The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
伊東光晴・著“アベノミクス批判”を読んで―日本人の政治学的“知性”レベルを問う
先々週、安保法案が国会を通過し成立した。しかし、先週このブログで語ったように、この国のありように多くの問題を残したように感じていた。
それに関連して、大手出版社からのメルマガに紹介された記事で、“安保反対派はデモよりも「政権交代こそ常道」を痛感せよ”というのがあった。ある有名私立大学の准教授によるものだった。人物紹介によると早稲田大卒後、大手商社勤務し、英国・ウォーリック大学大学院政治・国際学研究科修了、PhD(Philosophical Doctor:博士号)取得とあった。しかもどうやら、シリーズものでネット上で不定期で記事を投稿しているようで、そのシリーズは“国際関係、国内政治で起きているさまざまな出来事を、通説に捉われず批判的思考を持ち、人間の合理的行動や、その背景の歴史、文化、構造、慣習などさまざまな枠組を使い分析する。”という触れ込みだ。興味を持ってよんでみたが、“野党5党はあらゆる手段を講じたが、国会で法律が成立することは、仕方のないこと”、“反対派による「少数派の横暴」に民主的正当性はない”という程度の内容で、そこから議論を深めることはなかった。挙句の果てに“安倍政権の安保法制を巡る「強引」とされる国会運営は、・・・英国ならば全く問題とならない”の話が登場して、思わず漫才の“オウベイか?”の突っ込みを入れたくなる程だった。またこの人の日本に関する社会認識が10数年前の1億総中流そのままであって、社会的政治的感覚が古いままのことも、驚きである。このように深みが一切なく全く“表題そのまま”で何だか中高生の議論を聞かされているような気分になりガッカリした。こんな記事で出版社から何らかの謝礼を頂戴しているのなら、サギのようなものだ。“筆者は安倍晋三政権による安保法制成立に反対の立場だ”というエクスキューズをわざわざ言ってはいるものの、正に曲学阿世の輩なのだ。
私は前回このブログに投稿したように、“政府の説明不足”との国民の感想が大多数を占める中、ムリヤリ国会を通過させ、それが法として成立したことに疑問を持つ。そのような国が立憲主義の近代的国家なのかという疑問が湧きおこる中に在って、ジョン・ロックの“抵抗権”やジャン・ジャック・ルソーの“一般意思”、モンテスキューの“分権論”に照らしてどう考えるかの議論またはヒントが得られるものと思ったのだが、ついにそのような糸口は見られず仕舞だった。先週も言ったが、選挙結果だけで熟議無く全てが決まるのなら、国会開催は意味がない。時間と予算のムダだ。それで良いのか。それで良いとするのが有名私立大学の准教授の“知性”なのか。この程度の議論しかできず、19世紀以降の知性すら持ち合わせていないような人物が、有名大学で将来ある若き青年を“教育”しているかと思うと、非常に寒々しい気分に襲われたのだ。どうやらこの“先生”、そうしたレベルの低さを英語で講義すると言う小手先で誤魔化しているようだが、海外からの留学生には簡単に見抜かれるのではないか。だからこそ、“英国では…”を連呼するのだろうか。
選挙だけで政治的に全て一任したことになるのならば、ヒットラーはその“民主的手法”で政権を握っている。このように国の仕組が合理性を欠き、理不尽を助長するようであれば、それを仕組や制度上どのように是正するべきかを考えるのが、政治学者の仕事ではないのか。近代史も知らず、問題の本質回避は学者として不誠実・怠惰の極みだ。しかし、日本の政治学など社会科学者にはこういう輩、民主主義の歴史の本質を踏まえた議論ができない“先生”が多いのではないか。
確かに、世情もそんなレベルでしか語られていないのが実態だが、そうした風潮に情けない思いがする。世論をリードするべきマスコミにもそういったレベルを盛り上げる知力がないのが問題なのだ。以前仲間内と思っていたメンバーだったが、あきらかに一部マスコミの予断と偏見の主張をそのまま鵜呑みにして真剣に得意気に語って見せる人が居て、その影響力の絶大さに驚いたことがあった。しかし、何せ先に示したような人物が大学の教育者として学生に中高生レベルの教育をしているならば、そういう若者が大卒として大量生産され、一部は当たり前のようにマスコミに従事するのだから仕方ないのかも知れない。もっとも、世情が中高生レベルの議論なので私も十分に付いて行けてるのかもしれない。
しかも、今のマスコミには真実を伝える覚悟もない。だから少しの圧力で、反発せず簡単に“自粛”してしまう。政治を語る者は、その暴力性に立ち向かう決意が求められる。ホッブズの言う“万人の万人に対する戦い”はそれを端的に語っている。このささやかなブログであってもそうした覚悟は必要と思い定めているつもりだ。
逆に、安倍政権は真実を伝えるフリー・ジャーナリストを“守るべき”日本国民の一員とは見ず、見殺しにする非情さを持っている。北朝鮮拉致被害者をも個人的PRの政治の道具として使っていると見て良いだろう。このように安倍氏は“国民”を“選別”している恐ろしいヒットラー的人物なのだ。真実はこの日本では伝わっていないものと思った方が良い。
前置きが長くなったが、こうした世情に在って“真眼”で社会を見る人は何処にいるのか。例えば、このブログ記事の標題にあげた本“アベノミクス批判”の著者、伊東光晴氏は自由主義の碩学、筋金入りのケインジアンであるのは夙に有名だ。このように情けない世情に在って、この老経済学者はアベノミクスをどのように見ているのか、どのように批判しているのか知ることは、有意義であると思って読んでみたのだった。
読了して、驚倒する内容であった。幅広く深い経済学への造詣を梃子にした徹底したアベノミクス批判に始まり、それは経済政策のみではなく、首相への人物像から政策一般へ及ぶ徹底したアベ政治への批判であった。我が意を得たりの部分や、そうだったのかという目からウロコの部分も多数あった。先程の政権におもねったような、中途半端な議論しかできない曲学阿世の似非学者とは正反対の内容、これぞ警世の良書、一読を勧めたい。
この本では、アベノミクスの3本の矢の無意味さをケインジアンとしての眼で縷々批判し示した上で、次のように言って居る。“2050年に、わが国の生産年齢人口は現在の六割に減る。これに対処する政策を今から用意しなければ、自治体ひとつをとつても破綻をまぬかれないだろう。安倍首相のように成長志向などと言ってはいられないのである。安倍首相のこの姿勢は、将来に大きな禍根を残す。以上、安倍首相のかかげている経済政策は、そのいずれも誤りのものと断ぜざるを得ないものである。だが安倍首相が意図するところは、経済に重点があるのではなく、政治であり、戦後の日本の政治体制の改変こそが真の目的である。これが「隠された」第四の矢である。これを扱ったのが(この本の最後の)第七章である。”
まさしく、安倍氏は人口減少への施策を語ったことはない。せいぜいで女性の社会進出を付け足しのように言って居るだけだ。彼の言葉は、常に軽い。言ったことをそのまま信じるのはバカを見るだけの話だ。だから現在も待機児童すら一向に減らないのだ。その言葉が信じられない“風呂屋の桶”政治家は一流ではない。
人口減少は実は環境政策としては最高のものだが、伊東氏が指摘するように経済振興には問題が大きい。放置すると経済は停滞する。伊東氏は日本経済が“どんより曇った状態”なのは、それが背景にあると喝破する。従い、これを両立させる政策としては、従来の2~3倍の生産性向上のための施策を必死になって実行しなければならない。何故ならば時間的余裕がないのだ。後ろには、予算の無駄遣いの結果としての財政赤字も迫っているからだ。
女性の社会進出も女性の生産現場での戦力化としての、生産力向上施策の一つだが、先に言ったように一向に真剣に解決しようとの気配がない。それ以外には、生産現場の省力化・無人化の技術開発が必要だが、そういった意図での重点的な技術開発の話も聞いたことがないように思う。
それから、第二次産業から第三次産業への産業構造の転換も大切で、この分野での生産性向上も重要だ。そのためにも、先ずは教育と研究開発の重点化が望まれ、それには国立大学をはじめとする大学での研究・教育レベルの向上のための予算投入が必須と思われるが、伊東氏の指摘によれば現在の政策は国立大学の独法化から予算削減に向かっているという。そして、始めに紹介したようなレベルの低い教育指導者の横行となっている悲しい現実だ。これでは第三の矢も有名無実との指摘だ。
ちなみに、第一の矢は私もかねてより言って居るように、当初は民主党が政権にある時期に日本が貿易赤字が連続し、経常収支に影響が及ぶ懸念が出て来たのに驚いたファンドが慌てて円を売ったのがきっかけで円安になり、株価が上昇し始めたのであって、それから安倍政権となってアベノミクスという言葉が出て来て、金融緩和政策へと移行しただけである。このことは伊東氏も指摘している。それから、現在の金融緩和はいくら実施しても、企業側に投資意欲が無く、景気は向上しないと経済学の原則を示して、実証している。そしてその背景に人口減少があると言うのだ。
第二の矢は、古い政策たる公共土木事業の国土強靭化政策が中心になっているが、“迫りくる「南海トラフ地震」と「首都直下型地震」に対処するため、10年間で200兆円を投じて、静岡から九州までの太平洋岸に防波堤その他をつくろうというものである。”しかし、実際には財政難で予算化されず財務省によって巧みに誤魔化されているとの指摘なのだ。実際“地方創生”とは言うものの、少なくとも神戸の地場の土木・建設業は疲弊していて廃業寸前状態の企業もあるので、他の地域も同様であろう。
一方勿論、国内景気浮揚の明らかな阻害要因となる雇用環境変更政策にも批判の矢を放っている。こうして、アベノミクスの3本の矢はいずれも効果なく、既に折られていると伊東氏は言うのだ。
だからこそ、今や何の反省もなく新たな3本の矢を持ち出してきたのか。下手な弓矢もたくさん撃てば当たるとでも思っているのだろうか。無反省、無責任、言葉にさえすれば万事OKとでも言いたいのだろうか。心底国民をバカにしてはいないか。
さて、最後の章に驚くべき記述が続いている。私が最も驚いたのは、次の歴史的エピソードであった。
“(1879年の)琉球処分に反対する(沖縄の地元)勢力はあとを絶たず、清国の力を借りて王朝を復興しようとする動きもあり、清国も武力行使も辞さないという態度をちらつかせた。7月、世界一周途上にあったアメリカの前大統領グラントが清国をへて日本に向かうところから、清国はグラントに調停を依頼した。来日したグラントが、平和的解決を明治政府に勧告した。これを受けて日本政府は、中国での通商権を認める代わりに宮古・八重山両島を清国領とする条約案を提示し、同意を得るに至った。しかし清国は調印せず、最終的には、日清戦争での日本の勝利によって、沖縄の日本帰属が決着した。”
この“日清戦争前に「宮古・八重山諸島の平和的割譲」の用意があった”という史実を 私は知らなかった。中国側が日清戦争以前の原状回復を主張するならば、琉球は中国のモノ、いわんや尖閣諸島帰属も決着が付いていないというのはあながち根拠のないことではないようだ。従って、田中角栄・周恩来会談で“棚上げ”となったのは理由のない訳ではないようだ。だが、この事実を何故か日本の外務省はある時以降誤魔化している。伊東氏は、これはどこかからの圧力によると言わんばかりだ。
翻って、米国の立場に立って米国の国益を考えた場合、日中の間に紛争があることが米国の国益になることが明らかになって来る。東シナ海でのトラブルをわざと大きくし、日本人の危機感を煽れば集団的自衛権容認を目的とする安保法制は立法化が容易になり、相当な範囲で米軍の肩代わりが可能となる。それも米軍の統制下において下請け軍隊として戦力化できるのだ。特に対潜作戦には優秀な海上自衛隊の南シナ海での運用は“日本のシー・レーン防衛”と称すれば願ってもないことだし、陸上自衛隊の水陸機動団の創設は今後米海兵隊の肩代わりとして活用できるのだ。しかも、スティルス戦闘機よりも高価だとされるオスプレイを島嶼防衛のためとして財政難の日本にあっても購入させることも可能となる。さらに、こうして強化した自衛隊ならば日本が自力で中国と向き合えるので、日米安保の米国側負担も軽くなると言う寸法だ。ハード面では充実化する自衛隊だが、第5の戦場たるサイバー分野には限定された任務(国家防衛ではなく自衛隊組織防衛)にして200人しか投入されておらず、北朝鮮の同様の部隊より少ないのは、米国の優位性を損なわないためとソフト分野では“それほど商売にならない”からだろうか。
一方折から米中首脳会談が行われていて、“仲よく”お互いの主張を明確にして商売も順調に進めている。前線では日中衝突を促進し、後方では米中対話を促進して安全を確保する。これが米国の国益の最大化の巧妙な外交戦略なのだ、と気付かされるのだ。
近代以降、日中間にはいつも米国の影がある。先の日清間のやり取りには既に米国大統領が関与している。戦前は米国は国民政府を支援していた。民間レベルでも中国空軍を支援する米国人によるフライイング・タイガーと呼ばれる部隊が居た。どうやら米国人は本質的に日本人より、中国人との方がウマが合うようだ。考えてみれば、米国人も中国人も大陸育ちのせいか、地声が大きくマナーにも横柄なところがあって良く似ている。だから相性が良いのかも知れない。日本人はそういう彼らの気質を知っておく必要があり、米国人に盲従することはある種危険性を伴うと思い知るべきだ。
アベ政治がどういう方向に向かうのか、それを安倍氏本人が民族主義者だから大丈夫と根拠を確かめず思うのは危険だ。思慮のない民族主義者が米国に上手く利用されているだけとも考えられる。巷間アンポ・マフィアの介在も囁かれているので注意するべきだ。TPPの秘密外交も国を売る可能性がある。下らないアベノミクスで国費と時間を無駄遣いしている可能性が高い。安倍氏の政策が日本没落の契機となるのならば、その可能性は高いが、これほど馬鹿げたことはない。何事も真眼で見極める必要があるが、それには伊東氏のような幅広い深い学識と教養が必要条件だ。
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それに関連して、大手出版社からのメルマガに紹介された記事で、“安保反対派はデモよりも「政権交代こそ常道」を痛感せよ”というのがあった。ある有名私立大学の准教授によるものだった。人物紹介によると早稲田大卒後、大手商社勤務し、英国・ウォーリック大学大学院政治・国際学研究科修了、PhD(Philosophical Doctor:博士号)取得とあった。しかもどうやら、シリーズものでネット上で不定期で記事を投稿しているようで、そのシリーズは“国際関係、国内政治で起きているさまざまな出来事を、通説に捉われず批判的思考を持ち、人間の合理的行動や、その背景の歴史、文化、構造、慣習などさまざまな枠組を使い分析する。”という触れ込みだ。興味を持ってよんでみたが、“野党5党はあらゆる手段を講じたが、国会で法律が成立することは、仕方のないこと”、“反対派による「少数派の横暴」に民主的正当性はない”という程度の内容で、そこから議論を深めることはなかった。挙句の果てに“安倍政権の安保法制を巡る「強引」とされる国会運営は、・・・英国ならば全く問題とならない”の話が登場して、思わず漫才の“オウベイか?”の突っ込みを入れたくなる程だった。またこの人の日本に関する社会認識が10数年前の1億総中流そのままであって、社会的政治的感覚が古いままのことも、驚きである。このように深みが一切なく全く“表題そのまま”で何だか中高生の議論を聞かされているような気分になりガッカリした。こんな記事で出版社から何らかの謝礼を頂戴しているのなら、サギのようなものだ。“筆者は安倍晋三政権による安保法制成立に反対の立場だ”というエクスキューズをわざわざ言ってはいるものの、正に曲学阿世の輩なのだ。
私は前回このブログに投稿したように、“政府の説明不足”との国民の感想が大多数を占める中、ムリヤリ国会を通過させ、それが法として成立したことに疑問を持つ。そのような国が立憲主義の近代的国家なのかという疑問が湧きおこる中に在って、ジョン・ロックの“抵抗権”やジャン・ジャック・ルソーの“一般意思”、モンテスキューの“分権論”に照らしてどう考えるかの議論またはヒントが得られるものと思ったのだが、ついにそのような糸口は見られず仕舞だった。先週も言ったが、選挙結果だけで熟議無く全てが決まるのなら、国会開催は意味がない。時間と予算のムダだ。それで良いのか。それで良いとするのが有名私立大学の准教授の“知性”なのか。この程度の議論しかできず、19世紀以降の知性すら持ち合わせていないような人物が、有名大学で将来ある若き青年を“教育”しているかと思うと、非常に寒々しい気分に襲われたのだ。どうやらこの“先生”、そうしたレベルの低さを英語で講義すると言う小手先で誤魔化しているようだが、海外からの留学生には簡単に見抜かれるのではないか。だからこそ、“英国では…”を連呼するのだろうか。
選挙だけで政治的に全て一任したことになるのならば、ヒットラーはその“民主的手法”で政権を握っている。このように国の仕組が合理性を欠き、理不尽を助長するようであれば、それを仕組や制度上どのように是正するべきかを考えるのが、政治学者の仕事ではないのか。近代史も知らず、問題の本質回避は学者として不誠実・怠惰の極みだ。しかし、日本の政治学など社会科学者にはこういう輩、民主主義の歴史の本質を踏まえた議論ができない“先生”が多いのではないか。
確かに、世情もそんなレベルでしか語られていないのが実態だが、そうした風潮に情けない思いがする。世論をリードするべきマスコミにもそういったレベルを盛り上げる知力がないのが問題なのだ。以前仲間内と思っていたメンバーだったが、あきらかに一部マスコミの予断と偏見の主張をそのまま鵜呑みにして真剣に得意気に語って見せる人が居て、その影響力の絶大さに驚いたことがあった。しかし、何せ先に示したような人物が大学の教育者として学生に中高生レベルの教育をしているならば、そういう若者が大卒として大量生産され、一部は当たり前のようにマスコミに従事するのだから仕方ないのかも知れない。もっとも、世情が中高生レベルの議論なので私も十分に付いて行けてるのかもしれない。
しかも、今のマスコミには真実を伝える覚悟もない。だから少しの圧力で、反発せず簡単に“自粛”してしまう。政治を語る者は、その暴力性に立ち向かう決意が求められる。ホッブズの言う“万人の万人に対する戦い”はそれを端的に語っている。このささやかなブログであってもそうした覚悟は必要と思い定めているつもりだ。
逆に、安倍政権は真実を伝えるフリー・ジャーナリストを“守るべき”日本国民の一員とは見ず、見殺しにする非情さを持っている。北朝鮮拉致被害者をも個人的PRの政治の道具として使っていると見て良いだろう。このように安倍氏は“国民”を“選別”している恐ろしいヒットラー的人物なのだ。真実はこの日本では伝わっていないものと思った方が良い。
前置きが長くなったが、こうした世情に在って“真眼”で社会を見る人は何処にいるのか。例えば、このブログ記事の標題にあげた本“アベノミクス批判”の著者、伊東光晴氏は自由主義の碩学、筋金入りのケインジアンであるのは夙に有名だ。このように情けない世情に在って、この老経済学者はアベノミクスをどのように見ているのか、どのように批判しているのか知ることは、有意義であると思って読んでみたのだった。
読了して、驚倒する内容であった。幅広く深い経済学への造詣を梃子にした徹底したアベノミクス批判に始まり、それは経済政策のみではなく、首相への人物像から政策一般へ及ぶ徹底したアベ政治への批判であった。我が意を得たりの部分や、そうだったのかという目からウロコの部分も多数あった。先程の政権におもねったような、中途半端な議論しかできない曲学阿世の似非学者とは正反対の内容、これぞ警世の良書、一読を勧めたい。
この本では、アベノミクスの3本の矢の無意味さをケインジアンとしての眼で縷々批判し示した上で、次のように言って居る。“2050年に、わが国の生産年齢人口は現在の六割に減る。これに対処する政策を今から用意しなければ、自治体ひとつをとつても破綻をまぬかれないだろう。安倍首相のように成長志向などと言ってはいられないのである。安倍首相のこの姿勢は、将来に大きな禍根を残す。以上、安倍首相のかかげている経済政策は、そのいずれも誤りのものと断ぜざるを得ないものである。だが安倍首相が意図するところは、経済に重点があるのではなく、政治であり、戦後の日本の政治体制の改変こそが真の目的である。これが「隠された」第四の矢である。これを扱ったのが(この本の最後の)第七章である。”
まさしく、安倍氏は人口減少への施策を語ったことはない。せいぜいで女性の社会進出を付け足しのように言って居るだけだ。彼の言葉は、常に軽い。言ったことをそのまま信じるのはバカを見るだけの話だ。だから現在も待機児童すら一向に減らないのだ。その言葉が信じられない“風呂屋の桶”政治家は一流ではない。
人口減少は実は環境政策としては最高のものだが、伊東氏が指摘するように経済振興には問題が大きい。放置すると経済は停滞する。伊東氏は日本経済が“どんより曇った状態”なのは、それが背景にあると喝破する。従い、これを両立させる政策としては、従来の2~3倍の生産性向上のための施策を必死になって実行しなければならない。何故ならば時間的余裕がないのだ。後ろには、予算の無駄遣いの結果としての財政赤字も迫っているからだ。
女性の社会進出も女性の生産現場での戦力化としての、生産力向上施策の一つだが、先に言ったように一向に真剣に解決しようとの気配がない。それ以外には、生産現場の省力化・無人化の技術開発が必要だが、そういった意図での重点的な技術開発の話も聞いたことがないように思う。
それから、第二次産業から第三次産業への産業構造の転換も大切で、この分野での生産性向上も重要だ。そのためにも、先ずは教育と研究開発の重点化が望まれ、それには国立大学をはじめとする大学での研究・教育レベルの向上のための予算投入が必須と思われるが、伊東氏の指摘によれば現在の政策は国立大学の独法化から予算削減に向かっているという。そして、始めに紹介したようなレベルの低い教育指導者の横行となっている悲しい現実だ。これでは第三の矢も有名無実との指摘だ。
ちなみに、第一の矢は私もかねてより言って居るように、当初は民主党が政権にある時期に日本が貿易赤字が連続し、経常収支に影響が及ぶ懸念が出て来たのに驚いたファンドが慌てて円を売ったのがきっかけで円安になり、株価が上昇し始めたのであって、それから安倍政権となってアベノミクスという言葉が出て来て、金融緩和政策へと移行しただけである。このことは伊東氏も指摘している。それから、現在の金融緩和はいくら実施しても、企業側に投資意欲が無く、景気は向上しないと経済学の原則を示して、実証している。そしてその背景に人口減少があると言うのだ。
第二の矢は、古い政策たる公共土木事業の国土強靭化政策が中心になっているが、“迫りくる「南海トラフ地震」と「首都直下型地震」に対処するため、10年間で200兆円を投じて、静岡から九州までの太平洋岸に防波堤その他をつくろうというものである。”しかし、実際には財政難で予算化されず財務省によって巧みに誤魔化されているとの指摘なのだ。実際“地方創生”とは言うものの、少なくとも神戸の地場の土木・建設業は疲弊していて廃業寸前状態の企業もあるので、他の地域も同様であろう。
一方勿論、国内景気浮揚の明らかな阻害要因となる雇用環境変更政策にも批判の矢を放っている。こうして、アベノミクスの3本の矢はいずれも効果なく、既に折られていると伊東氏は言うのだ。
だからこそ、今や何の反省もなく新たな3本の矢を持ち出してきたのか。下手な弓矢もたくさん撃てば当たるとでも思っているのだろうか。無反省、無責任、言葉にさえすれば万事OKとでも言いたいのだろうか。心底国民をバカにしてはいないか。
さて、最後の章に驚くべき記述が続いている。私が最も驚いたのは、次の歴史的エピソードであった。
“(1879年の)琉球処分に反対する(沖縄の地元)勢力はあとを絶たず、清国の力を借りて王朝を復興しようとする動きもあり、清国も武力行使も辞さないという態度をちらつかせた。7月、世界一周途上にあったアメリカの前大統領グラントが清国をへて日本に向かうところから、清国はグラントに調停を依頼した。来日したグラントが、平和的解決を明治政府に勧告した。これを受けて日本政府は、中国での通商権を認める代わりに宮古・八重山両島を清国領とする条約案を提示し、同意を得るに至った。しかし清国は調印せず、最終的には、日清戦争での日本の勝利によって、沖縄の日本帰属が決着した。”
この“日清戦争前に「宮古・八重山諸島の平和的割譲」の用意があった”という史実を 私は知らなかった。中国側が日清戦争以前の原状回復を主張するならば、琉球は中国のモノ、いわんや尖閣諸島帰属も決着が付いていないというのはあながち根拠のないことではないようだ。従って、田中角栄・周恩来会談で“棚上げ”となったのは理由のない訳ではないようだ。だが、この事実を何故か日本の外務省はある時以降誤魔化している。伊東氏は、これはどこかからの圧力によると言わんばかりだ。
翻って、米国の立場に立って米国の国益を考えた場合、日中の間に紛争があることが米国の国益になることが明らかになって来る。東シナ海でのトラブルをわざと大きくし、日本人の危機感を煽れば集団的自衛権容認を目的とする安保法制は立法化が容易になり、相当な範囲で米軍の肩代わりが可能となる。それも米軍の統制下において下請け軍隊として戦力化できるのだ。特に対潜作戦には優秀な海上自衛隊の南シナ海での運用は“日本のシー・レーン防衛”と称すれば願ってもないことだし、陸上自衛隊の水陸機動団の創設は今後米海兵隊の肩代わりとして活用できるのだ。しかも、スティルス戦闘機よりも高価だとされるオスプレイを島嶼防衛のためとして財政難の日本にあっても購入させることも可能となる。さらに、こうして強化した自衛隊ならば日本が自力で中国と向き合えるので、日米安保の米国側負担も軽くなると言う寸法だ。ハード面では充実化する自衛隊だが、第5の戦場たるサイバー分野には限定された任務(国家防衛ではなく自衛隊組織防衛)にして200人しか投入されておらず、北朝鮮の同様の部隊より少ないのは、米国の優位性を損なわないためとソフト分野では“それほど商売にならない”からだろうか。
一方折から米中首脳会談が行われていて、“仲よく”お互いの主張を明確にして商売も順調に進めている。前線では日中衝突を促進し、後方では米中対話を促進して安全を確保する。これが米国の国益の最大化の巧妙な外交戦略なのだ、と気付かされるのだ。
近代以降、日中間にはいつも米国の影がある。先の日清間のやり取りには既に米国大統領が関与している。戦前は米国は国民政府を支援していた。民間レベルでも中国空軍を支援する米国人によるフライイング・タイガーと呼ばれる部隊が居た。どうやら米国人は本質的に日本人より、中国人との方がウマが合うようだ。考えてみれば、米国人も中国人も大陸育ちのせいか、地声が大きくマナーにも横柄なところがあって良く似ている。だから相性が良いのかも知れない。日本人はそういう彼らの気質を知っておく必要があり、米国人に盲従することはある種危険性を伴うと思い知るべきだ。
アベ政治がどういう方向に向かうのか、それを安倍氏本人が民族主義者だから大丈夫と根拠を確かめず思うのは危険だ。思慮のない民族主義者が米国に上手く利用されているだけとも考えられる。巷間アンポ・マフィアの介在も囁かれているので注意するべきだ。TPPの秘密外交も国を売る可能性がある。下らないアベノミクスで国費と時間を無駄遣いしている可能性が高い。安倍氏の政策が日本没落の契機となるのならば、その可能性は高いが、これほど馬鹿げたことはない。何事も真眼で見極める必要があるが、それには伊東氏のような幅広い深い学識と教養が必要条件だ。
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