The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
“定刻発車”を読んで―旧国鉄の卓越モデルについて
06.03.08.
先月、ISOバカ日誌“JR西日本のCS対応06.02.13.” で “・・・むしろ「定刻発車」というより「定刻到着」が重要ではないのか、と思うのです。” と書きましたが、この“定刻発車” を標題にした本がある、ということ、しかも評判は良さそうということで 読んでみました。
この本の表紙もなかなか インパクトのある良いデザインという印象で 好感を持って読み始めることができました。
著者は、どうせ鉄道マニアだろうと思ったのですが 女性です。
文章は、非常に 饒舌で 論理飛躍が無く それほど頭脳明晰でない私には読み易いのですが、丁寧な表現のため多言多文で、その分 読了に時間がかかりました。私のような遅読人間にとっては どこまで行っても遅読でした。
この本、端的に言って 日本の鉄道事業の過去、現在、未来について語られています。そこには 私の知ることの無かった世界が描かれていました。電車が2~3分遅れるだけで腹を立てる日本人。その腹立ちを 当然のものとして受入れる鉄道マン。その文化は一体何に根ざしているのか、そして日本の鉄道はどういう方向に向かおうとしているのか、が この本のテーマです。
江戸時代に遡ったエピソードがあり、面白い。日本人は江戸時代に既に時刻には正確punctualな人々であって、浦賀沖に停泊したペリーが 町中の時を告げる鐘の音が 煩くて眠れないほどであった、とか・・・・。
国鉄には大量のデータ処理を 人間系で間違いなくやるノウハウが存在しました。このデータは大量過ぎて、“オペランD”というコンピュータ・システムの開発も 成功しなかったほどだと言う。これは驚異ですが、確かに昭和の高度成長期には こした確かさが有ったと思うのです。最近は コンピュータ・システムによる支援ツールが もっと発達しているはずなのに、失敗例が 多いように思うのです。日本人が何故か 変質してきているような気がします。
兎にも角にも、日本の鉄道システムは世界に冠たる物。この世界に冠たるシステムの完成は 昭和30年代中盤あたり(1960年頃)に完成したようです。そして日本の高度経済成長を支えた。
このシステムは まさしく ISOマネジメントで言うところの“卓越モデル”です。
しかし、私の記憶が 間違っていなければ、国鉄の赤字が問題になるのは、この昭和30年代中盤あたりから(1960年以降)だったと思うのです。もし、そうなら この“卓越モデル”は 非効率を生む原因の一つになったのでしょうか。少なくとも なんらかの影響が有ったはずです。著者は 慶応大卒で数理経済専攻のようです。しかし、この興味ある点に言及していないのは残念です。著者の次のテーマに期待です。
その後 国鉄は 分割民営化され、効率がテーマとなった。そして 最近のJR西日本に見る テイタラク。
そう言えば、私が 驚いたのはダイヤ作成の前提になる“運転線図”という基準があるものだ、とのこと。これは、実際の路線でどのような速度パターンでどれぐらい時間をかけるかの標準を示したものらしいのです。ならば 何故 あのような尼崎の事故が発生したのか。どうやら 当時のJR西日本のダイヤはかなりいい加減だったと仄聞していた私は、そのJR宝塚線の“運転線図”は どうなっていたのか 知りたくなったものです。
そして、事故当時のダイヤと“運転線図”の関係、その後 修正されたダイヤと“運転線図”の関係についての議論が 全く聞こえてこないのは どういう訳なのか疑問に思ったのです。これは、極めて重要なポイントではないかと思ったのです。
テレビ等で 伝わって来た JR西日本の事故対策は 運転手教育ばかりだったように思います。取り分け 運転手に変な図を見せて錯覚を起こさない訓練などと それこそ噴飯モノの教育を 面白可笑しく報道していたように覚えています。
この1冊、鉄道に関する様々なことを想像させる秀逸な本です。“(日本の)鉄道には未来がある!”何だか 村上ファンドが 鉄道会社を狙うのも分かるような気がしました。
先月、ISOバカ日誌“JR西日本のCS対応06.02.13.” で “・・・むしろ「定刻発車」というより「定刻到着」が重要ではないのか、と思うのです。” と書きましたが、この“定刻発車” を標題にした本がある、ということ、しかも評判は良さそうということで 読んでみました。
この本の表紙もなかなか インパクトのある良いデザインという印象で 好感を持って読み始めることができました。
著者は、どうせ鉄道マニアだろうと思ったのですが 女性です。
文章は、非常に 饒舌で 論理飛躍が無く それほど頭脳明晰でない私には読み易いのですが、丁寧な表現のため多言多文で、その分 読了に時間がかかりました。私のような遅読人間にとっては どこまで行っても遅読でした。
この本、端的に言って 日本の鉄道事業の過去、現在、未来について語られています。そこには 私の知ることの無かった世界が描かれていました。電車が2~3分遅れるだけで腹を立てる日本人。その腹立ちを 当然のものとして受入れる鉄道マン。その文化は一体何に根ざしているのか、そして日本の鉄道はどういう方向に向かおうとしているのか、が この本のテーマです。
江戸時代に遡ったエピソードがあり、面白い。日本人は江戸時代に既に時刻には正確punctualな人々であって、浦賀沖に停泊したペリーが 町中の時を告げる鐘の音が 煩くて眠れないほどであった、とか・・・・。
国鉄には大量のデータ処理を 人間系で間違いなくやるノウハウが存在しました。このデータは大量過ぎて、“オペランD”というコンピュータ・システムの開発も 成功しなかったほどだと言う。これは驚異ですが、確かに昭和の高度成長期には こした確かさが有ったと思うのです。最近は コンピュータ・システムによる支援ツールが もっと発達しているはずなのに、失敗例が 多いように思うのです。日本人が何故か 変質してきているような気がします。
兎にも角にも、日本の鉄道システムは世界に冠たる物。この世界に冠たるシステムの完成は 昭和30年代中盤あたり(1960年頃)に完成したようです。そして日本の高度経済成長を支えた。
このシステムは まさしく ISOマネジメントで言うところの“卓越モデル”です。
しかし、私の記憶が 間違っていなければ、国鉄の赤字が問題になるのは、この昭和30年代中盤あたりから(1960年以降)だったと思うのです。もし、そうなら この“卓越モデル”は 非効率を生む原因の一つになったのでしょうか。少なくとも なんらかの影響が有ったはずです。著者は 慶応大卒で数理経済専攻のようです。しかし、この興味ある点に言及していないのは残念です。著者の次のテーマに期待です。
その後 国鉄は 分割民営化され、効率がテーマとなった。そして 最近のJR西日本に見る テイタラク。
そう言えば、私が 驚いたのはダイヤ作成の前提になる“運転線図”という基準があるものだ、とのこと。これは、実際の路線でどのような速度パターンでどれぐらい時間をかけるかの標準を示したものらしいのです。ならば 何故 あのような尼崎の事故が発生したのか。どうやら 当時のJR西日本のダイヤはかなりいい加減だったと仄聞していた私は、そのJR宝塚線の“運転線図”は どうなっていたのか 知りたくなったものです。
そして、事故当時のダイヤと“運転線図”の関係、その後 修正されたダイヤと“運転線図”の関係についての議論が 全く聞こえてこないのは どういう訳なのか疑問に思ったのです。これは、極めて重要なポイントではないかと思ったのです。
テレビ等で 伝わって来た JR西日本の事故対策は 運転手教育ばかりだったように思います。取り分け 運転手に変な図を見せて錯覚を起こさない訓練などと それこそ噴飯モノの教育を 面白可笑しく報道していたように覚えています。
この1冊、鉄道に関する様々なことを想像させる秀逸な本です。“(日本の)鉄道には未来がある!”何だか 村上ファンドが 鉄道会社を狙うのも分かるような気がしました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« 東洋陶磁美術館 | 権限とムチ » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |