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“零戦に欠陥あり”を見て ― 設備投資への教訓

06.01.04.
年末のオチャラケ番組ばかりの中で、少々 考えさせる番組を見ました。大晦日の紅白歌合戦の最中に NHK教育テレビETV特集の “零戦に欠陥あり” が放送されていたのを見ました。(実は 昨夏8月13日の再放送だったらしい)
これまでゼロ戦には 欠陥があるとの指摘は ありましたが、それが 戦局全体に どのような影響を与えたのかを 具体的に指摘している資料は あまり無かったように思います。そう言った指摘は ゼロ戦の礼賛に かき消されていた感が あります。
“良い戦争と悪い平和は無い”と言われています。正月早々戦争について語るのは 憚るべきことかも知れませんが、企業におけるハード・ウェアの開発と改良に関わる話として、ほんの少し 考察しました。

番組は “ゼロ戦の実像に迫る機密資料が、一昨年亡くなった三菱重工の元設計副主任・曽根嘉年の遺品の中に残されていた”(NHKホームページ番組紹介) のをベースに 技術者の記録の数値を示して 欠陥の発見とその再現、改良プロセス、終戦にいたるまでの経過を 海軍との折衝の過程を含めて紹介するもので 比較的緻密な内容のものでした。

まず海軍の開発目標の提示ですが これが全方位。速度は500km/時以上の高速。長大な航続力(巡航速度で6時間以上)。高度な格闘戦性能。強力な兵装(20ミリ機関砲装備)。設計者の必死の要請にもかかわらず、源田実氏らの海軍側は どれも 落とせない、優先順位も示せない、と譲らない。これは 要求元海軍の戦略性の欠如を如実に表していると思います。特に 資源の乏しい日本にあっては 戦略目標を明確にし それにそった兵器体系の効率的整備が必要ではなかったのかと思うのです。(逆に無茶な要求が 高性能兵器を生み出したとも言えなくも無いかも知れないが、艦載機に長大な航続力を求める意味はあるのか。ゼロ戦のデビューは重慶爆撃援護だが海軍機が参加するのは陸軍の顔を潰すことにならないのか。源田氏には高い戦術性はあったかも知れないが戦略的知見はあったのか。)

それでも 与えられた条件下で、天才的設計陣は 何とか 要求性能をバランス良く満たす機体・ゼロ戦を完成させた。これが 当時の世界水準を抜くものであった。特に 小さな回転半径によって、後方に付かれても たちまち逆転 敵の後方に回り込み攻撃するという運動性によって格闘戦(空中戦)での圧倒的強さを誇ったのです。
しかし、結局はエンジン出力が弱い(940馬力→米・ワイルドキャット1,200馬力)ために軽量化を図り、機体強度が不足。強度不足から急降下速度を900km/時から650km/時に制限。これにより、敵が 急降下で逃げると追いかけられない。敵は 一旦 逃げてしまうと 今度は反転上昇して上から急降下で攻撃してくる。いわゆる 格闘戦(空中戦)にはならない。これがゼロ戦が有効でなくなる始まりであった、というのです。この基本的弱点は ゼロ戦では 結局 最後まで克服できなかった。この弱点克服の新型機“烈風” の試作に入って敗戦となったというあらましでした。

この番組で、特に問題にしたのは、初期のゼロ戦21型を改良した後継機32型の開発。32型は、増強エンジンへの装換によりエンジン・スペースが増大し、胴体部燃料タンク容量を減少、満載状態で75リットルも少なくなった上に、生産性向上のため翼端の切り落としにより、燃費が悪化。“航続距離が1,000kmも短くなっていた。この欠陥が昭和17年(後半に始まる)、ガダルカナルの攻防戦(航空撃滅戦)で、大きな問題を生む。ラバウルの海軍基地からガダルカナルまで(約1,050km)32型が使えず、従来の21型を使用せざるを得なかった。しかも、前線から「欠陥機」とする報告を受けながら、海軍中央は有効な対策を講じなかった。”(NHKホームページ番組紹介)つまり前線へは 使えない兵器の供給が 大量(32型が40%に達していたという)に行われていたということ。これは資源の乏しい日本では あってはならないことです。この事態は航空本部長の責任であったが、海軍大臣の 責任追及に及ばずという かばい立てもあり、うやむやに終わった、らしいのです。(なまじ、長大な航続力のゼロ戦があったからこそ知恵も工夫も無く無理矢理な航空撃滅戦をやったと言えなくも無い。)
また 米軍が徹底的に採用していた防弾技術の開発応用についても、海軍側の源田氏の精神論に阻まれたという。これが兵器および優秀なパイロットのおびただしい消耗に繋がったというのです。



どうやら32型への更新の同時期には米軍は2,000馬力級エンジンの戦闘機(コルセア昭和17年10月配備,ヘルキャット昭和18年1月配備)を投入し始めており、この開発更新のモタツキは大きな影響を残したのではないか。また海軍は ゼロ戦にこだわりすぎたのも 大きく禍根を残していると言えるようです。
まぁこれまでいろいろ言われている「学習しない状況不適応組織」旧日本軍の 組織的問題や 戦略性の欠如が こういったハードウェアの開発・更新の側面にも阻害要因として露呈していたということの確認でしょうか。これは企業経営における設備改造を含む設備投資への教訓でしょうか。
それにしても、酷い無責任“仲良しクラブ”の海軍です。こういった無責任さと “認知的複雑性”は関係があるのでしょうか。
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