The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
日本人の戦略性
8月というか夏も もう終わりだ。猛暑だったが異常気象や天災と政治は関係があるのだろうか。非科学的妄想かも知れないが、無いとは言い切れないような気もする。
この週末のNHK特集では私が懸念していた寒気の日本付近での停滞は、偏西風のルート固定化が原因だと言っていて、納得出来た。また、同時に今後の一方的な温暖化も指摘していた。しかし、科学的データに過去30万年の間に何度かの、温暖化と寒冷化の繰り返しがあり、今はその30万年間の温暖化の極大点にあるというものがある。この変化点を乗り越えて温暖化に進むかどうかが問題なのだが、この事実をこの番組では紹介しておらず、何らかの偏りを感じた。
今週も、また一つのテーマに集中したある程度の考察ができないでいる。最近、課題を絞って考えることができなくなっているようだ。そこで感じたままのいくつかの問題を思いつくまま書くこととした。ところが気儘に書いた結果が、偶然標記のようなテーマになった。文章構成力に問題を抱えたままであり、モノを書くにあたってどうするべきだか良く分からないままだ。
□独自外交ができない日本
政権寄りの報道しかしない日本のマス・コミは全く騒がないが、安倍政権の重大な外交失敗が明らかになりつつある。それは、千島返還が遠のいていることだ。ついこの間まで、安倍氏とプーチン氏の個人的友好関係から絶好のチャンス来たるかのような報道だったが、この分では、北方領土は永遠に戻って来ないのではないか。ロシア自身は、プーチンの日本訪問を未だ否定しておらず、外交カードとして持っているようだが、ギリギリまで放棄はするまい。国益の前には、個人的友好などは何の意味もない。安倍首相は“立派な国家観”をお持ちだと、右派の人達は持ち上げるが、果たして本当にそうなんだろうか。
何故、こうなったか。米国のちょっとしたブラフに怯えて、ウクライナ問題でロシアに対する欧米の制裁に、無定見にも“一丁噛み”参加したのが原因である。ウクライナ問題は日本にどんな不利益をもたらす問題ではなかったが、わざわざ欧米のトラブルに首を突っ込んで、みすみす国益を損ねた。この軟弱さでは、集団的自衛権も日本と直接無関係の国に対しても行使され、自衛官の血が無用に流される懸念は大いに高くなったと思うべきだ。
何が国益であり、何を捨て、何を取るべきであるかという国家戦略をしっかり持っていないための齟齬と言える。国家戦略を持てない人物に、“立派な国家観”があるはずがない。わざわざ靖国参拝して国益を害するような単純思考の“軍国少年”に、国を任せておいて良いのであろうか。これまでも言って来たが、沖縄の人達の人権を守れず、沖縄の自然を守れず、一体何が国防であり、何が国益なのか。こういう簡単な論理をわきまえず、米国の国益のためただひたすら辺野古移転をゴリ押ししている。間違った正義感の下で国民への弾圧を強いられる海保や地元警察等警備陣に虚無感が漂わないか、実に気の毒な状況だ。(情けないことに最近は私益優先の警備会社まで雇っているようだが。)日米安保に何か利権でも絡んでいるのだろうか。ならば国益より私益優先ではないか。
この様子では、北朝鮮にも手玉に取られるに違いない。一人幾らで拉致被害者を取り返すつもりだろうか。それが、北に対する経済援助と見做されて、改めて米国から一喝されれば一体どうする気だろう。論理で説明できず、国民感情が許さないと言って、何とか乗り切る気だろうか。その国民は誰も金で解決しろとは言っていないし、そんな感情論で日本の国際的信用は地に落ちないか。
最近、サッチャーの映画を見たが、彼女こそ米国の圧力にも屈せず、フォークランドの英国領を奪還した。こういう人物を“立派な国家観”を持っているというべきではないか。日本の右派の人達は一体どんな人物観をお持ちなのだろうか。
□経営戦略のない日本企業
“戦略”と言えば企業の経営戦略も気になるが、最近ROE(Return On Equity:株主資本利益率)という指標が話題になっている。これは、確か大前研一氏が“企業参謀”で紹介した指標であり、企業評価はこのROEでされるべきだと同氏は言っていたように記憶する。そして最近、政府はこれを原則にした政策を行っている。
それは、日本企業のROEは国際的にみて低く(日本企業は6%、米英企業が28%、世界平均は22%)、日本では資本が有効に活用されていないからだという。日本市場の平均株価が世界的に低いのは、このためだという説もある。つまり、日本の企業経営者は利益を内部留保するばかりで、孫正義氏のように借金までして有望な新規事業に投資せず、資本を有効活用していないのだ。また、このため低金利であるにもかかわらず、日本の銀行貸し出しは増えない。その銀行も金利水準が絶対的に低いため、銀行の預貸率(貸出金利と預金金利の差)も低く利益が出ない構造になっていて、ひたすら国債を購入することで利益の主な源泉としている。(日本の銀行や証券会社等も米英の金融機関のように投資銀行業務にもっと傾斜するべきだが、そういう積極性に欠けるとされる。もっとも、野村証券はリーマン・ブラザーズの人材を獲得したが、何故か失敗した。)
いずれにしても、日本の経営者は一般的に新規分野への進出を躊躇する傾向にあり、たまさか意を決して進出してもマネジメントを上手くやれず失敗している。つまりプロの経営者が居ないのだ。日本企業の現場はカイゼンで強いが、経営者は無能なのが一般的とされる。昔から、世界一強い軍隊は、下士官・兵は日本人、将校はドイツ人、将軍(司令官)はアメリカ人で構成されると言われるが、それを地で行っている。
要するに、日本の経営者には企業戦略がないのだ。どの事業を捨て、何を利益の源泉とするか、そのための経営資源をどのように取得して増強するべきかが、分かっていないのだ。このことは、最近読みつつある野口悠紀雄氏や冨田和彦氏の著書に異口同音に指摘している。さらに、その戦略策定にあたっては、その企業の現場を知り、そのDNAが何かを見定めることが重要だが、それを怠るとソニーのようになってしまうことを肝に銘じるべきだろう。
司令官になれない日本人。日本人の戦略性に欠けるのは、一体その思考形態、文化的背景のどこに問題があるのだろうか。高等教育に問題があるのは確実だろうが、それも教育行政に戦略性がないことによるものだろう。教育の方向性については日本人のDNAは何かを見定めなければならないが、最近は右派の偏った議論しか聞いたことがない。それでは戦前の不毛な精神論が復活するだけだろう。とにかく、日本人に戦略性がないことによる逸失利益は甚大である。
□反省できない日本人
日本人のDNAは何かを的確に議論するためには、日本の国家的失敗事例をその都度タイムリーに科学的に検証し、分析し一旦結論を出し、問題を克服するような“継続的改善”も為されるべきだが、そういう反省が全く為されていない。あの敗戦に対する反省、バブル崩壊に対する反省、原発行政の失敗に対する反省、いずれもなし崩しのまま時の経過に任せて放置している。多くの政治家は“歴史の審判に任せる”などと、無責任な言い振りである。一体、“歴史の審判”は何時、誰が下すと言うのか。また、それまでは無反省にも従来の失敗したやり方を押し通すのであろうか。
特に、先の敗戦の反省は結論のないままに、“歴史の審判”を待って思考停止のまま70年経過した。この時間経過の中で、当初は苦い実体験があるために戦争嫌悪症に冒された人々は何が何でも平和だと唱えていた。ところがそんな人々が年老い寿命が尽きると、今度は歴史修正主義者の扇動に健忘症に冒されたように乗ってしまっている。歴史の実態を一方的にしか見ず、貧困の下に感情的にヘイト・スピーチにのめり込んでいる人々も大勢いる。そんな感情論で右往左往する国が国際的に信用されるはずがない。結果、同盟国と一方的に信じる米国にも猜疑の眼を向けられている。にもかかわらず、そういう気配すら感付いていない。そんなアホな状態が日本の現状だ。
直近の原発政策への反省もないのでは、日本の将来像は描けない。将来像が曖昧なままでは、一般国民は単細胞生物のように漂流するばかりだ。せいぜいで身近なところで努力するしかない。つまり、いつまで経っても下士官・兵のままなのだ。
失敗したビッグ・ピクチャーへの反省ができなければ、適正な国家戦略も描けるはずがない。つまり将軍になる資格はない。世界標準の正義感に則って、日本人のDNAは何かを見極めた上でなければ、適切で国際的に信用される国家戦略は策定できない。まして、真の国益は何かを見定めることもできない。真の国益は何かを見定めていなければ、関係国から体よく利用されるばかりだ。いつも、外国に金を巻き上げられてばかりいるのは、その証左だ。日本人が汗水たらして稼いだ金が真の国益とは関係なく使われている。目に見える逸失利益は甚大であるにもかかわらず、一般国民にはその自覚は希薄である。それに悪乗りしているのが政治家であり、高級官僚である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/35/ff3db43888daf36b9db6a48b2c7ef20a.png?random=951246d116e8dc9159f9e98a2bf57879)
この週末のNHK特集では私が懸念していた寒気の日本付近での停滞は、偏西風のルート固定化が原因だと言っていて、納得出来た。また、同時に今後の一方的な温暖化も指摘していた。しかし、科学的データに過去30万年の間に何度かの、温暖化と寒冷化の繰り返しがあり、今はその30万年間の温暖化の極大点にあるというものがある。この変化点を乗り越えて温暖化に進むかどうかが問題なのだが、この事実をこの番組では紹介しておらず、何らかの偏りを感じた。
今週も、また一つのテーマに集中したある程度の考察ができないでいる。最近、課題を絞って考えることができなくなっているようだ。そこで感じたままのいくつかの問題を思いつくまま書くこととした。ところが気儘に書いた結果が、偶然標記のようなテーマになった。文章構成力に問題を抱えたままであり、モノを書くにあたってどうするべきだか良く分からないままだ。
□独自外交ができない日本
政権寄りの報道しかしない日本のマス・コミは全く騒がないが、安倍政権の重大な外交失敗が明らかになりつつある。それは、千島返還が遠のいていることだ。ついこの間まで、安倍氏とプーチン氏の個人的友好関係から絶好のチャンス来たるかのような報道だったが、この分では、北方領土は永遠に戻って来ないのではないか。ロシア自身は、プーチンの日本訪問を未だ否定しておらず、外交カードとして持っているようだが、ギリギリまで放棄はするまい。国益の前には、個人的友好などは何の意味もない。安倍首相は“立派な国家観”をお持ちだと、右派の人達は持ち上げるが、果たして本当にそうなんだろうか。
何故、こうなったか。米国のちょっとしたブラフに怯えて、ウクライナ問題でロシアに対する欧米の制裁に、無定見にも“一丁噛み”参加したのが原因である。ウクライナ問題は日本にどんな不利益をもたらす問題ではなかったが、わざわざ欧米のトラブルに首を突っ込んで、みすみす国益を損ねた。この軟弱さでは、集団的自衛権も日本と直接無関係の国に対しても行使され、自衛官の血が無用に流される懸念は大いに高くなったと思うべきだ。
何が国益であり、何を捨て、何を取るべきであるかという国家戦略をしっかり持っていないための齟齬と言える。国家戦略を持てない人物に、“立派な国家観”があるはずがない。わざわざ靖国参拝して国益を害するような単純思考の“軍国少年”に、国を任せておいて良いのであろうか。これまでも言って来たが、沖縄の人達の人権を守れず、沖縄の自然を守れず、一体何が国防であり、何が国益なのか。こういう簡単な論理をわきまえず、米国の国益のためただひたすら辺野古移転をゴリ押ししている。間違った正義感の下で国民への弾圧を強いられる海保や地元警察等警備陣に虚無感が漂わないか、実に気の毒な状況だ。(情けないことに最近は私益優先の警備会社まで雇っているようだが。)日米安保に何か利権でも絡んでいるのだろうか。ならば国益より私益優先ではないか。
この様子では、北朝鮮にも手玉に取られるに違いない。一人幾らで拉致被害者を取り返すつもりだろうか。それが、北に対する経済援助と見做されて、改めて米国から一喝されれば一体どうする気だろう。論理で説明できず、国民感情が許さないと言って、何とか乗り切る気だろうか。その国民は誰も金で解決しろとは言っていないし、そんな感情論で日本の国際的信用は地に落ちないか。
最近、サッチャーの映画を見たが、彼女こそ米国の圧力にも屈せず、フォークランドの英国領を奪還した。こういう人物を“立派な国家観”を持っているというべきではないか。日本の右派の人達は一体どんな人物観をお持ちなのだろうか。
□経営戦略のない日本企業
“戦略”と言えば企業の経営戦略も気になるが、最近ROE(Return On Equity:株主資本利益率)という指標が話題になっている。これは、確か大前研一氏が“企業参謀”で紹介した指標であり、企業評価はこのROEでされるべきだと同氏は言っていたように記憶する。そして最近、政府はこれを原則にした政策を行っている。
それは、日本企業のROEは国際的にみて低く(日本企業は6%、米英企業が28%、世界平均は22%)、日本では資本が有効に活用されていないからだという。日本市場の平均株価が世界的に低いのは、このためだという説もある。つまり、日本の企業経営者は利益を内部留保するばかりで、孫正義氏のように借金までして有望な新規事業に投資せず、資本を有効活用していないのだ。また、このため低金利であるにもかかわらず、日本の銀行貸し出しは増えない。その銀行も金利水準が絶対的に低いため、銀行の預貸率(貸出金利と預金金利の差)も低く利益が出ない構造になっていて、ひたすら国債を購入することで利益の主な源泉としている。(日本の銀行や証券会社等も米英の金融機関のように投資銀行業務にもっと傾斜するべきだが、そういう積極性に欠けるとされる。もっとも、野村証券はリーマン・ブラザーズの人材を獲得したが、何故か失敗した。)
いずれにしても、日本の経営者は一般的に新規分野への進出を躊躇する傾向にあり、たまさか意を決して進出してもマネジメントを上手くやれず失敗している。つまりプロの経営者が居ないのだ。日本企業の現場はカイゼンで強いが、経営者は無能なのが一般的とされる。昔から、世界一強い軍隊は、下士官・兵は日本人、将校はドイツ人、将軍(司令官)はアメリカ人で構成されると言われるが、それを地で行っている。
要するに、日本の経営者には企業戦略がないのだ。どの事業を捨て、何を利益の源泉とするか、そのための経営資源をどのように取得して増強するべきかが、分かっていないのだ。このことは、最近読みつつある野口悠紀雄氏や冨田和彦氏の著書に異口同音に指摘している。さらに、その戦略策定にあたっては、その企業の現場を知り、そのDNAが何かを見定めることが重要だが、それを怠るとソニーのようになってしまうことを肝に銘じるべきだろう。
司令官になれない日本人。日本人の戦略性に欠けるのは、一体その思考形態、文化的背景のどこに問題があるのだろうか。高等教育に問題があるのは確実だろうが、それも教育行政に戦略性がないことによるものだろう。教育の方向性については日本人のDNAは何かを見定めなければならないが、最近は右派の偏った議論しか聞いたことがない。それでは戦前の不毛な精神論が復活するだけだろう。とにかく、日本人に戦略性がないことによる逸失利益は甚大である。
□反省できない日本人
日本人のDNAは何かを的確に議論するためには、日本の国家的失敗事例をその都度タイムリーに科学的に検証し、分析し一旦結論を出し、問題を克服するような“継続的改善”も為されるべきだが、そういう反省が全く為されていない。あの敗戦に対する反省、バブル崩壊に対する反省、原発行政の失敗に対する反省、いずれもなし崩しのまま時の経過に任せて放置している。多くの政治家は“歴史の審判に任せる”などと、無責任な言い振りである。一体、“歴史の審判”は何時、誰が下すと言うのか。また、それまでは無反省にも従来の失敗したやり方を押し通すのであろうか。
特に、先の敗戦の反省は結論のないままに、“歴史の審判”を待って思考停止のまま70年経過した。この時間経過の中で、当初は苦い実体験があるために戦争嫌悪症に冒された人々は何が何でも平和だと唱えていた。ところがそんな人々が年老い寿命が尽きると、今度は歴史修正主義者の扇動に健忘症に冒されたように乗ってしまっている。歴史の実態を一方的にしか見ず、貧困の下に感情的にヘイト・スピーチにのめり込んでいる人々も大勢いる。そんな感情論で右往左往する国が国際的に信用されるはずがない。結果、同盟国と一方的に信じる米国にも猜疑の眼を向けられている。にもかかわらず、そういう気配すら感付いていない。そんなアホな状態が日本の現状だ。
直近の原発政策への反省もないのでは、日本の将来像は描けない。将来像が曖昧なままでは、一般国民は単細胞生物のように漂流するばかりだ。せいぜいで身近なところで努力するしかない。つまり、いつまで経っても下士官・兵のままなのだ。
失敗したビッグ・ピクチャーへの反省ができなければ、適正な国家戦略も描けるはずがない。つまり将軍になる資格はない。世界標準の正義感に則って、日本人のDNAは何かを見極めた上でなければ、適切で国際的に信用される国家戦略は策定できない。まして、真の国益は何かを見定めることもできない。真の国益は何かを見定めていなければ、関係国から体よく利用されるばかりだ。いつも、外国に金を巻き上げられてばかりいるのは、その証左だ。日本人が汗水たらして稼いだ金が真の国益とは関係なく使われている。目に見える逸失利益は甚大であるにもかかわらず、一般国民にはその自覚は希薄である。それに悪乗りしているのが政治家であり、高級官僚である。
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