The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
日本のパンデミックへの対処は如何に―その5―政策無策と混乱の原因は何か?
“Go To Travel”キャンペーンのドタバタ。アホアホ政権は、最近、政策の撤回を平気で行うようになり、乱発している。国民への給付金について、対象者30万円として閣議決定までしたものを、撤回して国民全員に10万円で決着。この度の観光キャンペーンも東京を対象外とする部分撤回を行った。
昔、本で読んで面白いと記憶している言葉がある。
Order命令,Counter-order撤回,Disorder混乱
英語では韻を踏んでいて巧妙な表現である。これは米陸軍士官学校(ウェストポイント)の食堂に掲げられた戒めの言葉だそうだ。命令は熟慮して出すこと。途中で間違ったと気付いて撤回すれば、現場の部隊は混乱を引き起こし、それは味方の損害を助長し敗北の原因にすらなる、というもの。ある種のノブレス・オブリッジの重要な一つと考えられる。
これを読んだ当時、工場の生産技師として改善や開発のために、工場実験を行うのが仕事の大半だったので、その指示書・仕様書の作成と表現には細心の注意を払うようになったものだ。
ミッドウェイ海戦で日本の海上航空部隊でこのことが実際に起き、大混乱して日本海軍主力の大型空母4隻と航空機290機を一気に喪失して敗北し、これ以降日本海軍は大勢の挽回を図れずに、敗戦へまっしぐらに転落して行った史実がある。
ミッドウェイ海戦の日本海軍の戦略目標はミッドウェイ諸島の軍事基地壊滅とそれにより、米海軍主力をおびき出し、これを迎え撃って撃滅するというものだった。現地で先ずは、諸島の陸上基地攻撃が目標だったので、航空機には陸用爆弾を装備させて待機していた。そこへ索敵不十分で敵艦隊の把握が遅れ、寸前で至近距離の敵空母部隊の存在を発見。これを放置すれば当方が危ういので、準備万端の航空機発艦直前で、艦船攻撃用の徹甲弾と魚雷への装換を命令。空母飛行甲板で大混乱をきたし、陸用爆弾と魚雷等で通常以上の数量に危険な状態に陥った。そこへ敵艦隊の放った航空部隊が来襲し、甲板に過剰にあった爆弾と魚雷が一挙に誘爆し始めた。空母艦長の一人は陸用爆弾のままでの発艦と敵艦隊攻撃を司令部に具申した。相手が空母ならば陸用爆弾でも飛行甲板の破損は可能で、無力化できると判断。しかし時すでに遅く、大半の日本空母が大爆発を起こして沈んだ。その時の日本側司令官は航空ではなく水雷(魚雷等)の専門家だった。
今の政権による指示の下、命令の一部撤回であっても政府特に国交省は大混乱を来していることは容易に想像がつく。要するに一部撤回であっても、方針が大幅に変更されたことを意味するのだから、それに伴う細部の見直しを短時間で迫られることになる。細部の前後左右に矛盾が生じてはならない。本来は時間のかかる仕事、だから混乱する。恐らく、給付金の内容変更も現場は混乱したに違いない。そこで、給付実態が遅れることになったとも思われる。
国民の移動促進のTravelキャンペーン下で、新型ウィルス感染者は増加の一途だ(下図.ネットによる)。この政策矛盾を政権担当者はどう考えているのか、否、全く何も考えていないのか。
今や感染者数は4月初旬の緊急事態宣言前の状態を上回っている。ヤッテルフリの政治家はパフォーマンスと発言をどうするのか慎重に考慮しなければならず、大変だ。先週の主要政治家の発言は次の通り。(首相は責任ある説明責任から逃亡)
都知事
皆さんの協力で止めていかないと、幾何級数的に増えていく。そうなるとまた経済活動や社会活動などにブレーキをかけてしまうことになる。皆さんの協力をさらに強めていかなければならないという警告だ。
担当大臣
徹底した感染防止策に取り組まずに感染が広がってしまうケースも(ある)。利用する側も狭い個室で大声を出すと感染が広がる。これ以上広がると感染防止のガイドラインを守っていない店に対して営業時間短縮や休業要請を考えざるを得なくなる。
これで分かるように一般国民への要求ばかり。毎日、性懲りもなくほぼ毎日同じ台詞の繰り返し。政治家として今から何をなすべきかが、全く語られない。そんなことで御大臣様の仕事が務まるなら、私でもできる。政治家が為すべきことは、これから感染拡大は必至、であれば医療体制の崩壊をどう支えるのか、それを示す必要な段階ではないのか。
既に、保健所や医療機関の従事者は疲弊していて、“働き方改革”どころではない。最早ここには“政治”はない。諸所のクラスターがエピセンター化していると類推されることにも、何ら無策。7月23日の東京では、自宅療養392人。入院・療養など調整中717人ということ。つまり、隔離せずに放置と言っても過言ではないのが千人以上いるということだ。
軽症者病床が不足するのであれば、野戦病棟の建設や公共体育館の転用、医療従事者の不足があるのならば、一時的に何らかの措置を講じる必要があるはずだ。重症者病床はどう確保するのか・・・。政治家には、いろいろ為さなければならない仕事は多々ある。
今や“Go To Travel”は“Go To Trouble(混乱)”キャンペーンと呼ばれ始めている。アホのマスクと同じ轍を踏んでバカにされている。このままでは感染者数は増大し、医療崩壊に至るのは明かに必至だ。“Go To Travel”は撤回せざるを得なくなるのは間違いない。撤回は混乱を招くのは確かだが、ここでその判断を遅らせることは、感染被害と混乱をさらに助長し、災害はさらに激甚化する。それにもかかわらず、アホアホのトップは思考停止、説明責任など不都合なことは部下に任せ、指揮権を放棄している。
安倍氏はお坊ちゃん育ちらしいが、欧米的教養は全くないと言って過言ではない。ひょっとして、ノブレス・オブリッジという言葉すら知らない可能性のあるアホボン?危機に際して、こうした人物が我が国自衛隊の最高指揮官であることに大いなる疑念があるのは確かだ。ある種、おぞましき現実だ。
今後も同様のことが頻発し、官僚は疲弊するだろう。そうなれば官僚も忖度どころではなくなり、政権も長くは持たなくなるハズだ。そんなことに淡い期待をしなければならないのは、情けない限りだ。
こんな何もできない、政治家として最低な連中をどうして、皆支持するのであろうか。
感染者数データにしても、その根拠が怪しい。しかも、無症状者が多い中にあって、感染者の分子ばかり示されて、分母が一向に明らかにならない。本当に若者の比率が高くなったのか。高齢者の比率が低いのは何故なのか、一向にはっきりしない。したがって、様々なもっともらしい推測が可能なのだ。評論家の跋扈する温床だ。
これを是正するためには、最も信頼できるPCR検査を増加させる必要があるのではないか。政治家は自らの判断を確かなものにするための正確なデータを得るためにも、処置を急ぐ必要があるのではないか。
これに対し、米国のしっかりした政治家の下では感染者数は明らかに減少し、死者がゼロになっている地域があるという。
ニューヨーク市では死者ゼロの日が出ている(7/22)←7/17~19・10人7/20・3人7/21・4人、(4/7・597人)。
全米感染者数7万4710人(7/17:)1日5~7万人全米死者数14万人超。
過去最高感染者数6378人(4/6)
検査数3万5814件(最高6/15)、陽性率約2%(6/5)
日本と違い米国では、死亡者の死因は検視官によって確実に把握されているはずだ。だから死因数も日本のデータより正確度が高いと見て良い。しかも、ニューヨークの感染状況を把握するためのトレーサーは3千人いるという。
日本の政治家とは違って、ニューヨーク州クオモ知事は“検査・追跡・隔離の徹底が重要だ”と述べ、これを政策の中心に据えて徹底させている。これによって、事態を大幅に改善させたのだ。しかも日本のようなおバカキャンペーンは実施されておらず、未だに州を跨いでの移動は禁止されているようだ。要は感染拡大のツボは押さえられているのだ。
先週、あるテレビ番組で“日本で何故PCR検査が増えないのか”の原因を調査していた。各国の人口千人当たりのPCR検査は次の通りだという。(典拠:6月末の英オックスフォード大のOur World in Data)
米97.30件、伊89.15件、英73.64件、独70.10件、韓国21.44件、日本5.30件
これに対し専門家は、“こうした検査を繰り返し実施する必要があるが、当局者は偽陽性者の人権侵害を警戒している。医系技官を中心とした官僚がセンシティブに感じている。ハンセン病の強制隔離による人権侵害で裁判に負けたことがトラウマにあるからだ。”
要するに検査で“偽陽性が出た場合の人権侵害”が最大の問題で、これは、厚労省自身も“数の問題では無い”と言っているようだ。つまり“それがあってはならないこと”と言っているのだ。
これに対し、同専門家は“社会が哲学を示す必要がある。”そう、日本人には厳密に哲学的考察をした経験が乏しいのだ。かつて、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の『白熱教室』でも取り上げられたトロッコ問題*などについても、突き詰めて考えた経験がないのだ。そこにあるのは、単純な保身だけ。要は、この国の官僚は“忖度と保身”とヤクザ顔負けの“利権獲得闘争”で頭が一杯なのだ。社会正義から自らの為すべきことは何なのか、覚悟をもって実行する矜持が日本の官僚には欠落しているのだ。同じ番組に出演していた、別の専門家は次のように厳しくコメントした。
“薬害訴訟等の裁判で訴えられて負けるリスクだけを考えている。だから、ワクチンの定期接種も先進国並みにならない。だが、この新型ウィルスの偽陽性を回避したいのならば、2回検査すれば間違えるリスクは大幅に下がる。生死を天秤にかける一生モノの問題と10日で済む隔離の負荷とで、比較することがそんなに大きな問題だろうか?偽陽性の確率が0にならなければ検査は増やせないのか?”
これで厚労省の主張の逃げ道は十分に塞がれていることが、お分かりだろうか。要は科学的事実を積み上げれば、悩み深いトロッコ問題ですらないのだ。少し考えれば、解答は容易だ。あたかも、日本社会全体が反知性主義に陥って、痴性ばかりになっているかのようだ。かつて、進駐軍のマッカーサー司令官が“日本人は12歳の子供だ”と言ったというのは、未だに正しいのだろうか。
*トロッコ問題(trolley problem)とは、“ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?”という形で功利主義と義務論の対立を扱った倫理学上の問題・課題。
“ブレーキが壊れて下り坂を暴走する路面電車の前方に5人の作業員がいる。このままいくと電車は5人をひき殺してしまう。一方、電車の進路を変えて退避線に入れば、その先にいる1人の人間をひき殺すだけで済む。どうすべきか?”・・・つまり“5人を救うために1人を犠牲にすることは許されるのか?”という問題である。※(電車は止められず、線路上の人たちには連絡できず、逃げられない状況と仮定)なおここで、“トロッコ”とは路面電車を指しており、手押し車と混同しないように注意。
こうした蒙昧な官僚群を率いている政治のトップは首相=内閣総理大臣であることを、改めて確認したい。政治はプロセスでもあるが、最終的には結果責任である。結果責任によって歴史で裁かれるのだ。安倍氏ですら、時にカッコ良く口にする“結果責任”という言葉は非常に重いことを確認したい。
彼の言葉はいつも“軽い”。その出だしの“美しい国”ということばからして、胡散臭さが漂っていた。最近特によく耳にする“丁寧な説明責任”も実行した例があっただろうか。国会を閉じ、国政の場から国政の最高責任者が逃げている姿は醜さを通り越して、情けなさを感じる。
しかも官僚たちを蒙昧にしたのも、日頃の政治責任である。トップには部下を教育し、正しく導く責務がある。(ISOにも教育・訓練の項目がある)だからトップの人格が問われるのだ。官僚に忖度を強要し国法を犯させ、しかも自らは責任を取らないのは適切なトップではないし、人としても最低のクズだ。どうして、あんな人物を首相に据えてしまったのか。そして、どうしてあんな御仁をいつまでも支持するのであろうか。私には全く理解不能だ。
昔、本で読んで面白いと記憶している言葉がある。
Order命令,Counter-order撤回,Disorder混乱
英語では韻を踏んでいて巧妙な表現である。これは米陸軍士官学校(ウェストポイント)の食堂に掲げられた戒めの言葉だそうだ。命令は熟慮して出すこと。途中で間違ったと気付いて撤回すれば、現場の部隊は混乱を引き起こし、それは味方の損害を助長し敗北の原因にすらなる、というもの。ある種のノブレス・オブリッジの重要な一つと考えられる。
これを読んだ当時、工場の生産技師として改善や開発のために、工場実験を行うのが仕事の大半だったので、その指示書・仕様書の作成と表現には細心の注意を払うようになったものだ。
ミッドウェイ海戦で日本の海上航空部隊でこのことが実際に起き、大混乱して日本海軍主力の大型空母4隻と航空機290機を一気に喪失して敗北し、これ以降日本海軍は大勢の挽回を図れずに、敗戦へまっしぐらに転落して行った史実がある。
ミッドウェイ海戦の日本海軍の戦略目標はミッドウェイ諸島の軍事基地壊滅とそれにより、米海軍主力をおびき出し、これを迎え撃って撃滅するというものだった。現地で先ずは、諸島の陸上基地攻撃が目標だったので、航空機には陸用爆弾を装備させて待機していた。そこへ索敵不十分で敵艦隊の把握が遅れ、寸前で至近距離の敵空母部隊の存在を発見。これを放置すれば当方が危ういので、準備万端の航空機発艦直前で、艦船攻撃用の徹甲弾と魚雷への装換を命令。空母飛行甲板で大混乱をきたし、陸用爆弾と魚雷等で通常以上の数量に危険な状態に陥った。そこへ敵艦隊の放った航空部隊が来襲し、甲板に過剰にあった爆弾と魚雷が一挙に誘爆し始めた。空母艦長の一人は陸用爆弾のままでの発艦と敵艦隊攻撃を司令部に具申した。相手が空母ならば陸用爆弾でも飛行甲板の破損は可能で、無力化できると判断。しかし時すでに遅く、大半の日本空母が大爆発を起こして沈んだ。その時の日本側司令官は航空ではなく水雷(魚雷等)の専門家だった。
今の政権による指示の下、命令の一部撤回であっても政府特に国交省は大混乱を来していることは容易に想像がつく。要するに一部撤回であっても、方針が大幅に変更されたことを意味するのだから、それに伴う細部の見直しを短時間で迫られることになる。細部の前後左右に矛盾が生じてはならない。本来は時間のかかる仕事、だから混乱する。恐らく、給付金の内容変更も現場は混乱したに違いない。そこで、給付実態が遅れることになったとも思われる。
国民の移動促進のTravelキャンペーン下で、新型ウィルス感染者は増加の一途だ(下図.ネットによる)。この政策矛盾を政権担当者はどう考えているのか、否、全く何も考えていないのか。
今や感染者数は4月初旬の緊急事態宣言前の状態を上回っている。ヤッテルフリの政治家はパフォーマンスと発言をどうするのか慎重に考慮しなければならず、大変だ。先週の主要政治家の発言は次の通り。(首相は責任ある説明責任から逃亡)
都知事
皆さんの協力で止めていかないと、幾何級数的に増えていく。そうなるとまた経済活動や社会活動などにブレーキをかけてしまうことになる。皆さんの協力をさらに強めていかなければならないという警告だ。
担当大臣
徹底した感染防止策に取り組まずに感染が広がってしまうケースも(ある)。利用する側も狭い個室で大声を出すと感染が広がる。これ以上広がると感染防止のガイドラインを守っていない店に対して営業時間短縮や休業要請を考えざるを得なくなる。
これで分かるように一般国民への要求ばかり。毎日、性懲りもなくほぼ毎日同じ台詞の繰り返し。政治家として今から何をなすべきかが、全く語られない。そんなことで御大臣様の仕事が務まるなら、私でもできる。政治家が為すべきことは、これから感染拡大は必至、であれば医療体制の崩壊をどう支えるのか、それを示す必要な段階ではないのか。
既に、保健所や医療機関の従事者は疲弊していて、“働き方改革”どころではない。最早ここには“政治”はない。諸所のクラスターがエピセンター化していると類推されることにも、何ら無策。7月23日の東京では、自宅療養392人。入院・療養など調整中717人ということ。つまり、隔離せずに放置と言っても過言ではないのが千人以上いるということだ。
軽症者病床が不足するのであれば、野戦病棟の建設や公共体育館の転用、医療従事者の不足があるのならば、一時的に何らかの措置を講じる必要があるはずだ。重症者病床はどう確保するのか・・・。政治家には、いろいろ為さなければならない仕事は多々ある。
今や“Go To Travel”は“Go To Trouble(混乱)”キャンペーンと呼ばれ始めている。アホのマスクと同じ轍を踏んでバカにされている。このままでは感染者数は増大し、医療崩壊に至るのは明かに必至だ。“Go To Travel”は撤回せざるを得なくなるのは間違いない。撤回は混乱を招くのは確かだが、ここでその判断を遅らせることは、感染被害と混乱をさらに助長し、災害はさらに激甚化する。それにもかかわらず、アホアホのトップは思考停止、説明責任など不都合なことは部下に任せ、指揮権を放棄している。
安倍氏はお坊ちゃん育ちらしいが、欧米的教養は全くないと言って過言ではない。ひょっとして、ノブレス・オブリッジという言葉すら知らない可能性のあるアホボン?危機に際して、こうした人物が我が国自衛隊の最高指揮官であることに大いなる疑念があるのは確かだ。ある種、おぞましき現実だ。
今後も同様のことが頻発し、官僚は疲弊するだろう。そうなれば官僚も忖度どころではなくなり、政権も長くは持たなくなるハズだ。そんなことに淡い期待をしなければならないのは、情けない限りだ。
こんな何もできない、政治家として最低な連中をどうして、皆支持するのであろうか。
感染者数データにしても、その根拠が怪しい。しかも、無症状者が多い中にあって、感染者の分子ばかり示されて、分母が一向に明らかにならない。本当に若者の比率が高くなったのか。高齢者の比率が低いのは何故なのか、一向にはっきりしない。したがって、様々なもっともらしい推測が可能なのだ。評論家の跋扈する温床だ。
これを是正するためには、最も信頼できるPCR検査を増加させる必要があるのではないか。政治家は自らの判断を確かなものにするための正確なデータを得るためにも、処置を急ぐ必要があるのではないか。
これに対し、米国のしっかりした政治家の下では感染者数は明らかに減少し、死者がゼロになっている地域があるという。
ニューヨーク市では死者ゼロの日が出ている(7/22)←7/17~19・10人7/20・3人7/21・4人、(4/7・597人)。
全米感染者数7万4710人(7/17:)1日5~7万人全米死者数14万人超。
過去最高感染者数6378人(4/6)
検査数3万5814件(最高6/15)、陽性率約2%(6/5)
日本と違い米国では、死亡者の死因は検視官によって確実に把握されているはずだ。だから死因数も日本のデータより正確度が高いと見て良い。しかも、ニューヨークの感染状況を把握するためのトレーサーは3千人いるという。
日本の政治家とは違って、ニューヨーク州クオモ知事は“検査・追跡・隔離の徹底が重要だ”と述べ、これを政策の中心に据えて徹底させている。これによって、事態を大幅に改善させたのだ。しかも日本のようなおバカキャンペーンは実施されておらず、未だに州を跨いでの移動は禁止されているようだ。要は感染拡大のツボは押さえられているのだ。
先週、あるテレビ番組で“日本で何故PCR検査が増えないのか”の原因を調査していた。各国の人口千人当たりのPCR検査は次の通りだという。(典拠:6月末の英オックスフォード大のOur World in Data)
米97.30件、伊89.15件、英73.64件、独70.10件、韓国21.44件、日本5.30件
これに対し専門家は、“こうした検査を繰り返し実施する必要があるが、当局者は偽陽性者の人権侵害を警戒している。医系技官を中心とした官僚がセンシティブに感じている。ハンセン病の強制隔離による人権侵害で裁判に負けたことがトラウマにあるからだ。”
要するに検査で“偽陽性が出た場合の人権侵害”が最大の問題で、これは、厚労省自身も“数の問題では無い”と言っているようだ。つまり“それがあってはならないこと”と言っているのだ。
これに対し、同専門家は“社会が哲学を示す必要がある。”そう、日本人には厳密に哲学的考察をした経験が乏しいのだ。かつて、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の『白熱教室』でも取り上げられたトロッコ問題*などについても、突き詰めて考えた経験がないのだ。そこにあるのは、単純な保身だけ。要は、この国の官僚は“忖度と保身”とヤクザ顔負けの“利権獲得闘争”で頭が一杯なのだ。社会正義から自らの為すべきことは何なのか、覚悟をもって実行する矜持が日本の官僚には欠落しているのだ。同じ番組に出演していた、別の専門家は次のように厳しくコメントした。
“薬害訴訟等の裁判で訴えられて負けるリスクだけを考えている。だから、ワクチンの定期接種も先進国並みにならない。だが、この新型ウィルスの偽陽性を回避したいのならば、2回検査すれば間違えるリスクは大幅に下がる。生死を天秤にかける一生モノの問題と10日で済む隔離の負荷とで、比較することがそんなに大きな問題だろうか?偽陽性の確率が0にならなければ検査は増やせないのか?”
これで厚労省の主張の逃げ道は十分に塞がれていることが、お分かりだろうか。要は科学的事実を積み上げれば、悩み深いトロッコ問題ですらないのだ。少し考えれば、解答は容易だ。あたかも、日本社会全体が反知性主義に陥って、痴性ばかりになっているかのようだ。かつて、進駐軍のマッカーサー司令官が“日本人は12歳の子供だ”と言ったというのは、未だに正しいのだろうか。
*トロッコ問題(trolley problem)とは、“ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?”という形で功利主義と義務論の対立を扱った倫理学上の問題・課題。
“ブレーキが壊れて下り坂を暴走する路面電車の前方に5人の作業員がいる。このままいくと電車は5人をひき殺してしまう。一方、電車の進路を変えて退避線に入れば、その先にいる1人の人間をひき殺すだけで済む。どうすべきか?”・・・つまり“5人を救うために1人を犠牲にすることは許されるのか?”という問題である。※(電車は止められず、線路上の人たちには連絡できず、逃げられない状況と仮定)なおここで、“トロッコ”とは路面電車を指しており、手押し車と混同しないように注意。
こうした蒙昧な官僚群を率いている政治のトップは首相=内閣総理大臣であることを、改めて確認したい。政治はプロセスでもあるが、最終的には結果責任である。結果責任によって歴史で裁かれるのだ。安倍氏ですら、時にカッコ良く口にする“結果責任”という言葉は非常に重いことを確認したい。
彼の言葉はいつも“軽い”。その出だしの“美しい国”ということばからして、胡散臭さが漂っていた。最近特によく耳にする“丁寧な説明責任”も実行した例があっただろうか。国会を閉じ、国政の場から国政の最高責任者が逃げている姿は醜さを通り越して、情けなさを感じる。
しかも官僚たちを蒙昧にしたのも、日頃の政治責任である。トップには部下を教育し、正しく導く責務がある。(ISOにも教育・訓練の項目がある)だからトップの人格が問われるのだ。官僚に忖度を強要し国法を犯させ、しかも自らは責任を取らないのは適切なトップではないし、人としても最低のクズだ。どうして、あんな人物を首相に据えてしまったのか。そして、どうしてあんな御仁をいつまでも支持するのであろうか。私には全く理解不能だ。
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