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2013年、年始早々の独り善がりの七転八倒


謹賀新年。
早々に大学の同窓会があった。幹事が親しい男で、当初の出席者が少ないとのことで、直接の出席要請があり、又、来賓恩師が 所属研究室の教授だったので、心ならずも参加することにした。
学生時代の友人が皆、綺羅星の如くあり、まぶしく見えた。 結局、近況報告スピーチもしどろもどろとなってしまった。
“友が皆 偉く見ゆる日に・・・・”との心境であった。実際の私は この歌の後半とは かなり違うのだが、心境としては全く同じでそそくさと帰った次第である。
年末の ご挨拶では、ポジショニングがどうこうとの台詞を吐いていたのが、客観的に独り善がりの間抜けな行為であったと気付かされる結果となり 相当に落ち込んだのだった。

取り分け衝撃だったのは、ここ十年来 私がやろうとして未だに達成できていないこと―事務所を開設し、自分を幹部として登記し、さらにそのビジネスに関する著書を出版する―を次々に軽々とやってのけ、実現させている輩が居たことである。私はこのブログで、著書のベースを作ろうとしていたが、そのためのテーマが定まらずもたついている。彼は何の躊躇も無く 軽々とやってのけているのだ。その著書は共著ではあるものの、一流出版社によるもので、斜め読みしたところ、非常に良く体系化され、整理された形になっており、私の知らない知識・情報満載であった。しかも構成も気が利いており、洒落た挿絵入りである。今後の 知識整理の基準として十分に使えるものだった。“環境”に関し、基礎知識が不足し過ぎていることを 改めて自覚した次第であった。

さてどうして、こうなったのか。お蔭で、自らの越し方行く末を自分なりに考え込まざるをえないハメになった。しかし、どう考えても反省の余地はなく、このザマも自分のせいではない。考え疲れて、週一出掛けるようにしているプールで汗を流し、泡風呂、サウナを経てマッサージ機に座り込んで疲労回復の発泡飲料を口にしてハッと気付いたことがあった。
それは、私が就職した会社の構造上の問題ではなかったのか、ということだった。その会社は、戦後急成長して業界大手の一角を占めるメーカーであり、その急成長の過程では、金融界の超トップとの軋轢が有名な伝説ともなっている。そういうとんでもない活力が その会社の売りでもあり、結構ファンも多く、知る人ぞ知るところであった。したがい、就職当初は 結構意気揚々としていたものだった。

その後、自分としては大きな失敗も無くサラリーマン人生を送ったものと思っていた。現場の製造・生産技術、品質管理業務に次々携わって行き、大きな失敗も無く過ごしていた。社内には製造所が国内4箇所あり、一時は私の所属する製造所の所長にかわいがられたこともあったので、そのまま順調に昇進するものと思ったりしていた。しかし、課長健診で軽い慢性肝炎であることが判明したのが躓きの決定的な切っ掛けではなかったかと思われる。要するに、健康を害している者は 社員としての雇用を継続するには、制約があり使いづらいと思われたのであろう。ほとんど決まっていた研究開発の実験のための海外出張の任も解かれた。
そこへ、バブル崩壊後の構造不況が襲い掛かったのである。それでも未だ余力のあった会社は、私を生産現場の管理部門から、本社営業部門の技術的サポートの部門へ異動させてくれた。そこでは、顧客課題を技術的に受け止めて、顧客に説明することが主な仕事であった。営業の第一線のそばに居て、顧客会社の幹部の方々と付き合う経験もでき視野が広がったと実感したものだった。そこでは、関係会社数社を取りまとめ連携して製品開発も経験した。いわば、各社の持っている技術を生かして商品開発を 何とかプロデュースできたのであった。
それでも一向に構造不況は、解消せず余剰人員として通常50代で出向させられるものを40代で早期片道出向となり、退社した。その出向先、つまり再就職先では、それまでほとんど経験せず、情報も何ら無かったISO9001の仕事となった。つまり ISO9001の認証取得が業務となり、その後 それを維持、つまり継続的改善につなげ、後には環境システムにも着手した。まぁ その延長上に このブログ開設がある訳である。
しかし、その初めての仕事で経営者の理解やサポートは、全くない中での見知らぬ人々を納得させ “指導する”というのは非常にしんどいものであった。時としてある、明らかに実力の無い連中からの嘲りは屈辱以外の何物でもない。ここでは価値観が逆転に近い異質なものなのである。彼らには それが分からないのだ。本来、そういう思いは腹に飲み込んで処するべきものなのであり、そういう私の“意識”が返って問題だと言う考えもあろうが、そこまで抑え込むほどの精神的許容は持ち合わせていなかった。だが、勿論 それを顔色に出すことはなかったのだが。しかも、少なくとも経営者という者は、社内のどんな業務にも理解が無ければならないし、業務に理不尽な障害があれば それを自然に取り除くようにする姿勢は欠かせないものと思うのだが、この会社の経営者は、全くそうではなかった。
それでも、私は与えられた任務を過剰達成させることに成功した。例えば、求められてもいなかった環境報告書を ホーム・ページに掲載し、密やかにPRできるようにし、それはその規模の会社としては珍しい行為であった。しかし、後任者はこれを引き継ぐことできていない。折角の私の報告書も今や削除され、この会社のホーム・ページの環境活動の部分は無味乾燥なものとなっている。
それにもかかわらず、最後にはパワラハまがいの扱いを受け、体よく追い払われる形になり、現在のザマとなっている。だが、お蔭でそういう屈辱には強くなっているような気がする。

このように、問題は その出向先である。元の会社とは、お互いほんのわずかな取引しかない関係で資本関係は全くない。したがって人を送り込むにしても、受け入れ先の条件のままとなる。とにかく、人を受け入れてもらえれば 元の会社の人事の任務は達成となるのである。普通子会社への出向となると、無条件に昇進となる。だが、私の場合は そのようには受け入れられなかった。
元の会社には、子会社があったが、昇進階段からオフ・ラインとなった人間全てを天下りさせるほどの数は無かった。それが、戦後急成長した会社の弱味であった。そこで、少しでも関係のある会社にも、“余剰人員”を押し込むのだ。しかも元の会社はメーカーであるため、採用人数は技術系が多く、その傾向は事務系より顕著に現れる。事務系は子会社だけでもどうやら賄える範囲のようだったが、技術系の社員は、全く元の会社の影響力の及ばない所へ行く例が多い。その結果、技術系社員のサラリーマン生活は悲惨な結末となっている。現役時に どのような功績があっても、一旦オフ・ラインになると そうなるサダメにあった。会社の存続を賭けた海外ビッグ・プロジェクトに参加した社員であっても、縁もユカリもない会社に転出させられ、人相も変わり健康を害した人も居た。理化学研究所に出向した経緯のある社員も その才を活かすこともなく子会社の顧客先へ行き、ボロ布のように働かされて定年。或いは部長になっていても それまで名も聞かなかった小口顧客の中小企業へ行き、そこで癌を発症して亡くなっている。悲惨なのは高卒でも有能であった技術系事務職社員であり、高卒現場社員と同等以下の処遇しか与えられていない。
それに引き換え、私は健康を害することもなく 未だ生きているだけでもマシな方なのである。それでも 世間的には負け組みに見える。このような次第で、どう考えても自分自身には反省の余地はなく、このザマも やっぱり自分のせいではないのだと改めて了解し、そう思うことで何だかスッキリしたような気分にもなった。だが、他人は そうは見ないのが、何としても口惜しい。逆に こういう姿勢は、客観的には無反省の態度に見えるだろう。

会社組織には それぞれの歴史と個性がある。元の会社は、少し前、持て囃されたバランス・スコア・カードについても、それを随分前に先取りしたような仕組(管理会計と目標管理が一体化)を持っているような先進的なところがあった。それに その会社には、派閥は無かった。少なくとも正確には その存在を知ることはなかった。役員には 悪い噂のある人も居たが、そのような人は結局は社長にはなることはなかった。人事的にも結構公正な組織だったとは思うが、社員の処遇には苛烈であったのだ。その原因は、天下る子会社が無かったことにあるのだ、と今になってようやく了解したのだ。
こういう発言は 子会社のプロパー社員や派遣の人々には贅沢に思えるだろうが、70年代から80年代の日本が世界のトップに立った時代を知っている者は、申し訳ないが こういう意識にあるし、これも1つの真実と理解していただきたい。

とにかく、会社組織には それぞれの事情がある。その内情までは 一般人は知る由もなく、就活でも同じだ。就職して、しかも何年もたってようやく知る事実もある。いや、今の時代 どんな会社でも 就職できればオンの字。だから、正社員であっても苛烈な処遇をしているブラック企業があるように聞いている。特に新興のサービス産業に そのような企業は多いようだ。
一方、最近はCSR(企業の社会的責任)が言われるようになってきている。その報告書も公表されるようになって来た。しかし、その実態を適切に告白している報告書は見たことがなく、どんな“優良会社”でも都合の良い事実だけを表明してアリバイとしている。これでは、適正で正統なCSR報告書とはならない。しかし、報告書に対する どのような規格を作って規制しても、最終的にそれを完璧に規制できるものではあるまい。後は 読む側が それをどこまで深読みできるかにかかっている。だが規格を考える側は、そのブラックな部分を あからさまにするような在り方を模索しているのも事実ではある。

閑話休題。新年早々、くだらない愚痴の吐露となってしまって申し訳ない。
とにかく私自身、幸いにも今のザマの原因から離れられた環境にある。だから、何の制約も無く、自分で道を切り開くことができるはずだ。だから行く末は、今与えられた現状を天命と思い、そこを根拠に真面目に唯ひたすら前をコツコツ切り開きながら歩くだけだと覚悟することができた。
何だか、唯単に勝手に悩んで、一人で了解し、元の木阿弥の空騒ぎのような気もするが、それ以降 スッキリした気分になって居るのも事実ではある。今年は、明けて早々冷水だったが、これで行くしかない。

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