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釈 徹宗・著“法然親鸞一遍”を読んで

暑い、未だ未だ暑い。どうしようもない。仕事をすれば首から上の頭から汗をかく。頭からの汗は質が悪く、全身に及ぶ。そうなると大変だ。上着が汗だらけ・・・・・仕事が辛い。
この暑さ温室効果ガスGHGの排出によるものだとすれば、どの国がGHGを排出しているのか気懸りとなる。日本の排出量は2,013年をピークに減少している。それでも毎年のように化石賞を受賞している。
世界ではどうか。中国が突出して毎年ぐんぐん排出している。お構いなしなのだ。中国のデータは確認できない限りにおいて、3割はインチキが常識である。それでも世界が中国を非難しているとは聞かない。中国に関してはダン・マリなのだ。一方、我が国には化石賞。欧米人の日本への意図的バッシングを感じる。日本政府がしっかり世界に反論しないからだろう。無邪気に“セクシー”などとアホ発言した無知な環境大臣まで居た。アホアホ丸出しではどうしようもない!

9月初日から始まった連続する仕事。それが今週でようやく途切れる。何とか乗り切った気分。脱力、積極姿勢が消えていく・・・・。しばらく呆けたい。だが、未だ投稿の仕事が残っていた・・・・。

自民総裁選挙共同記者会見で、裏金再調査に9氏いずれも否定的だという。いかにも懲りない面々。何で総裁選挙で9人も立候補したのか、張本人が心底分かっていないのではないか。
選択的夫婦別姓についても後ろ向き。婚前通称の使用で誤魔化そうとしている。自民最大のスポンサーの財界が切れているにもかかわらず、古色蒼然!財界よりも目先の統一教会が自民のドホンネか?それは売国的では?もうどうしようもない腐り切った自民党!!もうアカンヤロォー!いつまでやってんねん!アホアホのアホの極みが支持してんのか?
中国に利するような態度を示す候補者もいる。何故か論戦ではあまり話題にしない。



さて今回は、偶然にBook Offで見つけた本の紹介だ。題名が凄い。法然と親鸞、人物が異なるので違いがあるのだろうが、宗教上の違いはどこにあるの?と言いたくなる話だ。この本では、それに一遍が加わった。まぁ一遍なら先の御二人からは大きく違うイメージはある。まっ、いずれにしても、こと浄土教に足を突っ込み始めた者としては、とにかく一度は読むべき本だろう。
それに一遍って、知っていた?日本史の教科書にわずかに出てくる日本仏教界での上人様くらいしか記憶にない。何だか知らないが踊る念仏僧だったか、くらい。どういう人か知らぬ間にこの本によって少しは分かるか、くらいの気持ちで読み進めた。
先ずは 本の概要説明として、紀伊国屋書店のWebサイトの紹介文を示す。

【内容説明】
“悟り”ではなく、“救い”の道を―。仏教のベクトルに大転換をもたらし、多くの支持を得た日本浄土仏教は、いかにして生まれたのか。念仏を選択し、凡人が救われる道を切り拓いた法然。「その念仏は本物か」と問い続け、「悪人」のための仏道を説いた親鸞。「捨てる・任せる」を徹底し、遊行の境地に達した一遍。浄土宗・真宗・時宗の三祖を比較し、それぞれの「信心」に迫る。法然と親鸞が一遍でわかる、究極の一冊。

【目次】
はじめに 日本浄土仏教の三祖を比較する
序章 状土・阿弥陀・念仏とは何か
第1章 法然―仏教の解体と再構築
第2章 親鸞―その実存と信心、そして悪人
第3章 一遍―すべては南無阿弥陀仏に
第4章 三祖が紡いだ日本浄土仏教
むすびに 選択と葛藤と融合と

そして出版社・新潮社のWebサイトの紹介文を示す。

【担当編集者のひとこと】日本浄土仏教の「第三の男」
 本年(2011年)は、日本浄土仏教にとって、特別な年です。なぜなら、浄土宗の宗祖・法然が没後800年、浄土真宗の宗祖・親鸞が750年と、いわば50年に一度の「大遠忌イヤー」にあたる年だからです。それに合わせて、宗派あげての法要や「法然と親鸞」展(10/25~東京国立博物館)のような大規模な展覧会が企画、開催されています。
 当然のことながら、法然や親鸞に関する書籍も今年は特に多く刊行され、書店を賑わしています。まさに「“大遠忌イヤー”というお祭り」にふさわしい状況です。
 しかし、日本浄土仏教全体を概観したとき、法然と親鸞を知るだけでは満足のいくものにはなりません。他にもう一人、大変重要な人物がいることを忘れてはいませんでしょうか?
 時宗の開祖・一遍が、その人です。法然の往生から27年後、親鸞67歳のときに生まれた一遍は、出家→還俗→再出家の後、遊行の生活に入ります。根拠地をもたず、善光寺や高野山、熊野などといった日本の「聖地」を歴訪し、「賦算(念仏札を賦る)」や「踊躍念仏(踊り念仏)」などを行いながら、徐々に信奉者を増やしていきました。その一遍を中心とした集団「時衆」のあり方は、日本浄土仏教の中でも独自の位置を占めています。
 しかし、これまで一遍についての評価は、それを高く評価するものと低くするものの2通りに分かれてしまっているようです。「『法然・親鸞を超えて浄土仏教を完成させた』と高く評価するものもあれば、『密教・神道・禅などと融合し、ただの土俗化してしまった浄土仏教』(中略)などと酷評される場合もあります。どちらかと言えば、近代以降、一遍は必要以上に低く扱われてきたように見受けられます」(第三章「一遍 すべては南無阿弥陀仏に」)
 本書は、そのシンプルなタイトルにあるように、この一遍を含めた、日本浄土仏教の三祖を比較し、それぞれの特性や信心のあり方を見ていくのが、眼目です。比較して初めて見えてくることがあります。これまでもさまざまに語られてきた法然と親鸞にしても、一遍という関数を入れ込み、比較することで、それぞれの新しい側面が見えてきます。そのようにして、それぞれに浮かぶ新しい「顔」とは、はたしてどのようなものなのでしょうか?
「三祖を比較する」というと、少し難しく聞こえるかもしれませんが、本書は、仏教に革命をもたらした、浄土仏教の入門書としても読むことができます。「浄土とはどのような場所か?」「阿弥陀仏とは、念仏とは何か?」「自力と他力の違いは?」など、これまで「何となく知っていたつもり」のこのような概念についても確かな知識を与えてくれる、まことに贅沢な一書であります。

【著者等紹介】釈徹宗[シャクテッシュウ
1961(昭和36)年大阪府生まれ。僧侶。宗教学。相愛大学副学長・人文学部教授。論文「不干斎ハビアン論」で涙骨賞優秀賞(第五回)、『落語に花咲く仏教』で河合隼雄学芸賞(第五回)、また仏教伝道文化賞・沼田奨励賞(第五十一回)を受賞している。著書にこの本『法然親鸞一遍』や『歎異抄 信じる心は一つである』NHK出版 100分de名著、等多数。

著者は“宗教思想を研究する場合には比較という方法が有効”だと言っている。“この比較手法を駆使して、現在の「浄土宗」、「浄土真宗」、「時宗」”のそれぞれの特性を考察し、“最終的な目的として、「親鸞の信心」と向き合う”ことをしたいと言っている。また著者は“どの立場にも立たず、三者を俯瞰”して比較したいと言っている。“三者の信心の特性を読み説くことを試み”たいという。だが私としては、その一歩手前で法然を軸として、浄土系仏教の理解が進めば良いと思っていた。

序章では浄土仏教の解説があった。
浄土仏教は“阿弥陀仏の誓願によって浄土に往生し、すべての人は仏となることができる”といった他力の仏教であり、その仏道は“念仏と信心”によって導かれる。その各要素はインド仏教やインド周辺の地域の仏教や仏教以外の宗教など含めて発達し、中国仏教において体系化され、日本仏教において一つの派として確立した。
浄土仏教は釈尊の仏教や初期仏教と比べるとかなり変形している。その源流をたどっていくと、初期仏教の“仏国土”に原型がある。仏国土とは理想の仏教国であり、理想の修行の場である。やがて他力の仏道の成立とともに、涅槃の世界や解脱の世界と重なるものとなる。浄土(仏国土)とは、仏がそこにいる場を指すのだ。仏は様々いるが、つまりそれぞれの仏にはそれぞれの仏国土がある。それはいわばひとつの生命観・世界観・宇宙観の提示でもある。
浄土仏教の成立はインドにおける大乗仏教ムーブメントと足並みを揃えて歩んできた。浄土への願生は、アジア各地の来世観や死生観を下支えした。それは様々な土俗の宗教さえも仏教へ取り込むメカニズムであった。
ちなみに日本仏教は“ゴータマ・ブッダの仏教”というよりは“ナーガールジュナ(龍樹*)の仏教”といった方が良い。ナーガールジュナによって大乗仏教は壮大な思想体系を有することとなった。仏僧としてだけでなく、人類の思想史上において、特筆するべきである。

*クシャーナ朝のカニシカ王とほぼ同時代の2世紀中ごろの僧でバラモン出身とされる。中国では龍樹と表記する。大乗仏教の中心的思想である「中論」を著した。大乗仏教運動の中心地は西北インドであったが、ナーガールジュナはデカンの東南部であるアーンドラ地方で活動した。大乗仏教の経典は中国を通じて日本にももたらされたので、日本でもナーガールジュナは「八宗の祖」と言われている。その主著、『中論』などで、「空」の思想など、大乗仏教の理念の体系化をはたした。

阿弥陀仏にはゴータマ・ブッダが投影されている。彼は“縁起の法を知り、執着を捨てて、安寧な境地へ達する”という仏道を説いた。この仏法が広範囲に拡大した“この世界に満ち満ちた限りない光(アミターバ)と限りない生命(アミターユス)の働き=阿弥陀仏”を成立させた。これは大乗仏教における受容の象徴である。
仏教は智慧と慈悲の獲得・実践の道だが、浄土仏教は“智慧による悟りよりも、仏教の慈悲による救いに重心がある。浄土はこの世界を相対化するとともに受容のせかいであり、阿弥陀仏は私自身を相対化し、私を受容してくれる働きそのものである。”
阿弥陀仏や西方浄土を説く仏道は在俗の凡人・愚鈍の者が苦悩の人生を生き抜き、死に切るために、宗教的な受容の世界がなければならないためにある。社会の価値観とは異なる宗教的価値体系によって受容されることで、私達は救われるのである。“富んでいる人、満腹している人、笑っている人、祝福されている人、その人たちはわざわいである”という、社会通念とは別モノの方向性を“宗教的逆説性”と呼ぶ。私たちの日常を揺さぶり、そのプロセスを通して私たちは自らの生き方を点検できるのである。
念仏は大乗仏教成立以前から“一心に仏を念ずる”行為としてあった。しかしこの“念仏”は文字通り“仏を念ずる”ことによって観仏という三昧の境地へと入る宗教体験から、仏の名を称えるという誰でも可能な行為まで多くの意味を含んだ仏道であった。
このように阿弥陀仏、浄土、念仏、法蔵菩薩など、いくつかの重要なパートによって編み上げられた浄土仏教は中国仏教によって整理され、ひとつの壮大な体系へと至る。この中国仏教の善導の系統を選び取り、浄土仏教をひとつの体系へと昇華した人物こそ法然である。法然はそれまで仏道の脇役であった浄土仏教を主役へと転換させた。何故、法然はそのような仏教の転換を果たしたのか。それは従来の仏教の枠組みからこぼれる人々のためであった。

法然は43歳で中国僧・善導による『散善義』により、専修念仏を選び取った。そして比叡山を離れ、東山の吉水に草庵を結び広く老若男女に念仏の教えを説いた。九条兼実や熊谷直実ら或いは名だたる門弟を多数育てており、教育者としても一級の人物であった。
法然の教えはインプルで“自分の力で悟りを開くことができない者も、口に南無阿弥陀仏と称え、阿弥陀仏にすべてをおまかせすれば、阿弥陀仏の『すべての存在を救う』という誓願の力で必ず浄土に往生して仏となれる”といったものであった。
“修行できる人、智慧を得て慈悲を実践できる人、それはすばらしい。そしてそのことを説いた仏典は間違っていない。しかし、私のような愚鈍の者には、とても歩める道ではない。私には専修念仏の道しかない。すべてをすてて ただ専修念仏の道だけを選びとります”という態度を終始崩さなかった。ここで在家の中の悪人が救われる浄土仏教が完成し、大乗仏教が成立することとなった。
この法然によって、日本仏教における出家者のあり方や戒律に対する態度の体系などが大きく変貌したのだ。こうして日本仏教の流れを変えたので厳しい非難も多数受けることとなった。

法然の“ただ往生極楽のためには南無阿弥陀仏と申して、疑ひなく往生するぞと思ひとりて申す外には別の子細候らわず”(一枚起請文)“ここに予がごときは、すでに戒・定・慧の三学の器にあらず”(弁長『徹選択集』)の言葉によって、法然は仏教の基礎構造の“戒・定・慧”からこぼれるものであることを示し、それは正しく従来の仏教から疎外された衆生のために旧来の仏教を解体―再構築することにあった。それは本来“悟り型宗教”であった仏教を“救い型宗教”へと再構築することだった。

これにより、禅宗の栄西、道元の非難や、南都仏教の興福寺による朝廷への法然に対する非難の訴え“興福寺奏状”が提出される。
中でも高山寺の高僧・明恵の『選択集』批判は精緻であったという。明恵は『摧邪輪』を著し、翌年には補足した『摧邪輪荘厳記』も著したという。非難論点は①菩提心(悟りを求める心)の否定②聖道門(修行して悟りを開く仏道)の非難、であった。但し、法然へのこの非難に対し、法然は応えることなく亡くなってしまったのは大変残念である。
どうやら明恵の批判は精緻にして誠実であったという。これは非常に興味深い。“あかあかあかや あかあかや月”の歌や40年におよぶ観行での夢想を記録した『夢記』の明恵についてもっと知るべきであろうと思う。

“日本にはかつて哲学は無かった”という人々が居るが、日本仏教にはこういう論争が起きていたのである。論争をやるには、論理がなければできない。これ以前にも最澄や空海に論争を挑んだ徳一 という存在もあった。仏教は日本の哲学であったのではないか。東京大学では仏教を研究している。仏教をインド哲学の一種として 1916年“印度哲学講座”に始まり連綿としてインド哲学仏教学研究室に引き継がれているのだ。日本には哲学がなかったというのはある種間違った偏見である。日本人に論理性がないと言うのも邪見である。論理性が無ければ、理学-工学の発展は見られない。

法然は二項対立的に思考したという指摘である。“すべてを同一化していく一元的な立場こそが本来の仏教であるはずなのに、それを法然は二元的体系に再構築してしまっている。さらにはその中で取捨することを骨子とするのが法然の思想である。それは仏教を破壊する”というのが明恵の批判であった。
しかし“さまざまな体系がある中、自ら唯一の道を選び取り、他の道を捨てるという形態も一神教的性格を有する”。弱者の宗教は一神教的になる。“宗教人類医学的に見れば弱者の宗教は「ただ一つを選び取り、他の要素を捨てる」という姿勢へと傾斜する傾向にある”という。これはこの本の大きなテーマとなっている。

だが、“大きな体系を二分して、ただ一つを選び取るプロセスを持った宗教思想は、日本宗教文化の傾向から考えればかなり異質” だ。カトリック信者で作家の遠藤周作は日本の宗教土壌を“沼地”と呼び、すべてが中空化・同一化へ還元していき境界が不明瞭になっていく。“日本人クリスチャンはしばしば「絶対にして唯一なる神」と、「すべてが融合する日本的宗教感性」とのはざまに苦悩する”のだ。
すべての境界が不明瞭になっていく特質を心理学者・河合隼雄は“中空構造”とし、日本のように“中心を形成しない構造は対立するものを共存させ適当なバランスをとりつつ配置される”と論じた。大乗仏教のように“すべては空”、“煩悩すなわち悟りである”は中空型となる。
それに対し“中軸構造とは明確な座標軸がある構造”である。キリスト教の場合、基本的に“神と私”は造物主と被造物として相反する存在であり、どこまでも同一化することはない。善と悪、正統と異端、救いと絶望、中心と周辺が配置され、座標軸があるから同一化しない。
“法然浄土教は、明確な選択・基軸・方向性をもつ「中軸構造」であった。それは「二項対立」であり、「二者択一」であった”、という。

“概観してみれば、法然が「大衆のベクトル」を強くもっていたことを、あらためて実感することができる。まさに世俗の中を生き抜こうとした仏教者であった。これ道元が目指した出家者中心の仏教とは対照的”である。
“法然が提示した「阿弥陀仏の本願を信じ、称名念仏すれば必ず浄土に往生できる」という日本浄土仏教は、ここに集約される。親鸞も一遍もこの点においては同じ基盤に立脚”している、という。

三祖の特質を俯瞰すれば、法然は“信心は称名念仏とともに形成されていく、として宗教行為の実践を主軸”とし、親鸞は“信心を「如来よりたまわりたるもの」と表現”し、一遍は“念仏も信心も無用と捨てきった”。それは信心の自らのはからいを取り去る過程であったかのようだ。
“一遍は常に「信も不信もなく、ただ名号が往生する」と語っていた。このように、すべてが無境界化して均質化する性格をもった思想は中空型である。”この点で、法然の信心と一遍のは明確に相違している、という。

“法然は生活形態などに関しては、あまり形式にとらわれず寛容であったのに対して、一遍は意外にも生活規範について厳しい”という。これに対し竹村牧男の言葉を引用して“一遍は漂泊する共同体の主宰者であり、この秩序を守るめだった”と言っている。

法然と親鸞に関しては、“法然なくして親鸞は存在しえない。そして親鸞が構築した思想は、法然の教えを大乗仏教体系の中に組み込む意図を持っていた。・・・そして親鸞は、完成された法然の教えを自分自身の実存へと引き寄せる。そこに親鸞の独自性があり、法然との相違も生まれている。”
“法然は善導の念仏を継承し、「称える」に帰着し、一方、親鸞は念仏を「聞く」ことへと転換している。親鸞は「聞其名号、信心歓喜」(その名号を聞いて、信心歓喜する)という『無量寿経』の文を重視し、「称える」はすなわち「聞く」ことであるとした。より受動性を徹底させた”。絶対他力として、「聞名」という思想を成立させた。
“親鸞には、「救いに背を向ける自分」と「救いを希求する自分」が同時成立している。仏から逃げ、背き続け、悟りから一番遠い自分が現れたとき、そのままで仏に迎えられている自分を見出す。どちらにも着地しない、ギリギリの緊張関係が持続されている。”そこが20世紀の哲学者キェルケゴールに比定されるところだという。
また次のような指摘もしている。“竹村牧男は「親鸞はこの世での成仏は決して言わないが、一遍は現世での成仏を語る」点を両者の明確な差異として挙げている”という。

最後に、著者はやっぱり比較が大事として、法然・親鸞・一遍の思想構造を把握するために、中空型構造と中軸型構造を使ったがもっと突っ込んで、その組み合わせで4つに分類して次のように類型化を試みている。
タイプⅠ:中空型構造に立って、中空であり続けようとする方向性を持つもの
タイプⅡ:中空型構造に立って、中軸を形成しようと志向する方向性をもつもの
タイプⅢ:中軸型構造に立って、中軸であり続けようとする方向性を持つもの
タイプⅣ:中軸型構造に立って、中空を形成しようと志向する方向性をもつもの
そして、法然はタイプⅡであり、総合仏教である天台宗から、称名念仏を軸とした思想の構築へと歩みを進めた。
親鸞は、法然思想に立脚したので、タイプⅢである。法然より選択的一神教性質が加速している。ただ、親鸞はタイプⅢの視点からタイプⅠの仏道も取り込もうとした感がある。他力の仏教を“大乗の至極”と呼んで、法然思想で大乗仏教全体を語りつくそうとしたのではないか、という。
一遍は、タイプⅣだという。西山派の教えを基盤としていたから、中軸型仏教を中空型宗教へと還元する方向性をもっている、としている。
小々大胆のように思うが、なるほどとも思える結論のようだ。

以上、意外にと言えば著者に大変失礼ではあるが、浄土仏教を歴史的に広範囲にしかも深く三祖を丁寧に解説しながらしかも比較して、示してくれていると感じる。中身が濃いから思わず長文になってしまった。必要以上と思われた向きには申し訳ない。日本浄土教の入門編として何度か読み返すべき大変な良書であると感じた。

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