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10月に鑑賞した映画17本の紹介

この度の総選挙の結果は大方の予想に反して、自民党が261議席を獲得し、単独で絶対安定多数に達した。立憲民主党は109→96、日本維新の会は11→41、公明党は29→32、国民民主党は8→11、共産党は12→10、れいわ新選組は1→3、社民党は1→1議席を得た。無所属は10。“NHKと裁判している党”は1議席を失い、0となった。
選挙前予測では、“自民党は30議席前後、減少”と言われ、野党は政権奪取を視野に入れた対応だったことを考えれば、自民の議席減が高々15減、単独過半数の獲得で善戦、或いは見方によっては勝利。そして維新増の保守系の増加傾向。野党第一党の立民が増ではなく13もの減は想定外の明らかな敗北と言える。どうして、こうなったのか。
小選挙区制の採用は、二大政党育成による政権選択が容易な健全な民主社会の創造が目的だったはずだが、保守への是認体制となり、国民の社民主義への忌避の傾向が読み取れる。

何だか、自公与党のコロナ禍対策の不全を是認した格好になっており、それで良いのだろうか。サクラ、カケ、モリの不正も黙認、もしくは是認という結果になった。この国は、元首相の不正を追承認する国になったのだろうか。それを昭和史に詳しい保阪正康氏は“哲理なき現状維持”と批判している。

要は、国民が“お上”の不正を見て見ぬフリをし、それらの不正から自己保身に走る“お上”を是認するのは、政治の本質を考えなくなった傾向にあるのではなかろうか。それが自らの生活に不利に働くとは考えなくなったのではなかろうか。
最近、気になるのが “ちょっと何言ってるか分からない”とか、関西では“分かれへんノヤ”というセリフが漫才でギャグになっていることだ。これは、考えることへの拒否感の深層心理を表しているのではないか。ずいぶん昔は“アホで何が悪い?”という居直りがあった。それから引き続く庶民感覚の“伝統”になってしまったのだろうか。“アホで何が悪い?”は“アホにも人権はある!”つまり“多様性を認めよ”との主張かと思って当初は是認していたが、それが今や“お勉強拒否症”への強弁に変化してきて、ついには“伝統”になってしまったのでは話にならない。“お勉強拒否症”からくる“アホで何が悪い?”には“アホは犯罪だ。意識的痴呆は周囲に迷惑なのだ!”と言いたい。“人生はお勉強の連続”なのだ。人は常に“お勉強”して「人」になる。
知的サボタージュが、ついには“哲理なき現状維持”を生んだとしたら、大変なことなのだ。特に近代史への“お勉強”無しで、投票権を行使すれば、それは“衆愚政治”の原因となるのではないのか。

第2次大戦前のドイツでは、社民主義の敗北がナチス・ヒットラーを生み歴史の惨劇を見ることになった。ドイツの社民党と共産党が連携できず、分断していたから社民主義が敗北して、ナチス・ヒットラーが勝利したのだ。その歴史的事実を御存知だろうか。特に歴史的に調査されている社会的意識も、現代日本と当時のドイツが近似しているように見える。政治を理性で考えなくなっているのではないだろうか。政治的判断を他人に任せて英雄を待望する意識の広がりがあるのではないだろうか。今や、その轍を踏んでいるのではないだろうか。

こうした世界史的観点から見る時、日本の野党は一様に日本共産党との連携にどうして神経質になるのか不思議だ。理論政党に対し、自らの政治信条にそれほど自信がないのだろうか。自信が無いのならば、“信なくば立たず”で政党の看板を下ろすべきだ。自信があるのならば、妙な共産党アレルギーを捨てるべきだ。何故ならば“敵の敵は味方”だからだ。そんな簡単な政治力学が分からない、トウシローならば政界から身を引くべきではないのか。共産党は自民とは組めない絶対的な敵だからだ。だが彼らは少数派でも、彼らの足腰は圧倒的に強い。一般党員は極めて真面目に活動している。だから絶対に0にはならず、どこかしこに必ず支持者がいる強力な政党なのだ。

ならば日本の野党も、真面目な党員養成に努力するべきではないのか。それが党勢拡大につながる確実な方法ではないのか。国会議員だけから成る政党は、いずれ消滅するのは自明だろう。
例えば、野党第一党の立民は極端な国会議員政党ではないのか。旧民主党が分裂・崩壊して、左派系の旧民主党員が行き場を失った時、枝野氏が立ち上げた“立憲”を冠した民主党の出直しに国会議員が集まった、そういう政党だった。そういう急場での政党を支持する一般人も当時は多かったのだ。だが立民はそれ以降の党勢拡大への地道な努力を怠ったのではないだろうか。
立民の基礎自治体の議員、或いは都道府県議会の議員数はどれくらいであろうか。ちなみに、神戸市議会は定数69名中,自民19,公明12,維新10,共産9,立民6と共産党の後塵を拝し野党第一党ではない。(参考までに姫路市議会:市民クラブ9,公明8,新生ひめじ7,自民無所属の会7,創政会5,共産4,維新2,燎原会2,無所属2,立民は0/尼崎市議会:公明12,維新10,共産5,市民グリーンクラブ5,蒼風会5,青雲の会3,みどりの未来2,立民は0)そして兵庫県議会に於いても立民0。(兵庫県議会:自民32,兵庫県民連13,自民党兵庫13,公明12,維新6,共産5,無所属2)これでは立民が国政では野党第一党だと威張っているのは滑稽ではないのか。
今回の衆議院選で大阪地区は2議席、大物の立民議員が落選した。これで大阪は大半が維新となり、それ以外は公明のみとなった。その背景には大阪の基礎自治体議会での維新の党勢拡大がある。このように、大阪では維新が地道な努力をやってきている。それがこの度の国政選挙での躍進として、花開いたのではないか。
しかも選挙前、立民大阪の女性幹部候補は“維新はローカル政党だから・・・”という言い方をしていたようだ。そういう意識こそが、立民の大きな問題点ではないか。
思い返せば、あのナチスも当初はミュンヘン等の地域政党だった。それが地道な努力を重ねて、国政に躍り出て政権をにぎったのではなかったか。あたかも、維新はそれを地道に踏襲しているかのように見える。

それに立民の政治的主張も枝野氏が旗揚げした時よりも、旗幟鮮明とは言えなくなってきている印象がある。それが、あの共産党に対する劣等感のようなものとなって現れているのではないだろうか。そこにも政治的弱点が明らかにあるのではなかろうか。
特に立民には、旧自民だった大物議員2名が選挙区選挙で敗れている。彼らが立民から立っていることも、立民の旗幟鮮明とは言えなく見える原因になっているのではないか。
さらに首長選挙では一人の候補に自民と相乗りしていては、政治的立脚点が見えず、選挙民には訳が分からなくなる。例えば、この度の総選挙で、神戸市長選挙も併せて行われた。ここでは3期目の現職候補者に自民と相乗りした。独自候補の擁立ができない少数政党であるにもかかわらず、そこまでして、与党の一団に加わりたかったのか。
維新は発祥の地大阪では、旗幟鮮明にして自民と徹底的に戦っている。既に主客逆転して長い時間が経っており、今や大阪自民は退潮が明確化し始めている。(大阪府議会:維新47,自民無所属16,公明15,共産2,民主ネット2,国民の会1,自民堺クラブ1,立民0〈民主ネットと連携?〉/大阪市議会:維新40,公明18,自民市民ク16,自民つながる暮らし第一5,共産4,立民0)維新は、大阪自民の息の根を止めるために公明を恫喝してついには抱き込んで、多数派を形成している。中央政界でも維新は自民と一線を画している。独自色を失わないために相当神経を使っているように見える。

旧民主党系の政党は労働組合団体・連合との関係に、神経をとがらせている。“組織票”が欲しいからだ。立民も同様だ。もうそろそろ、連合との関係は従属的ではなく主体的に対処するべき時だろう。連合は大企業労働組合の団体であり、その幹部は一昔前には“労働貴族”と揶揄されていた。今もその実態は変わらないようだが、連合は“貴族化”した特権を固守して、非正規雇用者を仲間にすることを拒否したのだ。労働組合結成の本来の目的は、“持たざる”弱者の団結にあったが、“貴族化”した彼らは非正規雇用者を排除したのだ。
だが、実はそうした行為によって連合は日本社会全体から見て少数派になってしまっているのではないか。日本の労働者のほとんどは大企業労働者ではなく、中小零細企業の従業員なのだ。しかも、今や“働き方改革”によって非正規労働者が増えている実態から、明らかに連合は世論形成の力を失いつつあり、政治的には消えゆく少数派なのだ。これにすがりつくのは、愚かな事なのは明白ではないか。
むしろ革新的政治団体ならば、そうした保守化した連合を“指導”して、非正規労働者を仲間に組み入れる改革を行うべきなのだ。そうしてあくまでも仲間を増やすことに注力するべきなのだ。伝統的スローガン“万国の労働者団結セヨ!”なのだ。
共産党は、その点で正統的で非正規労働者の味方にもなっているようだ。彼等の勢力の源泉はそこにあり、だからこそ足腰が強いのだ。原理原則を遵守しているからこそ、強いのだ。

日本の社民主義的傾向の衰退を、立民の退潮のせいにするのも立民には迷惑な話かもしれない。だが、ある種社民主義的政治傾向を、現状の独善的保守の腐敗に対する対立点に据えることで、旗幟鮮明とすることができるのではないだろうか。保守の革新を維新に見る時、立民のよって立つ理論的根拠の一つが社民主義的市民発想にあるべきではないかと考えるのだ。立民が社民主義的市民発想で強くなることが、二大政党による政権選択が容易で健全な民主社会の創造につながると考える。政権交代が可能となれば、当然のこと官僚の政権への忖度や腐敗がなくなり、社会はより健全になると思うのだが、どうだろうか。


さてまた月が替わり、早くも11月となった。ついこの間まで暑く、夏が長い印象だったが、最早秋になっている。そこで今回も先月見た映画の紹介をしたい。
先月は仕事もあっていつもより少々減って、結果的に17本の映画鑑賞となった。本人はここで報告することもあるので、出来るだけ見るように努力したつもりだったが、減ってしまった。その内、NHK・BSプレミアムのBSシネマが7本、ネットの無料配信映画が10本となった。
先ずは、NHK・BSプレミアムのBSシネマから。

10/6 “愛と哀しみの果て Out of Africa”1985年・米
監督:シドニー・ポラック、出演:メリル・ストリープ、ロバート・レッドフォード、クラウス・マリア・ブランダウアー

10/7 “動乱”1980年・日本
監督:森谷司郎、出演: 高倉健、吉永小百合、米倉斉加年、桜田淳子、志村喬、田村高廣

10/8 “アパッチ砦 Fort Apache”1948年・米
監督:ジョン・フォード、出演: ジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ、シャーリー・テンプル、ジョン・エイガー

10/11 “グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち Good Will Hunting”1997年・米
監督:ガス・ヴァン・サント、脚本:マット・デイモン、出演: ロビン・ウィリアムズ、マット・デイモン、ベン・アフレック、ステラン・スカルスガルド、ミニー・ドライヴァー

10/19 “めぐり逢えたら Sleepless in Seattle” 1993年・米
監督:ノーラ・エフロン、出演: トム・ハンクス、メグ・ライアン、ビル・プルマン、ロス・マリンジャー

10/21 “地獄の7人 Uncommon Valor”1983年・米
監督:テッド・コッチェフ、出演: ジーン・ハックマン、ロバート・スタック、フレッド・ウォード、パトリック・スウェイジ

10/25 “梟の城 Owls' Castle”1999年・日本
監督:篠田正浩、出演:中井貴一、鶴田真由、葉月里緒菜、上川隆也

“愛と哀しみの果て”はメリル・ストリープ、ロバート・レッドフォードの出演で、期待し楽しみだった。だが途中話が単調になったように感じてしまい、少々居眠り。だがさすがに、味わいがある映画で、まぁ良かった。デンマーク出身の活発な女性が、知人の貴族と結婚し、デンマークを出て英領東アフリカ・ケニアに農場を経営するが結局は失敗し、デンマークに戻るのだが、その間の夫や恋人との思い出話である。1937年に出版されたアイザック・ディネーセンの自伝的小説『アフリカの日々』が原作。

“動乱”は、高倉健、吉永小百合・主演で、226事件に至るまでとその後のある青年将校とその妻の話である。
手筈が拙く、始めの15分ほど見れなかったが、鑑賞には大きな影響はなかった、と思っている。実話ではなさそうだが、社会的背景と当時の人々の社会観を示したかったのだろう。そこには、どうしても制作者側の独断と偏見が入り込んでいるような気がして違和感を感じてしまうのは、私の偏見だろうか。

“アパッチ砦”は、米インディアンのアパッチ族とはストーリーに直接影響を与えるものではなく、米連邦政府の陸軍騎兵隊に所属する軍人たちの群像の話と思った方が良い。当時の騎兵隊員たちの生活の一端が垣間見えて面白い。主人公にかかわる女性が美人だと思ったが、それが有名な女優・シャーリー・テンプルだとは、見終わってから知った。子供の頃、テレビで見たことがあったはずなのだが、しっかりとは覚えていなかった。

“グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち”は、当時無名の俳優であったマット・デイモンが執筆した脚本の完成度の高さに注目が集まったという。
天才的な頭脳を持ちながらも幼い頃に負ったトラウマから素行の悪い主人公の青年ウィル・ハンティングを更生させようとする、最愛の妻に先立たれて失意に喘ぐ心理学者の交流の過程をドラマ化したもの。互いに深い心の傷を負っていることを理解しつつ、素行の悪い青年の心の成長をあらわしている。

“めぐり逢えたら”も、名優・トム・ハンクスとメグ・ライアン主演の小品。シアトルとボルチモアに住む二人がラジオ番組を通じて、“めぐり逢う”若干ドタバタ風コメディタッチの心温まる小品だ。

“地獄の7人”は、軍人役がはまり役のジーン・ハックマンが中心に展開する。ベトナム戦争におけるMIA(Missing in Action、軍隊用語で戦闘中行方不明の意味)を主題にした映画。ジーン・ハックマンは、1973年ベトナム戦争中に、負傷した戦友を助けようとして逃げ遅れ、MIAとなった息子を救出するボランティア・チームを結成し、バンコクからラオスに向かう。犠牲を払いながらも幾人かのMIAの救出に成功するが、その中に息子はおらず、既に死亡していたことを告げられる。どうやら、実話ではなさそう。

“梟の城”の原作は司馬遼太郎。何故か英訳題があり、文字通り“Owls' Castle”となっていて、忍者好きの英語圏で上映されたのだろうか。Wikipediaによれば次の解説があるので、そのまま掲載する。
“連載時の題名は『梟のいる都城』。京の都で暗躍し闇に生きる忍者を、夜行性で単独生活をするフクロウに喩えている。こちらの方が作品内容の意味が通るとも指摘があるが、語呂が悪かったのか、単行本刊行に際し「梟の城」に改題されている。それまで新聞記者であった司馬が作家となる契機となった作品である。司馬が初期に多く手がけた忍者小説の1つで、独自の歴史解釈を交えた後年の歴史小説群とはかなり趣が異なっている。組織のなかで生き、豊臣秀吉の暗殺を狙う葛籠重蔵と、伊賀を捨て武士として立身出世しようとする風間五平の2人の生き方を描く。徳川家康や服部半蔵、石川五右衛門など、実在人物も巧みに配置されている。忍者同士のアクションシーンの描写が評価され、1963年(昭和38年)、1999年(平成11年)の2度にわたり映画化された。”(本作は1999年版)
司馬の初期の作品で、架空の人物で話が展開しているので、その後の作品とは趣が異なっている。中井貴一と上川隆也の配役も面白い。


次からは、ネットの無料配信映画が10本の紹介。ネット配信映画を見慣れると、突然画面に割り込むCMには閉口するが、時に意識が遠くなってシーンの見落としがあると、あっさり見直せるので、テレビ放映より鑑賞しやすい。それにBSシネマは昼間の活動度が高い13時からの始まりなので、見終わって大抵直ぐ夕方になってしまい、一日の時間が有効に使いづらいマイナス要素が大きい。コロナ禍が終わって仕事が増えると、そうした弱点が改めて目立ってくる。まぁ、その時無理せず見れるものを見る、それで良いのかも知れない。

10/11 “極道の妻たち 最後の戦い”1990年・日本
監督:山下耕作、出演:岩下志麻、小林稔侍、かたせ梨乃、津川雅彦、中尾彬、石田ゆり子、哀川翔

10/11 “パーカー Parker”2013年・米
監督:テイラー・ハックフォード、出演: ジェイソン・ステイサム、ジェニファー・ロペス、ニック・ノルティ、マイケル・チクリス、マイカ・ハウプトマン、パティ・ルポーン、エマ・ブース

10/18 “新・極道の妻たち”1991年・日本
監督:中島貞夫、出演者:岩下志麻、かたせ梨乃、高嶋政宏、桑名正博、海野圭子、夏八木勲、西岡徳馬、

10/18 “犬が伝えたかったこと”2020年・日本
監督 : 山岸謙太郎、出演:諏訪太郎、フィロス、

10/18 “スペシャリスト The Specialist”1994年・米
監督:ルイス・ロッサ、出演:シルヴェスター・スタローン、シャロン・ストーン、ジェームズ・ウッズ、ロッド・スタイガー

10/19 “フェア・ゲーム Fair Game”1995年・米
監督:アンドリュー・サイプス、出演: ウィリアム・ボールドウィン、シンディ・クロフォード

10/20 “ノイズ The Astronaut's Wife”1999年・米
監督:ランド・ラヴィッチ、出演:ジョニー・デップ、シャーリーズ・セロン、クレア・デュヴァル、ドナ・マーフィー

10/20 “青い体験 Malizia”1973年・伊
監督:サルヴァトーレ・サンペリ、出演:ラウラ・アントネッリ、アレッサンドロ・モモ、テューリ・フェッロ、アンジェラ・ルース、ピノ・カルーソ、ティナ・オーモン

10/24 “愛の解体新書 Le sentiment de la chair”2010年・仏
監督・脚本:ロベルト・ガルゼッリ、出演:アナベル・エトマン 、ティボー・ヴァンソン

10/31 “不倫したい女 Gurov and Anna”2014年・加
監督:ラファエル・ウエレ、出演:アンドレアス・アペルギス、ソフィー・デマレ、カルロ・メストロニ、エリック・ブルノー、マリー・フギャン

“極道の妻たち 最後の戦い”と“新・極道の妻たち”はいずれも、実際に極道親分宅に滞在したという家田荘子のルポルタージュを再構成して、映画化したもの。ほぼ岩下志麻が主役を演じて、何故か必ずかたせ梨乃が脇役で登場している。9月からシリーズでネット配信の度に見ている。“最後の戦い”はあまりたよりにならない親分に代わって、岩下志麻が仇のボスを撃ち殺して終わっている。“新・極道の妻たち”は、これまでの中のこのシリーズで最も面白かった?!創業の親分が亡くなった後、霊代が蔭の実権を握っていたが、それを引き継いだボスたちも殺され、極道から足を洗うように考えていた息子もついには内部の裏切り者のせいで殺される。その裏切り者もついには霊代によって殺されて話は終わる。

“パーカー”は、Wikipediaによれば、“ドナルド・E・ウェストレイクが書いた小説『悪党パーカー』シリーズの『悪党パーカー/地獄の分け前』を原作としている”。御存知ジェイソン・ステイサム主演、ジェニファー・ロペスが共演で例によってスピード感もあり面白い。

“犬が伝えたかったこと”は、10分未満の短編映画。定年の男性が半月前に亡くなった妻が可愛がっていた老犬を散歩に初めて出てみた。犬に連れられて、出合う町の人や見る景色、中には自分の勤めていた工場も見える場所もあった。山尾活寛・著“犬が伝えたかったこと”が原作。その山尾が企画、脚本と音楽を担当し 山岸謙太郎を監督にして映画化したという。

“スペシャリスト”久しぶりのシルヴェスター・スタローン主役の映画。シャロン・ストーンが共演。元CIAの爆破員が転職して、爆破のスペシャリストとして活躍する映画。フロリダ州マイアミを舞台として、激しい爆破シーンが凄い。“シャロン・ストーンとシルベスター・スタローンの初ベッド・シーンが話題を呼んだ”という。

“フェア・ゲーム”は、ポーラ・ゴズリングの小説“逃げるアヒル”が原作だという。これもマイアミを舞台として始まる娯楽アクション映画。ロシアから来た悪者がITを駆使して、追跡したり、PCを乗っ取ってコントロールして迫ってくる。

邦題“ノイズ”は少々意味不明の感があるが、原題“The Astronaut's Wife”の方が分かり易い。SFスリラー映画。
NASAのある宇宙飛行士は同僚とともに宇宙船から離れて船外活動作業を行っていた際、何らかの事故に巻き込まれ、2分間通信がノイズで途絶えたが、彼らは無事に帰還した。どういう事故だったのか明らかにされないまま、その後同僚とその妻は謎の死を遂げる。それは、どうやら地球外からの侵略の危機の始まりなのか。宇宙飛行士の双子の子供は宇宙人の子供なのか。そこはかとなく、ゾ~ッとする話。

“青い体験”はWikipediaによれば、“1970年代から1980年代にかけてイタリアで爆発的に流行したお色気コメディジャンルで、いわゆる「筆おろし(少年の初体験)もの」と呼ばれるものの代表的作品である。・・・日本ではこのジャンルの作品はほとんど劇場未公開だったが、青い体験は公開された数少ない作品のひとつ。1980年代には木曜洋画劇場で頻繁に放映された。”
イタリアの生活習慣が、私には理解を超える部分が多々あり、その点で興味深く見た。例えば、亡くなった母親の代わりに若い家政婦を雇い、それをナニー代わりにもし、ついには娶るのが普通のように展開する。その家政婦と息子たちの関係性の話。

“愛の解体新書”は、確かにフランス映画の雰囲気は芬々とする。医師とメディカルアートの女子学生の恋。お互いの全てを知りたいと欲求する医師と女子学生だが、ラストはカニバリズム的変態が露になり、急にゾクッとする。

“不倫したい女”は、何の予備知識なく見始めたが、会話シーンでフランス語と英語が交錯して煩わしい印象だった。日常会話でフランス語と英語が交錯するのはカナダが舞台だろうか、と思っていたが、制作国はやはりカナダだった。どうやらケベックが舞台とのこと。
この映画の原題は“Gurov and Anna”で、それはロシアのアントン・チェーホフの短編“犬を連れた奥さん”の二人の主人公の名前である。
この映画の主人公の大学教授ベンは、そのチェーホフ作品を“完璧な小説”だとして教材にして大学で講義している。ところが“ベンは作家を目指していたが叶わず、心に虚しさを抱えたまま毎日を過ごしていた。そんな折、その教材の表現の解釈について教授室に訪ねて来た女子学生メルセデスに個別に教示し、急に親しくなる。・・・そんなある日、ベンの妻が書いた児童小説のパリでの出版が決定。ベンは自分が叶えられなかった夢を実現させようとしている妻に複雑な思いを抱き、メルセデスと深い関係になる。”と言う不倫物語。
メルセデス役のソフィー・デマレはカナダ出身の女優とのこと。目鼻口の大きい、黒髪のゾクッとする美人なので見とれてしまった。
少しもいやらしさが残らないチェーホフの“犬を連れた奥さん”の二人はあっさりとし不幸に陥らず、それと比較して、この映画の二人はドロドロになり、特に教授の側は全てを失い、破滅するという結末はどう考えれば良いのだろうか。

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