かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

07 決戦その3

2010-09-05 12:00:00 | 麗夢小説『夢の匣』
 榊は咄嗟に軽く身体をひねって、正面に迫っていた狼の巨大な顎をかわし、その首筋にしがみついた。
『離せ!』
 榊は満身の力をこめて締め上げようとしたが、狼がバネを効かせて首を左右に振り回すと、たまらず跳ね飛ばされて尻餅をついた。そこに間髪入れず狼がのしかかった。大きな顎を限界まで開き、真っ白な牙を唾液でてからせながら、榊の頭を丸かぶりするように襲いかかる。
「っ!」
 榊は、剛毛と硬い筋肉に覆われた狼の肉体の中で、ただ一つ柔らかく湿り気を帯びた部分、その鼻面に、思い切り拳をぶち込んだ。続けて、きゃうん! と悲鳴を上げてのけぞる狼の腹めがけ、右足で蹴りを入れる。だが狼もただやられるばかりではない。腹を蹴られて飛び下がる瞬間、獰猛な牙で榊の右腕にかぶりつき、その背広の袖を食いちぎった。狼の体の下から転がり出た榊と狼の間に、袖の断片が宙を舞う。榊はもう一度立ち上がると、態勢を整えようと向き直った狼に猛然と飛びかかった。
 円光は、錫杖を前に改めて両手を複雑に組み合わせ、ゆっくりとつぶやくように真言陀羅尼を口ずさんだ。すると、目の前に展開するミニチュア円光達が、生気を吹きこまれたかのように動き出した。これもミニチュアサイズの錫杖を構えるもの、腰を落として右手を顔の前に掲げ力を貯めているもの、オリジナル同様に錫杖を立て、複雑な印を結んでいるものなど、思い思いの態勢でガマガエル軍団を迎え撃つ。対するガマガエルは、重い身体を引きずるようにノロノロと行進を続けていたが、あと一歩、というところでやにわに飛び掛ってきた。その鈍重そうな姿の突然の豹変に、最前列の円光達が虚を突かれて為す術なく巨体の下敷きになる。だが、その後列から一群の円光が一声鋭くガマガエル達に跳びかかり、どんぐりした目に錫杖を突き立てるや、一部のカエル達がたまらず横倒しに腹を見せた。その腹めがけて更に襲いかかる円光の群れと、倒れた仲間を乗り越えて進むガマガエルの群れが激突し、あちこちで混戦状態が出現した。
 鬼童は本人からすれば精一杯の努力でかろうじて3本の触手をかわすと、いつの間にか手にしていたスタンガンを手近な一本に押し付けた。バチン! と盛大な放電音が鳴り響き、はじかれるようにその触手が跳ね上がる。だが、一旦引いた触手は、特にダメージを受けた様子もなく、ウネウネと星夜の周りで蠢くばかりである。
「ハハハ、効かないよ。少なくともそんな低出力じゃね! それより、そっちの武器を使ったらどうだい?」
「参ったな、人ならまず確実に失神させられるレベルなんだけど……」
 実際、小学生のそれも女の子相手に使うのはどうかとためらいもした武器なのであるが、害どころか効果すらなしとあっては、これに頼るわけにもいかない。鬼童はあっさりとスタンガンのスイッチを切ってポケットに収めると、改めて一見巨大拡声器のような装置の取っ手を握り直した。
 満身の力をこめて狼の紫を締め落とそうと躍起の榊だったが、紫もそう簡単に落ちはしなかった。むしろ強引に全身のバネを使って榊を振りほどき、鋭い牙の並ぶ顎の一撃を入れようと、ますます猛り狂って跳ね回った。榊も、さっきの鼻面の一発がよもやの奇襲だったことは理解している。次に同じ状況になったとしたら、もう通用しないに違いない。と言って、銃を使うような真似もできず、ここで仕留めないと後がない。榊の額に浮かぶ脂汗に、次第に焦りの色がにじみだした。だが、それは紫の方にも言えた。確かに榊の膂力とさっきのパンチには面食らったが、本気で噛みに行けば、首に食らいついて一瞬で絶命させることだって、今の紫なら造作無い。だが、そんな事をしては元も子もないため、不本意ながら自制して、手加減せざるを得ないのだ。だからといって手を抜きすぎると逆にひねり落とされかねず、その力加減の微妙さに、徐々にイライラが募ってくるのを抑えられなかった。
『もう! いい加減にしろよ!』
 ついに我慢も限界に達した紫が一際大きく上半身を振り回した。たまらず榊の足が浮き、首にまいた腕が外れかかる。もう少しだ! と調子に乗った紫は、今度は上下に首を振って、榊を地面に叩きつけた。足が浮いてしまっては榊も踏ん張りようがない。あっさりと腰から落とされて、それまでなんとか保持していた腕が振りほどかれた。慌てた榊は、偶然目についたもの、その頭にピン! と立った狼の耳を、かろうじて届いた右手で思わず掴みとった。
『キャン!』
 敏感な耳を思い切り握られて、思わず紫は悲鳴を上げた。そうでなくても相手は狼相手に一歩も引かず組み付いてきた猛者である。その握力たるや、尋常のものではない。思わず逃げ腰になった狼の怯みを、榊は見逃さなかった。咄嗟に左手を伸ばしてもう片方の耳を掴みとると、強引に腕を引いて、眉間めがけ正面から思い切り頭突きを食らわせた。
 狼の視界は正面に死角がある。弱点の両耳を潰されんばかりに握り締められ、それだけでもう失神寸前だった紫は、榊の頭が急速に正面から迫り、寸前で突如見えなくなったと思った瞬間、頭蓋を襲った強烈な一撃に、目から星が飛ぶのを一瞬だけかいま見た。
 全身の筋肉が力を失い、狼の巨体が崩れ落ちた。榊も力を使い果たしてその場にへたり込む。ぜいぜいと荒い息を付き、なんとか下した難敵に目をやった。すると、次第にその体が縮み、全身を覆う剛毛が抜けて、白い肌が顕わになってくるのが見えた。やがて、瞬きする間に狼は元の少年の姿を取り戻した。榊は背広を脱ぐと、うつ伏せに倒れ伏す裸の背中にかけた。男の子とは言え、なめらかな白い肌の背中やお尻が露出しているのを放置するのは忍びない。榊はようやく立ち上がると、僚友二人の戦況に初めて意識を向けた。
コメント
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