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人間存在そのものの環境負荷への自覚

人間は 存在するだけで環境負荷がかかることを 現代人はすっかり失念している。自分自身は空気みないなものだと思い込んでいる。エネルギーの浪費をしているのは、他の誰かであって自分は 環境負荷には 全くニュートラルな存在で、ほとんどゼロだと信じている。
CO2削減目標設定で、“財界はだらしないし、政府も及び腰でよくない、もっと削減する計画でないとダメだ!”などと目くじら立てて言い募る時に、自分の生活は棚に上げているような面はないだろうか。

人間の存在は どれほど環境負荷を与えているのかは、皆既日食で有名になった鹿児島県のトカラ列島の様子をみればよく分かる。
報道によると、日食の島として一躍有名になったトカラ列島では、住民が7島合わせて620人のところに、天文ファンや観光客らが人口の3~4倍押し寄せたという。当初は、村が委託した大手旅行会社のツアー客が予測できる範囲だった。したがって、この旅行代金には インフラ整備費が、折り込まれて結構高額になったようだ。しかし、この高額代金を避けるためか、日を追うごとに許可なく島に上陸する人が増えたらしい。

人間存在へのインプットは 食料、空気、水、その他のエネルギー(熱、電気 等々)、アウトプットは 排泄、生活ゴミ その上に 雨風をしのぐ建物、寝る場所・・・が必要なのだ。
食料や水、燃料は、島で暮らす人の数に見合った量しか準備されていない。そこへ、人口の3~4倍押し寄せるとなると、宿が足りないわ、断水するわ、ゴミが大量に出るわとテンヤワンヤとなると予想された。
人間の存在は いかにやっかいで、面倒なものか よく分かる。それが 大量に移動すれば またそれだけで、エネルギーを消耗することになる。
ネット上の情報では、日食が見られなかったからといって、旅行社にクレームを申し立てる人もいるようだ。何も無いところに無理矢理押しかけるなら それなりの自己責任があると思うが、実に 勝手な言いがかりのような気もする。

しかし、全般的には“当初、島の関係者は戦々恐々としたが、それは杞憂(き・ゆう)に終わった。災害発生時並みの準備態勢を整え、大きな混乱は起きなかった。”という。
島側にも 少しでも過疎の状況を打開したくて、前向きに受け入れた側面もあるようで、“悪石島では、県の補助を受けた村の工事で道路にカーブミラーが増設され、側溝のふたも整備された。公共施設のトイレも洋式の水洗トイレに変わった。 だが最大の収穫は「悪石島の名前が世界中に知れ渡ったこと」だと、島民は口をそろえる。島の自治会長は「これまでは悪石島を知らない人がほとんどだった。皆既日食では後に残ることをやれたと思う」と振り返った。”
したがって、マスコミを賑わせるようなニュース・ネタも無く、無事に騒動は終わったようだ。
現地 自治体の関係者や お世話した裏方の人々の 頭の下がる努力の成果であったのだろう。

日食を見て何を感じるのか。自然と人間の関係性を思うのなら、自分の存在の環境への影響にも 思いを至たすべきだろう。想像力の欠如した 身勝手な行動は 避けるべきなのは言うまでもない。
とにかく、人間は増えすぎたのだ。宇宙船・地球号の定員の1.2倍に膨れ上がっているのが現状なのだ。一人ひとりに そういう自覚が 必要なのだ。


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