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“サーバント・リーダーシップ入門”を読んで

少し前、NHK・Eテレの“仕事学のすすめ”で、トランスレーター野田稔教授が 宮本亜門氏の出演俳優の目線に立って励ます演出手法を“経営学ではサーバント・リーダーシップと言う”と指摘されていた。私には、この言葉は初耳であった。リーダー・シップに興味を持っている私としては、これについて知るべきであると感じ、どんな本があるのか調べみた。そして読んだのが池田守男・金井壽宏共著の“サーバント・リーダーシップ入門”であり、今回は この本を紹介したい。この本の共著者・池田守男氏は元資生堂社長で、サーバント・リーダーシップの経営上の実際を、神戸大学経営学部教授の金井壽宏氏は その経営学的背景を説明されているので、信頼できる本であると思われた。しかも翻訳ものではないので日本人の肉声で書かれているため理解しやすいはずと思い読むことにしたのだ。そうは言っても“サーバント・リーダーシップ”は、英語。やはり米国発のバタ臭い経営学的の考え方の導入となるのであろうか。

サーバント(召使)がリーダー(司令官)というのには、少々呆れるというか コンセプト(概念)混乱ではないかと思うところがある。お役人をパブリック・サーバントと言うが、実際にはそんな印象はあまりない。最近の窓口対応では結構 低頭感が出て来ているが、あるところへ行くと岩盤のように固いものを感じる。そんな感じをお役人に持つのだが、それと同じようなコンセプトの派生か、というのがこの本を読む前の気分であった。
要するに“サーバント・リーダーシップ”とは何か。手っ取り早い理解のために、ネットで調べてみると、NPO法人・日本サーバント・リーダーシップ協会のホーム・ページがあったが、ダラダラ説明していて結構分かりづらかった。
この本を読んだ上での私なりの理解では、次のようなことかと思っている。“組織やプロジェクト・チームのメンバーに、ビジョンや目標を提示したうえで、緊密なコミュニケーションを通じて様々にメンバーを支援し、目標達成に導く、奉仕型のリーダーシップ。従来あった支配型リーダー・シップとは対極の考え方。”これでどうだろうか。

そう言ったところで、何とか次の一節を見つけた。
“(発案者の)グリーンリーフは、サーバント・リーダーシップに関する定義を次のように述べる。「サーバント・リーダーはまず、自分がサーバントであるという考えから始まる。これは人間なら誰も他人のために仕えようとする人間本質の感情を前提に始まる。真なるリーダーは率先して他の人に仕えながら、彼らを導く。現在のリーダーがサーバント・リーダーであるのかを検証するには、部下たちがリーダーの支援を受け、人格的に成長し、より健全で賢明になり、より自律した意思決定ができるのか、また部下自らもサーバント・リーダーになっていくのかを分析しなければならない。」この内容を企業に例えると、部下を目標に向かわせるために、先にリーディング(leading)するという意味ではない。自分がリーダーであるため、先に部下をリードしようと考えると、リーダーは自分が持つ地位や力を使用しようとする傾向がある(leader first, servant second)。そのため、管理者、役員、CEO はリーダーである前に、まずサーバントでなければならないということを意味する。すなわち、部下に仕えることを通じて部下が組織の目標に向かって進むことができるように手助けをする。そこで、上司と部下の間に信頼関係が生まれ、結果的に人を導いていく(servant first, leader second)ことができるし、導かれた部下もいずれサーバント・リーダーになっていく。これがグリーンリーフの主張する定義である。”
とあった。

まぁ、これを読んでも 今一感が残る。しかし、この本では、そういうことが無いように意図し、その“心”から非常に丁寧に繰り返し説明しているので、“もう、分かった”感であふれて来てしまう。そして、それが繰り返し 襲ってくるような仕掛けになっている。
例えば、先ず冒頭の“刊行によせて”で金井教授は次のように言う。“愛する人ができたときのことを考えてほしい。・・・・・あなたはその人のことを、ごく自然に大切にしたいと思うだろう。そして、何よりも、その人のことをもっとよく知りたいと思うはずだ。その人のことが少しずつわかってきたら、その人が喜びそうな何かをしたいという気になるかもしれない。「奉仕」という言葉がピンとこなくても、その人がそうされるとうれしいと感じられるようなことで、自分なりに尽くしたいと思うだろう。そういう気持ちや行動が相手に通じたときに、その人は、はじめてあなたのほうを振り向いてくれる。そして振り向くだけでなく、あなたに喜んでついてくるようになるだろう。”
次に、はイチロウの父親の教育観を持ち出す。そして“(父親の)鈴木さんは、サーバント・リーダーシップという考え方を知っていたわけではないだろう。野球選手になりたいという息子の夢を信じ、それを実現するために息子がしようとすることを、親にできる方法で支えたいと素直に考えたから、このような接し方を自然にしてきたのである。だから、夢の実現に向かって頑張る息子の姿を見ることが何よりの楽しみだったという。両親ともに一朗を信じ、父親のひと言によると「あくまでも子どもがやりたいことを後ろから支えた」のであった。”これが サーバント・リーダーシップの真髄であると提示しているのである。当然、親であるからには、子を甘やかすことはしない、それが単なるサーバントとは異なるところなのだ。
次に印象的なのは、“アラジンの不思議なランプで煙りのなかから出てくるサーバント”を取り上げていることだ。“(そのサーバントは、)まず最初に、「ご主人さま、何をご所望でしょうか?」と聞き耳を立てる。相手が望むものを聞かずに、これがおまえの望むものだろうと一方的に決めつけたりはしない。かといって、ミッションの名の下に尽くすのであるから、大きな絵、ビジョン、ミッションからはずれるような要望を聞き入れることもしない。”と、言うのだ。
この間に、ヘルマン・ヘッセの短編小説『東方巡礼』まで引き合いに出している。ここに登場する秘密結社のレーオという召使のため巡礼が快適であったのが、いなくなると旅そのものが成立せず崩壊してしまう。ところが、そのレーオこそが秘密結社のリーダーだったと言う話である。さらに「塩の行進」で先頭に立つガンジーやオーケストラのコンマスも出てくる。
これらポジティブなもの以外にもネガティブな事例をも 多数引き合いに出してくるので、本当に“もう分った!”感で一杯になってしまうのである。

その“分った感”の最大の事例が、池田氏の資生堂経営での実績と、ご当人の実感に関する記述部分である。この実話の中で、最も注目されるのが“逆ピラミッド組織”の発想である。池田氏は、販売現場の従業員を重視し、活動しやすくするための工夫を考えている時に、偶然 組織図を逆の方向から見て思いついたということで次のように語っている。
“当時、偶然見たNHKスペシャル「変革の世紀② 情報革命が組織を変える~崩れゆくピラミッド組織」(2002年5月12日放映)という番組で、アメリカ陸軍の組織について取り上げていた。アメリカ陸軍は、当然のことながらトップダウンの指揮命令系統で、ピラミッド型の組織になっている。しかし、敵と対峙する第一線で入手する情報が、戦略の立案、戦術の遂行において非常に重要な意味を持ってくる。そのため、組織図にすると第一線の戦闘部隊がいちばん上に位置し、そこで得た情報が最下層にある参謀本部にまで下がっていくように、逆ピラミッド型の組織にすべきだという考えが強くなっていると伝えていた。その番組を見て、逆ピラミッド型の組織のイメージがより強く固まっていった。”
このNHKスペシャルは 私も見ていた。確か、フォードも逆ピラミッド型の組織変更に邁進していると紹介していたが、それがその後実際にどうなったのか、寡聞にして目や耳にしない。一体、どうなったのであろうか。
実際に運用して上手く行くのであろうか。特に、軍隊の場合、現場の勝手な動きが全体を混乱に陥れた事例は枚挙にいとまないであろう。しかし、この放送では、前線現場にはITによって全体の情報も降りているので、最前線指揮官であっても司令部と同じ全体感が十分に共有できるので、中央の指令を待たずにその場で即断できる、と言っていたように思う。だが、実弾飛び交う最前線での感覚と一歩引いた司令部での全体感は、絶対的に違うものではないだろうか。また、現場指揮官の性格によって無茶を好んでする猛者もいるのではないだろうか。そのような例として、第二次大戦の連合軍ヨーロッパ進攻時のパットンとモンゴメリーやその他の将軍の確執は有名である。各現場指揮官の全体感が自然に一致し得るのだろうか。それは、最早 現場指揮官はロボットでなければ成り立たないことではないだろうか。
だから、フォードの事例は気になるのだ。その後、彼らの経営が 光り輝くものとなったとは聞かないのだが・・・・。
資生堂でも、どこまで現場に権限委譲したのかの具体的なエピソードはなかったように思う。要するに、全くの逆ピラミッドではなく、適正な権限委譲を考慮するべきである、というのが実態なのであろう。

確かに、この“権限委譲”は重要だと思う。私も、若いときに、ミドル・マネジャとして小さなチームを任されていた。当初は、チーム・リーダーの教育などというものは受けていなかったので、我流で対応せざるを得なかった。そうなると、ミドルは直ちに孤独に陥ってしまう。特に、月末になると全ての活動の総括を一人で夜遅くまでやらざるを得ない。それを、ある時から “権限委譲”で乗り切ることにしたのだった。そうした時から、逆にチームには一体感が生まれ、私は孤独にさいなまれることから免れることができ仕事にも積極性が出てきたのだった。その“権限委譲”とはこうだ。先ず、上から降りてくる指示や、自分たちで設定した目標をチーム全員で共有する。それに従って各分担の負荷を見る。きついところは臨機にチーム内で応援し、月末の総括も各自の担当で分担して行う。その上で担当の目標到達度を各自が確認する。さらに、それを上に評価してもらって翌月どう動くか月初に決める。この場合、上からの指示や目標には、組織内では相当な機密性が求められることが多いが、リーダーはメンバーに隠さず提示する。それによりメンバーも全体感を持ち、チームの結束は強まったものだ。目標達成時の上からの激励をチームに伝えることは、さらに結束力を深める効果がある。結果、マネジャの仕事にも余裕が生まれ、全体感を持ってメンバーへの気配りもやりやすくなったものだった。

考えるに、真の逆ピラミッド組織は現実にはありえない。現場最重点となると、論理的には社長は不要となるはずで、そうなると各現場の個別固有の問題に振り回されてしまう。そうなると組織に全体感は喪失されてしまい、組織は崩壊するのではないか。組織には、どうしても組織固有の全体バランスがあり、それを客観的に適切に判断して調整する“社長”が必要となるのだ。そこに、こそサーバント・リーダーが必要となるのだろう。

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