The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
初詣のハシゴ―松尾大社、八坂神社、そして安井金毘羅宮と建仁寺
大変迂闊だったが先々週9日、民間の有識者らでつくる“人口戦略会議”(議長・三村明夫前日本商工会議所会頭)は、人口減少を踏まえた提言“人口ビジョン2100”を公表した。また会議メンバー(三村議長)は同日、首相官邸で岸田文雄首相に提言を手渡し、政府内の体制や法制面の整備を要請した。
これは半世紀以上の国家戦略にかかわる重要な提言である。本来、国会ではこのような議論がなされるべきなのだが、与党自民党ではそれどころではない。恐らく、提言書を渡された首相ですら、上の空だったのではないか。
提言書では“人口減少と歯止めのかからない少子化の流れに危機感を示すとともに、3つの基本的課題として「国民の意識の共有」「若者、特に女性の最重視」「世代間の継承・連帯と『共同養育社会』づくり」の3点を提示。2100年に8000万人で人口が定常化することを目標に、人口減少の流れを変える「定常化戦略(人口減少のスピードを緩和させ、最終的に人口を安定させることを目標とする戦略)」と「強靭化戦略(質的な強靭化を図り、現在より小さい人口規模であっても、多様性に富んだ成長力のある社会を構築する戦略)」の実行による「未来選択社会(未来として選択し得る望ましい社会)」の実現を提案している。”
特に、“「永住外国人」「定住外国人」の政策についても言及。「人口減少を補充するための『(補充)移民政策』はとるべきではない」とした上で、労働目的を中心とする外国人に対する総合戦略の策定と、その政策を遂行する体制の整備、政策の「司令塔」の設置も求めている。”
少なくとも過去30年間国会で全く真剣に議論されて来なかったテーマであるため、差し迫った感があり、ついに煮詰まり火を発しかけているが、このような提言が出ても、またしてもマスコミも大きく取り上げることなく過ぎ去ろうとしている。
折から、“日本のGDP4位転落、ほぼ確実に ドイツに抜かれる見通し”と伝えられている。日本はなすところなくこのまま静かに沈没していくのではないか。
ところでもう一つ迂闊なことを先週口走っていたので、反省を込めてお詫びして訂正したい。それは、能登半島地震への“救助・救援・支援は関西からが主力になっている”と断言したことだ。実際は自治体間で“対口支援”の仕組みが機能しており、その仕組みに従って支援活動が粛々と動いていたというのが実態のようだったのだ。だが、それでもやっぱり、当然のように関東からの支援よりは関西の支援の方が比率は高そうではある。
断片的な報道を個人的に総合して観察していると、京都府警による倒壊建物の下敷きになっている人の救出の報道や大阪府や兵庫県からの支援隊の発出をローカル・ニュースで聞かされていたので、関西の支援が多いと判断したのだった。やはり総合的な報道を待って判断するべきであった。
だからといって、新幹線を東京から延伸して行くという発想は間違っているという主張は引っ込めるつもりはない。東京中心主義を遠い地域にまで及ぼす発想はやめてもらいたいのだ。近隣の力ある自治体で協力するのが効率的支援につながると考えるからで、それは自然な発想だと思うからだ。
兎に角、当たり前のように東京中心の発想は徹底的に排除したいのだ。いかがであろうか。そして基本的には自立した都市自治体の連合体へ日本を改造するべきだと考えている。それが日本の民主主義を支える基本だと考えているのだ。そしてその第一歩として東京中心の発想は徹底的に排除したいのだ。
結局、“大山鳴動して鼠三匹”か?検察は脱税で立件できるにもかかわらず闇取引して自民党に“貸し”を作ったか?闇政治に参加する意図なのか?検察独裁への布石か?
自民党の政治資金規正法違反事件は表向き派閥解消に向かって解決を図ろうとしているが、それが本質の話なのだろうか。一旦、論点をずらしておいて、派閥は人の集団では発生するのは自然なこととして、派閥復活を待っていることはないのだろうか。
それよりも、政治資金の流れの入りと出の透明化が本丸ではないのか?それを未だ誤魔化そうとしているのだろうか。だから自民党のお歴々の人相がスッキリしない妖怪のようになって居るのだろうか。論点ずらしとホトボリが冷めるのを待つ、は自民党のお歴々の妖怪の常套手段なのか?
そして安倍派・二階派が霧散して、岸田派(宏池会)が解消して高笑いするのは旧宏池会メンバーを吸収して“大宏池会”を目指す麻生派(志公会)なのか?安倍派は5奉行が“団栗の背比べ”で突き抜けた人物居らず。
微妙に日本の権力構造の闇が大きくなっていくだけなのか・・・。
そういえば先週末は台湾総統選挙があった。北京からの多量のフェイク情報にもかかわらず、台湾の人々は絶妙な選択をしたように思う。馬英九のオウン・ゴール効果もあったのは事実のようだが。とにかく、中国に台湾を攻める口実を与えないようにどうするべきかが最大の課題だったのだ・
だが、問題は今秋の米大統領選挙だろうとされ、トランプの再選が鍵なのだ。台湾の人たち自身ではどうしようもない課題でやきもきしかしようがない。米国ではトランプを立候補できないように拘留措置など取れないのか?
さて、新年になって既に3週間だ。1週間で風邪をひき、2週間目もその影響下にあえいだ。その間、外出もせずに引きこもっていたが、先週例によって、午後からの京都での研修の日となった。病み上がりで、咳も未だ引き続くのだが、熱があるわけでもない。研修には行かねばなるまい。
だが、京都での午後からの研修であるからには、午前はそうだ、今年未だやっていない初詣としよう。それも神社のハシゴだ!!!
という訳で、先週末は松尾大社、八坂神社、そして安井金毘羅宮もついでに参っておこう、と計画した。この安井金毘羅宮は、今年の京都初詣にお勧めの神社ということで紹介するウェッブ・サイトに載っていたので、出かけてみることにしたのだった。後から思えば、そういえばTV番組でも安井金毘羅宮は縁切り神社として過去に紹介があったような記憶がある。それにしても、四条河原町からこんなに近いところにあったとは思わなかった。
先ず、10:10頃には松尾大社に入れるように神戸から阪急電車に乗る。いつものように嵐山手前の松尾大社前で下車。初詣の最盛期が過ぎている様子で人でも多くなく快適である。露店はすべて閉店。いつも忘れがちな手洗いを先ず行い、拝殿から本殿に向かい参拝。ここではお滝に行くのが本来。何せ京都最古の神社の一つ、こちらが御本体と私は考えている。季節のせいか残念ながら霊気は降りてこない。夏は降りて来るものなのだが。とにかくこれで一先ず気が済んだ。
踵を返すように阪急の駅に戻る。予定より一電車早い。そのまま河原町へ桂で本線に乗り換え。瓦町駅で地上に出て、四条通南側を東へ八坂神社に向かう。病み上がりなので、元気よく歩く気になれない。それでも八坂神社西門へはそう時間はかからない。ラクラク到達!
西門から本殿へも直ぐだ。参拝には三列できていて、一番空いていた奥の列に並ぶ。境内の参拝証拠写真を撮って、時間的余裕があるので、さらに東の円山公園に行ってみることにした。
何だか、和服を着た中国人がやたら居るので鬱陶しい。この意識は偏見か!池まで来てこれ以上進む気になれず、八坂神社に戻り、南門から南下して昼食に予定していたお店を目指す。ここにも中国人がやたら居いて目障り。何だか仕事にありつき待ちのようにしゃがんでいる風体の良くないオッサンも居る。日本に来る癖にすぐにも反日に回る中国人!ウンザリするオーバー・ツーリズムにげんなり。ヤッパリこの意識は偏見か?
昼食に予定していたお店では親子丼が御推奨。病み上がりのせいか空腹にはどうしたことか程遠い。ようやくでもなくたどり着いたら、“定休日”の札がぶら下げてあった。ウヌ!?今日は金曜日ダゾ?!それでも事情があってお休みか?残念!
仕方なく、力なくとにかく安井金毘羅宮に向かうことにする。東大路通へ出て南下して、西側に見えてくるはずの鳥居を目指す。ここでも携帯片手の中国人があふれ出てくる。実に鬱陶しい!
鳥居に出て、東大路通を横断して西側へ。鳥居をくぐるとそこは駐車場への入り口だった。構わず境内目指して西へ直進する。やがて“絵馬の道”と彫られた岩に出くわす。そこから安井金毘羅宮の境内だ。女性主体の大勢の人出となっていた。ここではようやく中国人の比率は極端に減ったので、人心地着く。正に度し難い偏見か?
お札の貼られ放題になった有名な“縁切り/縁結び碑”に大勢の女性が並んでいた。並んで何をするのか、真ん中の穴をくぐるはずなのだが、何をするわけもなくボーっと立ちすくんでいる印象。何をどうしたいのか????見ている側が苛立つ不思議な状況。
まぁとにかく拝殿でお賽銭を上げて、前進して本殿で参拝。これでもうやることなし。末社を一通り眺めて境内を出る。
境内を出れば、そこは祇園甲部歌舞練場前の広場。それを横目で眺めながら、西へ鴨川方面へ戻る。
しばらく行くと、なんだか尿意を催す。どうも30分は持ちそうにない。思わず、建仁寺の境内に入った。南側に回り込んだが残念ながら境内にはトイレはなかった。左手に栄西の墓所を見ながら、北上して本坊へ。中へ入って拝観。
本坊の入り口には中での写真撮影不可の表示があったが、中での口頭説明では自撮り以外は何でも可との説明であった。先ずは風神雷神図の撮影。これは精巧な模写作品ということ。そしてとにかくトイレに。
それ以降は、方丈を巡って拝観。以前来たときは〇△□の書の前で寝っ転がった記憶がある。お庭も禅寺特有の形式を楽しむ。この寺では龍図が多い。辰年にちなんで、法堂の双龍図と方丈の海北友松の雲龍図。ただただ凄い!
トイレを借りて久しぶりの建仁寺拝観。さすがに名古刹、本当に何度来ても尽きぬ価値があるのではないか。
さぁて、昼食だが食いっぱぐれた口がもう“親子丼”になっている。河原町の蕎麦店も考えて行ってみたが、12時半とあっては既に待ち客が外に2人ほど居た。ならば、烏丸の大丸横の蕎麦店に行ってみよう、実際に行って見るとここは自由に座れる状態。ここで親子丼を頼んだ。さぁこれで午後からの研修に備えられる。
これは半世紀以上の国家戦略にかかわる重要な提言である。本来、国会ではこのような議論がなされるべきなのだが、与党自民党ではそれどころではない。恐らく、提言書を渡された首相ですら、上の空だったのではないか。
提言書では“人口減少と歯止めのかからない少子化の流れに危機感を示すとともに、3つの基本的課題として「国民の意識の共有」「若者、特に女性の最重視」「世代間の継承・連帯と『共同養育社会』づくり」の3点を提示。2100年に8000万人で人口が定常化することを目標に、人口減少の流れを変える「定常化戦略(人口減少のスピードを緩和させ、最終的に人口を安定させることを目標とする戦略)」と「強靭化戦略(質的な強靭化を図り、現在より小さい人口規模であっても、多様性に富んだ成長力のある社会を構築する戦略)」の実行による「未来選択社会(未来として選択し得る望ましい社会)」の実現を提案している。”
特に、“「永住外国人」「定住外国人」の政策についても言及。「人口減少を補充するための『(補充)移民政策』はとるべきではない」とした上で、労働目的を中心とする外国人に対する総合戦略の策定と、その政策を遂行する体制の整備、政策の「司令塔」の設置も求めている。”
少なくとも過去30年間国会で全く真剣に議論されて来なかったテーマであるため、差し迫った感があり、ついに煮詰まり火を発しかけているが、このような提言が出ても、またしてもマスコミも大きく取り上げることなく過ぎ去ろうとしている。
折から、“日本のGDP4位転落、ほぼ確実に ドイツに抜かれる見通し”と伝えられている。日本はなすところなくこのまま静かに沈没していくのではないか。
ところでもう一つ迂闊なことを先週口走っていたので、反省を込めてお詫びして訂正したい。それは、能登半島地震への“救助・救援・支援は関西からが主力になっている”と断言したことだ。実際は自治体間で“対口支援”の仕組みが機能しており、その仕組みに従って支援活動が粛々と動いていたというのが実態のようだったのだ。だが、それでもやっぱり、当然のように関東からの支援よりは関西の支援の方が比率は高そうではある。
断片的な報道を個人的に総合して観察していると、京都府警による倒壊建物の下敷きになっている人の救出の報道や大阪府や兵庫県からの支援隊の発出をローカル・ニュースで聞かされていたので、関西の支援が多いと判断したのだった。やはり総合的な報道を待って判断するべきであった。
だからといって、新幹線を東京から延伸して行くという発想は間違っているという主張は引っ込めるつもりはない。東京中心主義を遠い地域にまで及ぼす発想はやめてもらいたいのだ。近隣の力ある自治体で協力するのが効率的支援につながると考えるからで、それは自然な発想だと思うからだ。
兎に角、当たり前のように東京中心の発想は徹底的に排除したいのだ。いかがであろうか。そして基本的には自立した都市自治体の連合体へ日本を改造するべきだと考えている。それが日本の民主主義を支える基本だと考えているのだ。そしてその第一歩として東京中心の発想は徹底的に排除したいのだ。
結局、“大山鳴動して鼠三匹”か?検察は脱税で立件できるにもかかわらず闇取引して自民党に“貸し”を作ったか?闇政治に参加する意図なのか?検察独裁への布石か?
自民党の政治資金規正法違反事件は表向き派閥解消に向かって解決を図ろうとしているが、それが本質の話なのだろうか。一旦、論点をずらしておいて、派閥は人の集団では発生するのは自然なこととして、派閥復活を待っていることはないのだろうか。
それよりも、政治資金の流れの入りと出の透明化が本丸ではないのか?それを未だ誤魔化そうとしているのだろうか。だから自民党のお歴々の人相がスッキリしない妖怪のようになって居るのだろうか。論点ずらしとホトボリが冷めるのを待つ、は自民党のお歴々の妖怪の常套手段なのか?
そして安倍派・二階派が霧散して、岸田派(宏池会)が解消して高笑いするのは旧宏池会メンバーを吸収して“大宏池会”を目指す麻生派(志公会)なのか?安倍派は5奉行が“団栗の背比べ”で突き抜けた人物居らず。
微妙に日本の権力構造の闇が大きくなっていくだけなのか・・・。
そういえば先週末は台湾総統選挙があった。北京からの多量のフェイク情報にもかかわらず、台湾の人々は絶妙な選択をしたように思う。馬英九のオウン・ゴール効果もあったのは事実のようだが。とにかく、中国に台湾を攻める口実を与えないようにどうするべきかが最大の課題だったのだ・
だが、問題は今秋の米大統領選挙だろうとされ、トランプの再選が鍵なのだ。台湾の人たち自身ではどうしようもない課題でやきもきしかしようがない。米国ではトランプを立候補できないように拘留措置など取れないのか?
さて、新年になって既に3週間だ。1週間で風邪をひき、2週間目もその影響下にあえいだ。その間、外出もせずに引きこもっていたが、先週例によって、午後からの京都での研修の日となった。病み上がりで、咳も未だ引き続くのだが、熱があるわけでもない。研修には行かねばなるまい。
だが、京都での午後からの研修であるからには、午前はそうだ、今年未だやっていない初詣としよう。それも神社のハシゴだ!!!
という訳で、先週末は松尾大社、八坂神社、そして安井金毘羅宮もついでに参っておこう、と計画した。この安井金毘羅宮は、今年の京都初詣にお勧めの神社ということで紹介するウェッブ・サイトに載っていたので、出かけてみることにしたのだった。後から思えば、そういえばTV番組でも安井金毘羅宮は縁切り神社として過去に紹介があったような記憶がある。それにしても、四条河原町からこんなに近いところにあったとは思わなかった。
先ず、10:10頃には松尾大社に入れるように神戸から阪急電車に乗る。いつものように嵐山手前の松尾大社前で下車。初詣の最盛期が過ぎている様子で人でも多くなく快適である。露店はすべて閉店。いつも忘れがちな手洗いを先ず行い、拝殿から本殿に向かい参拝。ここではお滝に行くのが本来。何せ京都最古の神社の一つ、こちらが御本体と私は考えている。季節のせいか残念ながら霊気は降りてこない。夏は降りて来るものなのだが。とにかくこれで一先ず気が済んだ。
踵を返すように阪急の駅に戻る。予定より一電車早い。そのまま河原町へ桂で本線に乗り換え。瓦町駅で地上に出て、四条通南側を東へ八坂神社に向かう。病み上がりなので、元気よく歩く気になれない。それでも八坂神社西門へはそう時間はかからない。ラクラク到達!
西門から本殿へも直ぐだ。参拝には三列できていて、一番空いていた奥の列に並ぶ。境内の参拝証拠写真を撮って、時間的余裕があるので、さらに東の円山公園に行ってみることにした。
何だか、和服を着た中国人がやたら居るので鬱陶しい。この意識は偏見か!池まで来てこれ以上進む気になれず、八坂神社に戻り、南門から南下して昼食に予定していたお店を目指す。ここにも中国人がやたら居いて目障り。何だか仕事にありつき待ちのようにしゃがんでいる風体の良くないオッサンも居る。日本に来る癖にすぐにも反日に回る中国人!ウンザリするオーバー・ツーリズムにげんなり。ヤッパリこの意識は偏見か?
昼食に予定していたお店では親子丼が御推奨。病み上がりのせいか空腹にはどうしたことか程遠い。ようやくでもなくたどり着いたら、“定休日”の札がぶら下げてあった。ウヌ!?今日は金曜日ダゾ?!それでも事情があってお休みか?残念!
仕方なく、力なくとにかく安井金毘羅宮に向かうことにする。東大路通へ出て南下して、西側に見えてくるはずの鳥居を目指す。ここでも携帯片手の中国人があふれ出てくる。実に鬱陶しい!
鳥居に出て、東大路通を横断して西側へ。鳥居をくぐるとそこは駐車場への入り口だった。構わず境内目指して西へ直進する。やがて“絵馬の道”と彫られた岩に出くわす。そこから安井金毘羅宮の境内だ。女性主体の大勢の人出となっていた。ここではようやく中国人の比率は極端に減ったので、人心地着く。正に度し難い偏見か?
お札の貼られ放題になった有名な“縁切り/縁結び碑”に大勢の女性が並んでいた。並んで何をするのか、真ん中の穴をくぐるはずなのだが、何をするわけもなくボーっと立ちすくんでいる印象。何をどうしたいのか????見ている側が苛立つ不思議な状況。
まぁとにかく拝殿でお賽銭を上げて、前進して本殿で参拝。これでもうやることなし。末社を一通り眺めて境内を出る。
境内を出れば、そこは祇園甲部歌舞練場前の広場。それを横目で眺めながら、西へ鴨川方面へ戻る。
しばらく行くと、なんだか尿意を催す。どうも30分は持ちそうにない。思わず、建仁寺の境内に入った。南側に回り込んだが残念ながら境内にはトイレはなかった。左手に栄西の墓所を見ながら、北上して本坊へ。中へ入って拝観。
本坊の入り口には中での写真撮影不可の表示があったが、中での口頭説明では自撮り以外は何でも可との説明であった。先ずは風神雷神図の撮影。これは精巧な模写作品ということ。そしてとにかくトイレに。
それ以降は、方丈を巡って拝観。以前来たときは〇△□の書の前で寝っ転がった記憶がある。お庭も禅寺特有の形式を楽しむ。この寺では龍図が多い。辰年にちなんで、法堂の双龍図と方丈の海北友松の雲龍図。ただただ凄い!
トイレを借りて久しぶりの建仁寺拝観。さすがに名古刹、本当に何度来ても尽きぬ価値があるのではないか。
さぁて、昼食だが食いっぱぐれた口がもう“親子丼”になっている。河原町の蕎麦店も考えて行ってみたが、12時半とあっては既に待ち客が外に2人ほど居た。ならば、烏丸の大丸横の蕎麦店に行ってみよう、実際に行って見るとここは自由に座れる状態。ここで親子丼を頼んだ。さぁこれで午後からの研修に備えられる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« 先月23年12月... | 中石和良・著“... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |