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21世紀文明研究セミナーで東北復興(住民生活再建)の現状実態を知る
今回も先週開催された(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構主催の“21世紀文明研究セミナー”を紹介したい。先週は下記2講座を受講した。
・〈環境〉分野 “COP21パリ会議を読み解く”伊与田 昌慶(NPO気候ネットワーク・研究員)
・〈安全・安心〉分野 “広域巨大災害における住宅復興政策と市街地再生計画”近藤 民代(神戸大学准教授)
この内“COP21パリ会議を読み解く”は、事前にテロのあったという困難の中の12月のパリで開催されたにもかかわらず、さらに国際的にも大物政治家が多数参加したにもかかわらず、大もめにもめて決議には“読み解く”ほどの内容無く、得た結論は次の通り。
①今世紀後半には温室効果ガスの排出源と吸収源の均衡達成。森林・土壌・海洋が自然に吸収できる量にまで、排出量を2050~2100年の間に減らしていく。
②地球の気温上昇を2度より「かなり低く」抑え、1.5度未満に抑えるための取り組みを推進する。(①はこのための前提)
③5年ごとに進展を点検。(どのように点検するのか不明。各国が任意に掲げた目標を点検するのか?)
④途上国の気候変動対策に先進国が2020年まで年間1000億ドル支援。2020年以降も資金援助の約束。
講師は“国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)に2007年より毎年参加し、交渉をフォローする”ことを売りにしていて、その会議で使用したIDカードをわざわざ回覧する等、講演内容とは直接無関係なことを妙にPRした浮ついた印象だった。これまでの会議の経緯説明に無駄な言葉・エピソード紹介に時間を費やした上で、講演中も言葉尻を捉えられないように警戒している印象があって、“科学的・客観的”根拠のある主張を持っている訳ではないようないかがわしさを漂わせていた。そもそも所属の特定非営利活動法人気候ネットワークもこういった環境関係の講演会に登場することが多いが、組織の持続可能性つまり出資者や経済的背景が不明(少なくともHP上では明らかにしていない)にもかかわらず、活動は派手な団体なのでその主張には疑いを持たざるを得ないと私は思っている。特にこうした“研究者”の活動費用特に海外での会議参加費用は一体どこから出ているのだろうか。そういうことで、ここでは上記のCOP21で出た結論だけを紹介した次第だ。
ということで、東北の津波被害からの復興過程での住民の再起の状況を詳細にフォロー研究している神戸大学准教授の近藤民代氏の講演内容を紹介したい。“東北の復興なくして、日本の将来はない”と大見得を切っていた現政権は その後復興を加速させることには力点を置かず、むしろ東京オリンピックに地道を上げ、東北を置き去りにしたまま原発再開すら推進ている印象は否めず、さらにオリンピック関連の高級官僚たちの利益誘導の気配濃厚となりつつある雰囲気も漂って来ている。こうした旧態依然の状況に日本の構造改革を回避して金融緩和だけのアベノミクスもデフレ脱却に失敗し始めている中で、東北復興の現状実態がどのようなのか、それを知ることで日本の課題が明らかになるような気がしている。
近藤氏によれば“復興まちづくり”とは次のようである。(参考・近藤神戸大学講義資料2013年)
・復興とは災害前のくらしを被災者が取り戻すこと
(「すまい-しごと-まち」が相互に関連しあって「くらし」ができる/ 神戸はすまいが先、中越や東日本はしごとが先)
・復興では未来につながる生活、空間、社会を作り上げる
(新しいことに飛びつくのが復興ではない/ 社会の抱える矛盾・問題を解決)
・震災をきっかけとして、地域が協働で、より良い地域生活空間を再生していこうとする運動=復興まちづくり
(将来像を定めることやその結果が復興ではなく、その目標に向かうプロセスが復興である/ 「復興まちづくりの物語」を地域社会で共有する)
要するに、住民の人間としての生活回復の現在状況から長期的な将来を展望できる視点が必要で、こうした今の住居再建から街・都市の再建へとつながり広がって行く政策が必要なのだと説く。そのような中で、神戸の再建には建物の耐震化だけで良かったが、東北の場合には津波にも備える必要がある。この点が 東北復興の大きな足枷になっているようにこの講演で感じた。講演者は学生にこう言っているという。“昔、神戸は山を削って海を埋め立て市域を拡張した。今、東北は山を削って居住団地を造成し、低地を嵩上げして津波被害を避けようと(神戸と同じことを)している”と。
しかし、この用地造成にはしっかりした地盤形成に時間がかかり過ぎる。その間に住民の生活条件や環境は変化し、高齢化が進展して行く。そのため自力で生活再建し、移動する住民も多数出現している。そこには年金生活者すら含まれている実態がある、という。それによって自治体の支援策は負担が軽くなる側面はあるが、一方では結果として都市のスプロール化(無秩序な開発)が進展してしまい、人口減少の傾向の中で逆に都市密度を上げてコンパクト化して都市運営のサービス向上を図らねばならないにもかかわらず、逆に希薄化傾向になってしまっている。そこには高齢化社会の将来に別の問題を生じる懸念もある。
こうした状況を、近藤氏はゼンリンの住宅地図をベースに調査しているという。つまり、調査対象の震災前の住宅地図と震災後の地図を比較し、居住者の表記が変化している部分を重点に、さらに実態を調査して行くという詳細なものである。講演者は、こうした調査の結果を石巻市と陸前高田市を事例として紹介して資料を提供している。これによると石巻市は震災前の都市計画に乗った形での市民の自力復興が進展しておりスプロール化の懸念は少ないが、陸前高田市は逆に住民の分散化が進んでしまい、結果としてスプロール化が進展する傾向にあるという。
今後、こうした悉皆調査を実施し科学的な結論を得るべく努力したいと言っていた。労多く真面目な研究姿勢に頭が下がる。
以上の内容は下記2件の論文の総括の由。
・近藤民代,柄谷友香 “東日本大震災の被災地における自主住宅移転再建者の意思決定と再建行動に関する基礎的研究”日本建築学会計画系論文集,第81巻(2016)第719号P117-124
・近藤民代,柄谷友香 “東日本大震災の被災地における新規着工建物による市街地空間形成と空間的特徴―岩手県及び宮城県の沿岸9市町における自主住宅移転再建に着目して”日本建築学会計画系論文集,第81巻(2016)第721号P667-674
さて、講演後の聴講者質問で東北への支援ボランティアをしているという一見体躯のしっかりした高齢の方から、“支援地では、復興の速度が遅いので、土地を造成しても出来上がった頃にそこへ入居する人は少ないのではないか、と囁かれている。そこは仙台に勤める人が多いため、既に仙台郊外に転出してしまった人が多い。住民がどこに勤務しているかも重要な要素だ。このように税金を投入して復興支援しても、国費が有効に機能しない可能性が高い。”という話題提供がされた。講演者もこれには苦笑しつつ否定しなかった。また、“同じことは無暗に背の高い防潮堤にも言える。防潮堤が完成した頃には、そこには住民は居ない。”とも そのボランティアは指摘していた。
良く言われていたことだが、巨大な堤防よりも、堅牢な中高層の津波避難拠点や住宅を要所、要所に建設することの方が、迅速で有効な復興政策ではなかっただろうか。
どうやら、巨大な自然破壊により出来上がった“まち”に住民は来ない可能性が高いようなのだ。そこに東北の復興を見ることができるのだろうか。住民の居ない荒れた都市に日本の未来があるとでも言うのだろうか。一方、東京にある政府・政権は東京の発展にしか興味が無く、地域住民の要望は“地域エゴ”として無視し、画一的な施策を押し付けるのだ。それでは日本の未来はないのではないだろうか。
・〈環境〉分野 “COP21パリ会議を読み解く”伊与田 昌慶(NPO気候ネットワーク・研究員)
・〈安全・安心〉分野 “広域巨大災害における住宅復興政策と市街地再生計画”近藤 民代(神戸大学准教授)
この内“COP21パリ会議を読み解く”は、事前にテロのあったという困難の中の12月のパリで開催されたにもかかわらず、さらに国際的にも大物政治家が多数参加したにもかかわらず、大もめにもめて決議には“読み解く”ほどの内容無く、得た結論は次の通り。
①今世紀後半には温室効果ガスの排出源と吸収源の均衡達成。森林・土壌・海洋が自然に吸収できる量にまで、排出量を2050~2100年の間に減らしていく。
②地球の気温上昇を2度より「かなり低く」抑え、1.5度未満に抑えるための取り組みを推進する。(①はこのための前提)
③5年ごとに進展を点検。(どのように点検するのか不明。各国が任意に掲げた目標を点検するのか?)
④途上国の気候変動対策に先進国が2020年まで年間1000億ドル支援。2020年以降も資金援助の約束。
講師は“国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)に2007年より毎年参加し、交渉をフォローする”ことを売りにしていて、その会議で使用したIDカードをわざわざ回覧する等、講演内容とは直接無関係なことを妙にPRした浮ついた印象だった。これまでの会議の経緯説明に無駄な言葉・エピソード紹介に時間を費やした上で、講演中も言葉尻を捉えられないように警戒している印象があって、“科学的・客観的”根拠のある主張を持っている訳ではないようないかがわしさを漂わせていた。そもそも所属の特定非営利活動法人気候ネットワークもこういった環境関係の講演会に登場することが多いが、組織の持続可能性つまり出資者や経済的背景が不明(少なくともHP上では明らかにしていない)にもかかわらず、活動は派手な団体なのでその主張には疑いを持たざるを得ないと私は思っている。特にこうした“研究者”の活動費用特に海外での会議参加費用は一体どこから出ているのだろうか。そういうことで、ここでは上記のCOP21で出た結論だけを紹介した次第だ。
ということで、東北の津波被害からの復興過程での住民の再起の状況を詳細にフォロー研究している神戸大学准教授の近藤民代氏の講演内容を紹介したい。“東北の復興なくして、日本の将来はない”と大見得を切っていた現政権は その後復興を加速させることには力点を置かず、むしろ東京オリンピックに地道を上げ、東北を置き去りにしたまま原発再開すら推進ている印象は否めず、さらにオリンピック関連の高級官僚たちの利益誘導の気配濃厚となりつつある雰囲気も漂って来ている。こうした旧態依然の状況に日本の構造改革を回避して金融緩和だけのアベノミクスもデフレ脱却に失敗し始めている中で、東北復興の現状実態がどのようなのか、それを知ることで日本の課題が明らかになるような気がしている。
近藤氏によれば“復興まちづくり”とは次のようである。(参考・近藤神戸大学講義資料2013年)
・復興とは災害前のくらしを被災者が取り戻すこと
(「すまい-しごと-まち」が相互に関連しあって「くらし」ができる/ 神戸はすまいが先、中越や東日本はしごとが先)
・復興では未来につながる生活、空間、社会を作り上げる
(新しいことに飛びつくのが復興ではない/ 社会の抱える矛盾・問題を解決)
・震災をきっかけとして、地域が協働で、より良い地域生活空間を再生していこうとする運動=復興まちづくり
(将来像を定めることやその結果が復興ではなく、その目標に向かうプロセスが復興である/ 「復興まちづくりの物語」を地域社会で共有する)
要するに、住民の人間としての生活回復の現在状況から長期的な将来を展望できる視点が必要で、こうした今の住居再建から街・都市の再建へとつながり広がって行く政策が必要なのだと説く。そのような中で、神戸の再建には建物の耐震化だけで良かったが、東北の場合には津波にも備える必要がある。この点が 東北復興の大きな足枷になっているようにこの講演で感じた。講演者は学生にこう言っているという。“昔、神戸は山を削って海を埋め立て市域を拡張した。今、東北は山を削って居住団地を造成し、低地を嵩上げして津波被害を避けようと(神戸と同じことを)している”と。
しかし、この用地造成にはしっかりした地盤形成に時間がかかり過ぎる。その間に住民の生活条件や環境は変化し、高齢化が進展して行く。そのため自力で生活再建し、移動する住民も多数出現している。そこには年金生活者すら含まれている実態がある、という。それによって自治体の支援策は負担が軽くなる側面はあるが、一方では結果として都市のスプロール化(無秩序な開発)が進展してしまい、人口減少の傾向の中で逆に都市密度を上げてコンパクト化して都市運営のサービス向上を図らねばならないにもかかわらず、逆に希薄化傾向になってしまっている。そこには高齢化社会の将来に別の問題を生じる懸念もある。
こうした状況を、近藤氏はゼンリンの住宅地図をベースに調査しているという。つまり、調査対象の震災前の住宅地図と震災後の地図を比較し、居住者の表記が変化している部分を重点に、さらに実態を調査して行くという詳細なものである。講演者は、こうした調査の結果を石巻市と陸前高田市を事例として紹介して資料を提供している。これによると石巻市は震災前の都市計画に乗った形での市民の自力復興が進展しておりスプロール化の懸念は少ないが、陸前高田市は逆に住民の分散化が進んでしまい、結果としてスプロール化が進展する傾向にあるという。
今後、こうした悉皆調査を実施し科学的な結論を得るべく努力したいと言っていた。労多く真面目な研究姿勢に頭が下がる。
以上の内容は下記2件の論文の総括の由。
・近藤民代,柄谷友香 “東日本大震災の被災地における自主住宅移転再建者の意思決定と再建行動に関する基礎的研究”日本建築学会計画系論文集,第81巻(2016)第719号P117-124
・近藤民代,柄谷友香 “東日本大震災の被災地における新規着工建物による市街地空間形成と空間的特徴―岩手県及び宮城県の沿岸9市町における自主住宅移転再建に着目して”日本建築学会計画系論文集,第81巻(2016)第721号P667-674
さて、講演後の聴講者質問で東北への支援ボランティアをしているという一見体躯のしっかりした高齢の方から、“支援地では、復興の速度が遅いので、土地を造成しても出来上がった頃にそこへ入居する人は少ないのではないか、と囁かれている。そこは仙台に勤める人が多いため、既に仙台郊外に転出してしまった人が多い。住民がどこに勤務しているかも重要な要素だ。このように税金を投入して復興支援しても、国費が有効に機能しない可能性が高い。”という話題提供がされた。講演者もこれには苦笑しつつ否定しなかった。また、“同じことは無暗に背の高い防潮堤にも言える。防潮堤が完成した頃には、そこには住民は居ない。”とも そのボランティアは指摘していた。
良く言われていたことだが、巨大な堤防よりも、堅牢な中高層の津波避難拠点や住宅を要所、要所に建設することの方が、迅速で有効な復興政策ではなかっただろうか。
どうやら、巨大な自然破壊により出来上がった“まち”に住民は来ない可能性が高いようなのだ。そこに東北の復興を見ることができるのだろうか。住民の居ない荒れた都市に日本の未来があるとでも言うのだろうか。一方、東京にある政府・政権は東京の発展にしか興味が無く、地域住民の要望は“地域エゴ”として無視し、画一的な施策を押し付けるのだ。それでは日本の未来はないのではないだろうか。
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