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中尾政之・著“なぜかミスをしない人の思考法”を読んで

先週は、大阪府北部地震で明けた。当日、テレビ報道は発災後の社会動向の報道にあふれた。
私は朝に白河夜舟だったところたたき起こされた。寝ぼけながらも同時に阪神震災の記憶が甦ったが、揺れは早く収まったように感じ、家の中も家財の散乱も無く、家族も全員無事だったので、阪神地震よりは軽度と直感できた。当日夕刻に予約していた歯医者に出かけること以外は自宅にいたが、付近の交通は元に戻っていた。神戸のJRや私鉄も大阪の混乱に巻き込まれたようだが、翌日からは完全復旧した。

そういう状況で、呑気にしていたところ昔の仕事での九州の客筋から見舞い電報が舞い込み、うろたえたのだった。そういえば九州には このような知人がいて年賀状はやり取りしていたが、九州の震災では見舞いを送ったことがなく、自らの言動に思わず恥じ入ったのだ。しかも電報という手軽ではない古典的伝達手段にどのように対応するべきか迷ったのだが、はがきで返信しておいた。改めて、九州人の人情に触れたような気がして有難い思いをしたものだった。

しかし、やはりJR西日本の対応は最低で、私鉄より復旧がはるかに遅かった。この会社は“何かあれば、直ちに止めよ”が合言葉らしいので、列車を“止める”ことにはいささかも抵抗がないのだろうが、“動かす”ことは苦手な鉄道会社なのではないか。何度も言うが“定刻到着”より、“定刻発車”に意義を感じるような顧客無視の会社らしい対応ではないか。顧客重視ならば、鉄道会社は何があっても“動かす”こと、しかも“安全”に運行することに使命を感じるべきだが、“止める”ことに至上の意義を信じているのならば、鉄道会社を名乗るのを止めるべきだ。旧国鉄は戦時中空襲をぬって社会のため職員一丸で如何に動かすかに腐心したはずだ。その伝統はどこへ行ったのか。どのようにJR西日本が会社を挙げて“考動(自ら考え、行動する)”を唱えても、考えるポイントがずれていれば社会の害悪にしかならない。
阪神震災を全く教訓にしていなかったことがバレバレとなった。福知山線列車事故の教訓も巧く厳しく教訓にできているとは思えない。
JRは私鉄と比べて、営業距離が長いのでトラブルからの復旧に時間がかかるのだ、との言い訳をよくするが、最近は私鉄も相互乗り入れでかなり長くつながっている。例えば、阪神電鉄は本来の梅田~元町のみではなく、西は姫路から、東は名古屋、北は京都まで鉄路はつながっている。しかも、つながっている先は他社、山陽電鉄、近鉄、近鉄は大阪メトロ、京都地下鉄と繋がっている。こういう他社との連携を巧くやらなければ、復旧は困難なはずだ。それにもかかわらず、阪神の復旧は早かった。JRは自社内の問題にもかかわらず、遅い復旧。いかに社内コミュニケーションが拙い組織なのか、自覚するべきだ。
来週は広島へ日帰りで、某社の株主総会に出席する予定だが、JRを利用して上手く行くのか大いに心配だ。

今回の震災では、女子児童の命を奪ったブロック塀が問題になっているが、ブロック塀そのものが問題なのではなく、その工法が問題なのではないのか。煉瓦でも千鳥(ジグザグ)に積む方式があるが、ブロックも中に鉄筋を入れてこのように積上げ、根もとの基礎部分・地面との固定をしっかりさせ、規定通り控え壁を設置すれば問題ないものになるはずだ。つまり同じものでも、手抜き工事がダメなのだ。同じことはビルそのものにも言えることだ。
しかし、驚くべきは公共施設でこうした手抜き工事が見過ごされていた点だ。自治体は公共工事を多くやるので、建築土木の専門家は多数公務員として居るはずだが、教育委員会の配下にはそうした専門家の目が行き届いていなかったのだろうか。ここでもコミュニケーション不足が問題なのだが、高槻市特有の問題なのか、そうではないのかは重大な問題だと思う。

あとはサッカー・ワールド・カップ。コロンビア戦での勝利は開戦劈頭での積極性が相手のレッド・カードを生んだ。こうした積極性はかつては見られず、シュート数も少なかったが、こうした点は改善され、シュートは多くなった。その点日本サッカーも進歩した評するべきなのかも知れない。しかし、肝心のシュートはあらぬ方向へ投入されるものが多く、成功率は少ない。またそうした度に繰り返される日本選手の“残念ポーズ”が異様に大げさなことが多く、目障りなのが気懸りだ。
さらにその後のコロンビア戦のゲーム展開は数的優位にもかかわらず、モタモタした動きに歯がゆい。特に守備が下手。相変わらずPKで人の壁を作っても、それが有効に機能していないことが気懸りだ。こうしたことから、セネガル戦の結果は容易に想像できるように思う。
要は、サッカーが日本人に適したスポーツではないのではないかと思うのだ。俊敏で適切な思考と判断、それに基づく身体能力、それらが外国人に比べて劣っている。
イニエスタ氏がヴィッセルに移籍しても、彼に巧く応じる選手が出てくるのだろうかと思わざるを得ない。イニエスタ氏の俊敏で適切な判断を、俊敏な運動で実現して応じる日本人選手は殆ど居なく、宝の持ち腐れに終わるのではないかと懸念するのだ。

政権はカジノ法案を強行採決した。ここまで無理押しするのは、何か利権があるからではないか。米国筋か。
さらに週末、こっそりと日本海洋掘削株式会社の破綻のニュースが伝わった。この会社は、“世界の海上での石油や天然ガス田の試掘や生産井掘削事業を国内で唯一手がけ”、“その連結子会社は海洋研究開発機構の地球深部探査船「ちきゅう」の運用を受託している”企業である。日本の将来のエネルギー源のメタンハイドレードの開発にも大きく関与している。いわば日本の国策会社のような企業ではないか。それがあっさり財務上の債務超過で倒産したのだ。“22日、東京地裁に会社更生手続き開始を申し立て、受理されたと発表した。同社は石油掘削装置(リグ)の稼働率が低下し、2018年3月期に155億円の債務超過に陥った。”という報道だ。役人に民間会社を経営できる能力はないとは言え、政府当局は一体何をしていたのか・・・。この調子では日銀は大丈夫か?
一方で、“学校法人「加計学園」の獣医学部開設を巡る疑惑について、加計孝太郎理事長は19日の記者会見”した。それも加計学園の岡山で急遽開催したので地域報道機関だけしか参加できない形で姑息にやったのだ。大阪北部地震とサッカー・ワールド・カップの蔭に隠れて実施。震災被害者や国民をナメた対応に、これで真摯な説明責任を果たしたと言えるのか。
この両者、いずれも政府資金が注ぎ込まれることになる。そうでなければ海洋掘削会社は本当に消えてなくなることになり、一方では私腹を肥やすことになる。これは日本国民の血税を無駄に消耗していることになるのではないのか。それでも皆の怒りが今一つ大きな力にならず、現政権の支持率は決定的に低下しない。変な野次の何とかチルドレンも国民が選んでいる。この国は不思議の国だ。“勝手にやって!”それは衆愚つまりアホの極みではないか。


さて今回は、中尾政之・著“(失敗学の権威が教える)なぜかミスをしない人の思考法”の書評というか感想を紹介したい。仕事を上手くミスなくやりたい、チョッとしたミスを防ぎたいとの思いで本を探していて、行き当たった本の候補の中で選択したものだった。中尾政之(なかお・まさゆき)氏は、この本の奥付に次のような紹介があった。“東京大学大学院工学系研究科教授 博士(工学)。1983年、東京大学大学院工学系研究科修士課程修了後、日立金属(株)に入社、磁性材料研究所に勤務。1989年、HMT Technology Corp(米国カリフオルニア州)に出向し、磁気ディスク生産設備の立ち上げに従事。1992年より東京大学工学部助教授、2001年より現職。ナノ・マイクロ加工、加工の知能化、科学器械の微細化などの生産技術に関する研究に従事すると同時に、失敗学のエキスパートとしてテレビや新聞などのメディアでも活躍している。”
東大機械工学系出身とあり、“主な著書に『失敗は予測できる』『失敗百選』『生産の技術』『設計のナレッジマネジメント』など”があるとなれば、“失敗学”の権威・畑村洋太郎氏の直弟子であろう。“失敗学”の本流の学者が何を語っているのか大いに興味のあるところだ。

この本は文庫本なので、“うらすじ”がある。そこに端的に次のようにあった。“人間は必ず失敗する。それも性懲りもなく、同じような失敗を繰り返す。しかし、自分のミスをきちんと知識化、教訓化することがミスの再発を防ぐだけでなく、逆にミスしないようなスキルやノウハウを積み上げる。そして、それが質の高い仕事をするための絶好のチャンスに変わる。すべては、「仕組み」で解決できる!”とある。この趣旨で、“本書では、古今束西のさまざまな失敗事例を挙げながら、そのメカニズムを解剖し、そこから共通ルールを法則として導き出し、仕事や日常生活に知識、教訓として活かす具体的な方法までを紹介する。”この本の趣旨を外してはいないが、少々大風呂敷の印象ではある。

目次をみて分かる通り、“失敗しないための法則”を20項目挙げている。そこで、それを具体的に示そうと思ったが、面倒なので止めた。多すぎるのだ。興味があるなら手に取って読んでもらいたい。リスク対策の初歩を学ぶには良いものと思える。良く挙げられる典型的エピソードも紹介されている。
とにかく凡庸な頭では20項目では全く何も残らない。現に今何が残っていか具体的に思い出せない。今は読み返せば、それなりに“よみがえり”はするが、この程度では時がたてば完全に失念するのは必至だ。本を読んでも覚えていないのは苦にすることはない、という本も出ているようだが、歩留が悪いのは良くない。
昔、高校の学参で“現代文解釈10個の鍵”というような本があったが、若い時の受験のためならば、10個くらいは頭に入るかもしれないが、それも受験まで。普通の大人には3つが限界だ。とはいうものの何とか5つ程度には絞って欲しいものだ。中尾氏のさらなる研鑽に期待したい。

この本の“おわりに”に重要なことを指摘している。
“この本のテーマである「ミスを予防する」ことは、ビジネスの最終的な目的ではない。考えてみてほしい。失敗しないことは簡単に達成できる。新しいことには何も挑戦せずに、安全で旧態依然とした事業にとどまればいいのだから。しかし、サッカーの試合でも、失点を防ぐだけでは試合には勝てない。得点をあげないと勝てないのであるc目的は「試合に勝つ」ことである。目的と手段を間違えてはならない。すなわち、失敗学の目的は「成功すること」である。そしてその目的を達成するための手段が失敗学―― 「ミスを予防して損失を小さくすること」である。”
当然のことなのだが、目的と手段を取り違えることは意外に多いので注意するべきだ。

ところが、同じこの本に次のような指摘があり気になった。
“たとえば、あなたがチョモランマ(エベレスト)登山隊の隊長だとしよう。もう頂上がすぐそこに見えている。ところが、さきほどまで快晴だった天候が、いまや風雲急を告げてどんどん怪しくなってきた。下手をすると大荒れになるかもしれない。さて、こういう極限状況に追い込まれたらあなたはどう判断するだろうか?”
この設問への回答の選択肢は次の3つ。
①せっかくここまで来た。下山したらもう二度と挑戦できない。イチかバチかやってみよう。
②残念だがここで下山する。無念だけれども、皆、いいな?
③途中まで下山して、天候次第で再アタックしょう。
はたして著者の言う正解は?まず①は人命軽視だとし、捨てている。そして次のように言っている。
“③のような中途半端な態度ではどちらも達成できない。下山することも命がけなのである。ここは②の「あと一歩だからこそ下山する」という選択こそリーダーの判断である。優先順位の筆頭はなにかを考え直せばよい。登頂することか、それとも全員無事に帰還させることか。どちらを優先すべきなのか?”
私は、当然③だと真剣に思ったが、正解ではなかった、このことには大いに不満を感じる。著者の言うように、天候不順の度に下山していては、何時まで経っても登頂に成功しない。山の天気は変わり易い。“登頂”して目的達成のためには、良い条件の隙・瞬間をぬって登頂するには、近くで変化を注意深く見て安全な場所で待機するのが、当然だと考えたのだ。勿論、待機できるだけの条件、安全な場所、待機時間に耐える食糧等々の条件が整っていることが大前提だ。その前提条件が確保できなければ、著者の言うように撤退することが正解になる。
こうしたリスク判断の解説本にありがちな、状況の詳細な記述がないことが著者のいう正解との差を生むのだ、と思う。恐らく、そうした詳細条件の想定が著者と読者の間に大きな差があれば、正解は異なってくる。ところが思考前提となる条件記述をどこまで丁寧にするか、本の中、限られた紙幅では不可能なのだろう。リスク事例の説明のむづかしいところだろう。従ってリスク分析は、何処まで行っても 説明し尽くすことは困難で“経験”がモノを言う世界なのだろう。何処まで行っても、想定しすぎ或いは想定外は生じるので、失敗は生じると思うべきなのかも知れない。だが、それを言ってはおしまいなのだが、そこが難しい。

私の若い頃、新田次郎・原作の“八甲田山死の彷徨”をテーマにして幹部社員研修が流行った。私は若すぎて研修対象にならなかったが、大きな影響は及んでいた。つまりその結論についての議論は多少聞こえてきたりしていて、ライン‐スタッフ制の組織的導入もその後 始まったのだ。さらに、高倉健主演の映画にもなったので、映画を見に行った記憶はある。その当時、渡部昇一・著“ドイツ参謀本部”のベストセラー化もライン‐スタッフ制導入促進につながった。
この本でも、これをリスク対策の紹介エピソードとして取り上げていたのは若い時に知っていただけに印象的だった。本書での記述を参考に概要説明すると次の通りだ。

目前に迫りつつあった日露戦争対策で、陸軍による満州などの寒冷地戦対策の研究の一環として、青森の八甲田山系(八甲田山という山の名称はなく、連峰を総称する呼び方)での山岳雪中行軍の演習が実施された。当時の青森歩兵第五連隊第二大隊は、1902年1月23日、青森を出発、三本木(現十和田市)に向かう途中に大事故が起きた。世界の山岳遭難史の中でも類を見ない大規模な事故になった。この事故は軍事訓練だったので当時、機密として伏せられていた。
実は軍中央は第八師団青森歩兵第五連隊(隊長神成文吉大尉)と、弘前第三十二連隊(隊長福島泰蔵大尉)の両隊を選んで、極寒の八甲田を互いに反対側から登らせるのだが、記録的にすさまじい吹雪に遭遇する。幸い、弘前連隊は総員38名は無事帰還できたが、青森歩兵第五連隊は三昼夜もさまよったあげく、総員210名中、生存者わずかに11名、生存率わずか5%の大遭難事故となってしまったのだ。
この両者の違いはいったいどこにあったのかがテーマとなり、社員研修の課題となったのだった。

弘前の福島大尉は雪山行軍の経験がありその困難性を熟知していたため、入念な準備と計画を練り、下士官中心の少数精鋭で行軍することを決めた。これについては軍の上層部から反論があったものの、“この実験は雪中訓練、つまり雪山でどれだけ踏ん張れるかという訓練ではなく、あくまでも雪中行軍に関するデータ収集であるから、これで十分”と、上層の軍幹部にも説得する。この判断が隊員の命を救った。福島大尉はすぐに構想に着手し、手早く計画概要を作成し、これを連隊内で訓練の目的を示し情報公開し、参加人員を募った。そして集めた各隊員には出発までの1カ月間に雪中行軍のリスクを想定して、各々に耐寒法の研究課題を与え考案準備させた。この目的を開示し、各々に工夫を考えさせることは組織一丸のためには重要なことだ。実際の行軍では、民家に宿泊して十分な休息を取り、地元民にガイドに頼み、徹底して隊員の安全を最優先した。もちろん、実際の外地での戦争では、こんなことはできない。だが、この訓練はデータ収集のための行軍なので、いたずらに雪山でリスクを冒すことはなかったのだ。

一方、上層部の命令に背けず無理な編成で挑まざるをえなかった青森大隊は、冬の八甲田を甘く見て、装備、食糧準備、編成(行軍目的も知らない兵卒が大部分)も通常の冬季対応だった。しかし、時間をかけて計画書は綿密に作成し、本番までの間に予行演習も行った。しかし残念ながら、その予行日はまれに見るほどの好天であり、しかも八甲田の入口までしか行かなかった。後日、実際に出発した日は最悪の天候となり、記録破りの寒波に見舞われた。奇跡的に生き残った1人は次のように証言したという。“(まるで温泉遊山に行くように)行軍前夜は酒杯を傾け、かなり夜更けまで飲んだ。行軍といってもわずか5里(20㎞)くらいの距離だから温泉に行くつもりで手ぬぐい1本持っただけだった。”
この緊張感のなさは、実は青森の大隊全体の空気で、青森大隊長の八甲田の自然条件に対する認識の結果であった。従って軍事機密も考慮して、地元民に道案内は要請しなかった。神成大尉は実は秋田出身で八甲田の冬の厳しさを認識していなかったという指摘もあったと記憶している。この自然条件への認識の差が最大の問題点ではなかったか。映画では高倉健の“天は我々を見放した。”の台詞は迫真であった。しかし、この隊長の言葉は史実であり、ここまで彼を信じてついてきた多くの兵士の士気が下がり、斃れるものが続出したとも言われている。

さて、この一件神成大尉の認識不足だけが問題の真因か、・・・。軍上層部(参謀本部?)の認識も甘く、計画段階から全てを適切なスタッフ(参謀)のいない現地部隊に任せた結果ではないか。戦場となるはずの外地の冬季自然条件の調査を行い、それとよく似た内地の訓練地を選び、その詳細条件を提示して耐寒雪中行軍の実験を少数精鋭で実施し、その結果を見て実際の大部隊に適用可能か見極めて、その上で大部隊で実演させるという段階を踏むべきではなかったかと、私は今考える。
明治の日本の軍隊は合理的思考をしていたかのようなイメージがあるが、その後の乱暴で夜郎自大的発想の萌芽をこの事件に見るのは間違っているのだろうか。何でも軍事機密として隠し、誤魔化してしまう発想も既に見られる。

しかし、話がここまで行くともう“チョッとしたミスを防ぐ”ための方法論ではない。仕事の大ミスを根本から防ぐための方法論になってしまっている。その方が大切なのは勿論だが・・・私固有の問題解消の要求を満たしてはいない。

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