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丹羽宇一郎氏の講演“中国の台頭と日本経済の将来”の聴講―“中国の大問題”を読んで

先日、大阪大学で先の中国大使・丹羽宇一郎氏の講演があるというので出かけた。
同氏の中国大使*1)としての任期中、よりによって日中関係について実に大変な事件の連続であり、大使としては非常に不運なことであった。マスコミもほとんどが、同氏に不信を感じさせるような報道ばかりしていた。その実態がどうであったのか、同氏から見た当時の状況を肉声で確かめてみたい、また演題のように中国通の同氏の今後の見通しがどのようなものなのか聞いてみたい、との好奇心が大いに湧き赴いたのだった。

*1:正式には中華人民共和国駐箚特命全権大使

この講演は、阪大が“未来トーク2014”として、“様々な分野で活躍中の著名な方に、各界の最先端情勢を、次世代リーダーたちに向けて講演していただく”シリーズ講演会で、2014年度の第1回目のものであった。
実際の講演会場は、阪大吹田キャンパスのコンベンション・センターであるが、それを阪大の東京オフィス(霞が関・日土地ビル10階)、豊中キャンパス(阪大会館講堂3階)、箕面キャンパス(研究講義棟B棟1階)、中之島センター(佐治敬三メモリアルホール)をサテライト会場として、音声と映像を同時中継するものであった。私は、都心で便利な中之島会場に行った。
ところで、この講演の後、私は同氏の著書“中国の大問題”も読んだ。本の内容は講演内容とほとんど変わらない。しかし、講演では早口で言われて捉えきれなかった数字等は、そこにそのまま書かれていて、理解を補強できるものであった。また講演は、本来“次世代リーダーたち”の学生向けのものであったので、その主旨に沿ってなされており、ここでは講演の主旨に沿って紹介したい。

冒頭言われたのは、戦後続いたパックス・アメリカーナはアメリカ自身の衰退により終焉しようとしており、軍事費は毎年500億ドル削減を考えている。その一方で中国が台頭してきている。そうは言っても、今のところ米国の軍事費は、世界で10位までの各国の軍事費の合計より多いが・・・、とも言われた。*2)
こういう勢力の交代について、古代ギリシアのアテネとスパルタの覇権争いに倣って後代のモンテーニュが“エセー(随想録)”で言った“トゥキディディスの罠”があるが、この罠にはまる危険がないとは、誰にも断定できない状況にある、との指摘だ。特に、日中戦争の危機は90%の人が“まさか、あり得ない”と思っていても、可能性はあるとのこと。

*2:ネットで確認すると米国の軍事費は2010年で6,870億ドル(GDP比4.7%)をピークに減少傾向中。他の国は同年で中国:1,140億ドル(GDP比2.2%)、フランス:610億ドル(GDP比2.5%)、英国:570億ドル(GDP比2.7%)、ロシア:530億ドル(GDP比4.3%)、日本:510億ドル(GDP比1.0%)、ドイツ:470億ドル(GDP比1.4%)、サウジアラビア:430億ドル(GDP比11.2%)、イタリア:380億ドル(GDP比1.8%)、インド:350億ドル(GDP比2.8%)、ブラジル:280億ドル(GDP比1.6%)、韓国:240億ドル(GDP比2.9%)となっている。しかし、米国経済は他の先進諸国を尻目に昨今復活しつつあり、好景気に向けて金利の引き上げを探っている。そのような状況下で、今後共和党が力を持てば、再び軍事的辣腕を振るう場面も大いにあり得ると思われるが、そのような解説は日本では一切聞かれないのは不思議である。衰退する日本が、復活興隆する米国に軍事的側面で“全面支援する”というのはおかしなことでないか。日本経済にはそんあ余裕はないはずなのだが。

アジアには、26か国あるが、経済力GDPは中国(9兆1千億ドル)と日本(中国の約半分)でその内の67%を占め、そこへインド、韓国、インドネシア、台湾、タイを加えて90%を超える。中国の台頭というが、その実はアジアの台頭でもある。そこで、日中が戦争を始めるとアジア全体は大混乱に陥ることになる。
25年前中国のGDPは0.4兆ドルが、2012年で9兆1千億ドルと20倍以上の伸び。米国は5.1兆ドルが16兆ドルと3倍。日本は3兆ドルだったのが6兆ドルと2倍。世界全体では18兆ドルが72兆ドルへと4倍になっている。日米の世界での比率は、45%だったのが30%にダウンしたが、中国は単独で2%程度だったのが12%へと躍進。
世界の貿易総額36兆ドル。中国は3.9兆ドル、米国3.8兆ドル、日本は1.5兆ドルで中国が世界一である。このように中国の国際社会で占める地歩は目を見張るものがある。

さらに、科学技術研究者の数は2008年のデータで、中国159万人、米国141万人、日本は65万人と中国が世界のトップ。この分野での博士号取得者は、米国3.3万人、中国2.7万人、日本はわずかに8千人しかいない。
米国ハーバード大に留学させようとすると一人当たり5~6百万円かかるが、世界からは約4千人来ている。この内、中国人は582名、日本人は11~12名しかいない。これで20年後、米国の指導層とのコミュニケーション可能な人材比率は日中間では格段の差になる。日米間より米中間の方が相互理解は進むことになるのではないか。

そして、日本の教育投資自体も全般に悪化している。OECDの2012年調査で学校教育費用(公費負担)のGDP比率は、日本は3.6%だが、米国は5.3%、韓国4.9%。OECD平均で5.4%で、日本は下位グループに属する。上位はデンマーク等北欧各国。各国の高等教育投資の対GDP比率も平均で1.1%だが、日本は0.5%。
丹羽氏には、1962年の英国“エコノミスト”誌の特集記事の記憶があるとのことで、そこでは日英の教育投資の比較をしていたという。当時の英国の大学進学率は7%だったが、日本は11%。中学で進学をあきらめる比率は、英国約60%、日本約40%となっていた。高等教育を受けた科学技術分野の研究者はもとより、工場技能工の水準も日本が上を行っているとし、“日本を「ミラクル・ジャパン」と評し、戦勝国・イギリスより敗戦国・日本の方が高等教育に熱心なことが、日本が輸出高を増やしている原因だ”と考察し、“日本の経済成長を支えたのは、そうした中間層の労働者に対する教育の充実だった”との結論である。(今やその英国の学校教育公費負担のGDP比率は、5.3%と日本を上回っている。)つまり、機会平等の教育がその後の日本の産業活力の基となったのではないかとのこと。重要なのは、ノーベル賞獲得数よりも産業社会を支える中堅労働者の底上げだとの指摘である。
これらの数字以外に本“中国の大問題”では、大学進学率にも触れていて、この数字も私には衝撃であった。“1990年ごろまで日本はOECD平均をほぼ維持していたが、他国の進学率がぐんぐんと上昇する一方、横ばい傾向だった日本は差を広げられていった。”OECDの2012年調査によると、日本は51%だがOECD各国の平均62%を大幅に下回り、“加盟34ヶ国のなかで24位で相当な下位。トップはオーストラリアの96%、米国は74%、韓国は71%である”という。
しかし私は、大学進学率の低下そのものは大した問題ではないように思う。現状について詳らかには知らぬが、例えばドイツのマイスター制度は、産業界を支える技能面での秀逸な仕組であると思う。何も全ての分野で大学を教育・訓練の頂点と考えるべきではないと思うのだ。特に、技能、芸術・文化、スポーツの分野ではそうではないか。それよりも生涯教育を視野に入れた人それぞれの能力を、その発達段階に応じた自由な教育制度の中で育成できる公的な制度や支援が必要なのではないか。いずれにしても現状の日本ではそういうことすら及びもつかないのが、現実である。これこそが“第三の矢”であるべきにもかかわらず、そこに発想が至らない日本の情けない現実なのである。

日本の人口は今後山梨県85万人分が毎年減少していく。いずれ9000万人を切るだろうが、それでも未だ日本が自給自足するには過大な人口である。その限度はこの国土では大正期の5100万人程度であろう。従い、不足する食糧は貿易でカバーしなければならず、そのためには平和はマスト条件となる。自由貿易下でなければ、日本は生き残れない。特に、アジアの平和は必須にもかかわらず、それが揺らいでいるのは残念である。日中は平和でなければならない。

一方、その中国は現下習近平主導で共産党の綱紀粛清の嵐の中にあり、権力闘争が行われている。党中央への密告が続いており、習氏の部下たちが地方の幹部に入れ替わりつつあり、2017年以降は共産党中央(政治局やその上の常務委員会)にも反習近平勢力は老齢のため居なくなるであろう。
こういう情勢下で、今秋のAPECでは米中首脳会談は確実に実施されるであろうが、日中は未だにその端緒もつかめていない。(’14年10月20日現在)
日本はかつて無条件降伏したのであり、45ヶ国の連合国から何をされても仕方のない状況であった。国土の分割すらあり得る状況であったにもかかわらず、その後国際的に犯罪人とされたA級戦犯を合祀した靖国神社に、日本の政治家は参拝している。国際的には、そのような行為が許されるはずはない。敗戦国であったという事実を無視はできない、との指摘。この見解は、国際人一般の常識であると私も思う。そういう意味で、日本の政治家のことさらの靖国参拝は歴史修正主義の為せる業であると思う。

その一方、領土主権は1ミリも譲れるものではない、のは事実。この件での話し合いは、当面不可能であるのも是認しなければならない。
しかし、独仏の400年は、領土をめぐっての戦争の歴史であったが、それをEUの結成で乗り越えた。スウェーデンとフィンランドは、オーランド諸島をめぐって争っていたが、新渡戸稲造の仲裁で解決し、現在もそれは生きている歴史はある。だからもう一度、日中も日中共同声明や平和条約の再確認と、それをベースにした平和への努力が必要であろう。
何故ならば、世界第二位の中国、その崩壊はあり得ない、と考える方が良いからだ。中国は世界の中で長期にわたり戦略的に確固たる地位を築き上げて来ているし、中国人はバカではない。

中国には少数民族問題もある。中国には少数民族は55族居て、計1.2~1.3億人で、日本人と同じ人口数。概ね、親日的。毛沢東が“民族問題は階級闘争である”と言いだしてからおかしくなった。最近、習金平は“中華民族の夢”という言葉を使い始めているが、これは明らかに“漢人の夢”を意味している。少数民族は存在が分散しているので強力にはなれないという問題があり、独自の文字を持たないため、漢語でなければ教育できないという問題もある。
この講演では述べられなかったが、本“中国の大問題”にはあった重要な見解が載っている。それは、中国は“連邦国家になる以外に道はない”ということだが、“中国の国土は輸送経済の観点から、およそ6つの地域に区分けできる。”とも書いている。
私も この見解には同意したい。本来、中国はヨーロッパのようであり、地域で言語が違うが、古代に漢字で統一した文化を持つようになった経緯がある。中華圏で見たテレビに漢字による字幕スーパーがあったのは事実だ。少数民族問題も、連邦制にすることによって解決できるものではないか。つまり、民主化が進めば自ずと連邦制へ移行せざるを得ないのだ。

中国経済は成長を継続しているし、成長率は落ちてもそれは経済規模が大きくなれば当然の結果であり、そのこと自体に問題はない。しかし、中国は今後はインターナショナル・バリュー(国際価値)を理解しなければならない。*3)民意を問わずに政治を行い続けることは不可能だ。そういう中国を刺激せずに自陣営に引き込む努力が日本には必要なのだ、との見解であった。

*3:丹羽氏は言及しなかったが、これは日本の右派の人々にも当てはまる。インターナショナル・バリュー(国際価値)を理解せずに、靖国参拝に拘泥する姿と、認知的複雑性の欠如した単純思考、そこに留まった思考停止には呆れ果てる。狭い価値観で対処すれば国際的摩擦を生じるのは当然の帰結であり、それが国益を損ねる原因であることが、首相をはじめ大半の右派は理解できないのだ。(中国の密漁船の活発化は、閣僚の靖国参拝が契機かも知れない。)首相がウルトラ・ナショナリストであるというのは世界の常識だ。日本人に“おもてなしの心がある”と言うのなら、そういう世界の常識・本音を読み解く力があって然るべきだ。日本の民族派にはそれを理解する広い価値観を持っている人々も居るのだが・・・。

翻って、今後の日本の人口減少、高齢化をどのようにするのか。資源のない日本に在って、人材こそ国富の素であり、最も大きな乗数効果を生むのは、教育投資である。しかし現状は恐るべき状態だと言っておられた。“乗数効果”には、なるほど、その通りだと反応せざるを得ない。にもかかわらず、政府は目下教育予算を減らすことに躍起になっている印象が強い。これで20年後の日本はどうなるのか、と私も不安に陥る。
重ねて、貿易を支える平和は必須の前提であり、貿易発展のための高品質社会も必須と指摘。その高品質を支えるのは、他人の見ていないところでも手を抜かず働く、質の高い人材である。それも人口減少を凌ぐ、高い生産性を得る能力がなければならない。人口70%の平均労働者の没落を防ぎ、救済する改革が必要だ。その改革には痛みは必ずあるが、それに耐える国民的合意が必要だ、とのこと。

最後に突然トマ・ピケティを引き合いに出されたが、浅学の私には付いて行けない。どうやら、これまでの資本主義体制では、戦争が終わって階級間格差が拡大促進されるものだという、ことのようだ。そういう欧米の論理の後を追うようでは、日本は没落するだろうとの見解であった。それよりも中間層の労働者を大事にすることが、日本の高品質社会を支えることになるはすだ。そのためには、60歳以上の人が持つ資産に手を着ける必要があるし、そういう痛みを共有しなければならない。私にはその覚悟はある、という言葉で、この講演は終わった。

この後、中国人学生からの質問があったが、歯に衣着せぬ物言いのためか、いきなり“中国人は生意気になっている。”と言われ、会場のムードが一瞬凍った。その真意は、“日本には40年は中国に先行した歴史がある。その過程で、日本人も大いに苦労して来た。それを無視して、少し経済規模が大きくなったからと言って、思い上がってはならない。私は会う中国人には(その中国人のために)必ずこれを言っている。”とのこと。
丹羽氏は著書“中国の大問題”で、中国人には以心伝心はなく言わないと理解されない、と指摘している。逆に、そういう姿勢は日本人は理解できない。どうやらそれが、丹羽氏への日本での誤解の大きな要因だと思った次第である。

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