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廬山寺の桔梗と梨木神社の名水―京都プチ観光

盛夏直前に京都でセミナーがあったが、午後からの開催だったので、例によって午前中は京都観光とした。だがこの暑い夏には どこを巡るのが良いかと迷いつつ調べたところ、桔梗(キキョウ)の寺があるということで、廬山寺とその近くに名水井戸のある梨木神社に出かけることにした。廬山寺は、実は紫式部が過ごした邸の址とされているということなので、多少の期待を持って出かけた。

その場所は、京都府立医大の近所で御所寄りにあり、阪急で10時前に河原町に出て、そこから市バスで府立医大病院前まで行く。真夏なのでバスに乗ることにしたが、鉄道ではないので残念ながら定刻ではやって来ない。しかし市内のバス幹線つまり河原町通の路線なので、ほぼ5分程度くらいの間隔でやって来るため実害はない。
目指すバス停で降りて、河原町通から1本西の通りへ向かう。大学としてはコンパクトな府立医大キャンパスの前を通る。次の、四つ角を右へまがってしばらく北上。すると、あっさりと右手に廬山寺の門に出た。

ここには観光客は あまり訪れないのか 閑散とした雰囲気。私は 人の少ないこういうところが好きだ。玄関を上がり、受付で注意事項を聞いて、庭を見れる縁側に出た。なるほど、白い砂利は敷き詰められており、手入れは行き届いてはいるが、“桔梗の寺”と言うには 少々物足らない印象だ。つまり、桔梗の群生、密生が見られるのか、一体どういう姿で見られるのかと想像したのだが、白い砂利の海原に浮かんだ緑の苔の島々に 桔梗がまばらに存在している、という状態だった。この庭に降りてはならないとのことなので、何とか軒下からクローズアップを撮ろうとするが、密生していないので どの画像も近接撮影に耐えられない、残念なこととなった。
ふと、高校時代 美術を取っていた時、夏休みの宿題で自宅の庭にあった桔梗、それはもっと力強く密生していたが 様々にスケッチして、それを元に2学期に日本画風の作品に仕立て上げたのを思い出した。そう言えば あの折角の絵はどこへやってしまったのだろうか。



さて、この寺のホームページによると、“紫式部が育ち、未婚時代を過ごしたのは堤第といわれた藤原兼輔(紫式部の曽祖父であり、堤中納言といわれる)が建てた邸宅であり、父・為時の邸宅においてでした。この邸宅で結婚生活を送り、一人娘の賢子(かたこ)を育て、源氏物語を執筆したのです。それは平安京の東に接した中河と呼ばれる地にあり、現在の廬山寺の境内を中心とする処に営まれていました。”とある。つまり、この辺りは、貴族の別邸が多数あり、鴨川の堤があって紫式部の邸は堤第といわれ、祖父は堤中納言と呼ばれたとのこと。また、この地の“中河”は 別の文献では“中川”ともあるようだ。

奥の縁側の背後は、本堂になっており僧侶の読経席がしつらえられ、その正面には 三体の仏像が鎮座している。その本堂の手前の間には、貝合わせや古書が展示されていたが、毛筆の草書は読めないので雰囲気を味わったつもりで、ほぼスルー。非常に残念だが、日本文化を徹底的に味わえない教養のない日本人なのだ。

残念な思いばかりで、廬山寺を辞去し、梨木神社へ向かう。その神社には、どこから入って良いのか分からず、北側に回り込んでもう1本西側の南北の通に出たところで南下して、神社境内への入口を見つけて何とか入り込む。すると、そこに井戸があって、どうやら近所の人が ポリタンクにその水を汲みに来ていた。
門をくぐり本殿に向かう。途中に多分 神楽舞台と思われる建物(写真中段左)があった。その向こうが本殿(写真中段右)、一応 参拝。
この神社は、神社ホームページによれば“三條実萬公と公爵三條実美公の二柱の神様をお祀りしています。”とあり、明治の元勲を祀っている。維新後の“明治十八年十月、旧梨木町の今の地に梨木神社を創建、別格官幣社に列せられた”とあるので、京都の神社としては新しい。こちらは、“萩の宮と称されるほど京都の萩の名所として知られ”ているらしい。秋の9月下旬が見頃のようだ。



ここは、「染井の井戸」(写真下段)が有名で、“京都の三名水(醒ヶ井、県井、染井)のひとつである”とされている。ホームページには、さらに“この井戸はかつて文徳天皇の皇后明子の方の里御所の跡に あったもので、宮中御用の染所の水として染井の水が用いられたという由緒があります。その水は、甘くまろやかな味で茶の湯にも適し、今も京の名水として知られています。”と書いている。
私も一口飲んでみた。なるほど“まらやか”とは、このことか、と。甘さまでは分からなかったが、刺激が無く“飲みやすい”。人々は、引きも切らずこの水を汲みに来ているようだが、列ができるほどにならない程度に来ている。その間合いの読みが素晴らしい。列ができてしまうと、いかにも見苦しいが、この絶妙の間合いが“京都”という印象だ。

一旦、この神社の境内を出て、隣接する御所の御苑に入ってみる。どうやら、地図で確認すると大宮御所と迎賓館の間に居ることになるようだ。対面の遥か向こうの西側の門は、幕末争乱期に有名な紛争のがあった蛤御門となる。ここで、一旦一休み。その後河原町通に出て、バスで河原町に戻る。

さて、そろそろ昼食の時間帯に入る。混み合わない内に、食べログで調べておいた店を探し出さなければならない。河原町通から、今度は高瀬川を渡って1本東の通に出て、何とか“大黒屋本店”を見つけ出す。高瀬川沿いには、木立があり涼を感じる。
店内には、幸いにも未だ客はほとんど入っていない。示された席に座ってふと前を見ると、大黒天の木像があった。何かいわれがあるのかどうかは、知らないが店名が大黒屋なので飾っているものと了解した。
ここは、蕎麦屋なので夏には、ざる蕎麦と考え注文。またここは京都なので“あぶ玉丼ミニ”も頼む。“あぶ玉丼”とは、“きつね丼”のことで、例えば親子丼の鶏肉の替わりに油揚げを入れたもので、油揚げ玉子丼の略のようだ。



ややあって、まずは ざる蕎麦を平らげ、その後“あぶ玉丼ミニ”を食べる。さすがに いずれもしっかり調理されているが、蕎麦の出汁も、丼も甘い。この店は甘党で評価されているのだろうか。もう少しナチュラルにして欲しいものだと思った。

予定より、早目にスケジュールが進展したので、ゆったりと阪急・河原町へ歩いて戻り、午後のセミナー会場に向かう。当然、高瀬川沿いを歩いた。日差しを避ける、木陰がありがたい。

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