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京都・細見美術館観覧―春画展

先週午後、京都に赴く用件があった。折角の“上京”なので、フリーの午前中にいつものように何か見ておきたいと思い、ネットで検索したが、2月の観光端境期なのか目ぼしいものなし。国立博物館の催し“皇室ゆかりの名宝”や“特集陳列 刀剣を楽しむ”でも見ようかと前日までに決めていたが、深夜テレビのローカル・ニュースで細見美術館で“春画展”をやっているとのヒマネタ報道があった。そこで、ウンこれだ!急遽予定変更し出かけることにした。春画と言っても、これまで部分的なものは見ていたように思うが、全体的にどのようなものがあるのかこれを機会に知っておきたい、という気持があった。

この春画展については、改めてネット情報によれば“昨年12月23日まで東京・永青文庫で開かれた「春画展」を、京都の細見美術館で開催しているもので、会期は2月6日から4月10日まで”という。
“「春画」は性的な事柄と笑いを表現した肉筆画や浮世絵版画を指し、西洋文化が取り入れられた明治以降は禁品扱いとされていた。2013年から2014年にかけてロンドンの大英博物館で開かれた春画展は約9万人を動員し高く評価され、昨年9月に日本初開催が実現。85日間で20万人超が来場し、好評を博した”とのこと。
“この展示では デンマークや日本の美術館、研究所、個人蔵の春画を展示。鈴木春信や鳥居清長、喜多川歌麿、葛飾北斎のほか、京都会場限定で西川祐信や月岡雪鼎の作品が公開される。入館料は前売券が1,300円で、当日券は1,500円。”

この細見美術館にはこれまで私は行ったことは無い。メジャーな展覧会の開催がなかったからだ。岡崎公園の市立美術館や国立近代美術館、平安神宮の西側に位置する。最寄りの駅は京都地下鉄・東山駅なので、神戸からは阪急で烏丸まで出て、地下鉄に乗り換え烏丸御池で東西線で行った。電車ではほぼ1時間半の道のり。駅からはそのまま徒歩で迷わず北上。やがて堀割のような琵琶湖疏水に囲まれた近代美術館や大鳥居が右手に見えて視野が広がる。この疎水では浚渫工事をしていた。重機が浅い疎水の中を勢いよく水煙を上げて走っていて珍しい風景だった。
疎水に沿って北上するとほぼ正面に目立たないが良く見ると瀟洒な建物が見えて来た。これが細見美術館で、“春画展”の看板が見える。



観覧入館料1,500円を支払って中に入ると満員。それも老若男女なのには驚きだ。特に 何故か高齢の女性が目立つ。このように人ごみになると、並んでいても必ず後ろから詰めて来る人が多い。これが不快だ。私は前の人との間隔を空けるようにしているが、後ろからは明らかに分かるように接触して詰めて来る人が多い。触って押しても意味がないのにもかかわらず、そのようにするのだ。この時も そうで、そのように押せば順番が早く回って来るとでも思っているのだろうか。
このような状態で部屋内で順番を待って並んでいると、美術館の若い係員が“並ばずに空いているところから見て下さい。”と言う。こんなアナウンス、ちゃんとした美術館では始めてだったように思う。この指示に従えば混雑と混乱を助長するだけで、意味不明ではないか。私は無視して並んで、ひとまず部屋内の半分を鑑賞。
その後、残り半分の列に並んでようやく次の展示物の前半を見終わったところで、横から割り込む気配があったので、それにあからさまに嫌な表情をしたつもりだった。すると その爺さんが“チェッて何や!”といきなりインネンを付けて来た。“外へ出よか!”思わず私も頭にきて“勝手に、出て行け!割り込もうとして、後ろめたいから毒づいとるのか?!”と、その後は それ以上関わりたくないので全く無視。どうやら勘違いしてやって来た爺さんが予想外の混雑と、変な美術館側の案内で、ストレスが昂じていたのだろう。しかし、この歳になってインネンを付けられるとは、私にも心の隙があるのだろうか、と気を引き締めなければならないと思った。
次の部屋に移って並んでいると、またその場の係員が“並ばずに空いているところから見て下さい。入口が混雑しますので。”と言って私を先の方に行かせるように指示する。さっきの一件があったので、“そんなこと言うとったら、混乱と混雑がもっと酷なるゾ”と反論して、無視していた。するとさっきの爺さんとおぼしき声が向こうで何か叫んでいて、またいざこざを起こしていたようだ。ついに、周囲の人から“声が大きい!”とも注意されていた。どうやら、やっぱり美術館などあまり来たことのない御仁だったのだろう。こうした類の観覧客と美術館側の下手な対応に嫌な気分だった。
やがて、また例の係員の声があった。続けて“素通りされる方もいますので、入口は空けて下さい。”と言っている。そうか美術館は混雑を見て観覧せずに素通りして行く人を期待しているのだと理解した。これではヤラズブッタクリではないか。結局は儲け主義の美術館だったのだ。経営上持続可能性を担保するのも大切かもしれないが、文化を尊重しなければならない美術館の対応とは思えない。もし、美術館側が良心的ならば、混雑には入口で入場制限するのが当然の対応ではないか。人を入れるだけ入れておいて素通りする入場者を期待するのならば、儲け至上主義の対応だ。余程でない限り、ここには2度と来ないようにしたい。
結局のところ、あの爺さんは素通りして行ったのか、私が見終える頃には全く姿はなかった。まぁ、そういうことだ。

さて、“春画”だが私の鑑賞眼が貧弱なのか、高名な画家の作品も多数あったようだが、結局のところどれも同じように見えて、終盤になると飽きてしまった。現代のエロ・ビデオも同じで沢山見ても、大半はどれも一緒に見えてしまう。やはり、好事家の食指を期待して制作された社会の表に出ないサブカルチャーであり、権力的抑制は良くないが“秘すれば花”なのだろうかと自分を納得させた。
一風変わっていたのは、短冊に一部を切り取って緻密に描いていた絵があった。あれが“芸術”というものであろうか。また、人間の営みのある部分を茶化しているのもあって、その茶化し方を楽しむ姿勢を楽しむべきなのだろうか。この楽しみ方には深い歴史的知識も必要なのだろう。

この美術館の建て方は変わっていて、進むにつれて地下へ潜るようになっている。洒落た設計だが、京都特有の対応なのかも知れない。ホームページを見てもこの点には触れていないので詳しくは分からない。落ち込んだところで、鑑賞は終わり、展示物関連グッズや書籍の売店とレストランがある。
私はここで、石上阿希著“へんてこな春画”を買った。というのは展示物の目録は私には高価過ぎたからだ。買った本には展示された絵も結構多数掲載され解説もあった。一般の書店では買えないから、ここで買っておこうと思ったのだ。(アマゾンでは買えるようだ。)

後は、美術館を出て昼食。西側へ並びにある食堂“ちぎりや”さんに入る。愛想のいいおばさんに“親子丼セット”を注文¥950。料理の内容はまじめに値段通りでちゃんとしている。満足して鴨川沿いを歩いて、午後の予定の四条烏丸へ向かう。

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