The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
日本規格協会JRCAはISO9001の否定を意図?!
先日の12月9日に日本規格協会マネジメントシステム審査員評価登録センターJRCA主催の審査員向け講演会が大阪・中之島の中央公会堂で開催されたので、参加した。講演プログラムは次の通り。
テーマ1:戦略なき経営に明日はない~持続的競争優位としての品質~:広島大学教授 井上善海氏
テーマ2:競争力強化のための品質マネジメント:前田建設工業㈱顧問 村川賢司氏
テーマ1は講師の軽妙なしゃべり口で非常に興味深い内容であった。
テーマ2は 要するに かねてより東大の飯塚教授が提唱している“超ISO”と言う考え方の説明であった。これがISO9001の規格要求事項とどう関連するのか、全く説明無く、意味不明であった。聞き様によっては、ISO9001を否定するかのように聞こえ、ISO9001の審査員資格登録を主催するものが、わざわざその審査員向け講演会のテーマとするには不適当と思われる。JRCAは何故そのような動きに出たのだろうか、と耳と目を疑ったものである。
テーマ1は経営学的には、様々な人によって指摘されてきている至極当然な内容であり、どういう具体的な手法によって戦略を構築し、組織の“品質”を獲得して行くのかの点に注目するべきである。主催者説明では、参加している審査員から、こういった経営戦略をテーマにした講演要望が多かったとのことであった。講師は元経営者であり、会社経営に見事に失敗、その経験を生かして経営コンサルタントで成功。その後大学教授に転身したという人である。
ここで言う“戦略”とは、経営者の抱いている未来の“ありたい姿”であり、それにより“人を統率”し、それに必要な人材目標を明確にし、“育成”し、獲得して行くものであるという。そして、長期的な方向性、つまり“明日のメシ”は何かを提示するものであり、数値的裏づけは特に必要としない。①外部環境適応性の獲得(他人のせいにしない。僅かな変化を察知し、適応力を磨く)、②優位な事業の確立(差別化、独自の仕組、明確な市場ドメイン)、③将来構想(旺盛な拡張意欲)、の要素を前提する。実際には①ほんの少し先を読む、②内外の経営資源を巧みに組合わせ独自の仕組を構築する、③ステーク・ホルダー特に従業員等の期待より、少し広げた風呂敷にする、がコツとなる。
そして、同氏の近刊予定著書“トータルバランス戦略TB7S”(仮題)の内容説明が引き続き、ほぼバランス・スコア・カードの手順で進めると言う。いずれにせよ、全ての従業者は“何のための事業・仕事か”を自覚し運営する必要があり、各々の持つべき“何のため”は 高い志に基づくべきで、それではじめて“良い仕事・事業”ができると言うことであった。
さて、問題にするべきはテーマ2であり、これまでの講演会ではテーマ1よりISO審査に関連した具体的テーマとなることが多く、講師も 審査に何らかの関わりを持つ人が多かったのであるが、今回は“超ISO企業研究会”委員によるものであった。東京会場では㈱イノベイション代表・山上裕司氏で、当大阪は上記の村川賢司氏。
内容概略としては、顧客の求める価値を生み出すことのできる組織能力像を明確にし、そのための品質マネジメント・システムを構築するというのが主旨である。しかし、“超ISO”という発想が何故必要なのか、つまりISO9001では不満でそのためにISO9001を超えるやり方が何故必要なのか、この講演では全く説明無く、その点で理解できないものであった。
そこで、“超ISO企業・実践シリーズ”の本の冒頭にある“シリーズ発刊にあたって”という飯塚教授による挨拶文を読んでみた。するとISO9001を“適用してみると、何のことはない、本気にならなければ何の役にも立たないやっかいな道具のようなものとでもいおうか。いやなら使わなければよいのだが、審査登録(認証)制度の広がりとともに否応なく対応せねばならず、まことにやっかいなものであり続けた。”と評していた。確かにほとんどの人はこのように感じているのかも知れないが、私は この台詞には かなり違和感がある。ISO9001が 本当にそれほどやっかいなものなのだろうか。ならば、ISO9001以外の経営手法において、“本気にならなければ何の役にも立たないやっかい”でないものがあるというのだろうか。そんな“お手軽な”経営手法があるのならば、その手法が現に大流行するはずだと思われる。また逆に、その組織(企業)が、ISO9001を“やっかいなもの”と感じるのは、本当の意味でのISO9001への適合性を見極めて組織運営しておらず、無理して運営しているためでないのか。ISO9001の運営について、そういう厳密な見極めなしに、勝手に“やっかいなもの”と感じたことをまともに受け取っていて良いのだろうか。
そして、それはISO9001を“取引における購入者のための規格を供給者が自分たちのために使おうとするからである。つまり、購入者が利用する適合性評価の基準としての最低限の品質マネジメントシステムモデルを、供給者組織が競争力向上やビジネスにおける成功のために使おうとするからである。”と断じている。確かにISO9001には“競争力向上やビジネスにおける成功のため”に使うには無理なところがあるかも知れぬが、だからと言ってISO9001とは別の方法に安易に飛びつこうとするのは、次々と流行の経営手法を表面的に飛びついては失敗しているダメ経営者の姿と重なって映る。
さらに飯塚教授は、次のように述べている。“「ISO9000の有効活用」とは、ISO9000を適用する組織にとっての有効活用という意味である。社会制度としての第三者審査制度の有効性を問題にしているわけではない。本シリーズ(超ISO企業・実践シリーズ)は「ISO9000審査における顧客は、要するに私たちだ」と考える普通の方々に読んでいただきたいと思って企画した。もとは購入者のためであろうと、適合性評価における基準文書であろうと、とにかく使えるものなら、いや使わなければならないというなら、もっぱら自分のために使って、立派な組織にしたいと考えている、ごく常識的な方々に読んでいただければと思っている。”と述べている。この文で使われた言葉“ISO9000”は “ISO9001”のことなのか、“ISO9000シリーズ(ISO9000,9001や9004、場合によってはISO19011も含むのか)”の区別が曖昧で、読む側は戸惑ってしまう。もし、ISO9000そのものであれば意味不明であるし、“ISO9000シリーズ”という意味であれば、そこにはISO9004も含まれているので筋が通るが、現状のそれは不満であると言うという宣言なのだろうか。もし、そうならば、ISO9004に対して改訂案を提示すると、はっきり言うべきである。この学者らしくない 曖昧な表現に困惑を覚えるし、キィ・ワードに正確な言葉を使えないのは、きちんとした論文を書く経験が乏しいとお見受けしてしまうのだ。
さらに、“社会制度としての第三者審査制度の有効性を問題にしているわけではない。”という逃げを打って、自らの立場を曖昧にしている。規格に問題があるのなら、正面から訂正するべき点をしっかり指摘して、ISO9001またはISO9004をより良いものにしようとするのが、真面目な学者のすることではないだろうか。“ごく常識的な方々”に このシリーズ本を贈ると宣言しているが、曖昧な立場からのISO9001への苦情やそれに基づく“組織能力像”の構築は、ISO9001をまじめに取組んでいる人々に余計な混乱を与えるだけではないのか。
さて、この講演では講師の口がすべったのだろうか、この活動は“規格要求事項から出発するのではなくて、顧客価値つまり「なぜ、わが社の顧客は、わざわざ、わが社からモノやサービスを買っているのだろうか」という視点からスタートする。”との発言に 唖然としたものである。要するにISO9001は顧客第一の視点から構成されている規格であるにもかかわらず、それを差し置いて“顧客価値”をことさらに言い募るのはどういう思想だろうか。それはISO9001の意識的黙殺からスタートしていることになり、ひいてはそれを否定していることにつながるのではないのか。
こういう思想の集団を日本規格協会は組織内に取込んでいるようであり、あまつさえ それを気兼ねなく、ISO9001の審査員研修会で講演させるとは、一体どういう意図なのだろうか。
要するにISO9001に都合よく絡みつつ、それを超えると称して自分たちの勝手な思い込みをひけらかして、きちんと構築したISO9001の体制を重たくすることを推奨して喧伝する活動ではないのか。同研究会が、“日本独自”を強調するのならばISO9001とは何ら関係なく “日本的経営研究会”とでも称するなら何ら問題ないのだが、わざわざ“超ISO”と言うのは若干卑怯なところが透けて見える。(まぁ今時 “日本的”と言うのも訴求力に乏しいかも知れぬ。)
私はISO9001は品質経営において“失敗しないためのマネジメント”のためにあり、そこには忘れられがちな経営技術の基本要素が語られているのだと考えている。その忘れられがちな基本要素を適切に企業経営に生かしているか否かを、第三者の目で評価するのが適合性評価であり、“第三者認証”ではないのだろうか。つまりISO9001は“守り”のためのものであり、言わばISO9004が“攻め”のものであると言えるのかも知れない。だがしかし、いたずらにISO9001を軽視して経営技術の基本要素を忘却し、不要に重たい仕組を構築すれば、大きな失敗を招くことになるのではないだろうか。
組織経営のマネジメント・システムは 極力簡素であるべきで、それによって軽快な運営が求められるのが今時の経営であって、ISO9001とその認証スキームを語るに際してそういう視座を見落とすと、“有効性” が失われると考えている。
自分たちの勝手な思い込みをひけらかして、重い経営システムを良しとする“超ISO企業研究会”に参加している企業からは、果たしてクレーム等不祥事は生じることなく、永続的に成功すると本当に断言できるのだろうか。今後の持続可能性と“発展”に注目したい。
そして、このような講演を審査員に聞かせたJRCAは あの“付加価値審査”の普及を期待して企画したのだろうか。“付加価値審査”と称して審査に際して、規格要求事項とは関係の無い余計な台詞を吐き、普通の人々から嫌われる審査員を増殖させれば、大いに“顧客満足”が得られると勘違いしてはいないだろうか。
テーマ1:戦略なき経営に明日はない~持続的競争優位としての品質~:広島大学教授 井上善海氏
テーマ2:競争力強化のための品質マネジメント:前田建設工業㈱顧問 村川賢司氏
テーマ1は講師の軽妙なしゃべり口で非常に興味深い内容であった。
テーマ2は 要するに かねてより東大の飯塚教授が提唱している“超ISO”と言う考え方の説明であった。これがISO9001の規格要求事項とどう関連するのか、全く説明無く、意味不明であった。聞き様によっては、ISO9001を否定するかのように聞こえ、ISO9001の審査員資格登録を主催するものが、わざわざその審査員向け講演会のテーマとするには不適当と思われる。JRCAは何故そのような動きに出たのだろうか、と耳と目を疑ったものである。
テーマ1は経営学的には、様々な人によって指摘されてきている至極当然な内容であり、どういう具体的な手法によって戦略を構築し、組織の“品質”を獲得して行くのかの点に注目するべきである。主催者説明では、参加している審査員から、こういった経営戦略をテーマにした講演要望が多かったとのことであった。講師は元経営者であり、会社経営に見事に失敗、その経験を生かして経営コンサルタントで成功。その後大学教授に転身したという人である。
ここで言う“戦略”とは、経営者の抱いている未来の“ありたい姿”であり、それにより“人を統率”し、それに必要な人材目標を明確にし、“育成”し、獲得して行くものであるという。そして、長期的な方向性、つまり“明日のメシ”は何かを提示するものであり、数値的裏づけは特に必要としない。①外部環境適応性の獲得(他人のせいにしない。僅かな変化を察知し、適応力を磨く)、②優位な事業の確立(差別化、独自の仕組、明確な市場ドメイン)、③将来構想(旺盛な拡張意欲)、の要素を前提する。実際には①ほんの少し先を読む、②内外の経営資源を巧みに組合わせ独自の仕組を構築する、③ステーク・ホルダー特に従業員等の期待より、少し広げた風呂敷にする、がコツとなる。
そして、同氏の近刊予定著書“トータルバランス戦略TB7S”(仮題)の内容説明が引き続き、ほぼバランス・スコア・カードの手順で進めると言う。いずれにせよ、全ての従業者は“何のための事業・仕事か”を自覚し運営する必要があり、各々の持つべき“何のため”は 高い志に基づくべきで、それではじめて“良い仕事・事業”ができると言うことであった。
さて、問題にするべきはテーマ2であり、これまでの講演会ではテーマ1よりISO審査に関連した具体的テーマとなることが多く、講師も 審査に何らかの関わりを持つ人が多かったのであるが、今回は“超ISO企業研究会”委員によるものであった。東京会場では㈱イノベイション代表・山上裕司氏で、当大阪は上記の村川賢司氏。
内容概略としては、顧客の求める価値を生み出すことのできる組織能力像を明確にし、そのための品質マネジメント・システムを構築するというのが主旨である。しかし、“超ISO”という発想が何故必要なのか、つまりISO9001では不満でそのためにISO9001を超えるやり方が何故必要なのか、この講演では全く説明無く、その点で理解できないものであった。
そこで、“超ISO企業・実践シリーズ”の本の冒頭にある“シリーズ発刊にあたって”という飯塚教授による挨拶文を読んでみた。するとISO9001を“適用してみると、何のことはない、本気にならなければ何の役にも立たないやっかいな道具のようなものとでもいおうか。いやなら使わなければよいのだが、審査登録(認証)制度の広がりとともに否応なく対応せねばならず、まことにやっかいなものであり続けた。”と評していた。確かにほとんどの人はこのように感じているのかも知れないが、私は この台詞には かなり違和感がある。ISO9001が 本当にそれほどやっかいなものなのだろうか。ならば、ISO9001以外の経営手法において、“本気にならなければ何の役にも立たないやっかい”でないものがあるというのだろうか。そんな“お手軽な”経営手法があるのならば、その手法が現に大流行するはずだと思われる。また逆に、その組織(企業)が、ISO9001を“やっかいなもの”と感じるのは、本当の意味でのISO9001への適合性を見極めて組織運営しておらず、無理して運営しているためでないのか。ISO9001の運営について、そういう厳密な見極めなしに、勝手に“やっかいなもの”と感じたことをまともに受け取っていて良いのだろうか。
そして、それはISO9001を“取引における購入者のための規格を供給者が自分たちのために使おうとするからである。つまり、購入者が利用する適合性評価の基準としての最低限の品質マネジメントシステムモデルを、供給者組織が競争力向上やビジネスにおける成功のために使おうとするからである。”と断じている。確かにISO9001には“競争力向上やビジネスにおける成功のため”に使うには無理なところがあるかも知れぬが、だからと言ってISO9001とは別の方法に安易に飛びつこうとするのは、次々と流行の経営手法を表面的に飛びついては失敗しているダメ経営者の姿と重なって映る。
さらに飯塚教授は、次のように述べている。“「ISO9000の有効活用」とは、ISO9000を適用する組織にとっての有効活用という意味である。社会制度としての第三者審査制度の有効性を問題にしているわけではない。本シリーズ(超ISO企業・実践シリーズ)は「ISO9000審査における顧客は、要するに私たちだ」と考える普通の方々に読んでいただきたいと思って企画した。もとは購入者のためであろうと、適合性評価における基準文書であろうと、とにかく使えるものなら、いや使わなければならないというなら、もっぱら自分のために使って、立派な組織にしたいと考えている、ごく常識的な方々に読んでいただければと思っている。”と述べている。この文で使われた言葉“ISO9000”は “ISO9001”のことなのか、“ISO9000シリーズ(ISO9000,9001や9004、場合によってはISO19011も含むのか)”の区別が曖昧で、読む側は戸惑ってしまう。もし、ISO9000そのものであれば意味不明であるし、“ISO9000シリーズ”という意味であれば、そこにはISO9004も含まれているので筋が通るが、現状のそれは不満であると言うという宣言なのだろうか。もし、そうならば、ISO9004に対して改訂案を提示すると、はっきり言うべきである。この学者らしくない 曖昧な表現に困惑を覚えるし、キィ・ワードに正確な言葉を使えないのは、きちんとした論文を書く経験が乏しいとお見受けしてしまうのだ。
さらに、“社会制度としての第三者審査制度の有効性を問題にしているわけではない。”という逃げを打って、自らの立場を曖昧にしている。規格に問題があるのなら、正面から訂正するべき点をしっかり指摘して、ISO9001またはISO9004をより良いものにしようとするのが、真面目な学者のすることではないだろうか。“ごく常識的な方々”に このシリーズ本を贈ると宣言しているが、曖昧な立場からのISO9001への苦情やそれに基づく“組織能力像”の構築は、ISO9001をまじめに取組んでいる人々に余計な混乱を与えるだけではないのか。
さて、この講演では講師の口がすべったのだろうか、この活動は“規格要求事項から出発するのではなくて、顧客価値つまり「なぜ、わが社の顧客は、わざわざ、わが社からモノやサービスを買っているのだろうか」という視点からスタートする。”との発言に 唖然としたものである。要するにISO9001は顧客第一の視点から構成されている規格であるにもかかわらず、それを差し置いて“顧客価値”をことさらに言い募るのはどういう思想だろうか。それはISO9001の意識的黙殺からスタートしていることになり、ひいてはそれを否定していることにつながるのではないのか。
こういう思想の集団を日本規格協会は組織内に取込んでいるようであり、あまつさえ それを気兼ねなく、ISO9001の審査員研修会で講演させるとは、一体どういう意図なのだろうか。
要するにISO9001に都合よく絡みつつ、それを超えると称して自分たちの勝手な思い込みをひけらかして、きちんと構築したISO9001の体制を重たくすることを推奨して喧伝する活動ではないのか。同研究会が、“日本独自”を強調するのならばISO9001とは何ら関係なく “日本的経営研究会”とでも称するなら何ら問題ないのだが、わざわざ“超ISO”と言うのは若干卑怯なところが透けて見える。(まぁ今時 “日本的”と言うのも訴求力に乏しいかも知れぬ。)
私はISO9001は品質経営において“失敗しないためのマネジメント”のためにあり、そこには忘れられがちな経営技術の基本要素が語られているのだと考えている。その忘れられがちな基本要素を適切に企業経営に生かしているか否かを、第三者の目で評価するのが適合性評価であり、“第三者認証”ではないのだろうか。つまりISO9001は“守り”のためのものであり、言わばISO9004が“攻め”のものであると言えるのかも知れない。だがしかし、いたずらにISO9001を軽視して経営技術の基本要素を忘却し、不要に重たい仕組を構築すれば、大きな失敗を招くことになるのではないだろうか。
組織経営のマネジメント・システムは 極力簡素であるべきで、それによって軽快な運営が求められるのが今時の経営であって、ISO9001とその認証スキームを語るに際してそういう視座を見落とすと、“有効性” が失われると考えている。
自分たちの勝手な思い込みをひけらかして、重い経営システムを良しとする“超ISO企業研究会”に参加している企業からは、果たしてクレーム等不祥事は生じることなく、永続的に成功すると本当に断言できるのだろうか。今後の持続可能性と“発展”に注目したい。
そして、このような講演を審査員に聞かせたJRCAは あの“付加価値審査”の普及を期待して企画したのだろうか。“付加価値審査”と称して審査に際して、規格要求事項とは関係の無い余計な台詞を吐き、普通の人々から嫌われる審査員を増殖させれば、大いに“顧客満足”が得られると勘違いしてはいないだろうか。
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ただ私は彼らはISOによって押しやられてしまったTQM復活を目指しているように思えました
飯塚教授は以前からそのような主張でしたし
ただそういった方々がなぜISO委員をしているのかは疑問です