今日は朝うっすらと霜が降りていたのではないでしょうか? 疑問形なのは、私自身はっきりそうと認めるだけの観察をなしえなかったからですが、早朝の鋭い冷気、通勤途上で見た草の濡れ具合、池の表に濛々と立ち込める温泉の湯気のごとき水蒸気、それら正に冬の到来を告げるかのような諸々の事象が、初霜の存在を疑わせるのです。まあ今日は見られなかったとしても、多分来週の今頃にはほぼ確実に霜を見ることになるでしょう。週間天気予報の告げるところでは、来週の木曜日は最高気温12度、最低気温は2度、ということらしいですから。いい加減、毛布の一枚も出さないと寝ている間に風邪を引きかねませんね。
さて、このところ新聞を開くと何かにつけ「定額給付金」のことが話題に上がっていますが、よく見ると「定額給付金」のこと『だけ』しか話題には上がっていないように感じられます。それも、総理がどう言った、とか言うようないわば瑣末字をことさら執拗に追いかけて、まだ国会で審議したわけでも実施が決まったわけでもないのに、なんだかその執着振りにはなんとなくきな臭い何かがおぼろげに感じられないでもないような気がしてきます。ひょっとして、陰でまた何か重大な話が着々進行しているというのに、マスコミはその取材能力の無さかあるいは政府側との癒着構造のためか、何か理由があって故意に隠しているのではないか、というような、薄気味悪さを覚えるのです。定額給付金がそれなりに話題になるニュースであることは認めますが、政府が考えている経済対策はそればかりではないはずで、たとえば住宅ローン減税の拡充策などは、もっと話題にして内容を吟味し、その金持ち優遇振りを糾弾して所得の低い層まで役に立つ施策になるよう運動すべきではないのでしょうか、などと今の自分が言うと正に我田引水な話になってしまうのでそこそこにしておきますが、何にせよ定額給付金ばかりを取りざたするばかりなマスコミの姿勢には大いに疑問があるといわざるを得ません。霞ヶ関が地方にはびこらせている触手群を整理縮小しよう、という地方分権改革推進委員会関係の話は、定額給付金と同じくらい、いえ、将来のわが国のありように大きな変革を迫る点では、それ以上に執拗勝つ大々的に取り上げてしかるべき話題だと思いますし、他にも重要な話はいくらでもあるように思います。ひょっとしてマスコミの方々は、読者たる国民をなめているんじゃなかろうか、と疑いもしますが、もうすぐうちは諸般の事情で新聞を止めることにしたので、そんな疑問自体を感じることも、今後は少なくなることでしょう。私は、活字の力をいまだ小さからず、と評価しているのですが、トヨタの相談役が広告引き上げを示唆して見せたり、この分では本当にわが国のマスコミは自ら滅びの道をまっしぐらに突き進んでしまうんじゃないか、と、人事ながら危惧を覚えたりもします。
さて、このところ新聞を開くと何かにつけ「定額給付金」のことが話題に上がっていますが、よく見ると「定額給付金」のこと『だけ』しか話題には上がっていないように感じられます。それも、総理がどう言った、とか言うようないわば瑣末字をことさら執拗に追いかけて、まだ国会で審議したわけでも実施が決まったわけでもないのに、なんだかその執着振りにはなんとなくきな臭い何かがおぼろげに感じられないでもないような気がしてきます。ひょっとして、陰でまた何か重大な話が着々進行しているというのに、マスコミはその取材能力の無さかあるいは政府側との癒着構造のためか、何か理由があって故意に隠しているのではないか、というような、薄気味悪さを覚えるのです。定額給付金がそれなりに話題になるニュースであることは認めますが、政府が考えている経済対策はそればかりではないはずで、たとえば住宅ローン減税の拡充策などは、もっと話題にして内容を吟味し、その金持ち優遇振りを糾弾して所得の低い層まで役に立つ施策になるよう運動すべきではないのでしょうか、などと今の自分が言うと正に我田引水な話になってしまうのでそこそこにしておきますが、何にせよ定額給付金ばかりを取りざたするばかりなマスコミの姿勢には大いに疑問があるといわざるを得ません。霞ヶ関が地方にはびこらせている触手群を整理縮小しよう、という地方分権改革推進委員会関係の話は、定額給付金と同じくらい、いえ、将来のわが国のありように大きな変革を迫る点では、それ以上に執拗勝つ大々的に取り上げてしかるべき話題だと思いますし、他にも重要な話はいくらでもあるように思います。ひょっとしてマスコミの方々は、読者たる国民をなめているんじゃなかろうか、と疑いもしますが、もうすぐうちは諸般の事情で新聞を止めることにしたので、そんな疑問自体を感じることも、今後は少なくなることでしょう。私は、活字の力をいまだ小さからず、と評価しているのですが、トヨタの相談役が広告引き上げを示唆して見せたり、この分では本当にわが国のマスコミは自ら滅びの道をまっしぐらに突き進んでしまうんじゃないか、と、人事ながら危惧を覚えたりもします。