側面を評価しようという指標である。この推計方法や どういった行為を水消費と考えるのかの評価方法を世界的に統一しようと言うのがISO化の動きであるということであり、カーボン・フットプリントと同様にある製品を購入する場合に水側面環境負荷を消費者に分り易く伝達しようという意図のようだ。製品のライフサイクルにおける投入水量が基本概念になるが、これには現実投入水量と仮想投入水量に分けられる。ここで“仮想”とは、“もし輸入国が同量の製品を自国で生産・処理すると必要である水量”ということ。またこの投入水量は“取水量”が基本になるだろうが、プロセス中で元に戻す水があれば“復帰流”として相殺(差し引き)することを可能にするという考え方もあるとのこと。そうすれば、貯留水(時間遅れ使用)をどう評価するのかという問題も出て来るという。
水の環境負荷は、地域性に大きく依存する。つまり水資源の使用・消費は豊富に存在する地域と、乾燥地域では その環境負荷は全く異なるため乾燥地域で、水が豊富にある地域で生産された製品を消費することの方が経済的であり、環境負荷もミニマムにすることができると考えられるが、推計方法の統一化により地域性が無視されると環境負荷算定に矛盾が生じる可能性が出てくる。水の場合はカーボン・フットプリントよりも そういう地域的制約条件が与件となるため矛盾に満ちた作業として際立って来るのではないか。
私もかねてからカーボン・フットプリント疑念を抱いて来ていたが、それと同様に、製品の差別化を意識すればするほど、その個別プロセスでのよりタイムリーで正確な水資源消費データがなければ具体的に算出できず、それができなければその指標算出の意味がないことになる。これは差別化を真面目にやろうとすればするほど算定負荷が膨大なものとなり、そのこと自体で無駄な環境負荷を増やさなければならない。製品の差別化のためのデータの個別化と評価・推計のためのデータの統一化という基本的に矛盾したことをどのように調整しようと言うのだろうか。
しかし、食品世界企業は“ウォーター・フットプリント”をデファクト・スタンダードにしたいという意向が強く、自社製品を差別化しようと意欲的であるという。その動きの例としてネスレの活動が挙げられていた。しかし、評価のためには標準化する必要があり、そのためのISO化であり、早ければ2013年頃制定になるだろうとのこと。これに対し、日本企業の得失はどうなのかまでの詳しい議論までは提示されなかった。
講演の標題からイメージした結論とは異なり、結局、水の環境影響は複雑であり、水資源管理の視点と消費者の利害得失、企業のCSR的視点は異なるため、単純に“節水すれば良い”と言う訳ではない、ということで講演1は終わった。
講演2は吉村氏による、日本の水ビジネスの現状についての報告であった。
水ビジネスは世界人口の増加とともに、伸びる余地の大きい産業であり機器関連では2010年で4840億ドルの市場で年率6%の成長であり、淡水化は2005年で92億ドルの市場で年率14%の伸びが期待されるという。世界三大企業のヴェオリア(仏)、スエズ(仏)、テムズウォーター(英)があり、対象の給水人口はそれぞれ139百万人、120百万人、70百万人であるという。フランスが“水”に強いのは国・政府を挙げての戦略的な推進によるものと言う。アジアでは 国家的に水の受給に困ったシンガポールが強く、研究開発拠点で人材育成とその留学生や華僑、印僑との人脈形成も戦略的にやっているとのこと。韓国も政府を挙げてサムスン、斗山を中心に活動している由。日本は首相が年々入れ替わり、政府を挙げて戦略的にビジネス展開できる状況になく、またその実績もない、との批判であった。
しかし、日本の水道技術は、ローテク面でもハイテクでも世界一であるという。下水道人口普及率は72%であり、具体的には漏水防止技術、不断水工法、浄水場等施設管理技術、膜処理技術、センサー技術等は世界に誇れる水準。そこで、日本も“水の安全保障戦略機構”を中心に活動を始め、自治体(大阪市、北九州市、横浜市、川崎市、東京都、福岡県、滋賀県、埼玉県、広島県等)が経済界・企業と連携した具体的動きが生まれているということであった。
日本政府の海外経済活動へのにぶい動きは最近よく批判の対象となっているが、かつて仏大統領ド・ゴールはヨーロッパ歴訪していた日本の池田首相を“トランジスタのセールス・マン”と揶揄したと報道されたことがあった。その後、日本のマスコミは日本のODAはひも付きが多く、援助金はほとんど日本の大企業に還流していて、それが本当の意味での経済援助と言えるのか、と大々的に批判していたものだった。
こうすればああ言う、ああすればこう言う、批判は立場を変えて勝手なものかも知れぬが、時代が変われば立場も変わるのだろうか。これは国民合意のブレない国家目標形成の無さのためなのではないだろうか。
だが日本はこうした国家経営のPDCAの第一歩で既に分裂している。その象徴が憲法解釈なのだ。
[講演1]“ウォーター・フットプリント:CO2の次はH2Oか?!”東京大学生産技術研究所・教授・沖 大幹 氏
[講演2]“海外水ビジネスの現状と日本の水戦略” グローバルウォーター・ジャパン・代表・吉村 和就 氏
世界の人口激増に伴い水資源が世界的に重要課題になるという認識は観念的にはあったが、幸いにも水の豊富な我が国に在って切実感が乏しく これまで具体的な問題点など知る機会も無かったので、先ずは知識・情報を得るためにセミナー参加を希望した。
ところが、その後東北関東震災とそれに引き続く原発災害の発生。そして、まさしく東京の水道水の放射能汚染が話題となっている時期での講演会開催となった。
講演者は いずれも東京在住とのことで、大阪に来てみて街の明るさ、停止しているエスカレータの無いことに改めて隔世感を持ったとのことだった。内お一人は、できればミネラル・ウォータを買って帰りたいと思ったが残念ながら大阪でも、売り場の棚は空だったとのこと。大阪でなら水道水でも可ではないかと 思われたのだったが。
ということで、お二人とも講演冒頭で、当初予定外の原発災害にまつわる話題を提供された。
沖教授は水道水の放射能汚染について、当時盛んに報道されていたようにその危険性は乏しい旨の説明をされていた。
吉村氏は、元荏原社員で原発での水質管理システム設計に携わった由で、問題の福島第一原発内部にも何度も入ったことがあったという。そういう経験をベースに特に原発内部に滞留する汚染水の放射能除去の可能性について言及。活性炭で約3割、精密フィルターで9割、低圧RO膜で完全除去、イオン交換膜でも完全除去可能との話であった。これにより、汚染水の減容は十分に可能であるが、その濾過処理後の膜などの処理の方が重要であり、慎重になされるべきで、ドラム缶内に詰めてドラム缶ごと処理する必要があるとのこと。投入されている冷却水は一日3トンの蒸発と推定され、このような冷却はここ数ヶ月間は続けなければならない。その後の安定化も3~5年は崩壊熱を冷まし6年程度経過後、チェルノブイリのような巨大な石棺を築き、周囲の土地は立入禁止処置とするべき、と考えるのが原子力技術者の常識であろう、とのことであった。
さて本題であるが、先ず講演1の沖教授は 水を有効に使用するために“ウォーター・フットプリント”という考え方の必要性について説明し、その推計法を標準化するためにISO化が検討されているという現状の解説をされた。
“ウォーター・フットプリント”とはCO2に関するカーボン・フットプリントと同様で、ある製品のライフサイクルにおいてどれくらいの水を消費しているかを推計するというもの。環境負荷の水資源側面を評価しようという指標である。この推計方法や どういった行為を水消費と考えるのかの評価方法を世界的に統一しようと言うのがISO化の動きであるということであり、カーボン・フットプリントと同様にある製品を購入する場合に水側面環境負荷を消費者に分り易く伝達しようという意図のようだ。製品のライフサイクルにおける投入水量が基本概念になるが、これには現実投入水量と仮想投入水量に分けられる。ここで“仮想”とは、“もし輸入国が同量の製品を自国で生産・処理すると必要である水量”ということ。またこの投入水量は“取水量”が基本になるだろうが、プロセス中で元に戻す水があれば“復帰流”として相殺(差し引き)することを可能にするという考え方もあるとのこと。そうすれば、貯留水(時間遅れ使用)をどう評価するのかという問題も出て来るという。
水の環境負荷は、地域性に大きく依存する。つまり水資源の使用・消費は豊富に存在する地域と、乾燥地域では その環境負荷は全く異なるため乾燥地域で、水が豊富にある地域で生産された製品を消費することの方が経済的であり、環境負荷もミニマムにすることができると考えられるが、推計方法の統一化により地域性が無視されると環境負荷算定に矛盾が生じる可能性が出てくる。水の場合はカーボン・フットプリントよりも そういう地域的制約条件が与件となるため矛盾に満ちた作業として際立って来るのではないか。
私もかねてからカーボン・フットプリント疑念を抱いて来ていたが、それと同様に、製品の差別化を意識すればするほど、その個別プロセスでのよりタイムリーで正確な水資源消費データがなければ具体的に算出できず、それができなければその指標算出の意味がないことになる。これは差別化を真面目にやろうとすればするほど算定負荷が膨大なものとなり、そのこと自体で無駄な環境負荷を増やさなければならない。製品の差別化のためのデータの個別化と評価・推計のためのデータの統一化という基本的に矛盾したことをどのように調整しようと言うのだろうか。
しかし、食品世界企業は“ウォーター・フットプリント”をデファクト・スタンダードにしたいという意向が強く、自社製品を差別化しようと意欲的であるという。その動きの例としてネスレの活動が挙げられていた。しかし、評価のためには標準化する必要があり、そのためのISO化であり、早ければ2013年頃制定になるだろうとのこと。これに対し、日本企業の得失はどうなのかまでの詳しい議論までは提示されなかった。
講演の標題からイメージした結論とは異なり、結局、水の環境影響は複雑であり、水資源管理の視点と消費者の利害得失、企業のCSR的視点は異なるため、単純に“節水すれば良い”と言う訳ではない、ということで講演1は終わった。
講演2は吉村氏による、日本の水ビジネスの現状についての報告であった。
水ビジネスは世界人口の増加とともに、伸びる余地の大きい産業であり機器関連では2010年で4840億ドルの市場で年率6%の成長であり、淡水化は2005年で92億ドルの市場で年率14%の伸びが期待されるという。世界三大企業のヴェオリア(仏)、スエズ(仏)、テムズウォーター(英)があり、対象の給水人口はそれぞれ139百万人、120百万人、70百万人であるという。フランスが“水”に強いのは国・政府を挙げての戦略的な推進によるものと言う。アジアでは 国家的に水の受給に困ったシンガポールが強く、研究開発拠点で人材育成とその留学生や華僑、印僑との人脈形成も戦略的にやっているとのこと。韓国も政府を挙げてサムスン、斗山を中心に活動している由。日本は首相が年々入れ替わり、政府を挙げて戦略的にビジネス展開できる状況になく、またその実績もない、との批判であった。
しかし、日本の水道技術は、ローテク面でもハイテクでも世界一であるという。下水道人口普及率は72%であり、具体的には漏水防止技術、不断水工法、浄水場等施設管理技術、膜処理技術、センサー技術等は世界に誇れる水準。そこで、日本も“水の安全保障戦略機構”を中心に活動を始め、自治体(大阪市、北九州市、横浜市、川崎市、東京都、福岡県、滋賀県、埼玉県、広島県等)が経済界・企業と連携した具体的動きが生まれているということであった。
日本政府の海外経済活動へのにぶい動きは最近よく批判の対象となっているが、かつて仏大統領ド・ゴールはヨーロッパ歴訪していた日本の池田首相を“トランジスタのセールス・マン”と揶揄したと報道されたことがあった。その後、日本のマスコミは日本のODAはひも付きが多く、援助金はほとんど日本の大企業に還流していて、それが本当の意味での経済援助と言えるのか、と大々的に批判していたものだった。
こうすればああ言う、ああすればこう言う、批判は立場を変えて勝手なものかも知れぬが、時代が変われば立場も変わるのだろうか。これは国民合意のブレない国家目標形成の無さのためなのではないだろうか。
だが日本はこうした国家経営のPDCAの第一歩で既に分裂している。その象徴が憲法解釈なのだ。
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