The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
風姿花伝
05.09.20.
“風姿花伝”の現代語訳を読んだ。
加護野忠男は“企業のパラダイム変革”の中で、次のように指摘している。“パラダイムがイメージとしての性格を持っている”、そして、パラダイムを伝えるべきイメージは言葉では伝えることは難しい。そこで、「○○は××のようなものである」というメタファーで伝えるしかない。というようなことである。
それらの ツールとして“成功物語”やそこに登場する“英雄”が 企業の“伝説”として 必要なのかもしれない。しかし、そのメタファーもイメージそのものではなく、あくまでも「~のようなもの」というぼんやりした比喩なので、限界がある。その限界を乗り越える方法として、かたちを真似ることを重視して伝えて来たのが日本の武道、芸道であると指摘して、加護野は、その代表格の世阿弥“風姿花伝”を紹介していた。
そこで、“風姿花伝”を 読んで見る気になった。古典を直接読むのは障害が多いので 現代語訳を探して読んでみた。
意外にも薄い本である。さらさら 読んで ストーンと終わってしまった。何となく“五輪書”を読んだ時と同じような感触である。そう言えば “五輪書”も薄かった。完璧に理解できた訳ではないのだが、単にそんなものか、との印象しかない。
まぁプリゼンテーションの際に心得ておくべきような記述もあったが、私の読解力が乏しいためか 奥義を究められたような感動は無かった。とにかく、武道、芸道に携わったことのない身には 理解不能なのか。或いは、文学書ではない いわゆる“ハウ・トゥ・モノ”は こういうものなのかもしれない、という気もする。“秘すれば花”なのか。言葉の限界以外に どうしようもない理解の限界がある。古典を 読むときには まさに“先達はあらまほしきものなり”なのであろう。
さらに“風姿花伝”には“守破離”なる言葉は一切登場しない。これは、どうしたことか。世間では観阿弥,世阿弥の言葉として 紹介している場合が多い。“風姿花伝”には 徹底した 物真似の“守”を賞揚こそすれ、“破離”についての指摘はない。この辺 もう少し 調べてみるべきかも知れない。世間には いい加減な一面が多い。
ISOマネジメントも 規格は、メタファーなどのイメージとして持ちにくい要求事項の集合体であるように思う。規格は作る時には 具体的イメージがあるはずなのに、それが払拭されてしまっている。これは 規格に広がりを持たせるために意識的に行なわれているのだ。
このイメージ再構築に ISOコンサルタントの仕事の奥義があるのかも知れない。
“風姿花伝”の現代語訳を読んだ。
加護野忠男は“企業のパラダイム変革”の中で、次のように指摘している。“パラダイムがイメージとしての性格を持っている”、そして、パラダイムを伝えるべきイメージは言葉では伝えることは難しい。そこで、「○○は××のようなものである」というメタファーで伝えるしかない。というようなことである。
それらの ツールとして“成功物語”やそこに登場する“英雄”が 企業の“伝説”として 必要なのかもしれない。しかし、そのメタファーもイメージそのものではなく、あくまでも「~のようなもの」というぼんやりした比喩なので、限界がある。その限界を乗り越える方法として、かたちを真似ることを重視して伝えて来たのが日本の武道、芸道であると指摘して、加護野は、その代表格の世阿弥“風姿花伝”を紹介していた。
そこで、“風姿花伝”を 読んで見る気になった。古典を直接読むのは障害が多いので 現代語訳を探して読んでみた。
意外にも薄い本である。さらさら 読んで ストーンと終わってしまった。何となく“五輪書”を読んだ時と同じような感触である。そう言えば “五輪書”も薄かった。完璧に理解できた訳ではないのだが、単にそんなものか、との印象しかない。
まぁプリゼンテーションの際に心得ておくべきような記述もあったが、私の読解力が乏しいためか 奥義を究められたような感動は無かった。とにかく、武道、芸道に携わったことのない身には 理解不能なのか。或いは、文学書ではない いわゆる“ハウ・トゥ・モノ”は こういうものなのかもしれない、という気もする。“秘すれば花”なのか。言葉の限界以外に どうしようもない理解の限界がある。古典を 読むときには まさに“先達はあらまほしきものなり”なのであろう。
さらに“風姿花伝”には“守破離”なる言葉は一切登場しない。これは、どうしたことか。世間では観阿弥,世阿弥の言葉として 紹介している場合が多い。“風姿花伝”には 徹底した 物真似の“守”を賞揚こそすれ、“破離”についての指摘はない。この辺 もう少し 調べてみるべきかも知れない。世間には いい加減な一面が多い。
ISOマネジメントも 規格は、メタファーなどのイメージとして持ちにくい要求事項の集合体であるように思う。規格は作る時には 具体的イメージがあるはずなのに、それが払拭されてしまっている。これは 規格に広がりを持たせるために意識的に行なわれているのだ。
このイメージ再構築に ISOコンサルタントの仕事の奥義があるのかも知れない。
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