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嵐山の美術館で“芭蕉と蕪村と若冲”を鑑賞

18日午前、北朝鮮がICBM級ミサイルを発射し、北海道の西 EEZ内落下させた。北朝鮮の弾道ミサイルが日本のEEZ(排他的経済水域)内に落下したのはことし3月24日以来で、今回で11回目だという。いつまで指をわえて眺めているのか。実験ミサイルをEEZ(排他的経済水域)内に落下させても水産資源や鉱産資源を利用する権利を侵害されたとは言えないとでもいうのだろうか。
日本政府は日本の漁業者を守る意志はないのだろうか。いい加減、迎撃してはどうなのか。日本が北のミサイルを迎撃しないから、思うがままに実験させている結果となっているのではないか。それは北にとっての利益でしかない。
外交的プロトコルから言っても、“やられたらやり返す”が常識だろう。日本はミサイルを北のEEZ内に撃ち返すことはできないのだから、これを迎撃する権利は行使できるハズではないのか。

中国ミサイルのEEZ内落下でも日本側は相応の反応をしなかった。これも当然撃墜の対象ではないだろうか。

否、実は迎撃する能力はないのが実態なのではないだろうか。高いイージス・ステムを米国から買わされているが、これが全く役に立つものではないのが実態なのではないか。そういう実態を隠すために迎撃ミサイルを発射しないのではあるまいか。
そこには日米間のドス黒い闇が介在している可能性も大いにあり得る。妙なドス黒い利権が絡んでいるとも邪推できるのではあるまいか。それが実態なら情けない限りであり、国防に関する重要な局面での怪しい話はあって欲しくはない。

先々週、中国の軍事専門家が日本の主力戦闘機F15は“中国軍の新世代戦闘機の前では、張りぼて同然”と言い放ったと指摘した。
この度、中国で開催された航空ショウでステルス戦闘機J20が披露された、という。“今年は国産エンジンを積んだ4機が連日、会場に飛来。さらに地上でも展示された。今回の飛行では、課題とされてきたエンジンの出力が改善していることを示すような動きも見せた。”
これはつまり、J20が既に日本の防空識別圏を侵入していることを示すことではあるまいか。日本側は暢気にもそれを知らずにいるのではあるまいか。だから、あの中国の軍事専門家の発言があるのではあるまいか。背筋がゾッとする話ではないだろうか。中国のドローン侵入が常態化し始めて来ているのも脅威なのだ。

共産党大会を無事終えた習近平は自信があり、笑顔で日中首脳会談をやった。しかし、内容は無かった。習氏は岸田首相の名前もスッカリ忘れていたという。記憶の外!

旧統一教会の被害者救済法案を巡って、未だに自民党は様々な妨害をしている、という。カクレXXXがまだ自民党に存在しているとは考えられないのだろうか。そういう非難の声は起きないのが不思議だ。



さて、先週末は前回に引き続き美術館での鑑賞をしたので紹介したい。今回は嵐山のいつもの2つの美術館、嵯峨嵐山文華美術館福田美術館である。先週は京都での午後からの研修に、午前の時間の使い方に考えた結果、嵐山の2つの美術館での特集展覧会“芭蕉と蕪村と若冲”を鑑賞したので報告したい。
朝9時に阪急電車に乗り、嵐山には10時半頃到着。コロナ禍の中、慣れていた閑散が霧消していた。今、第8波のトッパシと言われているにもかかわらず、だ。観光用リキシャが結構目立つ。そして桂川には何故か水鳥が目立つ。それでもよく見ると、人出は最盛期の7~8割であろうか。





先ず、阪急嵐山駅から遠い方の嵯峨嵐山文華美術館へ赴く。ここは概ね出典物の撮影OK、なのでカメラを取り出す。
美術館併設のカフェ・テラスに結構人が詰めかけている。こんな光景は初めてではないだろうか。展示のパンフレットは次の通り。



文華美術館内にはいると先ず、目に付いたのがポスターにある芭蕉の肖像画だが、部屋に入るとその原画が展示されていた。一番目立つのがやはり与謝蕪村による芭蕉の肖像画だ。他に、伊藤若冲による芭蕉像と呉春による蕪村像も並べられていた。
蕪村は芭蕉を尊敬し呉春と共に師事したようだ。



1階が見終わると、2階へ。芭蕉とその弟子の逸話や像の絵や一番奥には“奥の細道図巻”の蕪村による模写図巻があった。女性の甲冑像の図を見て、これはどこかで見た、と初めて感じた。そう京都国立博物館で見たモノなのだ。 これが新たに発見された図巻だったのだ。



何だか、これだけでもう満足だったが、福田美術館の共通券を買っていたので、戻って行った。
ところがである、いざ福田美術館受付してもらおうとしたところ、肝心のその共通券が無い。どこかで落としたようだ。なんだか疲れが出て、もう帰ろうかと思った。このところ疲れやすく、前日の遠方での審査活動で相当参っていたのだった。しかし、気を取り直しダメモトで“共通券を落としたようだ”と言いながら先の美術館での入場券を示したら、“ではレシートを見せて下さい”と言われ、ポケットをまさぐると無事レシートが見つかり、何とか入れて貰えた。



この美術館では特に“写真撮影OK”との表示はなかったので、撮影は控えた。お蔭で、記憶があまり定かではではない。写真を撮っていても記憶が弱いので、なおさらなのだ。
蕪村の大作が目立った。どうせ俳画を中心に描いていたのだろうと思っていたのだが、本格的な大作や屏風絵にもしっかり取り組んでいて、ここではいくつも展示されていた。
それに若冲の絵も沢山展示されていた。例の耳のある亀の変な絵もあった。

ここでは芭蕉の野ざらし紀行の図巻の紹介があった。江戸を出て名古屋から伊勢、故郷の伊賀上野に行き、吉野、大垣、桑名、名古屋から又、故郷に戻り、京都の鳴滝に行き、近江路に出て江戸にもどった。だがやっぱり奥の細道の蕪村の模写本の図巻の方が見応えがある。
この京都から近江路に出たときに

山路来て何やらゆかしすみれ草

を詠んでいる。
だが、この紀行文の紹介で気になる部分があった。富士川のほとりで三歳らしき子供が捨てられていた、という。そこには、その子を憐れんで“父親、母親を恨むな。恨むなら、そういう運命にした神を恨め”というような意味の文章を残しているとの紹介だ。だが、芭蕉自身はその子を助けはせず、どうやら見捨ててしまったようだ。普通なら村長(むらおさ)や奉行所にでも連れて行くものだろうが、そうもしなかったようなのだ。昔の人の意識とはこのような冷たいものだったのだろうか、と思わざるを得ない。当代随一の文人にしてこのような意識だったのだ。


これで、予定終了。阪急で烏丸に戻って昼食だ。ところが、ここでも疲れていたせいか、気が付くと列車が烏丸駅を離れていた。眠ってしまっていた訳ではなかったので、慌ててしまった。そして終点河原町へ出てしまった。疲れが倍加する思いだった。

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