The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
“草莽枯れ行く”
現代日本の政治家は仕合せだ。特に、今の自民党の政治家を見ていると、サル山のボスの地位を巡って大騒ぎの観である。あの“堂々たる政治”を標榜していたはずの政治家も 姑息にも看板取替え派の一味になろうとしていた。
余談だが、九州の知事擁立では 自民党も 知事自身も 株を下げてしまった。特に知事の方は、底の浅さを露呈してしまい 後味の悪さだけが残り、非常にガッカリしたものだ。一体 早稲田で何を学んだのか。社会人講座は 如何に修士課程レベルといえども 大した内容ではないのかも知れない。何だか 分かるような気がする。
昔は、政治に関わるには 命がけだった。一度、1人のボスを選んだら めったなことでは変えられない。下手したら 一緒に城を枕に討ち死にしなければならない。すごい ボスを選んだとしても 返って持ち駒としてあっさり捨てられて 命を落とすこともあっただろう。この小説の主人公も 底の見えない大人物をボスにしようとして 返って 自分の命を 縮めてしまったのだ。
政治は 暴力が 原点だ。かつて羽仁五郎氏は “権力とは警察力だ。” と言っていた。もっと正確に言えば、“権力とは 警察を動かす力” のことなのだ。だから “マスコミは権力” というのは世迷いごとなのだ。日本では“マスコミは権力の味方”をしているから 権力そのもののように見えているだけなのだ。“警察とは 人民を統制するための暴力装置”なのだ。だから警察官だけ平時でも武装することが許されているのだ。
マスコミは 政治の道具になりえても、権力にはなりえない。それが本質なのだが、それを学問的に理解できていない 似非政治学者や評論家が多すぎるような気がする。
学生時代、内ゲバ現場に居合わせて、血だらけになっている学生を見て、“政治”の原点を 垣間見た気分になったものだ。迂闊に 政治に首を突っ込むことはするまい、と思ったものだ。何事も 命を懸けてやるほどのモノはないと思ったのだ。特に 政治は他人のためにやるもの、それに命をかけるのは 割に合わない。
ある意味 ヤクザは 非合法の世界で、この政治の原点を確認する作業をやっている人々なのだ。
さて、本筋の話に入ろう。
最近、書店に 北方謙三氏の本がよく積上げられていたり 新聞の新刊書PRその名を見かけるようになった。少々 気になっていたが、このところ 特に、人生の敗北感が切実になって来て、そういう負け組み人間の本でも読んでみたいという気分が個人的にはあった。そこで北方氏の小説“草莽枯れ行く”の表題が気に入って 内容も調べずに とにかく読んでみたいと思ったのだった。
草莽と言えば、吉田松陰の“草莽の崛起”という言葉を思い起こす。大げさに言えば 明治維新のきっかけとなった言葉なのだ。草莽とは、草、草原の意、とある。転じて民間、在野、のこと。いわば 名も無き雑草なのだ。その草莽が “枯れ行く”のだ。哀れな話だと容易に想像がつく。だから 読んでみたいと切望したのだった。果たして どのような題材で何を書いたのか。
この本、どうせ、北方氏の代表作ではあるまい、ならば薄く、直ぐに気楽に読み終えられるとも 遅読の私は思ったのだった。これが大いなる誤算であった。何軒か書店を巡って ようやく見つけた文庫本の分厚さに驚いた。1冊で700頁の大作だったのだ。だからといって、この本を買うのを止める気にはならなかった。
分厚いので鞄の片隅に、とはいかなくなった。やたらに重いのだ。大作なので 読み終えるにも時間が掛かった。お蔭で 長い間 鞄は重たかった。今時 梅雨時には傘が要るが 傘とこの本の二重苦に耐えなければならないのだった。
何も知らずにこの本を開き、読み始めた。
ファースト・シーン、どうやら江戸市中の賭場での会話であった。そして次郎長という名前がでてきた。会話が続くが 誰がどの立場で言っているのか、相当に上手に整理できないと理解できない。ここで 一々分析していては 時間がいくらあっても足りない。とのかく 構わず読み進めた。
どうやら 相楽総三という若者と 次郎長の会話と判明。次郎長は あの清水の次郎長・山本長五郎。相楽総三と言えば、あの 偽官軍の赤報隊の隊長か。そうか、この小説の草莽とは 相楽総三のことだったのか、とようやく理解した。
そのうち読み進むと、新門の辰五郎、大前田栄五郎、黒駒の勝蔵、小政、大政・・・・何じゃコリャ!・・・浪曲で聞いたようなヤクザの名前が続々登場。
その内、山岡鉄舟、益満休之助、勝海舟、伊牟田尚平、中村半次郎、西郷吉之助、小松帯刀、坂本龍馬、土方歳三、沖田総司、板垣退助、大鳥圭介、岩倉具視・・・・も登場。維新のオールスター・キャストだ。ヤクザの喧嘩もある。剣豪小説でもある。こんな小説はじめてだ。娯楽超大作といったところか。ムンムンする男の世界。これが 北方ワールドなのかと納得。まぁ 桃井可堂が登場してようやく “草莽”らしい小説になってきた。
登場人物も多いが、やはり長い小説だった。だが、痛快時代劇といった趣は あまりない。何となく 読後に 引きずるものがある。イヤ、そういう引きずるモノを求めて読んだのは事実だ。つまるところ、私は 満足したのだ。
そうだ、相楽総三が赤報隊を率いて 馬籠を訪れた時、島崎正樹なる人物が 赤報隊に参加したい、と言って登場する。正に“夜明け前”の一場面なのだろうか。
岩倉具視に 次郎長が絡むなど歴史的事実とは思えない話だ。しかしながら、その可能性は どこまでも残る。
相楽総三は イカサマ師の岩倉具視に 狙われ殺されたのだとして、次郎長は 自分の子分となった益満と 帰宅する岩倉を道中で襲って刺し殺す。しかし、何故か 岩倉は 翌日 何事もなかったかのように朝廷に参内していた。
西郷は大きな人物だ。底が知れない。多分、この件では岩倉とつながっているとしている。伊牟田は半次郎に斬られた。益満は上野彰義隊の殲滅戦で 狙われたが これらの背後には 西郷の指示があった、というのだ。つまり、草莽の志士を持ち駒として、不都合になると消すように指示したということだ。どうやら、龍馬暗殺も 背後に西郷がいることをにおわせている。
そして あの孝明帝の死因も、彼らの企てた暗殺ではないか、と。むしろ、それこそが、そう勘付いた伊牟田、益満、相楽を 消すことになる原因だった、と。
だが、この小説では文脈からして 非難は岩倉のみに集中している印象だ。西郷は あまりにも巨大で複雑な人物なのだ。その点で 巧みな計算と言える。
このあたり、北方流で 巧みに歴史の行間を埋めていると言えるのかも知れない。
相楽総三という人物自身が 歴史の行間に生きた人物だったのだから、小説の素材として 面白いとも言える。読んでいる内に、あまりにも破天荒な展開に “歴史の行間”なんて 私の中ではどうでも良くなったのは事実である。
この文庫本の うしろに付けられた解説の さらに最後に“「殺戮斬首」された相楽総三は、それから六十年、総三の孫、木村亀太郎が冤を雪ぎ、昭和三年(1928)十一月十日、昭和天皇の即位式にあたり「正五位」を贈られ、翌四年(1929)靖国神社に合祀”された、と書いている。“草莽の崛起”の一つの結末ではある。
北方氏は 龍馬に 次のように言わせている。“草莽は枯れ行く。そしてまた新しい草莽が芽吹く。それを繰り返し、無数の草莽が、大地を豊かにしていく。やがていつか、その大地から大木の芽が出ることもある。”
さて、草莽とも言えない カビの断片でしか ないような 私の人生。最近、周囲に死の影が 忍び寄ってくるようになったが、未だ観念できずにいる。まぁ 何とか ここまで生き延びてはきたが、果たして“らしく”生ききったと言えるのだろうか。
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