The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
京都・聖護院での“SDGs時代のCSRセミナー”に参加
先々週のことだが、賞味期限が切れない内に報告しておきたいので、週半ばで投稿した。それは、“公益社団法人・京都モデルフォレスト協会”主催のCSR活動公開セミナー“SDGs時代のCSRと森林”が、聖護院宗務本所2階仏間(京都市左京区聖護院中町15)で開催されたので報告したい。実はその開催を7月の審査員研修会で知って、その場でスマホから参加申込をしたものだった。
場所は、大阪から京阪で神宮丸太町で下車した。セミナー前に聖護院近くの“かく谷老舗”で久しぶりに蕎麦を食べた。3種の蕎麦が食べられる“都萌(ともえ)そば”が美味かった。
参加費1,000円を特別拝観料として負担。スケジュール概要は次の通り。
<<スケジュール>>
13時~特別拝観;宸殿・本堂・一夜造御学問所・書院 (重要文化財)※グループ別で拝観
14時~講話 聖護院門跡門主 宮城泰年師(公益社団法人京都モデルフォレスト協会理事)
14時30分~基調講演 足立 直樹 氏(株式会社レスポンスアビリティ 代表取締役)
「自然資本を活かして、SDGsに貢献し、新しい価値を創る」
(休憩)
16時~17時・事例発表
○“株式会社島津製作所の取組” 同社経営統括室・小森 ひろ子 氏
○“三共精機株式会社の取組” 同社代表取締役社長・石川 武 氏
【特別拝観】
先ずは拝観の前の注意事項として、建物の仕切りは当然襖でなされているが、そこには大抵、江戸期の狩野派の描いた高価な絵があるので、接触しないように気を付けて欲しいとのことだった。
この聖護院、実は江戸時代に2度も里内裏となったという。天明の大火(1788年)で御所が焼失した際に仮御所として光格天皇が執務をとり、安政2年(1855年)にも御所が炎上し、孝明天皇も避難されたという。宸殿奥にはその時の御座所があり、この特別拝観では御簾の直ぐ傍で間近に見ることができた。
聖護院の来歴はパンフレットによれば次の通り。
“天台の第5代座主、智證大師円珍(814~91)が、熊野那智の滝に一千日篭居をされた後、熊野より大峰修行を行われました。その後大師の後を継ぎ、常光院の増誉大僧正が大峰修行を行われ、修験僧として名をはせました。この増誉大僧正は、寛治4年(1090)の白河上皇が熊野三山を参詣する熊野御幸に際して先達を務められ、その功績によって聖体護持の2字をとり、聖護院という寺を賜ったのが聖護院の始まりになります。
増誉大僧正は、この時熊野三山検校職に任命され、本山派修験の管領として全国の修験者の統括を命じられ、聖護院の最盛期には全国に2万余の末寺をかかえる一大修験集団となりました。後白河天皇(1156~58)の皇子、静恵法親王が宮門跡として入寺されてより後、明治維新まで37代門主のうち、25代は皇室より、12代は摂家より門跡となられた皇室と関係の深い寺院です。しかし応仁の乱で焼失、洛北岩倉へ移ったのですが再び火災に遭ってしまいます。その後市内烏丸今出川に建てられた伽藍も延宝の大火で延焼、同4年(1676)に旧地に復しました。現在の建物はこの時のものですが、役行者一千三百年御遠忌を記念し、全国の教信徒の協力を得て数年をかけ修理、平成12年に完成しました。”
日本の修験道は、天台系と真言系の2派に大きく分かれるが、聖護院は天台系の修験道の総本山。つまり山伏の総元締め。そういう側面と皇室と深いかかわりのある門跡寺院の2つの顔があるという。修行の場所は大峰山とのこと。末寺2万余とは、コンビニのローソンの1万4千店をはるかに上回る数字だという。
話を聞いていた当時、疑問に思わなかったが、確か比叡山周辺でも厳しい修験道修行があったはずだが、これに関して天台宗の総元締めの延暦寺との関係はどうなっているのだろう。天台系の中での修行については別派なのかもしれない。修行者が比叡山は僧侶であるのと大峰山は山伏という違いだろうか。
それが明治期に神仏分離令が出て、聖護院も危機を迎え、その後修験道廃止令が発布されたためさらに厳しい時代になったという。末寺が神社になった例もある由。八坂神社の前に末寺があったが神社に衣替えして、八坂神社が東大路に進出したという。皇室出身の門跡も後難を回避するため、海軍総督になられた事例もあった由。さらに廃仏稀釈運動が起き、末寺が耐え切れず、各寺の本尊の仏像を多数預ることになったという。そのため多数の仏像を収蔵しているとのこと。
【聖護院門跡門主の講話】
京都モデルフォレスト協会理事でもある宮城泰年師が講演者。この講話で、山伏の総本山の聖護院とモデルフォレスト協会と、CSRとのやや違和感のある関係が明らかになった。
山伏の掟に“靡(なびき)八丁斧入れず”という言葉があるという。昔、日本では死ぬと魂は山に登って神と同化すると考えられていて、山は土俗信仰の対象だった。(古い神社では御神体が山であるのが多い[筆者注])山は神の領域なので、庶民が分け入ることはなかったが、仏教の行脚や道教の入山修行などが影響し、山にこもって“死の疑似体験”で心身の浄化を目指し修行する人たちが出て来て、これが山に伏す人、山伏になったという。ここで、“靡”とは、大峰山の尾根道を“靡道”と言い、8丁は約800mの長さ(800m四方の面積でもある[筆者注])。つまり先の言葉は、尾根道800m幅には斧を入れるな、の意味だという。現に、明治期以降の修験道廃絶後、乱伐が始まり水害が多発したのだという。つまり、この言葉は現代では(自然を大切にし)社会を守るための掟ではないかと考えられる、ということ。
また最近廃れた言葉に“升目秤目(ますめはかりめ)正しうせえ、他人の土地をせせるでないぞ”がある。要するに胡麻化した商売をするな、という教えなのだが、誤魔化す人が多くなったのではないか。憂慮すべきこと、とのことだった。(まずは、安倍首相がその典型ではないか[筆者注])
【基調講演】
テーマ:“自然資本を活かして、SDGsに貢献し、新しい価値を創る”
講演者:足立 直樹 氏(株式会社レスポンスアビリティ 代表取締役)
なぜ[森林保全/SDGsに参加]をしているのですか?の質問には通り一遍の回答[社会貢献/地域社会に対する責任感/社員の意識向上、教育・・・/地域の環境保全/評判/おつきあい]が返ってくることが多い。
しかし、欧米では“SDGsはビジネスチャンス”と捉え、それを“新たなビジネス創造”の機会と考えている。“貧困”はBase Of Pyramidなので、それを埋めるビジネスを考えようとしている。社会貢献をビジネスにするということ*だが、SDGsで挙げられている17の課題を一挙に全て背負い込む必要はない。
この17課題はベースに環境(生物圏)があり、その上に(人類)社会があり、その上の三層目に経済が載っているという、階層構造になっている。環境つまり自然資本が全ての基盤であると認識することが重要だ。だから森林など自然資本の保全は大切だと言う認識が必要だが、そういう理念が日本社会にはない。排出したCO2に見合う森林保全が出来ているか、という発想が重要。アップルは中国に400万haの森林保全をし、化石燃料を使わないこととし、データ・センターで使うエネルギーを全て自然エネルギーに切り替えた。
しかし、日本の1人当たりGDPは世界の29位。アジアでは15位のシンガポール、20位の香港に既に負けている。世界の企業の時価総額ランキング上位50社では、日本企業は平成元年で32社、現在の平成30年は1社(トヨタ)しかない。しかも今後少子高齢化は進む。35~55歳の多消費世代人口は2020年以降急速に減少することが分かっている。また労働力人口も毎年50万人ずつ減少している。この人口動態は最早変更することができない決まった近未来なのだ。
さらに、日本企業のビジネス・モデルが20世紀型から、エネルギー使用の態様やIOT(AI化)対応、多様性尊重や共有する現代の価値観に適合する21世紀型に、変化しきれていない。
市場のグローバルを舞台として徹底的に戦うか、自立的地域経済を拠点に戦うかを決めること。しかし、今や自立的地域経済は直ぐにグローバルの波に飲み込まれる時代なので、注意が必要だ。想像するべき付加価値は技術力によるのか、発想力によるのか・・・。技術力は普遍的なのでいずれマネされる運命にある。しかし地域の地理的、歴史的特殊性を活かしたビジネスであれば模倣は容易でないものが多いと思われる。従い観光に関わる産業から発展させて、さらに地域の特性を伸ばす発想が求められる。岡山県北東部の西粟倉村にそうした萌芽の好例がある。
*マイケル・ポーターのCSV(Creating Shared Value:共有価値 の創造)の考え方そのもの[筆者注]
【事例発表・㈱島津製作所】
テーマ:“SDGs時代のCSRと森林”
講演者:小森 ひろ子 氏(環境経営統括室)
2017年4月からの中期経営計画の基本コンセプトは“事業活動を通じた社会貢献による企業価値の向上”。そのために、“顧客・社会課題を解決”を通じて“持続的成長の実現と顧客・社会から更に必要とされる存在へ”を実現させる。具体的項目としては次の通り。人の健康(健康寿命の延伸/適切な医療の提供)、安心・安全な社会(自然環境の保全や食の安全/老朽化インフラの診断など)、産業の発展(新素材の開発支援/輸送機の省エネ・軽量化など)
こうした項目に沿って課題解消に向けた取組み実績例の紹介があった。そして、バリューチェーン(調達/研究開発/生産/販売・サービス/共有価値)でのSDGsとの関係性を整理して課題を明確にして取り組んで行くとのこと。
当然、“京都モデルフォレスト運動”に2008年11月から南丹市八木町の雑木林(52ha)の維持再生に参加しているが、ボランティア社員のリピーターが少なく困っている由。しかし、森林整備は進展しており、今後はその地域の課題解決にも寄与して活動を進化」させたいとのことだった。
【事例発表・三共精機㈱】
テーマ:“SDGs時代のモデルフォレスト活動への提言”
講演者:石川 武 氏(社長)
環境活動の沿革として、2002年以降のKES登録と維持活動の展開、2008年以降の“京都モデルフォレスト活動”への佛教大学との共同参画、その結果としての京都環境賞等の受賞歴の紹介があった。
事業の中で切削工具のリサイクルに取り組み、その取引代金の一部約30万円や収益の一部の寄付を“京都モデルフォレスト活動”へ投入して活動。
3つのコンセプト:共育(LEARN TOGETHER)、共創(CREATE TOGETHER)、共栄(PROSPER TOGETHER)で整理すると、共育で世の中のニーズに気付く必要を感じ、そのためには社会的責任のKES-SRへの登録へ進化。共創が事業の中核となり、これで地域との共栄を考える。こうした各コンセプトにSDGs17課題を割り振って整理して今後の事業課題を抽出。
ここで、SDGsに取り組む中小企業が少ないのは、この面での顧客要請圧力が小さく、社会意識の変化が急であるにもかかわらずトップマネジメントの経営理念構築への熱意が薄く、人材獲得が困難な上に育成意欲も小さいので実は事業継続が困難な状況に近づいているが気付いていないことによるのではないかとの指摘であった。
私には“聖護院”について、あまり知らなかったことを知り、改めて京都の町の奥深さを思い知らされた。そのインパクトが強すぎ、肝心の“SDGsに貢献”するテーマは相対的に希薄になってしまったのが私の印象だ。だからこそ、メモを頼りにCSRセミナーを纏め直したのが、真相だ。しかし、いずれも有意義だったのであえて取り急ぎ投稿した。
場所は、大阪から京阪で神宮丸太町で下車した。セミナー前に聖護院近くの“かく谷老舗”で久しぶりに蕎麦を食べた。3種の蕎麦が食べられる“都萌(ともえ)そば”が美味かった。
参加費1,000円を特別拝観料として負担。スケジュール概要は次の通り。
<<スケジュール>>
13時~特別拝観;宸殿・本堂・一夜造御学問所・書院 (重要文化財)※グループ別で拝観
14時~講話 聖護院門跡門主 宮城泰年師(公益社団法人京都モデルフォレスト協会理事)
14時30分~基調講演 足立 直樹 氏(株式会社レスポンスアビリティ 代表取締役)
「自然資本を活かして、SDGsに貢献し、新しい価値を創る」
(休憩)
16時~17時・事例発表
○“株式会社島津製作所の取組” 同社経営統括室・小森 ひろ子 氏
○“三共精機株式会社の取組” 同社代表取締役社長・石川 武 氏
【特別拝観】
先ずは拝観の前の注意事項として、建物の仕切りは当然襖でなされているが、そこには大抵、江戸期の狩野派の描いた高価な絵があるので、接触しないように気を付けて欲しいとのことだった。
この聖護院、実は江戸時代に2度も里内裏となったという。天明の大火(1788年)で御所が焼失した際に仮御所として光格天皇が執務をとり、安政2年(1855年)にも御所が炎上し、孝明天皇も避難されたという。宸殿奥にはその時の御座所があり、この特別拝観では御簾の直ぐ傍で間近に見ることができた。
聖護院の来歴はパンフレットによれば次の通り。
“天台の第5代座主、智證大師円珍(814~91)が、熊野那智の滝に一千日篭居をされた後、熊野より大峰修行を行われました。その後大師の後を継ぎ、常光院の増誉大僧正が大峰修行を行われ、修験僧として名をはせました。この増誉大僧正は、寛治4年(1090)の白河上皇が熊野三山を参詣する熊野御幸に際して先達を務められ、その功績によって聖体護持の2字をとり、聖護院という寺を賜ったのが聖護院の始まりになります。
増誉大僧正は、この時熊野三山検校職に任命され、本山派修験の管領として全国の修験者の統括を命じられ、聖護院の最盛期には全国に2万余の末寺をかかえる一大修験集団となりました。後白河天皇(1156~58)の皇子、静恵法親王が宮門跡として入寺されてより後、明治維新まで37代門主のうち、25代は皇室より、12代は摂家より門跡となられた皇室と関係の深い寺院です。しかし応仁の乱で焼失、洛北岩倉へ移ったのですが再び火災に遭ってしまいます。その後市内烏丸今出川に建てられた伽藍も延宝の大火で延焼、同4年(1676)に旧地に復しました。現在の建物はこの時のものですが、役行者一千三百年御遠忌を記念し、全国の教信徒の協力を得て数年をかけ修理、平成12年に完成しました。”
日本の修験道は、天台系と真言系の2派に大きく分かれるが、聖護院は天台系の修験道の総本山。つまり山伏の総元締め。そういう側面と皇室と深いかかわりのある門跡寺院の2つの顔があるという。修行の場所は大峰山とのこと。末寺2万余とは、コンビニのローソンの1万4千店をはるかに上回る数字だという。
話を聞いていた当時、疑問に思わなかったが、確か比叡山周辺でも厳しい修験道修行があったはずだが、これに関して天台宗の総元締めの延暦寺との関係はどうなっているのだろう。天台系の中での修行については別派なのかもしれない。修行者が比叡山は僧侶であるのと大峰山は山伏という違いだろうか。
それが明治期に神仏分離令が出て、聖護院も危機を迎え、その後修験道廃止令が発布されたためさらに厳しい時代になったという。末寺が神社になった例もある由。八坂神社の前に末寺があったが神社に衣替えして、八坂神社が東大路に進出したという。皇室出身の門跡も後難を回避するため、海軍総督になられた事例もあった由。さらに廃仏稀釈運動が起き、末寺が耐え切れず、各寺の本尊の仏像を多数預ることになったという。そのため多数の仏像を収蔵しているとのこと。
【聖護院門跡門主の講話】
京都モデルフォレスト協会理事でもある宮城泰年師が講演者。この講話で、山伏の総本山の聖護院とモデルフォレスト協会と、CSRとのやや違和感のある関係が明らかになった。
山伏の掟に“靡(なびき)八丁斧入れず”という言葉があるという。昔、日本では死ぬと魂は山に登って神と同化すると考えられていて、山は土俗信仰の対象だった。(古い神社では御神体が山であるのが多い[筆者注])山は神の領域なので、庶民が分け入ることはなかったが、仏教の行脚や道教の入山修行などが影響し、山にこもって“死の疑似体験”で心身の浄化を目指し修行する人たちが出て来て、これが山に伏す人、山伏になったという。ここで、“靡”とは、大峰山の尾根道を“靡道”と言い、8丁は約800mの長さ(800m四方の面積でもある[筆者注])。つまり先の言葉は、尾根道800m幅には斧を入れるな、の意味だという。現に、明治期以降の修験道廃絶後、乱伐が始まり水害が多発したのだという。つまり、この言葉は現代では(自然を大切にし)社会を守るための掟ではないかと考えられる、ということ。
また最近廃れた言葉に“升目秤目(ますめはかりめ)正しうせえ、他人の土地をせせるでないぞ”がある。要するに胡麻化した商売をするな、という教えなのだが、誤魔化す人が多くなったのではないか。憂慮すべきこと、とのことだった。(まずは、安倍首相がその典型ではないか[筆者注])
【基調講演】
テーマ:“自然資本を活かして、SDGsに貢献し、新しい価値を創る”
講演者:足立 直樹 氏(株式会社レスポンスアビリティ 代表取締役)
なぜ[森林保全/SDGsに参加]をしているのですか?の質問には通り一遍の回答[社会貢献/地域社会に対する責任感/社員の意識向上、教育・・・/地域の環境保全/評判/おつきあい]が返ってくることが多い。
しかし、欧米では“SDGsはビジネスチャンス”と捉え、それを“新たなビジネス創造”の機会と考えている。“貧困”はBase Of Pyramidなので、それを埋めるビジネスを考えようとしている。社会貢献をビジネスにするということ*だが、SDGsで挙げられている17の課題を一挙に全て背負い込む必要はない。
この17課題はベースに環境(生物圏)があり、その上に(人類)社会があり、その上の三層目に経済が載っているという、階層構造になっている。環境つまり自然資本が全ての基盤であると認識することが重要だ。だから森林など自然資本の保全は大切だと言う認識が必要だが、そういう理念が日本社会にはない。排出したCO2に見合う森林保全が出来ているか、という発想が重要。アップルは中国に400万haの森林保全をし、化石燃料を使わないこととし、データ・センターで使うエネルギーを全て自然エネルギーに切り替えた。
しかし、日本の1人当たりGDPは世界の29位。アジアでは15位のシンガポール、20位の香港に既に負けている。世界の企業の時価総額ランキング上位50社では、日本企業は平成元年で32社、現在の平成30年は1社(トヨタ)しかない。しかも今後少子高齢化は進む。35~55歳の多消費世代人口は2020年以降急速に減少することが分かっている。また労働力人口も毎年50万人ずつ減少している。この人口動態は最早変更することができない決まった近未来なのだ。
さらに、日本企業のビジネス・モデルが20世紀型から、エネルギー使用の態様やIOT(AI化)対応、多様性尊重や共有する現代の価値観に適合する21世紀型に、変化しきれていない。
市場のグローバルを舞台として徹底的に戦うか、自立的地域経済を拠点に戦うかを決めること。しかし、今や自立的地域経済は直ぐにグローバルの波に飲み込まれる時代なので、注意が必要だ。想像するべき付加価値は技術力によるのか、発想力によるのか・・・。技術力は普遍的なのでいずれマネされる運命にある。しかし地域の地理的、歴史的特殊性を活かしたビジネスであれば模倣は容易でないものが多いと思われる。従い観光に関わる産業から発展させて、さらに地域の特性を伸ばす発想が求められる。岡山県北東部の西粟倉村にそうした萌芽の好例がある。
*マイケル・ポーターのCSV(Creating Shared Value:共有価値 の創造)の考え方そのもの[筆者注]
【事例発表・㈱島津製作所】
テーマ:“SDGs時代のCSRと森林”
講演者:小森 ひろ子 氏(環境経営統括室)
2017年4月からの中期経営計画の基本コンセプトは“事業活動を通じた社会貢献による企業価値の向上”。そのために、“顧客・社会課題を解決”を通じて“持続的成長の実現と顧客・社会から更に必要とされる存在へ”を実現させる。具体的項目としては次の通り。人の健康(健康寿命の延伸/適切な医療の提供)、安心・安全な社会(自然環境の保全や食の安全/老朽化インフラの診断など)、産業の発展(新素材の開発支援/輸送機の省エネ・軽量化など)
こうした項目に沿って課題解消に向けた取組み実績例の紹介があった。そして、バリューチェーン(調達/研究開発/生産/販売・サービス/共有価値)でのSDGsとの関係性を整理して課題を明確にして取り組んで行くとのこと。
当然、“京都モデルフォレスト運動”に2008年11月から南丹市八木町の雑木林(52ha)の維持再生に参加しているが、ボランティア社員のリピーターが少なく困っている由。しかし、森林整備は進展しており、今後はその地域の課題解決にも寄与して活動を進化」させたいとのことだった。
【事例発表・三共精機㈱】
テーマ:“SDGs時代のモデルフォレスト活動への提言”
講演者:石川 武 氏(社長)
環境活動の沿革として、2002年以降のKES登録と維持活動の展開、2008年以降の“京都モデルフォレスト活動”への佛教大学との共同参画、その結果としての京都環境賞等の受賞歴の紹介があった。
事業の中で切削工具のリサイクルに取り組み、その取引代金の一部約30万円や収益の一部の寄付を“京都モデルフォレスト活動”へ投入して活動。
3つのコンセプト:共育(LEARN TOGETHER)、共創(CREATE TOGETHER)、共栄(PROSPER TOGETHER)で整理すると、共育で世の中のニーズに気付く必要を感じ、そのためには社会的責任のKES-SRへの登録へ進化。共創が事業の中核となり、これで地域との共栄を考える。こうした各コンセプトにSDGs17課題を割り振って整理して今後の事業課題を抽出。
ここで、SDGsに取り組む中小企業が少ないのは、この面での顧客要請圧力が小さく、社会意識の変化が急であるにもかかわらずトップマネジメントの経営理念構築への熱意が薄く、人材獲得が困難な上に育成意欲も小さいので実は事業継続が困難な状況に近づいているが気付いていないことによるのではないかとの指摘であった。
私には“聖護院”について、あまり知らなかったことを知り、改めて京都の町の奥深さを思い知らされた。そのインパクトが強すぎ、肝心の“SDGsに貢献”するテーマは相対的に希薄になってしまったのが私の印象だ。だからこそ、メモを頼りにCSRセミナーを纏め直したのが、真相だ。しかし、いずれも有意義だったのであえて取り急ぎ投稿した。
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