電子メール全盛のこのかた、ちょっと珍しくなった観のある手書きのお手紙を頂戴しました。私などでしたら、手紙は内容をワープロで打って署名だけ手書き、とかするのですが、これは全編手書きのもので、便箋1枚にびっしり埋められた文字の群れには一種感動すら覚える何かがあります。しかもその手紙には美麗な絵が添えられていて、その絵には、きっとン年後に貴重なお宝になることを約束するかのようにその方のサインが記されておりました。パソコンが当たり前になっている昨今ですが、こういう、アナクロニズムといってしまうのもためらわれるほどの高貴な香り漂う習慣は、是非いつまでもお持ちになっていただきたいものです。
それにしても、私が物心付いた頃はまだパソコンなどなくて、コンピューターというと、たんすよりもでかい箱型のものにこれまたでかいリールが2つ並んでおり、細長い紙テープに奇妙な小穴をたくさんあけた物がだらだら出てきて、それを白衣姿が途中でピッとちぎってなにやら小難しげに眺めたりする、という光景でしかありませんでした。CDもないし自動車にもセンサーらしいものはほとんどないし、およそデジタルとは無縁の世界で私もずっと書き物といえば鉛筆と紙、が当たり前だったのです。小説を書き始めたころも当然紙に鉛筆で、その頃の原稿用紙はまだそのまま取ってあるのですが、とにかく文字通り手が痛くなるまでひたすら鉛筆を握り締めていたものでした。それがホンの20年足らず前のこと。私が初めてPCを使うようになってからも、しばらくは紙・ペンが優勢で、まず紙に書いてからPCで打ち込むという、いわば清書機でしかありませんでした。その習慣は今でも若干残っていて、メモ帳などに細かい字でびっしりと思いついたシチュエーションとか設定とか台詞とか文章とかを書き付け、それをPCで再構成しながらいっぺんの小説を打ち込んだりしております。ことに短編小説だったりすると、ほとんどそんなメモ帳で完成させてしまったりすることもありますから、まだまだ紙とペンは重要な創作アイテムであるといえるのです。それでも、メールが当たり前になってからこの方、手紙を手書きするようなことはほとんどなくなりました。仕事の文書程度でしたら、いきなりテキストエディタで書き始めることも少なくありません。紙とペン、というのは、思考を深め、色々とアイデアを練るのには適していると思うのですが、一方で修正が簡単にはききませんので、書いた文書の手直しや並び替えなどはPCの方が断然優れています。あと、文書を作るスピードも、手書きよりもキーボードを叩きまくるほうが速いですので、文書の中身を推敲して吟味するのもPCのほうがじっくりできるような気がします。
私は社会全体がアナログからデジタルへ変化していく歴史の渦中にずっと浸りながら日々を過ごして来たがゆえにこんな感覚になっているのだ、と思うのですが、今のデジタル全盛しか知らない若い人たちの思考様式というのはどういうものなのでしょうか。デジタルならではのスピード感あふれるメリハリはっきりした考え方をしているのでしょうか。あるいは案外そのあたりはまだアナログ感たっぷりの手書き文字みたいな状態が支配的なのでしょうか。非常に興味をそそられる問題ではあります。
それにしても、私が物心付いた頃はまだパソコンなどなくて、コンピューターというと、たんすよりもでかい箱型のものにこれまたでかいリールが2つ並んでおり、細長い紙テープに奇妙な小穴をたくさんあけた物がだらだら出てきて、それを白衣姿が途中でピッとちぎってなにやら小難しげに眺めたりする、という光景でしかありませんでした。CDもないし自動車にもセンサーらしいものはほとんどないし、およそデジタルとは無縁の世界で私もずっと書き物といえば鉛筆と紙、が当たり前だったのです。小説を書き始めたころも当然紙に鉛筆で、その頃の原稿用紙はまだそのまま取ってあるのですが、とにかく文字通り手が痛くなるまでひたすら鉛筆を握り締めていたものでした。それがホンの20年足らず前のこと。私が初めてPCを使うようになってからも、しばらくは紙・ペンが優勢で、まず紙に書いてからPCで打ち込むという、いわば清書機でしかありませんでした。その習慣は今でも若干残っていて、メモ帳などに細かい字でびっしりと思いついたシチュエーションとか設定とか台詞とか文章とかを書き付け、それをPCで再構成しながらいっぺんの小説を打ち込んだりしております。ことに短編小説だったりすると、ほとんどそんなメモ帳で完成させてしまったりすることもありますから、まだまだ紙とペンは重要な創作アイテムであるといえるのです。それでも、メールが当たり前になってからこの方、手紙を手書きするようなことはほとんどなくなりました。仕事の文書程度でしたら、いきなりテキストエディタで書き始めることも少なくありません。紙とペン、というのは、思考を深め、色々とアイデアを練るのには適していると思うのですが、一方で修正が簡単にはききませんので、書いた文書の手直しや並び替えなどはPCの方が断然優れています。あと、文書を作るスピードも、手書きよりもキーボードを叩きまくるほうが速いですので、文書の中身を推敲して吟味するのもPCのほうがじっくりできるような気がします。
私は社会全体がアナログからデジタルへ変化していく歴史の渦中にずっと浸りながら日々を過ごして来たがゆえにこんな感覚になっているのだ、と思うのですが、今のデジタル全盛しか知らない若い人たちの思考様式というのはどういうものなのでしょうか。デジタルならではのスピード感あふれるメリハリはっきりした考え方をしているのでしょうか。あるいは案外そのあたりはまだアナログ感たっぷりの手書き文字みたいな状態が支配的なのでしょうか。非常に興味をそそられる問題ではあります。