The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
ちはやぶる龍田川
気付けば、紅葉の季節だ。今春、信貴山に行ったが、その時 子供の時に親父と信貴山に行って生駒山の向こう側を走る近鉄生駒線で帰ったことを懐かしく、近鉄竜田川駅から帰った。その時、小学4年生の遠足で紅葉の絵を描きに来たことも思い出し、秋には再び来てみたいと思っていた。
高校時代には 百人一首で詠われていることを知って、小学生当時の風景を懐かしく思い出したりしていた。そういえば、この歌をめぐっての落語があるのも知ったのも その頃だった。
千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは
在原業平朝臣
紅葉も終りかけの今が 訪れる時と思い立った。気楽な一人ハイキングで、紅葉の名勝・龍田川を訪れることにした。
小学生当時の竜田川は、田園風景の中に流れていて、そして要所に瓦工場があったりして、田舎の風情満載のところだった。今春の信貴山の帰りに見た竜田川駅の付近に流れる川の風景には、紅葉の林など無く、木立そのものが無い開けた地で、公園のような雰囲気は皆無の印象だった。周囲は ベッドタウン然としていて、住宅街がいくつも展開して、いたるところの道路には車が走り回っていて、田舎の風情は微塵もない。後で調べてみると、当の名勝の地は近鉄・竜田川駅よりかなり離れた下流の南側のようだった。それが、遠足で行ったところなのだろうか、当時そんなに歩いたような記憶は無い、そんなことも確認してみたいとも思った。
今回は、JR王子駅から歩いて行くことにした。近くに法隆寺があるので、斑鳩路を藤ノ木古墳を経由して行くことにした。そこから、同じ電車で戻るのは面白くないので、さらにJRで奈良に行き、奈良の町を抜けて近鉄奈良駅から帰途に就くことにした。
地元の看板を使って、歩いたコースを示すと下図のようだ。結果として、“花小路せせらぎの道”と“業平道”を組み合わせたような形になった。
王子駅を降りて、駅そばのスーパーで昼食用弁当 超安め300円以内で調達でき一まず満足。
王子市街の北東側に流れる大和川の昭和橋を渡り、標高82mの三室山を目指す。小さな祠が有った。聖徳太子が“斑鳩宮造営にあたり、太子出生地の飛鳥神名備の産土神を龍田に近い山に勧請、宮の裏鬼門に神を祀られたというのである。・・・春の「桜」、秋の「紅葉」の名所。”とのこと。山からは 付近ののどかな田圃風景が臨めた。ところどころに鮮やかな紅葉の木がちらほら。この山から北側の川に向かって降りると、そこが目指す竜田川公園のはず。
川沿いの公園に足を踏み入れたはずなのだが、一向にみごとな紅葉の風景に出会わない。ところどころに、紅葉の木がちらほら見られるだけで、“からくれなゐに水くくるとは”の絶景にはならない。普通の川沿いの公園。
公園内にある奈良県によると思われる縦看板には“もみじの由来”として、歌に詠まれた“実績”とともに、“江戸時代には、並松(なんまつ)在住の国学者の藤門周斎が地元の人々と共に、(紅葉の)増殖・保護に努めたといいます。その成果により、年々観光客が増え紅葉の名所として広く知られるようになりました。”とあったが、目の前の現実はその記述とは程遠い。
この公園を離れる間際に、かすかな記憶がよみがえった。それは、あの遠足の時も、写生する風景を決めるのに苦労したことだった。見事な遠景の紅葉は皆目無く、仕方ないので川に架かる橋と若干の紅葉の木を描いて帰ったことだった。その後も 大して紅葉を意識して整備しようとしなかったようなのだ。残念、の一言に尽きる。
藤ノ木古墳や法隆寺に向かう国道25号線はいかにも狭く、トラックも多数通るようなので、竜田大橋は渡らず北上して、国道より山側の集落の中を歩いて東進することにした。最初、道案内の標識はあったので安心したのだが、これは最初だけだった。迷っても時間を多少食うだけと、高をくくってとにかく あてずっぽうに東を向いて歩くが、意思に反して道は北に向かおうとするので、今度は逆に南下しようとすると、道は若干西側に戻ったりする。とにかく、どこを どう歩いたかは後からは分からないが、気がつくと龍田神社の西側に出ていた。
そこからは、地図の通り、東進。斑鳩町役場に至り、そこを左折して北上。藤ノ木古墳に至る。ここは、公園になっていて、ベンチもある。快晴の空の下、そこで丁度正午過ぎ、昼食。安い握り飯弁当が美味い。
その後、斑鳩文化財センターへ。外に石棺の赤いレプリカがあった。被葬者は2名で結局 誰なのか分からないらしいことが分かった。副葬品は相当に手の込んだ立派な物で、それが石棺の中に水浸しの状態だったようだ。だが、遺体というか遺骨の様子は どうだったのか詳しく説明はされていなかった。
法隆寺はすぐ近く。駐車場には観光バスが結構いる。修学旅行の団体がほとんど。法隆寺は 以前、外回りの技術サービスをしていた頃、この近くに二次商の問屋さんがあって、帰途 立ち寄った経験がある。金堂は どうやら修復工事のようだったので、中へ入ることは止めた。これまで行ったことのない、中宮寺へ行ってみることにした。よく分からずに、法輪寺方面の外側をウロウロしてしまった。夢殿の北側に入り込まなければならなかったのだ。
中宮寺は始めてだ。浅い池の中にお堂は建っていた。池は浅すぎるためか 魚は居ないようだった。やはり、半跏思惟像の美しさには その歴史を思うと圧倒されるものがある。その前に座り込んで拝んだ。その間中 何故か微風が絶えず、私に吹き寄せて来た。自然の風なのだろうかと不思議に感じ、何となく有り難い思いをした。
JR電車に乗り、聖徳太子の影響が随所に残る斑鳩の里を離れ、奈良駅で下車。駅は高架になっていて、地上に降りると、北側に旧奈良駅舎と思われる建物が有り、観光センターになっていた。
奈良駅前交差点から東進。心地よい程度の人ごみ。そのまま近鉄電車に乗ってしまうのは惜しいので、少しは奈良町をみてみたく、奈良は柿の産地なので、好物の干し柿があるはずと思い、さがしながら、商店街を南下。観光客がほとんど居なくなった辺りで、日暮れとなり、Uターンすることにした。残念ながら、欲しいなぁと思う干し柿は見当たらず、買えなかった。
戻ってから、ネットで調べなおすと、今回行った竜田川は、以前は平群川と呼ばれていたとのこと。紅葉が乏しいのは、そのためのようだが、そうなると歌に多数詠まれた場所は一体どこなのだろうか。それに、大和川周辺、特に信貴山から東の斑鳩には聖徳太子の匂いが色濃くするが、“竜田川"にはその気配が感じられないのは何故なのだろう・・・・。
高校時代には 百人一首で詠われていることを知って、小学生当時の風景を懐かしく思い出したりしていた。そういえば、この歌をめぐっての落語があるのも知ったのも その頃だった。
千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは
在原業平朝臣
紅葉も終りかけの今が 訪れる時と思い立った。気楽な一人ハイキングで、紅葉の名勝・龍田川を訪れることにした。
小学生当時の竜田川は、田園風景の中に流れていて、そして要所に瓦工場があったりして、田舎の風情満載のところだった。今春の信貴山の帰りに見た竜田川駅の付近に流れる川の風景には、紅葉の林など無く、木立そのものが無い開けた地で、公園のような雰囲気は皆無の印象だった。周囲は ベッドタウン然としていて、住宅街がいくつも展開して、いたるところの道路には車が走り回っていて、田舎の風情は微塵もない。後で調べてみると、当の名勝の地は近鉄・竜田川駅よりかなり離れた下流の南側のようだった。それが、遠足で行ったところなのだろうか、当時そんなに歩いたような記憶は無い、そんなことも確認してみたいとも思った。
今回は、JR王子駅から歩いて行くことにした。近くに法隆寺があるので、斑鳩路を藤ノ木古墳を経由して行くことにした。そこから、同じ電車で戻るのは面白くないので、さらにJRで奈良に行き、奈良の町を抜けて近鉄奈良駅から帰途に就くことにした。
地元の看板を使って、歩いたコースを示すと下図のようだ。結果として、“花小路せせらぎの道”と“業平道”を組み合わせたような形になった。
王子駅を降りて、駅そばのスーパーで昼食用弁当 超安め300円以内で調達でき一まず満足。
王子市街の北東側に流れる大和川の昭和橋を渡り、標高82mの三室山を目指す。小さな祠が有った。聖徳太子が“斑鳩宮造営にあたり、太子出生地の飛鳥神名備の産土神を龍田に近い山に勧請、宮の裏鬼門に神を祀られたというのである。・・・春の「桜」、秋の「紅葉」の名所。”とのこと。山からは 付近ののどかな田圃風景が臨めた。ところどころに鮮やかな紅葉の木がちらほら。この山から北側の川に向かって降りると、そこが目指す竜田川公園のはず。
川沿いの公園に足を踏み入れたはずなのだが、一向にみごとな紅葉の風景に出会わない。ところどころに、紅葉の木がちらほら見られるだけで、“からくれなゐに水くくるとは”の絶景にはならない。普通の川沿いの公園。
公園内にある奈良県によると思われる縦看板には“もみじの由来”として、歌に詠まれた“実績”とともに、“江戸時代には、並松(なんまつ)在住の国学者の藤門周斎が地元の人々と共に、(紅葉の)増殖・保護に努めたといいます。その成果により、年々観光客が増え紅葉の名所として広く知られるようになりました。”とあったが、目の前の現実はその記述とは程遠い。
この公園を離れる間際に、かすかな記憶がよみがえった。それは、あの遠足の時も、写生する風景を決めるのに苦労したことだった。見事な遠景の紅葉は皆目無く、仕方ないので川に架かる橋と若干の紅葉の木を描いて帰ったことだった。その後も 大して紅葉を意識して整備しようとしなかったようなのだ。残念、の一言に尽きる。
藤ノ木古墳や法隆寺に向かう国道25号線はいかにも狭く、トラックも多数通るようなので、竜田大橋は渡らず北上して、国道より山側の集落の中を歩いて東進することにした。最初、道案内の標識はあったので安心したのだが、これは最初だけだった。迷っても時間を多少食うだけと、高をくくってとにかく あてずっぽうに東を向いて歩くが、意思に反して道は北に向かおうとするので、今度は逆に南下しようとすると、道は若干西側に戻ったりする。とにかく、どこを どう歩いたかは後からは分からないが、気がつくと龍田神社の西側に出ていた。
そこからは、地図の通り、東進。斑鳩町役場に至り、そこを左折して北上。藤ノ木古墳に至る。ここは、公園になっていて、ベンチもある。快晴の空の下、そこで丁度正午過ぎ、昼食。安い握り飯弁当が美味い。
その後、斑鳩文化財センターへ。外に石棺の赤いレプリカがあった。被葬者は2名で結局 誰なのか分からないらしいことが分かった。副葬品は相当に手の込んだ立派な物で、それが石棺の中に水浸しの状態だったようだ。だが、遺体というか遺骨の様子は どうだったのか詳しく説明はされていなかった。
法隆寺はすぐ近く。駐車場には観光バスが結構いる。修学旅行の団体がほとんど。法隆寺は 以前、外回りの技術サービスをしていた頃、この近くに二次商の問屋さんがあって、帰途 立ち寄った経験がある。金堂は どうやら修復工事のようだったので、中へ入ることは止めた。これまで行ったことのない、中宮寺へ行ってみることにした。よく分からずに、法輪寺方面の外側をウロウロしてしまった。夢殿の北側に入り込まなければならなかったのだ。
中宮寺は始めてだ。浅い池の中にお堂は建っていた。池は浅すぎるためか 魚は居ないようだった。やはり、半跏思惟像の美しさには その歴史を思うと圧倒されるものがある。その前に座り込んで拝んだ。その間中 何故か微風が絶えず、私に吹き寄せて来た。自然の風なのだろうかと不思議に感じ、何となく有り難い思いをした。
JR電車に乗り、聖徳太子の影響が随所に残る斑鳩の里を離れ、奈良駅で下車。駅は高架になっていて、地上に降りると、北側に旧奈良駅舎と思われる建物が有り、観光センターになっていた。
奈良駅前交差点から東進。心地よい程度の人ごみ。そのまま近鉄電車に乗ってしまうのは惜しいので、少しは奈良町をみてみたく、奈良は柿の産地なので、好物の干し柿があるはずと思い、さがしながら、商店街を南下。観光客がほとんど居なくなった辺りで、日暮れとなり、Uターンすることにした。残念ながら、欲しいなぁと思う干し柿は見当たらず、買えなかった。
戻ってから、ネットで調べなおすと、今回行った竜田川は、以前は平群川と呼ばれていたとのこと。紅葉が乏しいのは、そのためのようだが、そうなると歌に多数詠まれた場所は一体どこなのだろうか。それに、大和川周辺、特に信貴山から東の斑鳩には聖徳太子の匂いが色濃くするが、“竜田川"にはその気配が感じられないのは何故なのだろう・・・・。
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